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    Hana_Sakuhin_

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    Hana_Sakuhin_

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    「そういえばオレを空港まで迎えに来てくれた日のタカちゃん、やけに咳してたし身体も痛そうだった・・・・・・えっ、そういうこと!?」



    Thank you for reading!

    ドラエマ強火担のデザイナー三ツ谷と、おせおせなバイク屋 龍宮寺です。ご都合主義の謎時間軸です!!!

    佐野エマと場地圭介
    龍宮寺堅と松野千冬

    三ツ谷隆と羽宮一虎

    #ドラみつ
    drugAddict

    いつかの夢と願望の充足『病める時も、健やかなる時も・・・・・・』

    神父の言葉が神聖なる教会に響く。
    頬を桃色に染めて照れくさそうに応えた花嫁に、新郎が優しい視線を向ける。そうやって、彼はいつも慈愛に満ちた目で彼女を見ていた。
    ――そんな彼を、いつも見ていたから知っている。

    白魚のように美しい花嫁の薬指に、新郎が指輪をはめる。見つめ合って微笑む二人を、窓から差し込む光が柔く包み込んでいく。
    新郎の手によって薄いベールが捲られ、花嫁が少し上を向く。人形のようにツンと高い鼻立ちの可愛らしい彼女に、プリンセスラインのふわりとした形のウエディングドレスは見立て通りよく似合っていた。

    華奢な花嫁の肩に、新郎がそっと手を添える。スローモーションのようにゆっくりと二人の顔が近づいて、触れるだけのキスが交わされた。
    ほんの一瞬だけ、時が止まったような気がした。世界中の幸せを詰め込んだような光景に、隣の席の男が静かに涙を流す。それはとても綺麗だった。

    ディンドン、ディンドン、ディンドン。
    教会の鐘が二人を祝福するように鳴り響く。
    すると、不意に新郎のこめかみの龍が、しっぽから徐々にその姿を消していく。

    ディンドン、ディンドン、ディンドン。
    まるで最初から龍なんていなかったかのように、完全にその姿を消してなお、鐘はいつまでも鳴りやまない。



    かの神経病理学者は言った。
    『夢は願望の充足である』と。





    からん、からん、からん。
    氷の溶ける音で、三ツ谷は意識を戻した。手の中のグラスはとうに温くなっている。

    「いつか、いつかを繰り返してたら、その『いつか』が永遠にこなくなっちゃうことだってあるんスよ」

    ふいに三ツ谷の耳に届いたのは、ともすれば遠くの喧騒にかき消されてしまいそうなほど小さな声だった。誰に届けるでもないような、そんな声。きっと呟いた千冬自身もそのつもりで、捨てられず重ねていった感情が、ついに溢れだしてしまった瞬間だったのだろう。

    ほんのりと赤く染めた頬を机にくっつけて、千冬は目を閉じた。ふるりとまつ毛が柔く震えて、真向かいに座る三ツ谷は彼が泣いているのかと思った。しかし黒髪の隙間から見えた彼のその眦から、涙が零れ落ちることはついぞなかった。


    どこか月末特有の疲れを滲ませた店員の声に背を押されながら、少し錆びた引き戸を強引に開けて暖簾をくぐる。火照った身体に冬の始まりを告げる冷たい風が当たって、三ツ谷は心地良さに目を細めた。

    手の中の携帯電話のディスプレイに表示された時刻は、午後十一時四十三分。時計の針が真上を向けば、もう十月の最終日が始まる。そこかしこに飾られた夜道を照らすカボチャも、明日の本番を終えればお役御免になるのだろう。

    いつもならば誰が言うでもなく、例えば馴染みの双悪だったり他の行きつけの居酒屋だったり、千鳥足で肩を組みながら二次会へと向かう。
    ――だが、今日は、今日だけは。

    酩酊状態の千冬を支える一虎の瞳が、壊れかけの街灯によって妖しく揺らめく。こちらを見つめる彼が何を考えているのか。三ツ谷には分からなかった。

    「――オレはその『いつか』は永遠にこなくていいと思ってるけど」

    一虎は小さく呟いた。だけど、先程の千冬とは違って、彼は確実に三ツ谷に聞かせようとしていた。はっきりと耳に届いたその言葉に、ほろ酔い気分が霧散していく。

    「は、」なのに、三ツ谷は何も言えなかった。

    目を細めて、唇をきつく結んだ。半ば睨みつけるような三ツ谷の鋭い眼光に、当然臆することもなく、一虎は風に乱された髪を撫でつけた。

    「じゃあ・・・・・・、気をつけて」

    一虎は何もなかったかのように、三ツ谷に向かって片手をあげると、千冬と共に帰って行った。結局そのまま何も言わずに見送ってしまったのは、一虎の表情が記憶より幾分も優しく穏やかなものだったからだ。

    それに、と三ツ谷は息を吐いた。
    一虎が『いつか』は永遠にこなくていい。そう言った理由を、三ツ谷は分かるような気がした。
    たぶん、だから一虎も三ツ谷に聞かせたのだろう。

    千冬には永遠にこなくなってしまった、『いつか』。
    いつか、言おう。いつか、伝えよう。変わらない毎日を疑わなかったあの日々を、三ツ谷も同じく生きていた。

    「さみぃ」

    見上げた月は半分に欠けていて、お世辞にも綺麗とは言えない。三ツ谷は薄手のチャコールグレーのロングコートに両手を突っ込んだ。もう特攻服に袖を通さなくなって、どれくらい時が経ったのだろうか。不平等な世界は、いつも平等に時を刻んでいく。

    「よぉ、三ツ谷」

    ふらふらと歩きながら大通りへ出た時、聞きなれた声がした。ヘルメットを被ってバイクに跨るのは、間違いようがない。龍宮寺だ。

    「ど、ドラケン?」
    「送ってくから、ちょっと付き合えよ」
    「は? まあ、いいけど・・・・・・」

    ほらヨ、と投げられたヘルメットを、三ツ谷は両手で受け取った。龍宮寺の背後にある巨大なビルの電光掲示板に映る時刻は、午前零時を報せている。ちかちかと瞬くネオンライトが、急に眩しく感じた。

    「ちゃんと掴まれよ」
    「言われなくたってヘーキだよ」
    「それもそうか」

    龍宮寺は笑って言いながらも、三ツ谷の両手を自分の腰に回した。途端に移りくる体温に身体が熱をもつ。それを誤魔化すように、三ツ谷は彼の大きな背中に頬を寄せた。

    龍宮寺がバイク屋を始めて守られるようになった法定速度。随分と頬を撫でる風が長閑やかで、時々もの足りなくなる。こんなにも変わったことばかりなのに、三ツ谷と龍宮寺の関係性も、この胸の奥底に隠した気持ちも変わらない。


    瞼を閉じれば、思い出さずとも蘇る青い日々。
    あの頃の三ツ谷は、『いつか』龍宮寺と彼女が想いを伝えあって、二人並んで幸せそうに笑いあっている未来を信じていた。

    本来ならば『いつか』が永遠にこなくなるのは、龍宮寺ではなく、三ツ谷であるはずだったのだ。
    三ツ谷は本当に、二人が幸せに過ごす日々のほんの少しを、彼らの友人として見守ることができれば、それで良かったのに。そう思っていた。

    だから、一虎の言葉の真意も分かった。
    有り得たはずの、有り得ない未来。千冬の『いつか』がやってくる未来。一虎もまた、千冬と彼の人が二人一緒に幸せである未来を夢みているのだ。


    ――オレは、揃いの龍だけで充分だったのに。
    三ツ谷の呟きにもなからなかったそれは、誰にも届かずに、さらりと夜風に攫われていった。


    「三ツ谷ァ」
    「なにー?」

    龍宮寺の呼びかけに、バイクの走行音に負けぬよう張り上げた声は、いつもよりセンチメンタルな心情を微塵も感じさせなかった。三ツ谷は両腕の力を少しだけ緩める。身体がやけに強ばっていた。

    「再来週、タケミっちんとこ行くだろ?」
    「おー。十五時集合だったよね」
    「おう。そんでさ、ヒナちゃんの出産祝い、どうすっか決めたか?」
    「うん。オムツとかミルクとかが無難だろうけど、実は仕事も落ち着いてっし何着か作ってんだよな」

    信号が赤になって、ブレーキを握った龍宮寺が振り返る。勘違いしそうなほど優しい瞳が三ツ谷を見つめて、「やっぱスゲーな」なんて綻ぶ。

    「オレはやっぱりコレかなって」
    「完成してんの?」
    「とりあえず一着はね。軽い手直しはしようと思ってるけど」
    「まじ? 見せろよ」
    「あ、置いてあるのは家の方!」

    聞くが早く、龍宮寺はバイクを家へと走らせた。随分と遠回りした気になっていたが、すぐに見慣れたボロボロのアパートが視界に入る。

    林田に紹介してもらったアパートは、築年数は経っているがアトリエとの距離が理想通りだった。赤錆が彩る階段を上って、一番右端の部屋。ワンルームの部屋は外観に反してリノベーションされていて、それなりに綺麗だ。家賃の安さも三ツ谷にとっては有り難かった。

    何度も来ている龍宮寺は三ツ谷のコートのポケットに手を突っ込んで鍵を取り出すと、勝手知ったる様で玄関を開けた。外と変わらない冷気が二人を包む。さみぃさみぃ、と言い合いながら暖房をつけた。

    三ツ谷は龍宮寺をカーペットの上に座らせて、キッチンにある一人暮らしには大きいサイズの冷蔵庫へと向かった。中を確認した時にようやく、牛乳を買って帰ろうと思っていたことを思い出した。

    「ドラケン、飲み物は? 水かお茶。酒もあるよ。あー、それか缶のココア。冷てぇけど」
    「ココア? 珍しくね?」
    「ああ。忘れ物? いや、貰いもんか。もういらないって言うし、なら飲んじゃっていいでしょ」
    「あ? んじゃココア」

    もちろん緑茶だろうと決めつけて冷蔵庫に手を伸ばしていたのに、龍宮寺の意外な答えに三ツ谷は手を止めた。
    それこそ本気か聞きたくなったが、なんとなく答えた龍宮寺のその声が不機嫌なようにも聞こえたので、三ツ谷は大人しく缶ココアと自分用に水を持ってソファーに向かった。

    「なんか食うもん作ろうか?」
    「さすがにいらねぇよ。気にすんな」
    「数年前だったら食ってたっしょ」
    「まあ・・・・・・、これから何年経ったって三ツ谷が作ってくれたもんなら、いつだって食いてぇけど」

    これしきのことで勘違いをしてはいけないことは、三ツ谷とて、この十数年で学んでいる。ここ最近こういうことが多くなった気がして、嬉しさと同時に言いようのない居心地の悪さを感じる。

    「あー・・・・・・、ふく。服、持ってくるワ」

    三ツ谷は視線を泳がせながら、部屋の隅のラックに置かれているベビー服を取りに立った。なんとなく、龍宮寺から視線を感じる。あからさま過ぎただろうか、と思っても時は戻せない。

    「はい、コレ」

    手渡したベビー服を受け取った龍宮寺は、「ちっちぇな」と言った。確かに大きな手のひらに収まるそれは、三ツ谷が持った時よりも小さく見える。

    「最初の感想がソレかよ」
    「ワリ。いやでも、こんなちっちぇのに、ちゃんと服なんだな。やっぱスゲぇな」
    「ま、本職だから」

    おどけて言った三ツ谷に、龍宮寺は少し考え込むような仕草を見せた。ふっと部屋に沈黙が落ちる。
    三ツ谷は手持ち無沙汰に水を飲む。最近ありがちな柔らかい素材のペットボトルは、一気に呷るとベコっと音を立てて潰れた。

    「そうだけど、そうじゃなくてよ」
    「は・・・・・・、」三ツ谷は目を瞬いた。

    手元を見て、龍宮寺を見て、手元を見る。
    ペットボトルを持つ三ツ谷の手のこうに、龍宮寺の手のひらが重ねられている。優しい体温が先ほどバイクを乗っていた時よりもダイレクトに伝わってくる。

    「オマエが作ってくれた隊服を初めて着た日を、今でも覚えてる。ケンカが強ぇこの手が、同時にあんなん作れんなんてスゲーって思った」

    するりと、龍宮寺に指を撫でられる。背筋が伸びて、なのに上を向いていられなくて、三ツ谷は俯いた。きっと頬だけじゃなくて首筋まで赤くなってるだろうことが、自分でも分かった。

    「な、に。なんか・・・・・・、さ」

    三ツ谷はくすぐったくて手を離すと、そのまま無意識に右のこめかみに触れた。龍宮寺はくつくつと喉を鳴らして笑った。

    「なんだよ?」三ツ谷は唇を尖らす。
    「別になんでもねぇよ。隆くん」
    「からかってんじゃねー!」

    叫んでしまってから、顔を見合わせて「シーッ!」と互いの口を手のひらで塞ぐ。先週、家でいつもの面々で飲み、お隣さんにやんわり苦情を言われたばかりなのだ。

    「つーかさ、なんか用があったんじゃねぇの?」

    声を落として囁くような声で聞けば、龍宮寺は首を傾げた。手元でぱちぱちと缶ココアのプルタブに格闘しているので、三ツ谷は奪い取って開けてやった。お、サンキュ。その言葉だけで頬が緩む。

    「いや、用なんて別にねぇけど」龍宮寺は答えた。
    「ないのかよ」
    「会いてぇって思ったから?」
    「・・・・・・なんで疑問系?」
    「会いてぇってつーか、一緒にいてぇから」

    二人の間に流れる時間だけが、この世界から切り離され、やけにゆっくりと進んだ。
    三ツ谷が隣を見ると、やはり龍宮寺と目が合った。あまりにもたくさんの酸いも、それでも確かに存在した甘いも、全てを飲み込むような真黒い瞳。

    龍宮寺がおもむろに伸ばす手の行き先は、三ツ谷の右のこめかみだった。今は姿を隠している、揃いの龍。
    彼の指先がそれに触れる、直前。

    ピコンっピコンっと立て続けに三ツ谷の携帯電話がメッセージの受信を告げた。時間は遅れを取り戻すかのように瞬く間に動きだした。

    「ごめん」

    三ツ谷は片手を上げて、壁にかけたコートのポケットの中、携帯電話を取りに立ち上がった。時刻は午前十二時三十六分。もしかしたら緊急の連絡の可能性がある。
    が、しかし。表示されたメッセージの送信者は、弟分である八戒だった。三ツ谷は思わず笑みを零した。

    現在モデルとして活躍する八戒は、先週からニューヨークへ行っていた。そんな彼から三ツ谷に届いたメッセージは、明日の日本時間、午後五時頃に羽田空港に到着するといった内容だった。そして、それに続くように、八戒の姉であり、マネージャーの柚葉から遅い時間に対する謝罪のメッセージも届いていた。

    「誰?」龍宮寺の声に、三ツ谷は振り返った。
    「八戒と柚葉。明日、帰国すんだって」

    言いながら、三ツ谷はラックに置かれた卓上カレンダーに目を向けた。龍宮寺の目線もそれを追う。
    捲られていないカレンダーは、まだ十月のままだ。

    「さてと。お風呂入ってくるからさ、先に寝ててよ」

    三ツ谷は軽く言いおくと、返事も聞かずに洗面所へと向かった。もう一度ソファに戻って、龍宮寺と話の続きをするのは怖かった。

    いつもより時間をかけてシャワーを浴びて部屋に戻ると、龍宮寺は置きっぱなしになっているスウェットを着てベッドに横になっていた。近づいてみると、規則正しい寝息が聞こえる。三ツ谷はそっと息を吐いた。

    普段、龍宮寺が泊まりに来た時は、ベッドで並んで寝るのだが。暖房をつけっぱなしにして、夏用の布団を使ってソファで寝よう。三ツ谷はそう思いながら、壁の電気スイッチを押した。

    「ッオイ!」

    真暗くなった部屋でソファに向かうため、ベッドの横を通ったその時。三ツ谷は強い力で腕を引かれた。咄嗟のことで碌に抵抗もできぬまま、温もりに包まれる。

    「ドラケン、起きてんのかヨ」
    「寝てる」龍宮寺は目を瞑ったまま、答えた。
    「ったく。人を抱き枕にすんな」

    何も答えずに背後から絡めた腕の力を強くした龍宮寺に、三ツ谷は全てを諦めて目を閉じた。
    眠気はすぐにやってきた。






    「三ツ谷、オマエのことが好きだ」

    龍宮寺の手のひらが、三ツ谷の右のこめかみを優しく撫でた。




    かの神経病理学者は言った。
    『夢は願望の充足である』、と。




    三ツ谷はゆっくりと目を覚ました。抱きしめるように腹元に置かれた龍宮寺の腕をどかして、のそりと上半身を起こす。時計を見れば、午前七時三十分。本来の起きる予定より少し遅かった。開けっ放しにしてしまったドレープカーテンは朝日を遮らず、降りそそぐ光に目を眇める。

    ちらりと三ツ谷は隣に目を向けた。そうして、ぽりぽりと右のこめかみを掻く。今まで願っていた通りの夢を見ていたはずなのに、急に・・・・・・。どうして、なんて思わない。原因は龍宮寺の思わせぶりな態度だ。

    「いてぇ」

    暖房をかけっぱなしにしたまま寝てしまったので喉が痛い。更にはずっと龍宮寺に抱きしめられていたので身体も少し固まっている。両腕を組んでぐっと上に伸ばすと、関節が嫌な音を鳴らした。

    よっし。三ツ谷は隣の男を起こさないように小さく呟いて、そっと立ち上がると洗面所へと向かう。当然の顔をして肩を並べ合う、色違いのコップに歯ブラシ。右側の青色を手に取り、左側の橙色を少しだけ隙間があくようにずらす。
    それから冷たい水で顔を洗い、半ば強制的に目を覚ますと、三ツ谷は誰にともなくいろんな言い訳並べて、コップを元の位置に戻した。意味のないこの行為は、もはやルーティンになっている。

    そして大欠伸をしながら、朝食を用意するためにキッチンへと向かう。その間に頭の中で冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を決める。ネギ入りのだし巻き玉子、納豆、あとは作り置きしておいた南瓜の煮物。それからご飯と、豆腐のみそ汁。

    龍宮寺と色違いの灰色のスウェットの上から、三ツ谷は水色のエプロンをつけた。ちちち、とガスコンロの炎を見ながら、脳裏に浮かぶのは他でもない昨夜の夢だ。
    ――今までとは、違う夢。


    考えごとをしながらでも、料理は作れる。十数年来も続けていれば、くるくると箸で卵焼きも巻けるし、味噌の分量も失敗しない。お米を早炊している間の三十分足らずで、折りたたみのテーブルの上には豪奢な和朝食が並んだ。

    時刻は午前八時。
    龍宮寺を起こすべきか、起こさぬべきか。それが問題だ。三ツ谷はエプロンを外しながら、寝こけるその顔を見つめた。そうして、時計の秒針が一周した頃。

    「ドラケン、起きろよ」

    三ツ谷は、龍宮寺の肩を揺らした。うーん、と唸った彼は駄々をこねることもなく、のそりと上半身を起こした。寝起きの良さに反して、目を擦る姿はどこか子どものようにも見える。

    「顔洗ってこいよ」
    「・・・・・・オウ」ひらりと龍宮寺は片手を振る。
    「あ、タオルは横にあるやつ使えよ」

    龍宮寺からの返事はなかった。
    三ツ谷は冷蔵庫からお茶を取りだし、少し迷って冷たいままグラスにそそぐ。暖房のおかげで温まっている部屋には、こちらの方が丁度いいだろうと思った。

    洗面所から出てきた龍宮寺は、がしがしと頭を拭いて手首につけていた髪ゴムで軽く後ろ髪を結った。途端、陽の光に晒された彼の龍は、まるで三ツ谷に対して存在を主張しているかのように見えた。

    龍宮寺はようやく目覚めた様子で、「ハヨ」と言いながら三ツ谷の目の前に胡座をかいて座った。

    「おー、おはよ」
    「味噌汁の具なに?」
    「豆腐と油揚げ」
    「最高じゃん」

    いつも通り二人で「いただきます」と手を合わせ、半分ほど食べ終わったところで異変がおきた。
    龍宮寺が口元を手の甲で押さえているのだ。三ツ谷は怪訝な顔で彼を見たが、ニマニマという効果音が聞こえてきそうな様子に、更に眉間に深く皺を刻んだ。

    「なに?」
    「昔さ、エマと話したことがあるんだけどよ。三ツ谷はイイ旦那になるっつーよりか、イイ嫁になるよなって」

    頭を鈍器で殴られたような感覚がした。三ツ谷は未だに話し続ける龍宮寺の優しい顔に、あんな夢を見て自惚れのような勘違いをしそうになった自分を恥じた。

    「そんでさ、来月末――」
    「ドラケン。ごめん。オレ、今日仕事でさ、もう出なきゃいけないんだよね」

    龍宮寺の話を遮り、三ツ谷は嘘をついた。仕事があるのは本当だが、今日は午後からの予定だった。なのに時計を見て慌てるふりをして、随分と滑稽だななんて思う。

    「ドラケンも仕事だよね?」
    「おー。遅番だけどな」

    行儀が悪いと思いつつも指で食器をまとめて持ち、水の貯めてある洗い桶の中につけておく。今日のように手料理を振る舞う代わりに、その時の洗い物はやると言ったのは龍宮寺の方からだった。

    「そんな急いでんなら送ってやろうか?」
    「へ?」間抜けな声だった。
    「バイクで行けば五分を三分にはできるだろ」
    「いーよ、別に。ありがと」

    クローゼットを開けながら、三ツ谷は苦笑して首を横に振った。勢いよくスウェットを脱いで、まずは黒のスキニーを履く。そして白いロングシャツを着ると、右手に紅色のミラノリブニット、左手に黒色のニットカーディガンを持つ。

    「左」龍宮寺は箸を動かしながら呟いた。
    「・・・・・・ドラケンってカーディガン好きだよな」
    「オマエっぽい」
    「よくわかんねぇ」

    首を傾げた三ツ谷はだけど、少し逡巡してみせてから、左手に持っていたカーディガンを着た。本当は龍宮寺が左だと言った時点で、左なのは決まっていた。
    一応カバンの中のスケジュール帳で予定を確認して、三ツ谷はうっしと気合を入れた。

    「じゃ、行くワ」

    玄関で三ツ谷が振り返ると、食べ終わった龍宮寺が後ろから着いてきていて、廊下の壁に腕を組んで寄りかかって立っていた。その姿に脳裏に一瞬、彼に似合うデザインの数々が思い浮かんで、シャボン玉のように弾けて消えた。

    「戸締りよろしく。鍵はポストに入れておいて」

    龍宮寺に合鍵は渡していない。いつも靴箱の上にかけてある予備の鍵を使って閉めてもらったあと、ポストに入れてもらっているのだ。
    三ツ谷が指でその位置を指すと、彼は首をくいっと斜めに傾けた。それを頷いたと解釈し、靴を履いて爪先を何度か地面にとんとんと打ちつける。

    「いってら」龍宮寺はひらりと片手を上げた。
    「・・・・・・ウン。いってきます」

    三ツ谷は振り返って、龍宮寺に手を振った。玄関のドアが閉まる直前、彼がイタズラに笑ったような気がした。







    あ、気まずい。一瞬見せた一虎のあからさまな顔に、三ツ谷は思わず苦笑した。いつも会う時は千冬がいたり龍宮寺がいたりするが、今はお互い一人だ。

    夕時のスーパーはそれなりに人が多く、たぶん会釈をして、ハイさよならでも違和感はなかったはずだ。だが、一虎は意を決したような顔をして、三ツ谷の方にやってきた。カートの車輪がカラカラと音を立てる。

    「豚バラと豚こまって何が違うの?」
    「あー・・・・・・、なにが作りたいんだ?」

    一から説明しても良かったが、少なくともそれはこの主婦たちの戦いの場でやるべきではないだろうと、通い慣れている三ツ谷は思った。遠くで「これは私が掴んだのよ!」高らかに宣言する声が響く。

    「肉じゃが」一虎は小さく呟いた。
    「じゃあどっちでもいいよ」
    「えっ、どっちでも?」
    「まあオレのおすすめはバラかなぁ。脂身が少ない方がいいヨ。少なすぎてもダメだけど」

    狼狽えた一虎に対して三ツ谷が付け足したその言葉に、彼は「わかった」と肉売り場に戻り、真剣な顔で一パック選ぶとカゴの中に豚バラ肉を入れた。同い年なのに、どこか年下であるように感じる。彼の真剣な横顔を見ながら、三ツ谷はそう思った。

    「あと、じゃがいもも。それじゃなくて、隣にあったやつの方がいいよ。メークインってやつ」
    「めーくいん・・・・・・」
    「こっち」三ツ谷は売り場に向かって歩き出す。

    男爵イモの方が調味料の味が染みやすいが、その代わり煮崩れしやすい。メークインは皮も剥きやすいし、煮崩れもしにくい。三ツ谷はそう教えながら、一虎とじゃがいもを選んだ。

    結局そのまま連れ立って、三ツ谷と一虎はスーパーを出た。もうすっかり外は暗く、世界は闇に包まれていた。それでも二人の横を通り抜けていく女子高生の笑い声は明るく、希望に満ちている。

    「あのさ、お願いがあるんだけど」

    一虎は迷子のように視線をさまよわせ、あの日のように髪を撫でた。三ツ谷はエコバックを持ち直し、彼の言葉を待った。小さく吐いた息は白く、生暖かい。

    「肉じゃが、作り方、教えて、ほしい」
    「ウン。いいよ」

    あっさり答えた三ツ谷に、一虎は目を瞬いた。断られると思っていたのか。むしろ三ツ谷の方が明日は仕事が休みで特に予定もないのと乗りかかった船で、最後まで付き合うつもりだった。

    「いいの?」
    「千冬に美味いの食わせたいんだろ?」
    「・・・・・・ウン」

    今日の千冬は用事があり、帰りが少し遅くなると言っていた。だから今日ならば、万が一肉じゃがを失敗しても隠せる。そう思った末の決行日だった。
    道すがら一虎からそう話を聞いていたのに、三ツ谷が二人一緒に暮らすアパートに行くと、出迎えてくれたのは千冬だった。

    「アレッ。三ツ谷くんがウチ来てくれんの初めてじゃないっスか?」
    「千冬なんでいんだよ?」
    「ああ、一虎くんに遅くなるって言ったっけ。その用事、ちょっとなくなったんスよね」

    午後七時だと言うのに、もう黒猫が印刷されたTシャツに、ジャージのハーフパンツを履いて、すっかり寛ぎ状態の千冬は、三ツ谷に向かって「ご飯食べていきます?」と屈託なく笑った。

    「メシ作ったのか?」三ツ谷は聞いた。
    「いえ。今から作ろーかなって。ちょっとコレ観始めたら、真剣になっちゃって」

    コレと指された先、部屋に置かれたテレビでは、去年の夏頃に話題になった恋愛映画が流れていた。妹たちが随分とアレやコレや言っていたが、三ツ谷は観ていなかった。やはり今見ても、主演の可愛らしい若手の女優は、どこか彼女に似ていた。

    「あ、買ったもの、とりあえず冷蔵庫入れておきます?」千冬は甲斐甲斐しく、三ツ谷に手を伸ばした。
    「いや、この中身、酒だから大丈夫」
    「えっ。全部お酒っスか!?」
    「ウン。来週の水曜日、ウチでイヌピーと宅飲みすんだよね」
    「あー。イヌピーくん、ザルっつーか、ワクっスもんね!」と千冬は納得したように頷いた。

    つーか、と千冬はクツクツと笑う。三ツ谷はコートを脱いで、首に巻いていたマフラーを外すと、一虎からハンガーを受け取ってそこに掛けさせてもらった。

    「イヌピーくんに、ドラケンくんって。酒の消費ヤバそうっスよね。三ツ谷くんもケッコー強いし」
    「いや、イヌピーとサシだから」

    口に出してから、わざわざ言わなくても良かったなと三ツ谷は思った。まるで壊れたブリキのおもちゃのように千冬と一虎が首を動かして、三ツ谷の方を見た。

    「えっ。ケンカ、とか? したんですか? ドラケンくんと三ツ谷くんが? え?」
    「してないしてない」

    三ツ谷が手と首を横に振ると、なおさら千冬は慌てた。とうとう千冬にも注目されなくなったテレビの中で、当て馬役の男の子が雨に打たれながら涙を流している。それが可哀想に思えて、三ツ谷は特別明るく笑った。

    「別にいつも一緒にいるわけじゃねぇし」
    「そうかもしんねぇスけど、そうじゃねぇーっつーか」
    「あ、キッチン借りるぞ」

    もうこれで話はおしまいと、三ツ谷は千冬に声をかけた。すると、まだ納得いっていないのか唸りながらも、「三ツ谷くんが作ってくれるんスか!?」と千冬は嬉しそうに目を輝かせた。

    「違ぇよ。作んのは一虎」
    「」
    「オレは補助」

    一虎に髪の毛を結ばせながら、三ツ谷は手を洗う。本当はエプロンを着けたいが、生憎この家にはないと言われた。仕方なしにせめてものとしっかり袖をまくり、キッチンに並ぶ。

    思っていた通り、一虎は器用だった。ピーラーを使ってのじゃがいもの皮むきの手つきは、三ツ谷から特に言うこともなかった。千冬もそれは知っているようで、最初はチラチラと心配そうな視線を向けていたが、数分もすればテレビに釘付けになっていた。

    『オレはどうすればいいんだよ!』

    テレビから悲痛な俳優の声がする。驚いて三ツ谷がちらりとそっちを見てみると、千冬はクッションを抱きかかえて今にも泣きそうだった。

    「どっちもでいいんスよ!」千冬が叫んだ。

    はた、と二人が手を止めたのは同時だった。味見のためにオタマを握っていた三ツ谷は右を向いて、包丁やまな板を洗っていた一虎は左を向いた。

    「コレ、どんな話なの?」三ツ谷は聞いた。
    「さあ。知らねぇ」一虎は答えた。

    しばしの沈黙のあと、笑いだしたのは三ツ谷の方だった。一虎も張り合うようにケタケタと笑う。突然笑いだした二人に、千冬が目を丸めてキッチンにやってくる。

    「えっ、なんスか!?」
    「千冬さぁ、コレ恋愛映画なんじゃねぇの?」
    「どっちもってダメじゃねぇ?」

    三ツ谷、一虎に聞かれた千冬はキョトンとした顔で頷いた。そして簡単なあらすじを話し出す。
    主人公は女の子と、二人の男の子。男の子同士は幼なじみで、親友だった。しかし高校生になってから、男の子たちは、とある女の子に好意を寄せるようになった。女の子は悩みながらも一人を選ぶのだが・・・・・・。

    「えっ、選べないのは女の子じゃねぇの?」
    「ッス。女の子に選ばれた方の男の子が、彼女と親友で迷うんス」
    「なんで?」一虎が首を傾げて、リンっと鈴がなる。
    「彼女のことを好きだけど、親友のことも大切だから。たぶんその男は、親友にも幸せになってほしんだろうな。でも自分が彼女と付き合えば、それは叶わない」

    そんなところじゃねぇか、と三ツ谷は答えた。彼女に、親友に、自分に当て嵌めたのは誰か。少し状況は違うが、なるほど。男の気持ちが分かる気がした。
    自嘲じみた笑いが込み上げてきそうな三ツ谷に気がつかずに、千冬は言葉を紡いだ。

    「でも親友の幸せを願う気持ちと、女の子を好きな気持ちは共存できる感情だから。なにもゼロかヒャクである必要はないんスよ。どっちも、でいいんス」
    「どっちも・・・・・・」一虎が呟いた。
    「だから自分が幸せになって、そのうえで親友の幸せを願えばいいんスよ。半分コすればいい」
    「そんなの自分勝手じゃん」
    「そうスかねぇ? うーん。でも、そうなってもオレは自分の好きっていう感情を捨てられねぇと思う」

    千冬が真面目な顔して言い切ると、きゅっと一虎が唇を結んだ。三ツ谷はそれを横から見ながら、ふっと笑い混じりの息を吐いた。

    「確かにもう十何年も抱えてるこの気持ち、いまさら捨てられるわけねぇワ!」

    龍宮寺を避けたこの一週間。何度もこの気持ちを捨てようと思った。顔を見なければ、手の温もりに触れなければ。そう思った。
    でも無理だった。どうせ初めから分かっていたことで、だけど千冬の言葉でようやく気持ちの整理がついた。

    三ツ谷の出した結論は明快だった。この気持ちは捨てない、心の奥底にそっとしまう。今まで通り、元通りだ。
    でも、今までと違って、この気持ちを否定しないことにした。捨てられるわけないのだから、いっそ大切に抱えてやろう。

    後生大事に墓場まで持っていって、三途の川の先で龍宮寺と彼女の二人が感動の再会を果たしてから、『あの頃のオレ、オマエのことが好きだったんだぜ』なんて。きっとその頃にも笑い話になんてできやしないけど、三人で笑いあえたらいい。三ツ谷の願いはそれだけだ。

    「今日はぐっすり眠れそー」

    ぐっと両腕を天に伸ばして言うと、三ツ谷は肉じゃがを小皿に移して一虎に差し出した。そのまま味見をしようとする彼に、熱いぞと言ってやれば、唇を尖らせてフーフーと冷ます。

    「オレも味見したい!」

    ハイっと元気よく手を挙げた千冬にも、肉じゃがを小皿に移してやれば、嬉しそうに受け取る。フーフーと冷まして、ひとくち。一虎はぴたりと動きを止めて、その様子を固唾を飲んで見守っていた。

    「・・・・・・一虎くん」
    「な、なんだよ」
    「アンタ天才っスよ!」

    美味しい美味しいと笑う千冬に、一虎は照れくさそうに頬を搔いた。そしてようやく自分もひとくち味見をして、美味いと嬉しそうに笑った。

    「じゃ、帰るワ」

    三ツ谷の言葉に「えっ」と目を丸めたふたりは、どこかよく似ていた。この先一虎がどんな選択をして、千冬と二人でどんな道を歩いていくか分からないが、そう悪い方向にはいかないだろう。
    少なくともオレが今ここにいるのは、おじゃま虫ってやつだよな。三ツ谷はそんなお節介な台詞は心の中に留めて、「そういや、宅配届くの忘れてた」と嘯いた。

    「じゃあまたの機会っスね!」
    「三ツ谷、ありがと。また」

    千冬と一虎の声に見送られて、アパートをあとにする。
    外に出れば肌を刺すような冷たい風が三ツ谷の体を包んで、口元を隠すようにマフラーを上げる。ほっと吐いた白い息をなんとなしに目で辿り、見上げた先の月があまりにも綺麗で僅かに口元を弛めた。

    明日は久しぶりにバイク屋に昼飯デリバリーをしよう。龍宮寺の好物である激辛カレー・・・・・・、だと匂いが気になるだろうから、ハンバーグにしよう。ちょっぴり巻き込んでしまった乾も喜ぶだろう。お弁当の中身を考えながら、玄関のドアを開けて三ツ谷は固まった。

    「な?」
    「よお。おかえり」言いながら龍宮寺は壁のスイッチを押して、電気を点した。

    まるで当然といった顔で出迎えた龍宮寺に、三ツ谷は語尾に疑問符をつけつつも「ただいま?」と反射的に返す。あまりにも彼の様子が自然なので、三ツ谷は一瞬これが夢か現実か判断がつかなかった。

    「一週間ぶりだな」
    「そ、そうだね。ごめん」

    なんとなく謝った三ツ谷に、龍宮寺は目を細めた。彼が纏う雰囲気は、かつて副総長だった頃のそれだ。踵に指をひっかけて靴を脱ぎながら、背中に降り注ぐ鋭い視線にひたすら耐える。

    「・・・・・・怒ってる?」三ツ谷は窺うように、上目遣いで龍宮寺を見た。
    「怒ってはねぇよ。まあ、言い訳なら聞いてやるけど」
    「イエ。アリマセン」

    ふっと龍宮寺の纏う雰囲気が幾分か柔らかくなった。貸せよ、と三ツ谷の持っている酒の入ったエコバッグも持ってくれる。

    ちらりと靴箱の方へ視線を向ければ、定位置に予備の鍵はなかった。それが今どこにあるのか、さすがに三ツ谷も分かっていたが、この状況で返せとは言えなかった。

    「メシは?」
    「まだ。ドラケンは?」
    「オレもまだ。カレー作ったけど食うよな?」

    キッチンへと向かう龍宮寺の背中に、三ツ谷はウッスと返事をする。今まで気がつかなかったことが嘘のように、強くスパイシーな香料が鼻腔に届く。

    「明日仕事か?」

    コートやマフラーを脱ぎながら龍宮寺に聞かれ、三ツ谷はちらりとカレンダーを見た。そういえば、まだ捲ってないな、と思ったのに。いつの間にか、カレンダーは捲られており、きちんと正しく十一月になっていた。

    「休み、だけど」
    「用事は?」
    「ない、けど」

    たじたじになりながら答えた三ツ谷に、龍宮寺は「わかった。とりあえず風呂入ってこいよ」と頷いた。どうにも徐々に逃げ道を潰されているような感じがする。とはいえ、今の三ツ谷に逆らうことなどできやしない。大人しく風呂へ向かう。

    ふと先ほどカレンダーを見て気がついたが、明日バイク屋は定休日で、つまり龍宮寺は休みだ。きっと泊まっていくだろうし、時間はたっぷりあるということだ。三ツ谷は両頬を勢いよく叩いて気合を入れた。三途の川の先まで隠し持っていくと決めたばかりだ。

    タオルで髪を乱雑に乾かして部屋に戻ると、龍宮寺はソファに座って携帯電話を弄っていた。三ツ谷が声をかけるよりも先に顔を上げると、「用意してやるから座ってろよ」と彼は立ち上がってキッチンへと向かった。

    「酒、買いすぎじゃね?」
    「あー、それイヌピー用のやつ」

    ことり。三ツ谷の目の前にカレーが置かれた。作り手の好みに合わせて辛そうな香りがする。
    龍宮寺はぴくりと片方の眉を上げた。

    「おい、三ツ谷ァ。オレを避けておきながら、男とふたりでサシ飲みか?」
    「男とふたりって・・・・・・イヌピーだし。ドラケンには関係ねぇっしょ」

    へらり。きっと鏡で見たなら、引き攣った下手くそな笑顔だったろう。思っていたよりもつっけんどんな言い方をしてしまった三ツ谷に、龍宮寺が眉間に皺を寄せた。

    ごめんと呟くように言って、三ツ谷は「メシ作ってくれてありがと。冷める前に食おうぜ」と、やっぱり下手くそな笑顔を浮かべた。いただきます、と手を合わせると、龍宮寺も続く。

    「うん。美味ッ!」

    辛いけど最後に残るのはフルーティーな味わいで、思っていたより三ツ谷にも食べやすかった。
    そのまま会話もなく、三ツ谷は残り一口を食べながら、ようやく目の前を窺う。すると、とっくに食べ終わった龍宮寺が、じっと三ツ谷を見ていた。

    「関係あンだよ」不意に龍宮寺が口を開いた。
    「は?」
    「オレは三ツ谷が、オレ以外とふたりきりになってほしくねぇ。それがイヌピーでも、だ」

    カタリ。三ツ谷がスプーンを置いた音だけが、やけに響いた。今度は上手く笑顔は作れたのに、どれだけ膝の上の拳を握り締めても声は震えてしまう。

    「・・・・・・そういうの勘違いするよ、みんな」
    「あ? みんなってなんだよ」
    「そりゃあドラケンに好意を寄せてるヤツだよ」オレみたいな、とは言えずに、三ツ谷は内心で呟く。

    龍宮寺は怒りを抑えるかのように、ハーッと強く息を吐いた。しかし怒っているにしては、随分と目の奥が優しかった。

    「こんなことオマエにしか言わねぇし、勘違いにさせる気もねぇよ」

    三ツ谷がその龍宮寺の言葉を理解するよりも先に、彼は再び口を開いた。

    「三ツ谷。オレにとってエマは特別で、これから先もアイツのことを忘れることはねぇ」

    うん、と頷いた三ツ谷の声は穏やかで、もう震えてなんていなかった。そんなこと、もしかしたら龍宮寺自身よりも知っている。そんな彼も纏めて好きなのだ。

    龍宮寺の手のひらが、すっと伸びて三ツ谷の右のこめかみに触れた。すりっと彼の指が揃いの龍をなぞる。全身が燃えるように暑いのは、暖房のせいじゃないってことくらいは、混乱した頭でもわかった。

    けどよ、と龍宮寺は柔く微笑んだ。

    「オレがこれからの人生、前を向いて一緒に歩きてぇのはオマエだ。三ツ谷、オマエのことが好きだ。オレと生きてくれ」

    龍宮寺の言葉を理解すると同時に思わず俯いて、三ツ谷はごくりと唾を飲み込んだ。その音はやけに耳の奥で響いて聞こえた。

    「ちょ、待って」
    「待てねぇ・・・・・・って言いてぇところだけど、オマエがオレを待っててくれた分は待つ」
    「それって十数年だ――」

    ぞ、とガバッと顔を上げて言おうとして、最後まで言いきれなかった。唇に触れた熱も、やけに近い龍宮寺の顔も。すべてが三ツ谷をキャパオーバーにさせた。

    「待ててねーじゃん!」

    顔を赤らめて吠えた三ツ谷に対して、龍宮寺からは悪びれた様子は一切感じられなかった。ぐっと握り拳を作って、どこでもいいから殴ってやろうとしたのに。

    「そんなにオレのこと好きって顔すっからだろ」
    「あ? してねぇ!」

    もちろん、それがどれだけ説得力がないか。三ツ谷は鏡を見なくたって十二分に理解していた。もうきっと肌だって、これ以上は赤くなれない。くそぅ、なんて言葉が口から漏れた。

    「ンじゃ、嫌いか?」

    答えなんて、きっと龍宮寺は分かっているだろう。三ツ谷は腹に力を込めて、思い切り空気を吸い込んだ。明日もしお隣さんから苦情が来たら、一緒に頭を下げてもらおう。

    「ずっと好きだバカヤロウ!」


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    Hana_Sakuhin_

    MOURNING『昨夜未明、東京都のとあるアパートで男性の遺体が見つかりました。男性は数日前から連絡がつかないと家族から届けが出されておりました。また、部屋のクローゼットからは複数の女性を盗撮した写真が見つかり、そばにあった遺書にはそれらを悔やむような内容が書かれていたといいます。状況から警察は自殺の可能性が高いと――「三ツ谷ぁ。今日の晩飯、焼肉にしよーぜ。蘭ちゃんが奢ってやるよ」
    死人に口なしどうしてこうなった。なんて、記憶を辿ってみようとしても、果たしてどこまで遡れば良いのか。

    三ツ谷はフライパンの上で油と踊るウインナーをそつなく皿に移しながら、ちらりと視線をダイニングに向ける。そこに広がる光景に、思わずうーんと唸ってしまって慌てて誤魔化すように欠伸を零す。

    「まだねみぃの?」

    朝の光が燦々と降りそそぐ室内で、机に頬杖をついた男はくすりと笑った。藤色の淡い瞳が美しく煌めく。ほんのちょっと揶揄うように細められた目は、ふとしたら勘違いしてしまいそうになるくらい優しい。

    「寝らんなかったか?」

    返事をしなかったからだろう、男はおもむろに首を傾げた。まだセットされていない髪がひとふさ、さらりと額に落ちる。つくづく朝が似合わないヤツ、なんて思いながら三ツ谷は首を横に振った。
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