家族鍋島さん…啓護さんと結婚して数年、何時かこんな日がくるかも、と思っていた。
いや、正直来ないでほしい、と思ってしまっていたかもしれない。
でも…。
僕はお腹に手を当てながら病院を背に家へと足を進めた。
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僕には両親がいない。
物心付く頃には施設にいて沢山の子供と僕達を育てる先生達と暮らしていた。だって、一緒に住んでいた施設の子達にはどんな親であれ『親』を知っていたのだ。でも、僕は知らなかった。だから、僕という存在は僕ひとりでポッと生まれ、生きていたのだと思っていた。本当に子供の思考回路だったけど、これは僕自身の精神を守るために無意識にそう思い込んでいたのだろう、本当に両親はいないと思っていたんだ。
そんな僕の思考を一変させたのは、僕を引き取り育ててくれたおじいちゃんと、その秘書平尾さんの存在だった。
「お父さん・お母さんにはなれないけど、僕たちを入間君の家族にしてくれないかな?」
膝を着き小さな僕の目線に合わせ温かな僕より大きな手で小さな僕の手を握りながらおじいちゃんは言った。おじいちゃんの手の温かさを感じながら、僕はこの時漸く両親がいないのではなく、いなくなったのだと理解した。
何故、僕の前からいなくなったのかは今でも分からないけど、僕は祖父と兄のぬくもりは知る事はできたけど、両親のを知る術はなかった。
その後、僕はおじいちゃんと平尾さんと暮らし、成長し、おじいちゃんの会社ーバビル出版ーに入社し、啓護さんと出会い、結ばれ、結婚をし、今に至る。
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ここ最近、気持ち悪さから急激に落ちた食欲に僕以上に心配し何も手に着かない啓護さんに言われ病院に行き受診をしていると先生に「う~ん…科が違いますね!」あれやこれやと連れていかれたのは産婦人科。何かの間違いでは?と思いながらも検査をしてみた結果はー
「おめでとうございます」
予想もしていなかった言葉だった。
先生が何かを言っているのは分かっていたけど、内容は理解できなかった。
出来たのは僕のお腹には僕以外の生命が生きていてるという事だけだった。
家に着き、二人で選んだお気に入りのソファに身を沈めバックから覗く母子手帳を眺めながら、今後どうしようか、どうすればいいのか悩んだ。
まずは、啓護さんに妊娠したと伝えて、その後は、その後は…?
何時間経ったのだろう。気がつけばそろそろ啓護さんの帰宅時間だった。
本当は一緒に病院に行く予定だったけど、どうしても外せない打ち合わせが入ってしまい、僕に病院に行くように何度も念を押しながら心配そうに出掛けてい行った啓護さん。
妊娠、していると伝えたら、どう言うかな…?
喜ぶ?怒る?困る?
じゃあ、
「ぼくは どうおもった?」
ガチャリー
鍵の開く音が、やけに響いて聞こえた。
とすとすと啓護さんの歩く足音。
何時もなら玄関に迎えに行くのに身体が動かない。
目線を向けた廊下と部屋を繋ぐ扉が開く。ボヤけて見えるのは何故?
「入間?帰って来ているのか…?」
啓護さんが部屋に入りながらソファに座っている僕へと目線を向ける。
僕と目があった啓護さんは目を見開き驚愕の表情を浮かべながら、今度はどすどすと何時もの啓護さんなら想像も出来ない荒々しさで僕に向かって来た。
「何故泣いている」
その言葉に漸く泣いているのだと、泣いているから啓護さんが視界がボヤけているのだと頭の片隅で冷静に理解できた。
「診断結果が悪かったのかそれとも、他に何かあったのか」
なおも、続ける啓護さんを落ち着かせる為に視界を逸らそうとしてー
バックから覗いたままの母子手帳に目が止まった。
しまったと思った時には、もう遅かった。僕の視線を追った啓護さんも同じく母子手帳の存在を見て全て理解したのだろう。
僕の肩に置いていた手を少し震わせながら
「妊娠、したのか…?」
母子手帳から視線を外す事はできたけど、啓護さんを見ることができず俯きながら小さく頷く。小さく息を飲む音が聞こえた。
どうしようどうしようどうし…
「ありがとう」
「え?」
「ありがとう入間。俺の子を、俺たちの子を、ありがとう」
ああ…すとんと何かが落ちたかのように、この人なら、僕を、僕が愛した啓護さんなら、啓護さんとなら…
「怖かったんです」
啓護さんに抱き締められながら、肩に顔を押し付け思考を言葉にする。
「怖かったんです。僕は、両親を知らない。子供が、どう両親、に、あいされるか、しらない。どう…どうや、って、こどもを、そだてる、のか、しらない…。どう…あいしていい、のか…しらない…。こ、こんな、ぼくが…このこの、おやに、なって、いいのか、わからない…こわいんです…」
そう、僕は怖かった。両親の存在すら知らない。両親に合ったこともない。両親がどのようなものか知らないのに、この子の『親』になっていいのか。こんな僕のところにきてくれた、この子が幸せになれなかったら、どうしていいのか分からない。分からなくて、怖くて、不安で、でもー
「うれ、しぃと、おもったんですぼくのところに、きてくれたことが、うれしくてうれしぃけど、どうして、いいのか、ぼくはちゃんと、この子の『親』に『家族』になっていいのか、こわいんです」
同時に、嬉しかったんだ。
大好きな啓護さんと僕の血の繋がったこの子が、本当に嬉しかったんだ。
もう、頭がぐちゃぐちゃで、話している内容も支離滅裂なのも分かっていたが言葉は止まらない。やがて、肩で息をしながらも全ての思考を吐き出した僕の頭を啓護さんの大きな手が優しく撫でてくれた。大好きな人の温かい手。
「大丈夫だ」
「大丈夫だ入間。両親を知らないからなんだ。生まれてくる子を、今こんなにも考え『愛している』入間なら大丈夫だ。俺もいる。入間を愛し、この子を愛する俺もいる。入間ひとりではない、独りだと思わないでくれ。一緒にこの子の『親』に、この子の『家族』になろう」
涙も流れている、きっと鼻水も流れていてぐちゃぐちゃな僕の顔を両手で優しく包みながら、目を合わせながら、とても優しい顔で声で啓護さんは言った。
ああ…愛する人が、愛してくれた人が啓護さんで本当によかった。
僕は、やっと、この子に言える。
「言うのが、遅くなってごめんね…?僕の『家族』になってくれて、本当に、ありがとう」
とくん
小さな鼓動が聞こえた気がした。
もう、なにも怖くない。
おしまい