(治角名)いい夫婦の日「いい夫婦の日ですが、角名さんはどんな夫婦が理想ですか?」
いい加減にしてくれないかな。
数年前なら絶対顔に出ていたし、下手したら声にも出ていたと思う。
ほかに選択肢がなかったからねと周囲には言いつつも、それなりに覚悟をもって続けてきたバレーボール。
プロになれば授業もテストもなくなるんだから、もっともっとバレーに集中できるのかと思っていた。
もちろん社会人だから会社での仕事はやむを得ないと思っている。
かなり配慮してもらっているし、総務所属とはいえ広報に近いことをやらせてもらっているからまったくバレーと関係ないわけでもないし。
時間を取られてかつ精神的にも削られるのはそれ以外のこと。
バレーボールとチームの認知をあげないといけないのは重々承知。
ちゃんと笑顔をはりつけて駅前でビラだって配るし、試合後もサインをしたり写真を撮ったりといったファンサービスもできるだけ対応しているし、SNSも結構頑張ってると思う。
でもね。
全然関係ないバラエティ番組への出演だとか、雑誌の取材だとかはほんとうに苦痛。
高校時代は月バレの取材を受ける侑や治に「さぼれていいじゃん」とか言ってた俺だけど、今さぼれていいじゃんなんていうチームメイトはいない。
俺がこうやって意味のわからない質問に「そうですね」なんて答えている間に、ほかのメンバーはサーブ何本打ってる?ブロック何本跳んでる?
この身体も、スタミナだって永遠に同じ状態ではない。
「今」の俺はあとどれだけ跳べる?
そう思うほどにこの時間が無駄に思えて仕方ない。
それでもプロとして、チームの名前を背負って受ける取材に「いい加減にしてよ」だとか苦々しい表情は出せない。
仕事を終えて指定されたカフェまで行って、座ったり立ったりいくつかのポーズをとって写真を撮られて、バレーボールとは関係ない質問を浴びる。
机の上ではすっかり冷めたカップのカフェオレに白い膜が張っていて、デザイナーズチェアをまねたらしい椅子は身体を動かすたびにギシギシと音がして、昼ご飯を食べてない腹を刺激するようなコンソメの香りが鼻をくすぐる。
隣で質問に答える古森の声がどこか遠くに感じられて、窓の外に広がる空の青さがなんだが腹立たしかった。
誰が悪いわけでもないけれどじくじくと腹に溜まっていたらしい不満が、いい夫婦の日だとかいう言葉で溢れたらしい。
開いた口から考えていたのとは違う答えがぽろりとこぼれていた。
「理想なんてないですよ。一番大事な人間と手を取り合えるだけでも奇跡じゃないですか?どんな形でも一緒に人生を歩めるなんて幸せ以外のなにものでもないです」
一息で言い放った俺の隣で古森があーあって顔をして肩をすくめ、目の前では女性誌を担当していますって感じのいわゆる「しゅっとした」インタビュアーがぽかんとした表情固まっているのが見えた。
やべ。やっちゃった。
口調も言い方も完全に角がありまくり、なんかムカついてますって空気が伝わりまくったはずで。
っていうのは理想論なんですがって続けてみるか。
はくりと開きかけた俺の口が声を紡ぐ前にカメラマンが「角名さんの手を取らない人なんていないでしょう」と声を漏らした。
やめてくれよ。
そう言わなかった自分を褒めてやりたい。
手を伸ばせばいいってアタリマエのことのように言うけど、そんなの簡単にできる人間だけじゃないんだよ。
好きだっていえばいいじゃんって言えるなら苦労しない。
ずっとずっと押し込めすぎて、胸の中で腐ってどろりと形を変えながらも捨てることができないようなそんな気持ちだってあるんだよ。
クソッ!
だから嫌なんだ。
バレー以外の取材には必ずこういった質問がついてまわる。
好きなタイプは?
付き合っている人と何がしたい?
どんなデートが理想?
結婚するならどんなひと?
そんな質問がつきまとう。
適当に答えりゃいいじゃん。
古森はいつもそういって笑うけれど、十年近く胸のなかに居座った気持ちがそれをさせない。
嘘はつきたくないけど、ホントウのことは口にできなくて。
あーあ。なんだかなあ。
「いませんよ」
なんだかもう一周回ってどうでもいいやと笑顔でそう答える。
またまたあとか、選び放題でしょとか言われたら「紹介してくださいよ」とでも言ってやろう。
「わかります」
「へ?」
「え?」
「は?」
固まっていたはずのインタビュアーからこぼされた言葉は適当な同意ではなく、なんというかほんとうにわかっているという声だった。
「ずっと仲がいい子がいて。目指している世界も好きなものもちょっとずつ違うのに会うと楽しくて、過ごす時間が心地よくて。友達なんだけど、友達って言いきれない気持ちが自分のなかにいつのまにか生まれていて…」
ああ。わかる。
「でも好きだって言ったらこの関係が壊れてしまうんじゃないかって思うと怖くて、手を伸ばせなくて、このままでいいやって気持ちと、もうこのままでいたくない気持ちが毎日ぐるぐる胸の中で渦巻いていて」
「おいおい何自分語りしてるの」
カメラマンの呆れた声に「あっ!すみません!」とあたふたするインタビュアーのことを、俺はどうしようもないほどに抱きしめたくなった。
「あーそうかあ、そうですよね」
自分だけが苦しくて、自分だけが悩んでいて、自分だけが不幸なんだって思っていた。
誰かを愛する人間はすべからく苦しくて、相手のことを好きな気持ちと、手を伸ばして壊れてしまう怖さと、そして好きな相手と触れ合える幸せにがんじがらめになってしまうものなのかもしれない。
そうですよねって壊れたみたいに繰り返す俺の隣で笑い出した古森のケツを蹴り上げると、パンと両手で頬を叩く。
「隣にいてそれぞれ違うことしてても心地よくて、たまに同じことで笑ったり怒ったりできたらそれが理想です」
ちゃんとホントウの気持ちでそう言った。
シャッター音がかすかになって、きっとこの写真が使われるだろうなと思った。
話しながら治のことを思い出していたから。
「なんやええやん。ああいうのん」
高校時代のことだ。
さっきまで隣で肉まんで口をいっぱいにしてた治がぽつんって言った。
真冬の公園、冷えた木のベンチで尻は冷たいし、手にしていたミルクティのペットボトルはもうすでに半ば冷たくなっていて、早く帰ろうよって言いかけた俺は何を言ってるんだと「おさむ?」と首を傾げる。
治が見ているのは犬を連れている老夫婦だった。
仲良く手をつないで長く寄り添った夫婦は似てるねえとかそういうやつならいうこともわかるけれど、その夫婦はなんというかちょっと違った。
いかにも山歩きが趣味なんだろうなあという服を着た男性は元気いっぱいで、通いなれた公園だろうにワクワクした顔で木々を指さし、散歩中の人や犬にまで声をかけていて、ばたばたと歩き回っていたかと思うと、ふわりとした着心地のよさそうな上質のコートを着て、この男性よりもはるかにしつけの行き届いた小さな犬をつれてゆったりと歩く女性の隣に戻っていった。
しばらく彼女の近くで歩いていたなと思うと、知り合いなのかすれ違う人に声をかける。
女性は軽く会釈はしたものの自分のペースでゆったりとそのまま歩いて行く。
それを気にもせずにしばらく話し込んでいた男性はまたばたばたと彼女のもとに戻る。
そしてまた微妙な距離を保ちながらふたりは歩く。
ずっと見ていなければ彼らが夫婦というか家族であることはわからないほどの距離感がふたりにはあった。
「何がいいの?」
そういえば治は彼女ができてもつかず離れずというか、あきらかに優先順位が低そうな付き合いをしていたことを思い出した。
ああいうのがいいのだろうか?
そう思ったときだ。
彼女が空を指さして、隣にいる夫に何かを話しかけた。
トンビだろうか、高いところに鳥の影が見える。
顔を見合わせるとふたりはふわりと笑い、互いの腕に手をあててしばらく楽しそうに笑いあった。
ふたりだけの思い出かなにかがあるのだろう。
足元で小さな犬がそれに混ぜろとばかりにくるくると回って、抱き上げながらまたふたりは幸せそうに微笑んだ。
自分の好きなもの、相手の好きなもの、大事なこと、そんなものを互いに認め合って、違うところもちゃんと大切にしながらここまで歩んできたのだ。
同じものを見て、同じように楽しいと思えるふたりからは、何よりも相手が大事なのだということが遠目からも伝わってきた。
「いいね」
「せやろ」
治と交わした言葉はそれだけだったけど、なんだかそのときにふっと隣に治がいることが「いいな」と思った。
あー治に会いてえな。・
なんでもない話をして、今日インタビューしてくれたひとがすげえ可愛かったんだよねって言ったらどんな顔をするだろう。
会いたい。
インタビューが終わって店をでるとわずかに陽が傾きはじめ、街を行く人たちも誰かのもとに帰るという表情に変わっていた。
「行くの?」
なんでわかんだよ。
「るさい」
「お土産よろしく。明太子とツナマヨね」
そう言って雑踏に消えていくコートの外では小さな背中を見送ると、俺は駅に向かって足を踏み出した。
いい夫婦の日なんだけど、どんな夫婦が理想なの?
聞いたら治はなんと答えるだろう。
「せやなあ」と言ったあと、続く言葉が同じなら。