檸檬⑧ ⅷ. その時
月日は流れ、その時は突然やってきた。
「無惨様ッ!!! 俺、ついにやったよッ!!!!」
炭治郎が〝太陽を克服〟したのだ。
けたたましい叫び声は城中に響き渡り、鳴女を解して上弦の全員がその場に集結した。別に呼び出せと命じたわけではないのだが、鳴女の心境を覗くに(衝撃のあまり奇行に走ってしまった……どうしよう……)だそうだ。今回ばかりは仕方ないので免除してやる。
(私も甘くなったものだな……)
とか考えている無惨もまた、平常心を保とうと必死であった。飛び込んできた炭治郎を力強く抱き締めたままピクリとも動かず硬直しているのが、そのいい証拠である。
「……む、むざんさま……抱き締めてくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと……苦しい、かな」
「ああ」
「ウギュッ。ねぇ、ちょっとほんとうに、マズいかも……おれつぶれちゃう……だれかたすけ……ッ」
「無惨様、炭治郎が圧死してしまいます。どうか心を鎮めて。……少々、失礼致します」
ソッと近くに跪いた黒死牟が、炭治郎を抱き締める無惨の腕にやんわりと触れた。無惨は抵抗せず腕を解き、胸を押さえて深呼吸をする炭治郎を見上げる。
「はぁ…ッ、死ぬかと思った。ありがとー師匠」
「ああ。だが師匠とは……初めて呼ばれたな」
「初めて呼んでみた。いい響きでしょ?」
炭治郎はそう言って悪戯っぽく笑うと、視線を前の無惨に戻して「大丈夫?」と心配そうに言った。
無惨は頷いて、改めて姿勢を正して咳払いをする。
「あー……ンッ。少々取り乱した。聞き間違いだったかもしれない。報告をもう一度」
「うん、分かった。無惨様、俺ついに太陽を克服したよ。陽光に当たっても焦げたり塵になったりしなくなった。証拠見る?」
そう言って、炭治郎は腕を横に伸ばし、市松模様の羽織を捲った。
余談だが、炭治郎は最近和装にハマっているらしく、市松模様の羽織と袴姿でいることが多い。どうやら剣術の師匠である黒死牟に感化されているようだ。そういえば拾った時も同じ模様の羽織を着ていた気がする。記憶は無くとも感性は変わらないと言うことだろう。
「じゃあシボさん、俺の腕を刀で斬り落としてくれる? それから鳴女さん、あっちに外に通じる襖を出して」
「分かった」
「承知しました」
スパッと実に小気味いい音が響き、太い腕が床に落ちる。同時に琵琶が鳴り、炭治郎は斬り落とされた自身の腕を掴んでポイッと開いた襖の方へ投げた。
腕は日の当たる外の地面に落ちるが、消える様子はない。
続いて立ち上がった炭治郎は、障子で繋がった外の空間に臆する事なく出てゆき、日向の真ん中に落ちた腕を拾って傷口に装着する。すると、みるみるうちに傷口は塞がり、元通りに修復されていった。
当然、炭治郎の身体が灰になることもない。
「ほらね、どう? 人間に戻ったわけでもない。俺は鬼として太陽を克服したんだ! 凄いでしょ!」
くっついた方の手でピースを作り、ニパァッと弾けるように歯を見せて笑う炭治郎に対し、一部始終を見ていた上弦や無惨は言葉を失い、呆然としていた。
何百年もの間、誰も成し遂げられなかった事を炭治郎はたった数年でやり遂げてしまった。悔しいとかそんな気持ちはすっ飛んで、上弦達は感動していた。「愛のパワーって凄い」とポツリ呟いたのは誰だったか。炭治郎から散々聞かされた惚気話が走馬灯のように脳裏を過ぎり、クスッと思い出し笑いをするタイミングは皆同じだった。
そんな上弦達の横で、無惨は微動だにせず固まっていた。座ったまま、燦々と太陽を浴びて眩しく輝いている炭治郎を見つめて動かない。
「混乱してる……? そうだよね、千年も待ち望んだ事だったんだもん」
「…………炭治郎、すまない。言葉にしたいのだが、どうにも上手く頭が働かなくて……」
「うん、いいんだよ。分かってるから。少し落ち着いてから話そうか」
日当から戻ってきた炭治郎が「おいで」と腕を広げて待っている。無惨は躊躇なくその胸に潜り込み、陽だまりの温もりにしっとりと抱き込まれる。心が安堵に包まれ、緊張が抜けていく。変だな。喉が引くついている。
そうしてやっと、無惨は自分が泣いていたのだと気がついた。
「オメェはよォ、ちぃせぇ頃から肝っ玉が座ってたから、何かやらかすだろうとは思っていたけどよォ」
「まさかアンタが太陽を克服した最初の鬼になるとはねぇ。不細工のくせにやるじゃない」
「妓夫太郎、堕姫……エヘヘ、ありがとー」
「本当によくやってくれた。炭治郎、お前は私の自慢の弟子だ」
「黒死牟さんまで……! なんか照れるなぁ」
「んーしかし、水を差すようで悪いけど、問題はここからなんじゃないかい? どうやって太陽を克服した肉体を共有するのか、考えはあるのかな?」
「そうだね。色々試してみない事には分からないけれど、現状では血液を与える事が一番簡単で、一番あり得そうな方法だと思ってる」
「確かにな。そもそも鬼を増やす方法は無惨様から血を賜わる事だ。鬼と血液は切っても切り離せない関係にあるのは明確だし、試してみる価値はありそうだ」
「うわ、猗窩座殿って脳筋なのによくそんな難しいこと考えられたね! 俺が褒めてあげよう。偉い偉い」
バキッ! フサッ。ドタドタッ。
近くで騒がしい音がして、猗窩座と童磨の気配が消えた。いつもの喧嘩だろう。代わりに聞こえてきたのは玉壺と半天狗の声だった。
無惨は炭治郎の胸に顔を埋めたまま、耳に入ってくる会話をボンヤリと聞き流す。
「しかし、もしもそれがダメじゃった場合、他にどんな方法があるのかのぉ」
「うむ。考えられるのは……炭治郎の血だけでなく〝肉体〟を食すことではなかろうか。そもそも太陽を克服する鬼自体が稀。もはや神秘と言っても過言ではない。もしかすると、炭治郎の稀有な肉体に………あぁいえ! 今のは忘れて下され。無惨様に限ってそのようなことはあり得ますまい! 何と無礼なことを考えたのだ私は……! この玉壺一生の不徳…ッ!!」
ウガーッと唸る玉壺の言葉に無惨はハッとした。尤もだと思った。まだ安心出来ない。自身が克服出来たわけではないのだ。喜ぶには早計すぎる。
とはいえ、今だけならこの余韻に浸っていてもバチは当たらないだろう。
「炭治郎」
「ん? 起きたの? もう平気?」
「うむ、別に寝ていたわけではないがな。落ち着いた」
「そっか。よかった」
「改めて礼を言おう。いや、言わせてくれ。千年もの間進むことができなかった暗闇に道が出来た。これは必ず大きな兆しになる。お前が居なければ成し得なかったことだ。ありがとう、炭治郎」
「………ッ! うんっ、……えへへ。どういたしまして」
しかし、事はそう易々とは進まなかった。
玉壺の懸念が当たってしまったのである。むしろ、想定よりも遥かに悪い結果となった。
無惨は炭治郎の血液に順応するどころか、触れる事さえ出来なかったのである。触れた先から焼け爛れ、しかも修復に時間がかかる。まるで忌まわしき〝あの呼吸〟の斬撃を受けた時のような痛みに阻まれ、トラウマを呼び起こされた無惨は、吸血は愚か炭治郎に近づかれること事さえ恐怖を覚えるようになってしまった。
そしてそれは、一度は希望を見出した無惨の心をドン底に引き落とすには十分過ぎるほどだった。
「あ、あの……むざ」
「、」
「……ッ、ご、ごめんなさい。これ以上近づかないから、少し話をしてもいい?」
「………」
「火傷は平気? まだ痛む?」
「………」
振り向かず、相槌もせず。無視をしていれば炭治郎はそれ以上は何も言わずに出ていった。去り際、小さな「ごめん」という声が聞こえてきた気がする。足音が遠くにいってから、無惨は作業の手を止め溜息をこぼした。
ここ一週間、炭治郎の顔をマトモに見ていない。気配を感じればそれとなく理由をつけてその場を離れてわざと行き違い、声が聞こえれば不本意に身体が強張る。その度に嫌な記憶が脳裏を過ぎり、身の回りのものを一つ無駄にする。
今もそうだ。手の中で愛用していた万年筆が真っ二つに折れている。予備があるから大した問題ではないと自分に言い聞かせ、折れたそれをゴミ箱に捨て引き出しの中から新しいものを取り出し、作業を再開した。
翌日。黒死牟は召集をかけたわけでもないのに部屋を訪ねてきた。礼儀を重んじる彼にしては珍しいことだ。何か緊急のことがあったのかと思い、特に咎めずに聞く体勢を取る。
「炭治郎はしばらく城を離れるそうです」
「………そうか」
思わぬ名前に、無惨は机の上の手を握り締めた。跪く黒死牟から顔を背け、近くの本棚に向かい適当な背表紙に指をかけて本を開く。
「私のところで預かるつもりですが、よろしいでしょうか?」
「構わん。好きにしろ」
「はい。それから、炭治郎から言伝を」
「彼奴の話はもういい」
「………はい」
会話を打ち切り、無惨は黒死牟から注射器を受け取った。炭治郎の血液を採取したものである。
触れられずとも研究のやりようはある。日に一度、黒死牟に炭治郎から採血したものを届けさせるよう言い付けているのだ。前は無惨が直接行っていたことだが、こうなってからは炭治郎に近づかないことを徹底していた。
それからしばらく時が経つと、ようやく無惨の中で熱りが冷めてきた。
炭治郎が城に顔を出さなくなってから二週間といったところだろうか。その間、彼は本当に一度たりとも無惨の前に顔を見せることはなかった。自分で拒絶しておいておかしな話だが、一度くらい尋ねに来ると思っていた。今まで毎日顔を突き合わせていたのに、炭治郎が居ない無限城は静かでいつも以上に広く感じた。
(迎えに行ってやるか。この調子では私が折れるまで戻ってくる気はないのだろう)
まだ恐怖心が消えたわけではない。ただ、時間が過ぎていくうちに相手が炭治郎である事を思い出して、敵意があるわけではないのだとやっと受け入れられるようになってきた。炭治郎だって故意に傷つけようとしたわけではないのだと思えば、そこまで怯える必要もないのではないかと思い始めたのだ。
「黒死牟。私だ」
山奥にある元廃墟。日当たりが悪く日中も外で鍛錬できるこの場所でたまたま見つけた古民家跡を改装したのが黒死牟の棲家だ。
玄関の前で呼びかけてみるも返事はない。だが気配はする。黒死牟や炭治郎に限って居留守を使うわけはないし、もしや気づいていないのだろうか。
「……入るぞ」
躊躇なく横開きの戸を開き、土間を上がった。
そもそも無惨は部下の棲家に玄関から入るという概念は元々持ち合わせていない。当たり前のように直接本人のいる場所へ土足で赴くのが常であった。
では何故玄関から入るようになったのかというと、『それって凄く失礼なんじゃない?』と炭治郎に言われたからである。相手は部下なのだから失礼も何もないだろうと抗議したものの、とてつもなく蔑むような目を向けられたので、ショックを受けた無惨はそれから行いを改めた。部下の棲家に向かう時は鳴女に玄関の前へ送ってもらうようになったのである。
しかし、無惨は気が短い。ワンコールで出迎えがなければ、早々に戸を開けてズカズカと上がり込む。気配を消し、黒死牟と炭治郎がいるであろう居間へと向かった。
近づいてくると話し声が聞こえてくる。無惨は障子にかかる手前で足を止め、耳を澄ませた。
「本当によいのか?」
「うん。だって色々試してみたら糸口が見つかるかもしれないし」
「私は恨まれたくないのだが」
「恨む? はは、誰に恨まれてるの師匠。……絶対大丈夫だよ。俺が保証する。むしろ褒められると思うけど」
「…………はぁ。仕方ない。お前は一度言い出したら聞かぬからな。せめてこの事は他言無用だぞ。勿論あの御方にもだ」
「うん。でももし成功したらバレちゃうけどね」
声からしてやはり炭治郎と黒死牟がそこにいるのだと分かった。
何の話をしているのかは読めないが、無惨には知られたくないことらしい。
(…………)
何故だろう。とてもモヤモヤする。
炭治郎に隠し事をされたのは初めてだからかもしれない。いつも私のことばかり考えているような素振りなのに、当たり前だが他の事も考えているのだな。
そんなことを考えながら、無惨は目を閉じ、黒死牟と視界を共有する。入るタイミングを失ってしまったが、とても気になるので覗き見をしようという単純な魂胆である。
「どこがいい? 出やすいのはやっぱり首だと思うけど」
「いや、それは遠慮する。腕でいい。千切って寄越せ」
「ヤダ」
「は……?」
黒死牟の視界の中でズイッと近づいてきた炭治郎が、目の前に服を捲った腕を見せつけてくる。
「畳が汚れちゃうよ。少しでいいんだから歯で充分でしょ」
「………(仕方ないか)」
黒死牟は諦めたように溜息を吐き、差し出された炭治郎の腕に手を添え、前屈みになる。
その様子をただ観ていた無惨はふと気づく。これはつまり、炭治郎が黒死牟に血を与えようとしている場面なのではないか? 炭治郎が私以外に、身体を傷つけることを許し、太陽を克服したその血液を分け与えようと……。
「、」
そう思ったら、無惨は障子を蹴破っていた。
「あれ、無惨さ…ま……?」
続いて炭治郎の腕に牙を立てていた黒死牟を蹴り飛ばした。黒死牟の身体は部屋の敷居を破って隣の部屋の中央まで吹き飛ばされる。
目を丸くしていた炭治郎は持ち前の反射神経で黒死牟の側へと飛び出し、背中に腕を添えて上体を起こさせる。
「師匠…ッ!」
「……ッ、ゲホッ、ゴホッ」
「し、ししょ、黒死牟さん大丈夫? 無惨様……どういうつもり? いきなり攻撃してくるなんて」
困惑と嫌悪の目を向けられ、無惨も眉間に皺が寄る。込み上げる激情で乱れた呼吸を努めて落ち着かせながら、喉を唸らせる。
「どうもこうもない。貴様らこそ何をしていた? 勝手に私の許可なく私以外の者に血を与えるなど……何を考えているのだ」
「ッ、……俺はただ、無惨様以外に俺の血を受け入れられる鬼がいたら、その人から血をもらうことで無惨様も太陽を克服出来るかもしれないと思って……黒死牟さんに手伝ってもらおうとしたんだ。師匠が一番、無惨様の血が濃い鬼だから……」
獣眼をウロウロと泳がせながら、炭治郎は弱々しく言葉を紡ぐ。自信がないのか、はたまた罪悪感があるからなのか。どちらにしても無惨からしてみればそれは裏切り行為に他ならない。
無惨は元来同胞を作ることに否定的だ。青い彼岸花を探す足数と太陽を克服出来る稀有な体質の鬼を作り出すために、仕方なく血を与えて増やしてきたのだ。太陽を克服した鬼とは即ち、生命の理である老と死を超越した〝完璧な生物〟。それに達するのは自分だけでいい。初めに成し遂げた炭治郎以外にもその体質の鬼が増えることは、無惨にとってむしろ害毒でしかない。
「そんなこと誰が頼んだ」
「……え、」
「私は貴様にも黒死牟にもそのような命令を下した覚えはない。勝手なことをするな」
「そんな……俺は貴方のために……」
他人の感情に疎い無惨には、炭治郎が何故そのような行動に出たのか理解出来なかった。例え無惨を思ってのことだとしても、無惨にそれは伝わらない。無惨が何より求めることは、命令通りに働き成果を出すことであるからだ。
『無惨様のためなら何でも出来る』
耳にタコができるほど聞いた炭治郎の口癖。その忠誠心は無惨にとって心地よいものだった。炭治郎は裏切らない───生まれてこの方、自分以外誰一人として信じてこなかった無惨がそう思えるほどの信頼を炭治郎に置いていた。彼なら分かってくれていると思っていた。
だからこそ、許せなかった。無惨の所有物の身でありながら他人に傷つけられることを自ら申し出・許容したこと然り、あろうことか血を与えようとしたこと然り、先程無惨よりも黒死牟を優先して心配した事然り。
今の無惨には炭治郎の行動の全てが、神経を逆撫で苛立ちを助長するもののように感じられた。傷の修復をしている黒死牟の側を離れようとしない炭治郎を見ても、普段なら何とも思わないのにあからさまに舌打ちをしてしまうほど、胸をイラつかせた。
「黒死牟。貴様には失望したぞ。上弦の壱ともあろうものが私よりも先に陽光を手に入れようとは、身の程を知らぬようだな」
「申し訳ございません」
「ッ、違う! 黒死牟さんは悪くない! 悪いのは俺だ! 俺が黒死牟さんに協力して欲しいって強引に頼んだから、仕方なく付き合ってくれただけだ。咎めるなら俺だけにして!」
棘のある声に刺すような眼差し。黒死牟を庇うように大きく手を広げて、炭治郎は無惨を睨みつけた。
その時、無惨の中で何かが切れた。プツン、と張り詰めていた糸のようなものが切れて、煮えたぎっていた感情が一瞬にして凪いだ。
「……もういい。ウンザリだ。貴様との恋人ごっこも今日で終いだ」
「………………ぇ、」
「貴様とはもう金輪際顔も合わせとうない。出ていけ。城へも戻ってくるな」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。不思議と冷静でいられている。
視線を向けると、炭治郎も静かに瞠目していた。薄らと空いた唇は数回虚を食み、キュッと下唇が噛み締められる。
「恋人、ごっこ……そっか……。やっぱり無惨様は、俺の事を好きになってくれたわけじゃなかったんだね……」
思ったよりも動揺していないようだった。声に震えもなく、感情の起伏も見受けられない。炭治郎にとってもその程度だったのだろう。切り捨てられても平然としていられる程度の存在だった。
それに気づいた時、無惨は胸に太い杭が刺さったような痛みを覚えた。それが酷く不快に思えて、誤魔化すように拳を爪が食い込むほど握り締めて痛みを塗り替える。
「……そうだ。私は貴様のような子どもになど興味はない。貴様が太陽を克服するのに有益だと判断したから、側に置いて監視するために要望を叶えただけだ」
「ッ、無惨様それは」
何か言いかけた黒死牟の下顎を反射的に斬り落とした。バシュッ、と音がしたのを横耳に聞き流し、俯いている炭治郎に向かって無惨は淡々と言い放った。
「ただの特例処置だ。言うことを聞かぬ上に役にも立たない駒などいらぬ。貴様は用済みだ。疾く去ね」
「………ッ…」
最後の言葉で炭治郎の肩がビクりと揺れた。それからすぐに「分かった」とハッキリとした口調で答えが返ってきて、炭治郎は徐に立ち上がり、縁側の方から外へ出て森の中にゆっくりと消えていった。
彼の長い髪が揺れる市松模様の背中が自然の緑に紛れていくまでの間、炭治郎は一度も振り返らなかった。
【続】