夜の散歩 静かな廊下に小さく鎖の擦れる音が響く。足音は廊下に敷かれた柔らかなカーペットに吸い込まれほとんど聞こえない。外は暗く星がちらちらと輝き満月が室内を優しく照らしている。廊下には男が2人歩いていた。1人は紫からピンクに綺麗にグラデーションされた柔らかな髪を靡かせ、黒と紫を基調とした一見ドレスにも見える豪奢な服の長い裾を床に垂れながらゆったりと歩いている。しかし表情は穏やかな歩調とは異なり目に苛立ちをたたえた厳しい表情である。もう1人は艶やかな銀髪で汚れひとつない白と金を基調としたコートに中の黒いシャツを首元まで閉じ赤いネクタイをきっちり締めている。足元は太腿まで覆う白いブーツを履きそのブーツが汚れることも気にせず四つん這いで歩いていた。ネクタイできっちり締められた彼の首には真っ赤な革ベルトの首輪が嵌められ細い鎖のリードが隣を歩く男の手に緩く握られ小さな音を立てていた。
2人は隣接する2つの国の王子であった。それぞれ魔術とアンドロイド技術に優れた国で国土を巡り争っていたが両国とも永き争いに疲弊し、それぞれ王族の血を引くもの同士の婚姻をさせることで和平を結ぶこととなった。本来であれば王子と姫が婚姻するはずであったが、残念ながらどちらの国にも適齢期の姫がおらず和平のための婚姻のためひとまずそれぞれの第一王子を婚姻させることで互いの誠意とした。それが約3年前の話である。
さて、なぜ婚姻したはずの2人が夜中にこのような散歩をしているかというと、何のことはない、ただの痴話喧嘩である。銀髪の王子、ファルガーがパートナーである浮奇に遠い砂漠での長期出張のことを黙っており出立する前日の今日、浮奇にばれてこっぴどく叱られたのだ。なかなか機嫌を直さない浮奇に困ったファルガーが機嫌を直してくれるなら何でもすると宥めながら差し出したのが今自身の首に嵌めている首輪であった。彼は浮奇を怒らせるのが好きな変わった性格をしているのだ。一瞬困惑の表情を浮かべた浮奇だが、控えめに困った顔をしたファルガーの目の奧に期待の熱が込められてるのを認め大きなため息を吐いて彼の手にある首輪を取った。
昼間は多くの使用人が浮奇とファルガーの快適な生活のために忙しなく働いているが今は皆が寝静まった深夜である。廊下には2人しか歩いていない。護衛の騎士はいるが今は別のところを見回っているのか姿は見えなかった。
「あー、うきき?夜の散歩はお気に召したか?」
横を歩く浮奇の表情を伺うように四つん這いのままちらりと顔をあげファルガーが声をかけた。眉を八の字に曲げいかにも困ったという表情だが声には少し熱がこもっている。
「犬は人間の言葉を喋らないんだけど」
ファルガーとは反対に冷たい声音で視線だけを右下によこし浮奇は答えた。そんな浮奇のつれない態度も興奮材料になるのか満足げな表情になったファルガーは「バウワウ」と答え四つん這いで歩き続けた。
静かに満月が照らす長い廊下をゆったりと2人は歩いていく。2人の自室をでてから10分ほど歩いているがまだ誰にも見つかってはいなかった。廊下を曲がり少し進むと開けた場所に出た。そこはダンスホールの2階部分であった。突き出た小さなバルコニーのようなスペースから二手に分かれたアーチ階段が階下に伸びている。2人はバルコニー部分の柵の前まで歩いてくるとしばらく休憩というように立ち止まった。浮奇はあまり参加しないがファルガーは近隣諸侯との交流や古い友人を呼んでパーティをすることが多いためこのホールを使用することも多い。普段は賑やかな、人に囲まれたこの空間で今は人には見せられない格好をしている。目を閉じればすぐそこに友人たちや付き合いのある貴族たちが大勢いて階下から奇異の目で自分を見ているような気分になり思わず興奮で身震いをした。
「B*tch」
そんなファルガーを見下ろしていた浮奇が小さく呟いたその時、コツコツと廊下を歩く音が響いた。それは1階を見回っていた騎士の足音であった。目を閉じて妄想の世界に浸っていたファルガーはぱっと目を見開いてダンスホールの中に入ってきた騎士を見つける。思わず四つん這いのまま後ずさったとき首に繋がれた鎖がチャリ、と音を立てた。優秀な騎士はその音を逃さず腰の剣に手を掛けバッと音のした方を振り向くと、騎士が目にしたのはダンスホールの2階に佇む浮奇の姿であった。
「浮奇様」
驚いた表情の騎士がさっと姿勢を正し思わずといった様子で浮奇に声をかけた。
「見回りご苦労様。」
浮奇は柔らかな微笑みで騎士に労いの声をかける。
「恐縮です。浮奇様はこのような時間にいかがされましたか?」
「ん〜ちょっと眠れなくてね、散歩してた。」
「さようでございましたか。しかし喧嘩中とはいえ知らぬ間にベッドを抜け出したらファルガー様が心配なされますよ。ファルガー様は浮奇様を深く愛しておいでですから。」
「そうだね、もう少し歩いたら戻るよ。」
騎士はその言葉を聞いて、お休みなさいませと告げると一礼して見回りに戻っていった。騎士が鎖の音に気づき振り向く瞬間、浮奇がさっとファルガーの前に立ち裾をふわりと広げたおかげでどうやら騎士にはドレスのように広がる裾の後ろに隠されたファルガーの存在には気づかなかったようだ。騎士の足音が聞こえなくなると浮奇はくるりと後ろを振り向き、いまだ四つん這いのまま息を潜めて浮奇を見つめるファルガーを見た。薄暗い中でも興奮で頬を赤らめているのがよくわかる。
「b*tch。見られたと思って興奮したの?あの子ふーふーちゃんが子どもの頃から仕えてる子でしょ。」
浮奇の言葉の通り先ほど見回りをしていた騎士はファルガーが小さい頃から一緒に育った幼馴染のような存在だった。ファルガーのことをよく知っている存在に自分のあられもない姿を見られたと思い興奮で頬を赤らめ息を弾ませている。そんなファルガーの姿を見て浮奇の声にも熱がこもった。
「悪い子だね」
「ああ、悪い子にはお仕置きが必要だろ?」
にやりと口角をあげ魅惑的な微笑みでファルガーは浮奇を見つめた。
それから2人は手を繋ぎ急足で自室へ駆け込んだ。扉を閉めるなりファルガーは浮奇の顔を両手で包みこみキスをする。浮奇もファルガーの腰に手を回しキスを受け入れる。深い口付けの間に2人の熱い息が溢れた。しばらくキスを続けたあとお互いにじっと見つめ合い揃ってベッドへ歩みを進めた。
着ていたコートをその辺に放り投げると浮奇がベッドにファルガーを押し倒した。彼の腰の上にまたがると両手を頭の上に持ち上げさせ、首輪から伸びた鎖でファルガーの腕を拘束する。
「ああ、いいね」
金属でできた腕と鎖をカチャカチャ言わせながらファルガーはうっとりとした声で囁いた。全力を出さずとも簡単に細い鎖を引きちぎる力はあるのに敢えて浮奇の好きなようにさせる。そのまま浮奇はきっちり締められたファルガーの赤いネクタイを細い指でゆっくりと見せつけるようにほどき、焦らすようにゆっくりと、肌を撫でながらシャツのボタンを外していく。
「これはお仕置きなんだから、勝手に動いちゃだめだよ」
「ああ、浮奇の好きなようにしてくれ」
そうして2人はゆっくりと重なった。
次の日の朝、浮奇は差し込んできた光で目を覚ました。眠い目を擦りながら横を見るとベッドには誰もいない。ファルガーがいた場所をさするとまだほんのりと暖かかった。
「おはよう。うきき」
「おはよう、、、ふーふーちゃん」
「眠いならまだ寝ていていいぞ」
「ん〜、、、お見送りするから、起きる」
「そうか。なら朝食を持ってきたから食べるか?」
「うん、ありがとう。ふーふーちゃん」
のそりと起き上がった浮奇の前にファルガーがトレーに乗せた朝食を差し出した。ふっくらと焼き上がったトーストに瑞々しいフルーツが少し、湯気のたったコーヒーが添えられた理想的な朝食である。ベッドに腰掛けたまま浮奇はトレーを受け取りゆっくりと咀嚼し始めた。そんな浮奇を愛情に満ちた目でファルガーが見つめていた。朝食を食べ終えるとファルガーがトレーを持っていき外に控えていた使用人に渡し、その間浮奇はようやくベッドから抜け出し着替え始めた。使用人が出ていくと腰をさすりつつぼんやりとシャツに袖を通していた浮奇をファルガーが手伝い着替えさせた。
ファルガーが複數の使用人、護衛達を伴いエントランスホールに向かうと既に数台の馬車が控えて出発を待っていた。使用人達が荷物を馬車に詰め込み護衛達が馬を用意する。ファルガーはエントランス前で見送りに一緒に出てきた浮奇をぎゅっと抱き寄せるとその耳元で低く甘い声で囁いた。
「いってくるよ」
「いつ帰ってくるの?」
「あ〜なるべく早く終わらせる予定だが、なんとも言えないな」
「、、、、早く帰ってきてね」
「努力するよ」
浮奇はファルガーの胸元に顔を埋めぎゅっと抱きしめ返すと、一息吸って顔をあげた。
「いってらっしゃい」
ファルガーの大好きな穏やかな笑顔を浮かべ見送りの言葉を告げると、ファルガーも同じく愛情をたたえた目で見つめ笑顔で出発していった。