親子じゃ困る「そういや今年は柄本だってな、臼井お母さん」
「柄本が言ったのは『お母さんみたい』だからな。寝ぼけて母ちゃんって呼んだ国母とは全然違う」
試験明けの部活後、クレープ屋じゅんじゅん近くの歩道にて。三年は赤点補修者がいなかったことを喜び合っていた。後輩の勉強会での様子を臼井が話していたら、国母が柄本が臼井を母親のようだと評した話を持ち出した。
臼井雄太。本人曰く一年二年時は自分のことだけ考えていた、とのことだが。現三年も先輩達も監督もそう思う人間はいないはずだと猪原は思っている。少なくとも猪原は助けられた。周囲への気配りや何やら、大人びた様子やら、臼井の雰囲気か。料理の手際の良さか。そういったものに当てられて毎年誰か一人は臼井を「お母さん」呼びする者が現れる。
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