お題:「銀河」「落書き」7/10 星が雨のように降る夜に、君とデートがしたい。星屑の水たまりにわざと足をつっこんで星の欠片をとばしながら流れる星を追いかけどこまでもどこまでも走ってゆく。君と手をつないで。月をとびこえ白鳥の舟で銀河をわたり、君とふたりでどこまでもいこう。果てしない宇宙の遥か彼方、いつか、その冒険が終わるとき、たどりつくその場所まで。
「おまわりさんが夜遊びなんて、いいのかよ」
「何故かどうしても君に会いたくなったんだ」
突然の電話。会いたいと、切実な声で言われて何も言えなくなって、そのまま三日後に遠く遥かな異国までやってきた恋人のむちゃくちゃな行動も、空港で出迎えた自分をみつけた瞬間のはじけるような笑顔も、今、満点の星空の下、二人で歩いてることも何もかもが夢のようで、アーロンはそっと、自分の腕のやわらかいところへ爪をたてる。
「……ほんとうにおまえはドギーなのか」
「ルークだよ、僕じゃなかったら誰なんだい」
会いに行くよ。そう言われて、どんな想いで待っていたか、解っているのだろうか、甘いものを口いっぱいにほおばった仔犬みたいな顔をしたこの男は。やはり夢なんじゃないかと、もう一度、爪をたててみるが痛みさえも甘く、疼く。心臓をしめつける痛みとおなじように。
「やっぱり星がきれいだなあ、エリントンでは星はあまり見えないんだ」
最終便の飛行機がハスマリーの空港に降りたとき、空には星がひとつ、ふたつと瞬いていた。車をとばして海までやってきたときにはもう、夜空は星の大渋滞、月は猫が爪でひっかいた痕のようにほそく、その身を尖らせていた。
「ハスマリーの夜は、天鵞絨みたいだ」
手をのばして、冷たくやわらかな夜をなでる。夜は身をよじり、微笑んで、ふたりを優しく抱いた。爪先に、波があたって砕ける。
「気をつけろよ、波に足を攫われる」
砂浜と海の境界を、行ったり来たり、爪先を濡らしながら歩く。歩く度、砂に埋まる足を蹴り上げて、濡れてだんだんと重くなるコートの裾も構わずに、ルークは砂に何かを落書きしては波に消される刹那の遊びを楽しんでいた。
「君に会いにきたんだよ」
「……何、」
「いったい何しにきたんだ、て顔が言ってる」
「暗いのに顔なんか見えるかよ」
「じゃあ、もっとよく見せて」
星の灯りは昏いけれど、自分に向けて手を大きくひろげている男の顔は見えなくともよくわかる。いつものようにあまく、とろけるような顔でまっすぐとためらいなく手をのばして俺のすべてを受けとめようとする。そんなにあまやかさないでくれ、あまやかされることに慣れたくはない、そう、抗う気持ちと、その腕に何もかもを預けてしまいたい、自分のすべてをうけとめてほしい、そう思ってしまう気持ちが混ざり合い、身体は、海が月に惹かれるようにルークに抱かれることを求めてその腕にひきよせられてゆく。ルークは小さな子供を抱きしめるように優しく、そして世界でいちばん大切な人を抱きしめるように熱く、アーロンを抱きしめた。自分より上背のあるアーロンの瞳を、夜空を仰ぐように見上げる。
「アーロンの瞳のなか星でいっぱいだ、キラキラしてる」
自分をまっすぐにみつめるルークの瞳が、頭上にきらめくどの星よりも眩しくて、アーロンは目をほそめる。
「これはキスをしてもいい距離?」
「……好きにしろ」
キスしたい、そうせがんでくる唇に、キスしてほしいと、乞う。唇と唇がふれあう音がよせてかえす波の音のあいまに聴こえて、あまく耳をくすぐる。抱き合って、口吻けをして、砂浜に倒込む。口中に、こまかい砂が混じるのもいとわずアーロンにキスの雨を降らせるルークの唇を、アーロンの唇が、頬が、瞼が受けとめる。砂まみれの髪と、海水でぬれた服、湿気と汗でべとついた肌からは海の匂いがして、二人は海から生まれたばかりの太古の生物のように浜辺に身体を横たえて、重なりあい、抱き合った。
「……あの赤く燃えている星はアンタレス、蠍座の一等星、あの星を見ていたら君のことを思いだしたんだ」
「そんな理由かよ」
「アンタレスは蠍の心臓なんだ、自分の心臓を燃やして暗い夜をてらす、夜空でいちばん赤くかがやく星、……君みたいだよ」
「ずいぶんとロマンチックな発想だな」
ルークはアーロンの胸にぴたりと頬をくっつけて、聴こえてくる鼓動にうっとりと目をとじる。少しはやい、心臓の音が自分の心臓の音と重なった。
「……いつかあの銀河のむこうまで行こう、君となら行ける気がするんだ」
「……空を飛ぶモンにはぜってえ乗らねえからな」
「じゃあ列車で!」
「其処は地続きなのか? あ?」
ルークは真剣な顔で次々と銀河までのルートを解放し、選択肢を突きつけるがどれもアーロンに論破され、満足そうに笑うアーロンにむかって唸りながらフと思いだしたように腕時計に目をやった。
「……あ、もうすぐ日付が変わっちゃう、……朝イチの便で帰らないと」
「は?」
「……ごめん、このままずっと君と一緒にいたいのだけれど」
「マジで何しに来たんだてめえは」
「だから君に会いにきたんだよ。どうしても今日、会いたくて」
迷惑だったかな、と、すこしうるんだ目が訊いてくる。アーロンは、そのぬれてうるんだ瞳に口吻けた。これが答えだ、と言うように。
「星がきえるまで、まだ時間があるよ」
ルークはアーロンのデニムのジッパーに手をかけた。
「待て、何するつもりだ」
「さわるだけだから」
「さっきまでのロマンチック路線はどうした」
アーロンは別人かと見紛うばかりのルークのあまりにもあざやかな切替え振りに動揺して、遠慮のないルークの手を思わず払い除けた。
「だめ?」
「……さわるだけですまなくなるだろうが、」
絶対に大丈夫、ルークが自信満々に頷く。大丈夫じゃないのは俺のほうなんだよ、アーロンはそう、言いそうになって言葉を呑込む。お前が帰ったあと俺がお前を想って何をしているのかお前は解っているのか、そんな中途半端な状態で放りだされる俺の気持ちと尻のことを考えたことはあるのか云々、アーロンは恨みごとのような泣きごとのような言葉をすべて腹のなかに呑込んで、ルークが身動きできなくなるくらい強くルークを抱きしめた。抱きしめるというよりも動けないように拘束されているといったほうが正しいくらいがっちりとホールドされ、ルークは抵抗したが本気のアーロンの力に適うはずもなく、観念してアーロンの腕の檻のなかに捕らわれることにした。
「君にさわれないなんて、拷問だ、僕はいつだって君に触れていたいのに、……ほんとうは毎日だってこうやって君に会いたい、もし、君と一年に一日しか会えなくなってしまったら僕はもう千日も雨が降らなくて干乾びた蛙みたいになっちゃうよ」
お前が蛙なら、俺は陸にあがった魚だな、息ができなくなってもう生きていることさえ出来なくなる。
アーロンは腕のなかに、愛おしくてたまらない命が在ることを確かめるように、ぎゅう、と抱きしめて、そうして、自分でもびっくりするような企みを思いつき、思わずにやり、と微笑った。
来年の今日、七月七日は俺がルークに会いにエリントンへ行く。同じように、会いたいと電話をして。そのときのルークの様子を想像して、アーロンは悪戯を企む子供のように笑った。ルークは不思議そうにそのアーロンの笑顔の理由を尋ねたけれど、アーロンは、何でもねえよ、そう言って、ルークのまあるいあたまのてっぺんに口吻けた。
空と海のあわいにひろがる銀河を泳ぐ魚のようにふたりはじゃれあって、睦みあい、一夜の逢瀬を楽しんでいた。彼等をみているのは、星と、月と、屈強な身体に押しつぶされて、ようやっとその背中の下から這いだしてきた赤い、蠍、ならぬ、小さなハサミの蟹が一匹だけ。