3章 第一話 出会い「……確かにこの世界からだ」
小声で秋に色めく森と丘の上にある公園へと降り立つ九尾の狐は、街を見下ろした。
藍色の毛は銀にグラデーションし、綺麗な碧色の瞳も銀に変わっている。
彼は、その姿から神狐(しんこ)と呼ばれることが多かった。
唯一無二の、魂の救いを司る神狐。
彼の感じ取ったボロボロで今にも消え入りそうな魂、その信念の強さと想いに誘われた世界がここだ。
だが、もちろんこの姿では不審に思われる。最初はその魂の持ち主に接近する必要があった。
伝統の上に器用に座っていた彼は、地面にスタッと降り立つと人の姿へと変化する。
藍色と碧色の瞳──人の姿になるがグラデーションは完全になくなっている、普通の人間に化けた方の姿だ。
公園から出て丘を降りて行き、どんどんと人の住む町へと進む。
歩いて行けば行くほど、自然だった背景は徐々に都会はと変わっていきたくさんの建物に囲まれた彼は目を白黒させた。
特に、目前にある高い高い塔……のようなもの。
「あ、あれが噂に聞く東京スカイツリー……」
仲間が異世界にこんなものがあって、と教えてはくれたが実物を見たのは初めてだった。
完全にお上りさんの彼が目を輝かせていると、どこからかキキッと擦り付けるような音が迫ってくる音と甲高い悲鳴がたくさん聞こえる。
そちらの方を見れば、気を失った車の運転手と横断歩道で固まっている一人の男子高校生がいた。
「……」
「梓っ……!!」
名前を呼ぶもう一人の男子高校生。
目的の魂を見つけた──が、それよりも目前にいる男子高校生の方を助けねばと動く。
「ッ……!!」
一瞬だけ、力を使って素早く走り出す。いつもの戦い方だが、氷を靴の裏に発生させて踏んで勢いをつけて走ると言うやり方だ。
氷を蹴り上げてすぐに高校生の元へ駆けつけると、その子を間一髪で抱えて歩道の方へ引っ張ると車は過ぎ去っていき、カーブ直前のミラーにぶつかって止まった。
「危なかった……大丈夫ですか?」
初対面の人には真面目に敬語を使ってしまうという、The コミュ障の彼は明らかに年上の姿なのにやってしまった……という顔をする。そして、呆然としている高校生は助かったと分かった途端にハッとして立ち上がると、彼に向かって何度も頭を下げた。
「あっ、ありがとうございます、ありがとうございます!!」
「いや……とりあえず無事でよかったです」
言ってしまった敬語をそのまま使いつつ、もう一人の高校生にも声をかける。
完全に青い顔をして、その場でカタカタと震えていた。
「あ、あの……お礼をしたいので……うちに来てもらってもいいですか……? 擦り傷もできてるし……」
「あ、え、はい……」
礼儀正しいな子にドギマギするコミュ障は震えるもう一人の高校生に肩を貸して支えつつ、助けた彼の家へと向かった。
………………。
「どうも、危ないところをありがとうございました……」
「いえ、人……として当然のことをしたまでです」
「そんな」
彼らの伯母だという女性に、コミュ障は腕の傷を消毒してもらいながら小さく笑う。
「お名前、伺ってもいいですか?」
「え、あ……えぇと……橘……橘 桜夜(たちばな さくや)。それが俺の名前です」
「私は梓くんの伯母の瀬登 舞衣です(せと まい)」
「僕が華月 梓(かづき あず)で、こっちが佐波 奏夜(さば そうや)です」
「そう……よろしく」
「はい! 桜夜さん!」
人懐っこい笑顔を見せる梓に桜夜はほっこりしつつ、もう一人の離れたソファに座る青い顔をした彼を見て首を傾げた。
「……大丈夫……なんですか?」
舞衣を見ながら桜夜が問うと、少し困った顔をして彼女は頷く。
「……お兄さんを失ったキッカケなんです、車の事故。奏夜くんが学校の帰りに、信号機のない横断歩道を渡っていたら居眠り運転の車が猛スピードで走ってきて……それを、あの子のお兄さんが助けてくれたんです」
「道理で……」
「……はい、お兄さんが亡くなってから……とても辛い日々を過ごしたと聞いています」
「…………」
期待、焦燥、不安、自失。今、色んな感情が奏夜を渦巻いているのだろう。
そんな彼の元へ桜夜は歩いて行くと、隣に座った。
「……あ……」
「大丈夫、少しだけ耳を傾けて」
奏夜が無理に何かを話そうとするのを制し、ゆっくりと桜夜は語り始める。
「……過去は囚われるものだ、どれだけ楽しい時間が来ても」
「……」
「俺は、囚われるなとは言わない。そこから抜け出すのは、かなり時間がかかるだろうから」
そう語る彼に奏夜は、ふと『この人も昔なにかあったのだろうか』と疑問を持った。
「……つい最近、大好きだった人が死んだ。寿命でね」
「……」
「俺も、過去にずっと囚われ続けてて誰も信じることができなかった。けど、その人は違ったんだ」
「……」
「狭くて暗いところに閉じこもっていた俺の心を、その人がノックして開けてくれた。それから、俺は死んだ心が生き返ったんだ」
例え、元の形に戻らなくても。
「……君が今閉じ込められてるところも、いずれは誰かがドアを開けてくれる。俺の……大好きだった、その人がしてくれたように」
少しの沈黙、奏夜の俯く顔を見て目をそらすと二階から綺麗なピアノの音色が聞こえてくる。
「……これは……」
「梓くんのピアノなんです。今年、フランスであった国際ジュニア音楽コンクールで、また優勝したんです!」
「へえ……凄いですね」
「そのコンクールには奏夜くんと二人で見に行ったんですけど、どんどんと上手になってて……はあ……」
ため息をもらして恍惚な表情をしている舞衣に、桜夜は苦笑いした。だが、確かに人の心を掴んで放すことのない艶やかで美しい音色だ。
「……梓……そう、梓は……凄いんだ」
「え?」
「梓のピアノは凄いんだ……! 俺の心を温かくしてくれて……いつも落ち着かせてくれる。ピアノだけじゃない、梓だって凄く良いやつだ……優しくて少し引っ込み思案で……強くて」
興奮気味に言う奏夜に桜夜はポカンとしつつ、クスッと笑った。
「君、かなり梓さんのことを気に入っているんだね」
「うぇっ!? ええ、ええっと……」
顔を真っ赤にして俯く彼に、更に追い討ちをかける。
「そんなに大好きなの?」
「んえっ!! なっ、そのっ……お、俺……」
プシュ〜と頭から湯気が出る奏夜。まだまだ青いなぁ、と謎の年長ぶりを見せる桜夜。
「……男が、男を好きになるって変じゃないか……?」
「え?」
「ほら、同性とかって……あまり……よく思われないだろ、この国だと」
「うーん、そうかな……俺はそんなに気にしないけど」
アッサリ言う彼の顔を奏夜はバッと見上げる。
「ほ、ほんと?」
「え? うん。だって、愛のカタチに縛るものなんてないでしょ」
しれっと言う桜夜。そうだ、確かにそうかもしれない。
「お、お、お、俺、梓のところ行ってくるっ!!」
ダダダダダッと走っていく奏夜を見送っていると、お茶を入れてきた舞衣が歩いてきた。
「ところで、お礼なんですが……」
「はい! 謝礼金を……」
「あ、いえ……お金よりも」
「え?」
桜夜の頼みは、彼女の驚くような内容だ。
「しばらく、ここに泊めさせてもらえませんか?」
「えぇ!? えーと……」
「俺、大学生なんですけど……昨晩、近くのアパートで火事があったじゃないですか」
「あ、深夜に全焼したってアパートですか?」
「はい、俺……そこて一人暮らししてたんですけど……手持ちのお金以外全部燃えちゃって……」
「まあ……大変でしたね」
「はい、それでちょっと泊まるところを探していたら、たまたま梓さんたちを見かけたので」
もちろん、全て嘘だが辻褄が合うように丁寧に桜夜は説明した。
「それで、しばらく泊まれる部屋を貸していただけると」
「そうですか……大丈夫ですよ、部屋はたくさんあるので。それに、衣服も燃えたでしょうから義理兄さんの衣装ダンスのある部屋を使ってくださいな」
「あ、ありがとうございます……!」
上手く行ったことにも安堵しつつ、桜夜は舞衣に早速部屋に案内してもらうため2階への階段を登る。
「この、上がって正面の大きな部屋が梓くんのお部屋です」
「でっか……」
桜夜も、どちらかと言えば名家の産まれなため大きな日本家屋には住んでいたが、これほどに大きい部屋は見たことがなかった。
気付けば、中で行われていた演奏も終わっている。
チラッと二人で中を覗き見ると、顔を真っ赤にした梓と奏夜が互いに向き合って話をしていた。
「仲睦まじいわ〜」
「はは……」
そっとドアを閉め、少し歩くと二つ目の部屋への扉がある。
「ここは奏夜くんの部屋です。元は書斎だったんですけど……」
「……もしかして、梓さんの両親……」
「……ええ、そうなんです。姉夫婦は車の接触事故で亡くなっていて……」
「……そうですか……」
その部屋の、向かいにある部屋の扉を舞衣は開いた。
「ここが義理兄さんの部屋です、ここを使ってください」
「ありがとうございます……!」
頭を下げて礼を言う桜夜に、彼女は「いえいえ」
と言うと夕飯の支度をしに張り切って下へと戻っていく。
この家は若干特殊な作りになっているようで、三階建ての真っ白な壁が特徴の綺麗な家だ。
二階に上がると、梓の部屋分の大きさは一回が見下ろせるスペースがあり、そこにはソファーと机が置いてあった。
更に、桜夜の部屋には個別の浴室と隣にはトイレがあり、かなり快適に過ごせる家だ。
「……すごいな、金持ち」
独り言を呟いてから、大きなベッドにボフンと寝転がると今までしまっていた耳としっぽを出し大いに振るって小刻みに動かしてを繰り返した。
こんなに長い間、人に化けるのは久々だ。
擬人化もあるが、人化とは全然違ってかなり窮屈なところもある。
特に、術式で頭を使って戦うのよりも刀を振るって力づくで戦う派の桜夜には、かなり疲れるというわけだ。
「……夕飯、何時だろな……」
しばらくゴロゴロしてから耳としっぽを隠すと、奏夜のことを思い出す。
例のボロボロの魂、それは彼のようだった。
少しでも触ればすぐに崩れてしまいそうなほど脆いが、思念が相当強い。不用意に魂に触れてしまえば警戒されてしまう。
少し様子を見つつ彼らと仲良くしていかなければ、と奏夜を最初に見ていた矢先に桜夜は梓を助け出した際にふと気づいたことがあった。
梓の魂も、どこか妙だ。
強い思いに縛り付けられているような、よく分からない感情の魂。結果として、その縛り付けはある種ひとつの呪いのようになっている。
それを彼からは感じ取った。
彼ら二人の魂を、助け出さねば。
「……よし、頑張らないとな」
独り言ちれば、誰もいない部屋に声が少し響き渡る。
身体を起こすと、桜夜は泊めてもらうお礼に舞衣の夕食作りを手伝いに部屋から出て行った。
1.出会い 終