(燭へし)限界社畜HASEの死ななきゃ安い!極!「食事? 死ななきゃ安い! 極!」
聞きなれた声とタイトルコールにいつもとは違う言葉が続き、俺は「は? 極ってなんだよ」と思わず声を漏らしていた。
不定期に配信されているサラリーマンHASEのこの番組――ひそかに社畜リーマンHASEの死ななきゃ安いと呼ばれているが――は男性ファンが多いと噂されているが俺もそのひとりだ。
高校時代から自宅を離れ、ずっと寮暮らしをしていた俺が、一人暮らしを始めて最初に困ったのが食事だった。
スポーツを生業としてるから、食事には気を使わないといけないのはわかっている。
だから時折やってきて冷蔵庫と冷凍庫をパンパンにして帰る恋人の作り置きと、近所の定食屋にほとんど支えられているとはいえ、もちろん家に何もないときもあるし、帰宅時間によってはコンビニしか空いていないことも多い。
でもコンビニ弁当というやつがどうにも苦手で――それは料理上手の恋人のせいなのだが――なんとかしなきゃなと思った時にたまたま見つけたのがこの配信だった。
料理の配信は星の数ほどあるけれど初心者にはハードルが高かったり、一人暮らしでは量が多すぎたりとどれもいまひとつピンとこなかった俺の耳に「帰る時間にスーパーなんて閉まってるだろう? 俺たちの味方はコンビニだけ! でも弁当だと多すぎるときないか?」という低いけれど、どこか甘やかな声が届いた。
「多いというか重いんだよな」
「そう重いんだよ」
「え?」
「だからコンビニであるものでさっと作って、ビール片手にさっと食べてさっと寝たい! そう思うだろう?」
え? こいつ俺か?
あ、そうかつまり俺が求めているものじゃん。
その日の配信はポテトサラダのグラタンだったか。
コメントには「またチーズ乗せて焼いたら優勝だと思ってる」「そこがいい」と流れていた。
なるほど。こういうのもありか。
その日から俺は「HASEの食事? 死ななきゃ安い」のリスナーになっていた。
基本はコンビニで売ってるものをアレンジするだけの配信。
チーズをのせて焼いてるだけ、ごま油をかけて和えているだけなんてことも多いけれど、聞いているうちに俺もわずかだけど自炊をするようになっていた。
「極ってなんなの?」
タイトルコールに戸惑うコメントが流れる中、とてつもないイケボが俺たちの代弁をしてくれた。
え? 誰これ?
「お前がいるからいつもより上級のメニューになるだろう? だから極みだ」
「ふふ。そうなんだ。あ、こんばんは」
HASEの配信はいつも手元だけが映されるのだが、見慣れた男にしては白く細い指のHASEの指の隣には大きな掌が映っていた。
ひらひらと振られる掌はHASEの手をすっぽりと包みこめそうな大きさで、指も長いけれど全体的にデカイ。
こいつ絶対チンコでかいわ。
俺にはわかる。
とてつもないイケボでデカチンで、この感じ絶対顔もいい。賭けてもいい。
「今日は同僚が手伝いに来てくれた、みつた、えっと」
「同僚のMITSUです」
「そう! みつた、MITSUだ! 最近時々アドバイスをもらっていたからな、今日は本人を連れてきた」
どうだ! とばかりのHASEの声色はなんか宝物を自慢する小学生みたいで、可愛いというかそれただの同僚を紹介する声なのかなってちょっと思った。
「初めましてMITSUです。はせべ、あ、えとHASEくんの料理を楽しみにしてる人が多いよね? お邪魔しちゃってごめんね」
こっちはなんというかごめんねなんて欠片も思ってないだろう? って声で、なんというか牽制? そんな空気を感じてしまう。
なんだこのふたり。
「それでね今日はHASEくんのリクエストでチキン南蛮です」
「やった!」
画面にはパチパチと嬉し気に手を叩くHASEの姿が映り、可愛いかよ! というコメントが流れまくる。
「まずはこの●●チキと呼ばれるこのホットスナックのチキンを温めるんだけど、レンジもいいけど油をひかずにフライパンで温めるか、魚焼きグリルを使ってほしいんだ」
「面倒だろう?」
「余分な油が落ちるからぜひ試してほしいな」
「この下品な油がうまいんだろう」
全然話が合わないじゃん。大丈夫なの? このふたり。
「じゃあHASEくん、これを一口大に切ってフライパンで焼いてくれるかな?」
「任せろ」
「その間に甘酢を作っていくね、これはスーパーの唐揚げでもできるからね」
「お前の唐揚げうまいんだよな」
「ふふまた作るね」
いやコンビニアレンジじゃないのかよ!
どうやらMITSUは料理がうまいようだ。ちょいちょいお前のあれは美味いんだよなっていうHASEの声が入り「その美味しいの食べたいんだけど」ってコメントが流れる。
HASEがこれくらいか? もうちょっと焼くかとフライパンを使っている間にMITSUは甘酢をつくり、フライパンに流しいれる。
しばらく味をしみこませようねと言いながら、次はねと料理を続けていく。
いつものまったりと「これどうしたらいい。マヨネーズかけるか?」とぼそぼそつぶやきながら進む、なかば料理の参考にというよりHASEのぼそぼそしゃべる声を楽しむ配信だったこの「死ななきゃ安い」が料理配信になっている。
「うわなんか料理配信みたい」って同じことを考えたコメントが流れ「おい! いつも料理配信だろう!」とHASEの慌てた声にそしてゲラゲラ笑うMITSUNの声が重なる
なんだイケメンはゲラゲラ笑っててもイケボだな。
瞬く間にいつもHASEがオリーブオイルとイタリアンハーブソルトがあれば無敵といって食べているコンビニのレタスの上に甘酢を絡ませたチキンがおかれ、コンビニのゆで卵とマヨネーズでつくられたタルタルソースが添えられ、最後にぱらりと刻みネギがちらされる。
仕上げは黒コショウ、それも音からしてガリガリと削るやつだ。
そんなのHASEの家にあったっけ?
そしてHASEがいつも作る冷ややっこのキムチのせも卵黄と海苔が添えられて美味しさがアップしているし、最近ちくわに野菜スティックを差し込んで「しゃれてるだろう」とドヤってたアレもどうやらMITSUのアドバイスだったらしく、今日はちょっと変えてとスライスしてごま油で焼き始めた。
最後に醤油を回しいれるとジュウと音がして、画面ごしにもいい香りが届きそうで腹がグウと鳴った。
「ゆず胡椒をちょっと添えておくね。HASEくん好きだろう?」
とにかくこの男、HASEに話しかけるときだけ、やたらと声が甘い。
またそれに答えるHASEの声がなんというか、わずかにわずかにだけ甘えた感じになるのがなんというか「なんなんだお前たち!」なのだ。
画面にはチキン南蛮、キムチのせ冷ややっこ、ちくわの醤油焼き、そして冷えたグラスとビールが並ぶ。
綺麗に泡がでるように注がれたグラスはいつものビール会社のノベルティではなくて、なんというかインテリアショップで売られているやつみたいだ。
そういわれたらキッチンもガラストップじゃなかったか。
「「かんぱーい」」
カチンと重なるグラス、そして喉が鳴る音がしてこちらまで喉が渇いてくる。
いや渇くのは喉だけじゃない。
「どう? 美味しい?」
「うまいな」
「ほんと? 口にあってよかった」
「お前が作るものは全部うまいだろう」
「嬉しい」
とにかくとにかくだMITSUという男の声が甘くて、こいつの声は砂糖でできているのかと思うほど甘い。
この声……
デレデレでトロトロなのに、HASEはその声を平然と受け止めている。
大丈夫か? 耳ちゃんと聞こえてるのか。
「ひとりだとコンビニの量が適当なんだけど、正直もったいないじゃない?」
いつのまにか二人のグラスは半分くらいビールが減っている。
「それはそうだが、このあたりのスーパーは閉まるのが早いんだ」
「うちのあたりは二十四時間開いてるんだ」
「うらやましいな」
「だからね」
ごくりと思わず俺の喉が鳴る。
まさかとは思うが…
「あのあたり家賃高いだろう。お前んち家賃いくらだ」
おーい! そういう話じゃないだろう!
「うんだから、えっとあのね。はせ、あ、あれ、この配信終わりはどのタイミングなの?」
「あ、あまりにも美味くて忘れてた! 今日はあれだ、チキンの甘辛いやつ」
「チキン南蛮ね」
「そうその南蛮と、キムチ豆腐とちくわだ! 一度やってみてくれ!」
「じゃあおやすみなさーい」
「食事? 死ななきゃ安い! またそのうちな!」
じゃあなという声に重なるように「それでね長谷部くん」という声が聞こえたような気がしたが、画面はすでに消えていた。
最後に聞こえた声もそうだけど、あのMITSUの声を聴くほどに思いだしたのは長いつきあいの…いわゆる恋人が俺を呼ぶ声だった。
あの声はそういう声だった。
甘くてデレデレでトロトロで。
きっとあのあと「だから一緒に住まない」って続いたのだと思う。
次の配信でなにかコメントあるかなと思いながら、俺はスマホを手にすると遠くに住む恋人に電話をかけた。
そしてHASEの「死ななきゃ安い!」の配信はしばらくなくて、再会するとやたらとイケボが背後から聞こえるようになった。
ああ陥落したんだな。
「ご飯やで」と呼ぶ声に「今行く」と答えながら俺は小さく「お幸せに」とつぶやいた。