ゾウガメと指輪 猪原の妹があるカプセルトイをコンプリートできないと泣いているのだと言う。何のカプセルトイかと灰原が聞くと、動物をモチーフにした樹脂アクセサリーだそうだ。有名なキャラクターだとかゲームやアニメのグッズではないし、大手の会社の企画でもないので、そもそも出回っている台数が少ないらしい。猪原の妹はお手伝いをしたら一回挑戦していいと両親と約束していたそうだ。懸命にお手伝いを頑張っていたのだそうだが、シークレットあと一つというところで、猪原の実家近くのスーパーからその台がなくなってしまったのだ。
地元ではなくなったとしても東京にはまだあるかもしれない、そう思って猪原がそのカプセルトイを探してみると、学校から一番近くのショッピングモールにあった。そこで水樹の出番である。
「あ、出た」
「さっすがー! 良かったなー猪原!」
水曜日、練習が比較的早く終わったので聖蹟サッカー部の三年全員で連れ立ってじゅんじゅんに寄った。その後、猪原と水樹、そして暇人がショッピングモールまでやって来た。沢山の筐体が並ぶ中、目当てのカプセルトイに猪原が三百円を入れて水樹が回す。水樹はその豪運で、猪原の妹が入手できずにいたシークレットを一発で手に入れてみせた。さすが。
カプセルの中に入っていた商品紹介によると、シークレット一つを含めた全部で七種類。キーウィ型チャームのついた髪ゴム。イリオモテヤマネコ型チャームのついたペンダント。アイアイ型ピンバッヂ。ガラパゴスゾウガメフィギュアの指輪。カピバラチャームのストラップ。そしてシークレットのキングコブラの腕輪。
「いや……何だこのラインナップ」
「しかも無駄に精巧だよな」
「可愛くない……」
国母、速瀬、灰原からは不評のようだ。確かに動物のチャームはミニフィギュアとして置いて飾るものならともかく、アクセサリーと考えると可愛らしさからは程遠い代物だ。猪原の妹は渋い趣味をしている。猪原はというと妹に電話をしていた。電話越しにはしゃいだ声が聞こえる。喜んでいるようで良かった。そう思っているとガシャンと音がした。音の方に目をやると水樹が再びカプセルトイを回していた。
「水樹どうした、ほしいのでもあったか」
音に気づいた灰原が駆け寄ってきた。うん、と答えて水樹はカプセルを開ける。
「出た」
何だ何だと国母と速瀬も寄ってきたけれど、水樹は無視して俺の方へやって来る。
「あげる」
そう言って水樹はカプセルの中に入っていた指輪を差し出した。ええと、と困惑してしまう。確かにゾウガメは好きだがこの指輪を欲しいとは一言も言っていない。不思議に思って手を伸ばせずにいたが、じっと見つめる水樹の目に負けて受け取ってしまった。ありがとう、と言うと水樹はどういたしましてと深々と頭を下げた。お前が頭を下げるのも変だろ。
とりあえず手のひらに乗せた指輪をどうしたものかと眺めていると、国母が指輪を取った。
「指輪じゃん」
「臼井、ゾウガメ好きなんだっけ」
国母と速瀬が代わる代わる指輪を手に取って鑑賞している。うわ、一応目も鼻もある! とのこと。後でちゃんと見よう。
「今までの貢ぎ物ん中に指輪ってあったか?」
「ないよ」
速瀬が俺の手に指輪を返しつつ、余計なことを聞く。
「おっ、やったな水樹。お前がハジメテだってよ」
「そうか、良かった」
国母がもっと余計なことを言ったし、水樹も妙なことを言う。何が「良かった」んだか。
「水樹、これだけは覚えておいてくれ。将来婚約指輪や結婚指輪を買う時は相手と相談して買うんだぞ」
「そうそう! 勝手に買ったら絶対揉めるからな」
いつ電話を終えたのやら、猪原が真面目な顔で忠告する。その猪原の助言に灰原が補足する。なるほど分かったと水樹は答えてた。そうだな、いつかの未来のために覚えておいた方がいい。水樹は度々常人には理解し難い言動をするので、百年の恋も冷めるような指輪をパートナーに贈りかねない。
そう、例えばこの手のひらにある指輪。指輪についたガラパゴスゾウガメは灰褐色で人差し指の爪くらいの大きさである。ゾウガメは好きだが、このサイズではパッと見ただけではゾウガメとは分かりにくい。黒っぽい何かにしか見えない。指輪としての可愛げはない。普通はこんなものをプレゼントしたところで相手は喜ばない。
それでも、水樹がゾウガメを好きな自分のためにくれた、というだけで嬉しいと思ってしまう。我ながら単純だ。そして、いつか現れる水樹のパートナーも多分そういう心境になるだろうな、と思う。水樹に惚れたりなんてするものじゃない。
ここには他にも様々なカプセルトイがある。みんなが物色しているのを少し離れたところから眺めていると水樹が隣に来た。
「はめないのか」
「え? うーん、入るかな……あ、意外といけるな」
水樹が聞くので手のひらに乗せたままだった指輪を小指にはめてみた。対象年齢を考えると指を通らないかと思ったが、リングに隙間があって輪が広がったので小指の付け根まではめることができた。小指に爪の大きさほどのガラパゴスゾウガメ。うーん、可愛いけど可愛くない。指輪を見つめていると、同じく指輪を見ていた水樹が首を大きく傾げながら言った。
「指輪というものは薬指にはめるものだと思っていたが」
「……その指にはめる指輪なら、さっき猪原と灰原が言っていたように相手と相談して贈るべきだな」
「そういうものか」
「そういうものだ」
少なくとも俺の薬指を飾るつもりなら三百円では安過ぎる。そう冗談めかして言うと、水樹は分かったと頷いた。まあ、水樹にツッコミを期待する方が馬鹿だったな。やれやれと思っていると何か物言いたげな灰原と目が合った。
「臼井さあ、今のはダメだろ」
何が?
「水樹が三百万円用意してきたらどうすんだよ」
うんうんと頷く猪原。そうだ、そうだと同意する速瀬と国母。
「……水樹がいくら用意しようと俺には関係ないと思うけど」
関係あるに決まってんだろ! と灰原、速瀬、国母が叫んだ。
何騒いでるんだ、そう言いながらドラッグストアで買い物をしていた伊藤と藤友、土屋が合流した。目敏い土屋が俺の小指の異物に気づいたので、速瀬と簡単に経緯を話した。可愛くないなと伊藤が言う。藤友は俺に向かってこう言った。
「お前は薔薇を貰った男なんだぞ。そんな玩具の指輪で浮かれてんじゃねえよ。もっと高みを目指せ」
「さっき高い指輪ねだってたから大丈夫大丈夫」
「ねだってない。速瀬、話を盛るなよ」
くだらない話をしている間に水樹はどこかで買ったのだろうたこ焼きを食べていた。灰原や猪原、国母が話しているのに時々口を挟んでいる。もう指輪にも俺にも興味はないらしい。水樹とはそういう奴だ。だから、浮かれるも何もない。
もう遅いからと解散し、寮に帰った。指輪はクリームを小分けにするケースがあったので、その中に入れた。そのまま引き出しの奥へ、在学中再び手に取ることはなかった。水樹が指輪を思い出すこともなかった。
寮を引き払い、次の舞台へ進む時には小さなガラパゴスゾウガメを連れて行った。
あれから数年が経った。紆余曲折を経て水樹とは恋人同士になっている。当時の俺が聞いても信じないだろうが。そしてもっと信じられないことに。
「……三百万だって?」
「うん」
シーズンオフなので水樹の家で過ごしていた。冷蔵庫の中が乏しくなってきたので食材を買いにいこうと思い、他に何かいるものはないかと水樹に声をかけた。すると水樹は改まった様子で、指輪を買いに行きませんか、と明後日な方向の提案してきた。しかも鞄から札束を三つ取り出してテーブルに置き、三百万用意したので、と重ねて告げた。
思考回路はショート寸前ってこういうことを言うのだろうか。
水樹は期待を隠さない目で返事を待ち続けてる。指輪。指輪って。ああ、あの頃そんな話をしたっけ。あいつらの方が水樹のことをよく分かっていたのか。そう思うと腹が立つな。とりあえず。
「そんな大金を持ち歩くなんて危険すぎる。まず相談してくれないか」
それと、ペアリングなら二人でお金を出すべきだ。あと、三百万は多過ぎるよ。