確実に叶う幼子の願い事「じゃあみんな、好きな色の紙を選んで願い事を書こうね」
パチパチと大きな目を瞬かせ、ふくふくとした頬を引き締めながら蘭丸は保育園の先生の言葉にしっかりと頷いた。
鮮やかな色紙が並ぶ机の前で蘭丸はむむっと真剣な顔をする。
これは重大なミッションである。年に一度の七夕の日。長方形に切られた色紙に願い事を書いて笹に吊るすのだ。
きゃっきゃと楽しそうな友達の輪から抜け出した蘭丸は黄色の短冊を選び、赤いクレヨンを握りしめる。
真剣な願い事なのだ。誰にも邪魔されず、蘭丸一人で書くべきだと思ったのだ。
だから蘭丸はポツンと隅っこで赤いクレヨンを握りしめて深呼吸をする。そして慎重に丁寧に、ゆっくりと字を書き出した。
小さな手では上手く書けないけれど、想いは届くはず。大好きな兄の姿を思い浮かべながら書き終えた短冊を手に蘭丸は満足気に笑った。
くるりと周りを見回すと、他の子たちはとっくに先生の元に集まって笹を見上げている。
出遅れた!と焦りながら短冊を握りしめ、ハッとして皺になってないことを確認して持ち直し、走る。
「たかすぎせんせい!」
真っ赤な髪を揺らして振り向いたのは園長の高杉先生だ。高杉先生は行事を率先してやりたがるので、笹を片手に園児よりもはしゃいでいた。
「蘭丸くん、書けたのかい?先生に見せてくれるかな」
「はい!であります!」
すっとしゃがむ高杉先生は家で見る顔とはちょっと違っていて、なんとなく気恥ずかしくなる。ちょっぴり俯きがちに、しっかりと握った短冊を高杉先生に渡し、ドキドキしながら顔色を伺う。
高杉先生はにこにこと受け取ったが、蘭丸の短冊に目を滑らせた途端、ぽしゅんっ!と音がしそうなほど一瞬で真っ赤になった。
「らっ、蘭丸くん…あの、お願い事、これ…」
「いちばんうえにかざってほしいのでありますよ!ぜったいにみえるところに!」
「えっ……と……」
「たかすぎせんせい?」
どうしたんだろうと見上げた高杉先生の顔は家にいるときと同じような顔をしている。正確には、兄といるときと同じ顔だ。下から見上げる蘭丸には高杉先生の顔がよく見えた。ほんのりと頬を赤く染め、瞳をじんわりと蕩かせて、そわそわするようなふわふわするような綿菓子みたいな顔をしている。
蘭丸は兄が大好きだけど、高杉先生も大好きなのだ。だって、高杉先生と一緒にいる兄はとても楽しそうでキラキラしてる。
「ぜったいぜったい、かなえてもらうのであります!!」
キラキラと目を輝かせてぎゅっと拳を握りしめ胸を張る。高杉先生はとても小さな声で「叶う……かなぁ」と呟いた。
砂遊びをしながらお迎えを待つ間、蘭丸はソワソワしていた。時計の針を何度も確かめ、まだまだ、あとちょっと、と待ち続ける。門と時計と砂場をチラチラと見続け、ようやっと待ち人が門の前に現れた瞬間、蘭丸は弾かれたように駆け出した。
いそいそと通園バックを引っ掴んで帽子を被る。たたたっと軽い足音を立てて走り、待ち構えてた兄の元へと急いだ。
「あにうえー!!」
「成利」
片手を上げた兄にぽふりと抱きつき、腕を引く。怪訝な顔をした兄に構わず蘭丸は早く早くと笹を飾っているお庭へ引っ張る。
奥からひょっこりと顔を出した高杉先生が兄の顔を見た瞬間にまた真っ赤になった。
「………?」
「あにうえ、はやくっ!」
「分かったから落ち着け。転ぶぞ」
「はーやーくーっ!」
「あー、はいはい。何処行くんだよ」
ダラダラとした足取りだが、蘭丸の歩幅に比べるべくもなく大きい兄は蘭丸に難なくついてくる。笹の前で蘭丸はぴょんぴょんと跳ね、一番上に飾ってある黄色い短冊を指差した。
「そういや七夕だったか……」
「あにうえっ!あれっ!らんまるがかいたのでありますよ!」
「へぇ。何書いたんだ、よ………」
感心したように息を吐いた兄は短冊を手に取るとピシリと固まった。蘭丸は得意気に胸を張り、期待に満ちた顔で兄を伺う。
大好きな兄に見せなければ意味がないことを蘭丸は分かっていた。色紙に書いたところで叶うかどうか分からない。でも、叶うのだと蘭丸は知っている。神様は願いを叶えてくれやしないけれど、兄は叶えてくれるのだ。
蘭丸の蘭丸だけの真剣な願い事。絶対に叶えたい願い事。数日前から悩みに悩んで、それでも一番に願うのはこれしかなかった。
『たかすぎせんせいがあにうえのおよめさんになりますように』
そう、拙い字で書いた蘭丸の短冊を手に、兄はゆっくりと空を見上げ、短冊を見て、蘭丸を見る。繰り返すこと三回。「ー」と唸った兄はぐしゃぐしゃと乱暴に蘭丸の頭を撫でた。
「……無邪気って強えなァ」
「?」
「あー……なんだ、すぐに叶えてやるからよ」
「いつでありますか!?いつおよめさんになるでありますか!?」
「今年中」
「およめさんになったらたかすぎせんせいは、らんまるのかぞくでありますか!?」
「お前の家族の前に俺の嫁」
「あにうえのおよめさん!」
「おう、間違えんなよ」
「はいであります!」
ふっと兄が優しく笑う。叶えてやるの一言が嬉しくて蘭丸は破顔した。
今年中。今年はいつまでだったか。
指折り数えて、こくんと頷く。夏が終わって秋が来て、冬が訪れたら高杉先生は兄のお嫁さんになって、蘭丸の家族になるのだ。
いつか訪れる未来を想像して、蘭丸は今日一番の笑顔を見せた。
その後ろで真っ赤な顔をした高杉先生が涙目で兄を見つめ、兄が愛しいと全身全霊で微笑んだことなど、ご機嫌の蘭丸は知らない。知らないことにしているのだ。