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    カナト

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    カナト

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    これは1で書きかけは5だという。

    びゃ「きみに頼みがあるのだが」
     事の発端はそう言って頼まれた依頼からだった。
     一緒にお茶をしていた侍女のウテンを下がらせ、頼み事を持ちかけられた少女、カナトは依頼者、ファラザードの副官、ナジーンに話の続きを促す。
    「最近ファラザード領内で行方不明者が相次いでいるのだ」
     困ったように眉間を揉む姿は、最早見慣れたもの。最たる頭痛の種であるファラザードの魔王、ユシュカが原因のことが多い。
     最近そこにカナトも加わって来ているので、頼られたら引き受けてしまうタチもあって、断るという選択肢はほぼない。普段お世話になりっぱなしなので。
    「裏通りのものたちや、兵士たちでは顔が割れている可能性が高いのだ」
    「なるほど。でも私もそこそこ有名では? バザールの救世主とか言われてますけど」
     ユシュカのしもべとして、バザールで起こっていた面倒くさい問題を解決させられたことは記憶に新しい。カナト的には呪われた関所を開くよりも、大量に出没していた闇のキリンジを乱獲する方がしょうに合っていたのだが。
    「誰も、きみの素顔を知らないだろう?」
     哀願の響きを持ってしてそう言われてしまえば、カナトもまた、ため息をついて折れるしかない。
     カナトが持つ力は希少で、膨大だ。
     神々の加護を受け、愛され、先祖から受け継ぐ神々さえも未知の力を持ち、数奇な運命を辿ることとなった、戦い続けることを運命づけられた存在。
     ヒトであることを辞めてしまったカナトの肉体は、希少価値なんてものではなく、それに気付くものもまま存在していた。
     アストルティアは平和だというのもあって、カナトの希少性に気付くものはほぼいない。
     けれど、神々さえも殺してしまったカナトの価値に気付く者もいる。
     散々警鐘を鳴らしてきたのは、どうぐ使いのデルクロアだった。
     それにより、未知なる敵と相対することになろう時はその希少性を隠すような服装を選んでいる。
     つまり、カナトはガミルゴの盾島でユシュカに拾われる頃には、全身を隠してしまう格好をしていたのである。
     故にカナトの素顔を知るものはいない。
     背格好や声から少女であるということが、漠然とわかるだけで、髪の色も瞳の色も、何も分からないのだ。
     けれど、ナジーンは少しだけカナトの姿を知っていた。
     暗い、ネクロデア城跡で、差し込む光に映し出された黒い髪の少女を。
     ゾブリス将軍の幻覚に苦しめられていたナジーンが、ぼんやりとでもその姿を視認しているとは本人はつゆとも知らない。
    「……分かりました。ナジーンさんにはお世話になってますし、協力しましょう」
    「感謝する」
    「それで、私は何をすれば?」
     表情は分からないが、その声音は真剣だ。普段おちゃらけて問題ばかりを連発するような少女なのに、仕事モードなのかスイッチが入ってキリリとした姿は、ギャップがありすぎてどうも落ち着かなかった。
    「きみにはファラザード国民として過ごしてもらう。集合住宅地の方に仮の部屋を用意した。一週間程度ジルガモットのところで働きつつ、囮をしてくれ」
    「分かりました」
    「それから、これを」
     そう言ってナジーンが差し出したのは、菱形のピアスだった。赤い宝石が煌めくそれは、ナジーンの飾りボタンと残った瞳を彷彿とさせる。
    「これはきみの位置情報がわかるものだ。通信機能などはついていないが……いざとなればきみとユシュカの血の契約でなんとかする」
     ナジーンらしからぬ大雑把さだと思いながら、カナトは素直にピアスを受け取った。
    「生活に必要なものは一通り揃えてある。足りなければジルガモットに頼んでくれ。話は通してある」
     バザールの元締であるジルガモットに頼めば、生活必需品程度ならば簡単に手に入れることが出来るだろう。
     カナトはアストルティア出身なので、食文化などアストルティアに関係するものは入手不可能に近いが、そこのところを気にするような人物でないことは分かっている。
     特に好んでナジーンの手作りドーナツを食べるくらいで、その他のものも進められれば食べる。
     カナトにとってゲテモノであろう黒蜥蜴の丸焼きですら、少々躊躇ったものの食したのだからさすが、旅慣れているのだろう。
    「ここに着替えを用意してある。これに着替えて早速ジルガモットの所へ向かってくれないだろうか。部屋への案内等も彼女に一任している」
     差し出されたのは、ファラザードでよく見かける薄水色の服だった。この砂漠に適した服装と色なのだろう。カナトは特に服装にこだわりは無いので、可愛い服がいいとかは特に思わない。
     まあ、好きな人の前では可愛らしい格好でいたいと思う程度には乙女であるが。
    「きみのことは信頼している。どうか、これ以上の被害者を出さないためにも、よろしく頼む」
     丁寧に頭を下げて、ナジーンは部屋を出て行った。
     それを見送って、カナトは大きくため息をつく。
    「そういう誰にでも丁寧なところが好きなんだよなぁ……」
     ナジーンに迷惑をかけているという弱みもあるが、それ以上に、ナジーンに惚れてしまっているという最大の弱みが、カナトにはあった。

     *

     部屋で着替え終わると、カナトはそろりとファラザード城を抜け出した。今更この姿で見知った人物に会うのは、なんとも気恥ずかしかったからだ。
     そんなカナトが向かったのは、バザールの元締め、ジルガモットのところである。
     今日も忙しないジルガモットに声をかけると、彼女は驚いたように目を見開いた。
    「ナジーンさまからお話は伺っているけれど……」
     難色を示すジルガモットに曖昧に微笑む。見た目だけ見れば、カナトはひ弱な少女に過ぎないのだから。
     夜の闇のように光りも通さない漆黒の髪に、まるで血をかためたかのような真紅の瞳。その肌は日に焼けたことなどないかのように白く、首などのパーツは折れそうな程に細い。
     おおよそ、この人物が戦闘狂とも言える手練だとは想像もつかないような、大人しくしていればどこぞの姫君かと言わんばかりの人物だ。
     実際に古代エテーネ王国の姫君ではあるし、継承権第一位に位置しているが、カナトがそれを語ることはないだろう。
     何せ五千年前の王国の話であるし、この場所はアストルティアではなく魔界。エテーネ王族が如何に特殊な血筋であるかなど、知っているものはいないだろう。
     アストルティアでも時渡りの能力は、ほとんど知られていないものだったのだから。
    「私なら大丈夫です。不安ならくれないザクロでもお持ちしましょうか?」
     くれないザクロは高級品で、噛み付いたりする凶暴なものだ。手に入れるのもかなりの荒仕事で、それ故に買うと結構なお値段がする。
    「……確かに、腕がたちそうね」
     瞳を閉じてため息をついたジルガモットは、ようやくカナトを認めてくれたようだった。
     見た目で判断することなかれ、とはカナトがいつも思うことでもある。
     ひ弱そうだとかこんなお人好しにだとか散々言われた挙句、結局は手のひらを返したようにその力を求められるのは、正直に言って気分のいいものではない。
     けれど、それの積み重ねによって救われたこともまた事実。カナトがどう思おうとも、第一印象は覆らない。
    (能ある鷹は爪を隠すとも言うし、油断してくれるんだからまあ……)
     複雑な心境を抱えつつ、カナトはジルガモットに集合住宅地の一室へと案内してもらい、簡単に仕事の説明を受けた。
     今回カナトがさせられることは、端的に言えばパシリだ。色んなところにお使いに行かされる。
     けれど、それはどこで囮に食いつくかという泳がせ行為であり、カナトが向かわされるところは、人々が行方不明になった地点ばかりである。
     今日はもう休んでいいとのことなので、カナトはジルガモットに別れを告げた。
    「これで美味しいものでも食べてきて。心配しないで、これは必要経費でナジーンさまから預かったものよ」
     別れ際にカナトに小銭を握らせてウィンクしたジルガモットを見送り、カナトは簡素な部屋を見て回る。
     簡単なキッチンと水周り、ベッドと備え付け収納家具があるだけの簡素な作りだ。
     別に場所に拘ったりしないので、不便に感じることはないだろう。
     今回はファラザード国民のフリをして生活をしなければいけないので、問題が解決するか、ひとまずの期限である一週間が経過するまでアストルティアに帰ることは出来ない。
     カナトはアストルティアにいくつか住居を持っているが、どちらかと言えば野宿したり、戦いに明け暮れて夜明けを見る方が多い。
     普通の生活など久しぶりすぎて、少し戸惑ってしまうくらいだ。
     手の中の小銭を弄びながら、カナトはこれから何を買いに行くかを考える。
     国としての依頼であり、そのための経費なのだから遠慮することはない。それに額もたかが知れていて、小遣い程度だ。
     一応、カナト個人の資産もキチンとあるし、銀行に預けているので資金に困ることは無い。これでもかなりの金持ちである。
     カナトはこれからどうするかを考え、渡された額で数日分の食料を買い込む。ジルガモットかナジーンが手配してくれていたのだろう、部屋に元々保存のきくいくつかの食料があったので、買い込んだ生鮮食品で一週間は持つだろう。
     何せ、カナトは実の兄や幼なじみに散々叱られる程度には少食なのだ。なんなら何食か抜いてもあまり気にかけることはない。
     簡単な食事を作り、食べてひと通り身のまわりのことをして、カナトは直ぐにベッドに入った。
     砂漠の不夜城と呼ばれるだけあって、夜でもファラザードは騒がしい。
     魔界大戦が勃発した影響で、流石にユシュカが繰り出して指名手配犯も混ざっての宴会なんてことは起こらないが、それでも喧騒は途絶えることは無かった。

     翌朝、カナトはジルガモットの元に出勤していた。
     頼まれた仕事をこなし、人気のない路地裏への配達や、近場での素材採取を行う。
     初日は特になにもなく終了し、それが四日ほど続いた。
    「今日は彼らを護衛に連れて少し遠くまで素材を取りに行って欲しいの」
     カナトひとりで遠くに行くには限度がある。カナトのみでも大丈夫なのだが、それは普通に見ればおかしな光景だ。
     けれど、素材採取に護衛がついて行けば、その違和感はたちまちに消える。
    「ヨウヨウ、よろしくだヨゥ」
    「よろしくねっ!」
     紹介されたのはシシカバブの所のボンジリとサティだった。今日は賑やかになりそうなメンバーだ。
     カナトたちは早速砂漠に出て、ジルガモットが求める素材を探す。
     ズムウル峠の先にある砂地から取れる、砂漠のバラが今回の依頼品だ。
     カナトたちは昼過ぎにはズムウル峠を越えて、少し散らばって砂漠のバラを探し始めた。
     探すことしばらくして、カナトは岩陰に気になるものを見つけた。
     いつも探し物は輝くようにして視界にうつることが多いので、今回も砂漠のバラを見つけることが出来たのかと、とりあえず確認しようと足を踏み出す。
    「!?」
     けれど、その足は硬い地面を踏むことはなく、カナトは突然の流砂に呑み込まれて沈んでいった。
     トスンと軽い音を立ててカナトが落下したのは、流砂の下の広い空洞だった。
     中は暗く、目が慣れるまでその場でじっとしていたカナトは、歴戦の冒険者と言えよう。
     目が慣れてくると、砂で囲まれたその場所は、意外にも少し広い空洞という感じだった。
     いくつかの横道が存在しており、もしかしたらどこかの道が地上へと繋がっているのかもしれないと思わせた。
     さて、どこの道へ行くべきかと思案していると、不意にひとつの道から話し声が響いてきた。
    「ヘヘッ、次の獲物は何が来たかねェ」
    「砂漠の辺境の仕掛けだからな、行商の男とかじゃねぇか?」
     下卑た笑い声が響くが、身を隠す場所はないし迂闊にほかの通路に入っても逃げ切れるか分からない。
     考えた結果、カナトがとったのは気を失ったフリをするということだった。
     普通の人は流砂に呑み込まれて落下して、受け身なんて取れない。カナトは今囮なのだから、か弱い少女の振りをしなければいけないし、目的地まで運んでもらわなければならない。
    「ヒュー! 上玉じゃねぇか!」
    「こりゃァボスも喜ぶなぁ!」
     カナトをヒョイと抱えあげて、声の主はまた通路を戻っていくようだ。
    「オレにもおこぼれもらえねぇかなぁ」
    「こんな上玉なら特殊ルート行きじゃねぇか?」
    「ケヘヘッ、特殊ルートなんて可哀想になぁ」
    「逆にいいんじゃねぇかぁ? 気持ちいいんだしよぉ」
    「テメェも結構なクズじゃねぇか!」
    「違ぇねぇ!」
     ガハハと笑う声を聞きながら、カナトはこれから何が起こるのか身震いした。
     まあ、もう二回も死んでいるし、牢屋に閉じ込められるのも一度や二度ではないので、熟練のトラブル吸引体質をなめないで欲しい。
     下品極まりない会話を聞いていると、ようやく目的地に到達したようだ。
     キィキィと鉄の軋む音が聞こえて、がちゃんと鍵がかけられる音がする。
    「さて、ボスに報告して来ねぇとな!」
    「ボス喜ぶぜぇ、ガッハッハッ!」
     笑いながら去っていく男たちの声を聞いて、カナトはそっと薄目を開けて中の様子を確認した。
     カナトが現在いるのは地下水道のような場所だ。至る所に分岐する道があり、迷路のようになっている。
     その所々に格子のはめられた部屋があるが、元は地下水路の一部だったのだろう、壁が崩落して行き止まりと化したものだった。
     鍵は一方からしか開かないようになっているようで、大盗賊の鍵では開け無さそうだ。
     ざっと見ただけでも、女の子が何人か泣き崩れながら閉じ込められている。
     種類分けでもされているのか、カナトの部屋には誰もいないが、他の部屋には何人かまとめて入れられているようだ。
     彼女たちにうかつに声をかける訳にもいかず、ファラザード軍が動いているなんて安心させられる言葉をかけれないのが歯がゆい。
     カナトは脱出路を探して部屋の奥、崩落した地点を調べてみた。
     以前、カミルと一緒に崩落に巻き込まれて閉じ込められたことはあるが、その時と違って猫一匹でさえ通る隙間は無さそうだ。アルヴァンのような救援が来るとも考えづらい。
     けれど、小さなものを隠す程度の隙間はあるので、カナトは嵌めていたピアスを片方隙間へと投げ入れた。
     相手は何をするか分からない。もしもカナトがここから移送されても、この場所もまた、行方不明者たちが軟禁されているのだ、位置を知らせる必要がある。
     どちらに位置情報機能がついているのか、もしくは両方なのかは分からないが、注意するにこしたことはない。
     しばらく待っていると、先程の男たちが帰ってきたようだった。
    「へぇ、こんな上玉が釣れるなんてツイてるなぁ」
     二人の男を後ろに従え、魔族の男が格子の隙間から手を入れて、乱暴にカナトの顎を掴む。鋭く尖った爪が頬を引っ掻いて、カナトは激しい嫌悪感を覚えた。
    「おい、テメェら、オークションは今夜だ」
    「「へぃ!」」
     上機嫌そうな魔族の男がそう宣言すると、後ろの男二人かニヤニヤと笑いながら返事をする。
     オークション、ということは、彼らは人身売買の組織なのだろう。
    「この女は特別室に準備をしておけ」
    「分かりやした!」
    「ほら、行くぞ!」
     牢の鍵が開けられ、カナトは乱暴に腕を引かれて連れ出される。その力の強さに悲鳴を上げたが、それさえも楽しげな瞳に無視されてしまった。
     カナトは無理やり引き摺られるようにして、通路を歩かされる。こんな奴らなんて簡単にのしてしまえるが、この場所の強度も不安だし、何より他の囚われ人たちが心配だった。
     それに、この先にも何かがあるのだろう、ここも出来れば位置情報を伝えなければいけない。
     グルグルと似たような道を引き摺るように進まされた先に、先程とは違う鉄製の扉があった。
     男は鍵束を取り出して、いくつかの鍵を漁っている。
    「おい、早くしろよ!」
    「分かってるって! あったあった、これだ」
     鍵を見つけ出し、鍵穴に差し込むとガチャンと音がして扉が開かれた。
     中の様子も確認できぬまま、カナトは部屋へと投げ込まれ、扉は直ぐに閉められる。
     扉に追いすがって「出して!」などと叫ぶ前に、部屋の中に何かが充満し始めた。
     咄嗟に出しそうになっていた声をしまい、口に手を当てて必死に呼吸を止める。
     しかし無情にも、呼吸を止めていられる時間なんてたかが知れたもので、カナトは甘ったるいその香りを吸い込んで意識を失った。

     *

     カナトが行方不明になったとジルガモットから報告を受けたナジーンは、すぐさまその位置情報を確認し、ファラザード軍に指示を飛ばしていた。
     魔界大戦があった後の騒動で、兵士たちは疲れているが、治安を守ることもまた仕事、現在はどこの国も疲弊している状態なので、ならず者には絶好の機会。こちらにとっては踏ん張りどころだ。
    「囮として頼んでいた人物が捕まったようだ。位置はザード遺跡の辺りを示している」
    「ザード遺跡は何度も調べましたが、囚われそうな部屋などありませんでしたよ?」
     ファラザードはザード遺跡に隣接する形で王都を構えている。ザード遺跡が巣窟になることは承知の上だったので、念入りに探索をしたのも確かだ。
    「位置情報の発信源は微弱だ。地上ならばここまで微弱になることはないだろう。どこかに地下への通路があるはずだ」
    「なるほど、地下通路ですか」
    「奴らが何の目的で誘拐を繰り返しているかは分からないが、近いうちに動きがあるはずだ。出入りを探せ」
    「ハッ!」
     短い掛け声と共に散っていった兵たちを見送り、ナジーンはひとり嘆息する。
     出来れば誘拐事件は起こって欲しくなかったが、一斉摘発には仕方の無いこと。カナトを囮にしてしまうのもまた、仕方の無いことだ。
     彼女がどういった工程の道を歩いてきたのかは分からないが、三百年以上生きてきたナジーンやユシュカ以上に、その短い生でたくさんの困難にぶち当たってきたのだろう。
     あんな幼い子が、と考えさせられる反面、その強さや優しさ、立ち向かう姿の美しさに強く惹かれてしまう。
     イタズラの規模がエグいことが多いが、年相応のヤンチャだと思えば、ユシュカの破天荒さなんかよりもずっと可愛らしいことだ。
     気がつけば目で追う存在になっていて、ユシュカと同じくらいに気にかける人にもなっていた。
     時たま無茶をしでかすカナトは非常に危なっかしい。その危うさをフォローしたり、時には背に庇って守ってやりたくもあった。
     カナトは数多の人をその背に庇って闘ってきたのだろう。だが、カナトの背は誰が守るのか。カナトの隣で戦うべき存在は、いるのだろうか。
     ユシュカを支える。そのことに後悔はないし、ユシュカを守る為になら命だって投げ出す。
     ユシュカの為になら散らせる命が、本当にカナトを支える存在になっていいのだろうか。
     カナトの為に、命を散らしてやれないというのに。
    (……何を考えているんだ、私らしくもない)
     不安を感じるから思考が少しおかしな方向に向かったのだと、己を納得させてナジーン瞑目した。
    (まるでこの感情は、考え方は……)
     ファラザードの乾いた空気を胸いっぱいに吸い込む。故郷の静謐な空気とは違う、砂埃を多分に孕んだもの。
    (愛しているみたいじゃないか)
     ファラザードの空気と同じくらいに乾いた息をついて、ナジーンは報告にやって来た兵士たちを見据えた。
     その中にボンジリとサティの姿もある。彼らは今日のカナトの護衛をしていて、その途中にカナトが行方不明になったと報せてくれた。
     カナトの正体を知らない彼らは、本当に慌てているようで、必死になってカナトを助けてくれと懇願している。
     彼らからの報告で、真っ赤な洞窟付近にアジトへの入り口を発見した。いくつか出入口がありそうだが、それらを全て探している時間はない。
    「行くぞ」
    「お待ちください! ナジーンさまは先の大戦で負傷されております! 本来ならばベッドから起き上がることも政務に携わることもあってはならないのに……」
    「私でなければ誰が指揮を執るんだ。この程度無理には入らない」
     ユシュカを庇って太古の魔人の攻撃を受け、瀕死の重傷を負ったナジーンは、本来ならばベッドから起き上がることも許されぬ身だった。それが自分がいなければファラザードが立ち行かないと、押さえにかかる部下に叱咤を飛ばして渋々机仕事のみ行うことが許されている。現場に向かうなど以ての外だ。
     しかし、今回ナジーンはどうしても陣頭指揮を執ると譲らない。結局折れたのは兵士たちだった。何があってもナジーンの動きを必要最低限に抑える、と息巻く兵士たちに指示を飛ばす。ナジーンも共に犯人たちのアジトに踏み入る気でいるからだ。
     ボンジリとサティは置いてきて、代わりにネシャロットとマプリコットを連れて行く。
     ネシャロットには呪術に対する対策を、マプリコットには地下通路の調査をさせる為だ。場所がザード遺跡の地下の為、海浜都市ザードがあった頃のものである可能性が高い。そうなればディンガ交易所の封印のようなものがあってもおかしくはないだろう。
     大きなからだを低くして、砂に隠れた入り口から音を立てないように慎重に侵入する。
     入口付近は狭かったが、中に入れば意外としっかりしていて、レンガのようなもので補強してあった。
     全員が通路に入ったことを確認して、事前に決めてあったいくつかの班に分ける。ここから一本道であるとは限らないからだ。
     ナジーンたちが向かうのは、カナトのピアスの発信源。ネシャロットとマプリコットはこの場にて待機し、ネシャロットは問題が出てくれば対処しに向かう。
     マプリコットは兵士たちから聴取した事項を元に、この場所の図面を作成することになっている。
     音を立てずに散っていった兵士たちと共に、ナジーンは頭を擦りそうな程に低い道を身をかがめて走る。ナジーンが大きいだけなので、兵士たちは普通に走っている。こういう時は父親譲りの長身が憎く思えるのだから複雑だ。
     発信源の信号を頼りに、向かう方向に当たりをつけて進んでいく。
     途中に何度か賊と遭遇したが、一撃で仕留めて黙らせた。
     そうしてナジーンたちが出た先には、いくつかの牢屋のようなものがあり、その中に数人だけ取り残された状態のものが残っていた。
    「救助を」
     指示とともにナジーンに付き従っていた兵士たちが、扉をこじ開けて中の人たちを救出していく。
    「私たちはファラザード軍だ。行方不明者リストとあわせても大分少ないようだが、ほかの人たちがどこに向かったか教えては貰えないだろうか」
     震える彼らに優しく声をかければ、今にも泣き出しそうな幼いプチアーノンがそっとひとつの通路を指し示した。
    「ありがとう」
     プチアーノンの頭を撫でて、ナジーンは数名の兵士を連れてそちらへ向かう。残った数名は出口へ向かい、囚われていた人々は外で待機している医療班に引き渡されることになっている。
     道を進むごとに段々と足元は整備されたものになり、空間も広くなってきた。
     ここから先はもう別の場所だと思われる場所に出て、ナジーンはそこに備え付けられた扉からそっと中を伺う。
    「出品番号26番、魔族の女だ! まだ幼いが上物だぞ! まずは5000万Gから!」
    「5100万」
    「5500万」
     どうやらオークション会場に出たようで、誘拐された人は人身売買されていたらしい。
     幸か不幸かオークション当日だったので、警備が手薄になっていたのだろう。
     人身売買はファラザードでは禁止されているが、他国の法ではそうはいかない。彼らがこの場から出てしまい、他国に向かってしまえば裁くことも売られてしまった人を取り戻すことも困難になる。
     ナジーンは目配せをして、兵士たちを引き返させた。増援を呼んで一気に摘発にかかるためだ。
     間もなくして増援は到着し、ナジーンは扉を開き、右腕を腕を前に高らかに宣言する。
    「ファラザード軍だ! 大人しくしろ!」
     兵士たちがなだれ込み、逃げ惑う人々を捕らえていく。出品されていたであろう魔族たちを保護し、時にはナジーン自身も剣を抜いて敵の相手をした。
     数刻の乱闘の後、ようやく片がついて人身売買組織はお縄につき、囚われていた魔族たちは別の出口から外に出ることになった。
     今回オークションに参加していた人たちには罰金刑が科され、人身売買組織の人員は更生の余地があるかないかで裁きを決めていく。
     これだけの人物の判決を決めなければいけないというのは、なかなかに骨が折れる作業だとこれからの事を考えて、ナジーンは少し頭痛を覚えた。
     テキパキと指示を飛ばしていくが、カナトらしき少女がいない。紛れているのかとも思ったが、位置情報の発信源は変わっていない。
     ナジーンはこの場を別のものに任せ、ネシャロットを連れて元の道に戻った。
     位置情報を伝えるピアスは、ネシャロットが作ったものなので、一応念の為だ。
     牢屋のようなところに戻り、房の一室を覗く。どの部屋にも人の姿はない。
    「んー、どうやらこの部屋のようだね」
     ネシャロットが示したのは、壁の一部が崩落して出来た房だった。
     どこも似たような崩落で塞がれて部屋と化しているので、それ自体は何らおかしなところはない。
     鍵を破壊して房に入り、ネシャロットが丹念に崩落部分を調べる。
    「まさか、この下だなんて言わないだろうな」
     嫌な予感を覚えて呟けば、ネシャロットは楽しそうに笑った。
    「そのまさかかもよ」
     ニッと笑って瓦礫の隙間から赤い菱形のピアスを拾い上げる。それは確かに、カナトに渡したものだった。
     ナジーンは一気に血液が氷点下になってしまったかのような錯覚を覚える。
     瓦礫をどかそうとするナジーンの腕をそっと掴んで、ネシャロットは真っ直ぐにナジーンを見据えた。
    「崩落の痕跡を見るに、最近のものじゃない。このピアスは意図的にここに投げ込まれたものだよ。それに、片方しかない」
     その言葉にいくらか落ち着きを取り戻したナジーンに、ネシャロットはイヒヒヒと笑った。
    「アンタがそんなに慌てるなんて珍しいねぇ。簡単に分かりそうなことなのに」
    「揶揄うな。それで、もう一方はどこにある?」
    「分かんない」
    「……は?」
    「こっちにしか仕込んでないもん」
    「はぁ?」
     ナジーンが頭痛を覚え始めていると、兵士がひとり、慌てたように駆けつけてきた。
    「ナジーンさま! ご報告を申し上げます!」
     こめかみをグリグリと揉みながら、ナジーンは報告を促す。ネシャロットは楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
    「とある一室に、誘拐されたと見られる少女を見つけたのですが、手もつけられないぐらい凶暴化していて、兵士たちが束になっても本気でかかっても倒されてしまって……」
    「案内しろ」
    (一体どうなっているんだ……)
     その少女は十中八九カナトだろう。他に束でかかってくるファラザードの兵士たちを倒してしまう人なんて知らない。が、ファラザードの兵士たちであること分かっているはずのカナトが、どうして彼らを倒しているのかはよく分からなかった。
     とりあえず行くだけ行ってそれから考えるしかないと、兵士の案内で暗い通路を進んでいく。
     面白がっているネシャロットも一緒だ。本当にファラザードには愉快犯が集結しすぎてやしないかと思う。類は友を呼ぶと言うし、ユシュカが引き寄せているのかもしれない。ナジーンは自らの頭の血管の心配をした。
     ナジーンが部屋に到着すると同時に、数人のファラザードの兵士が扉の外にぶっ飛んできたところだった。
     兵士に下がるように合図を出し、ナジーンが中を覗けば、肩をいからせた幼い少女がフーフーと毛を逆立てた猫のように警戒していた。
     着ているのは薄手の白いワンピースで、戦闘で負ったのだろう、生々しい傷跡が細い腕や足にいくつもの赤い筋を作っている。
     さてどうしたものかと思案していると、くん、と鼻を鳴らしたネシャロットが、その顔を大きく顰めた。
    「可哀想に。この薬はボクでも分かるよ。ヤバいやつだ」
     「兵士たちを下げてくれない?」とネシャロットに言われ、ナジーンは「ここは私に任せて欲しい」と兵士たちを少し遠ざけた。
    「ナジーン、この匂いは厄介な媚薬だよ」
    「びやく」
     言われた言葉にナジーンはその言葉を上手く変換することが出来なかった。オウム返しのように、言葉を反芻する。
    「そうだよ。この手の薬は解毒薬がない」
    「なに……?」
    「おお、怖い怖い。解毒薬はないけどさ、解毒方法はあるよ? 媚薬なんだからヤることヤればいいのさ」
     あっけらかんと言ったネシャロットが、右手の人差し指と親指で輪を作り、左手の人差し指を輪の中に潜らせる。
     仮にも女の子、しかもファラザードに吸収併合された形とはいえ、賢女の都レジャンナの三つ子王女の末っ子なのだ、そんな下世話なハンドサインを使わないで欲しい。
    「待て、厄介な、とはどういうことだ」
     事態を解決しようと頭をフル回転させれば、ナジーンはネシャロットの言葉に引っ掛かりを覚えた。
    「…………が必要なんだよ」
    「なに?」
    「精液が必要なんだよ! つまり中出ししろってこと!」
     ヤケクソのように叫んだネシャロットの口を慌てて塞ぐ。普通の会話ならば聞こえない距離だが、大声をあげたら離した兵士たちに会話が聞こえてしまう。
    「あぁもう! ボクは避妊薬を調合してくるから、あとは任せたよ副官殿ッ!」
     逃げるように去っていったネシャロットにため息をつきつつ、ナジーンは残った兵士たちにネシャロットと共に戻るように伝えた。散々ごねられたが、「彼女は知り合いで話をするだけだ」と言うと、ネシャロットの少し的はずれな援護射撃も来て渋々戻って行った。
     今日は頭が痛くなる事案ばかりだ。
     とりあえず、一番の問題は苦しんでいるカナトだろう。
     媚薬で触れられたくない、そっとしておいて欲しいというのは分かる。だからこそ暴れ回って誰も近づいて来れないようにしたのだろう。
     兵士たちが遠くに去ったのを察知したのか、カナトは部屋の真ん中で蹲っていた。
     その姿が痛々しくて、ナジーンが囮を頼んだばかりにこんなことになってしまって、どうしようもない自己嫌悪に陥ってしまう。
     ナジーンは気配を殺して部屋に入り、壊れた扉を嵌めた。兵士たちが到着した時に壊したのだ。
    「……カナト?」
     触れようとすれば、びくりとちいさな肩が跳ねた。
     こんなに小さなからだで、細い手足で凶悪な魔物たちや色々なものに立ち向かっていたのだと思うと、無性に庇護欲が逆撫でされる。
     潤んだ紅い瞳がナジーンを映す。
     涙をいっぱいに溜めた瞳に、罪悪感や色々な衝動が込み上げた。
    「ナジーン……さん?」
     掠れた声がナジーンを呼ぶ。カナトの姿をきちんと見た事はないが、その問いかけから本人に違いないだろう。
    「来ないでっ!」
     手を伸ばして触れようとすれば、カナトは身を庇うようにして後ずさった。
     それが手負いの獣に見えて、ナジーンは心苦しい気持ちになる。
     どうにか楽にしてやりたいと思った。
     例えそれが、彼女を汚す行為だとしても。
    「大丈夫だ。私に身を任せて欲しい」
     安心させるように帯剣している剣を外して床に置き、そっと手を差し出せば、カナトは戸惑いを見せた。
     自分のからだに何が起こっているのかもよく分かっていない少女に、ナジーンは良くない誘いをかけているのだ。
    (だが、他の男になど抱かせたくはない)
     あからさまな嫉妬心を抱えて、ナジーンは獲物を追い詰める。
     怯える黒うさぎは、震える手でナジーンの手を取った。
     さて、カナトがいた部屋、特別室だが、ただだだっ広い部屋だった。
     巨大なベッドが鎮座しているだけの、まさに寝室。下品に言えばヤリ部屋。
     ナジーンはカナトをお姫様抱っこして、そっとベッドの上に横たえた。
     とすんと軽い音を立てて寝かされたカナトの上に、ナジーンは覆いかぶさりその細い首筋に顔を埋めた。
    「ひぁっ!?」
     ベロリと熱い舌に首筋を舐められ、カナトは悲鳴のような声を上げる。
     その反応にナジーンはくつくつと喉の奥を鳴らした。
    「酷いですっ……!」
    「すまない、あまりにも可愛らしかったから、つい調子に乗ってしまった」
     ぽかぽかと軽くナジーンを殴って、カナトは抗議の声を上げる。
     ナジーンは何処吹く風でそれを受止め、カナトの手首を握った。
    「ところで、きみは男性経験があるか?」
    「なっ……!」
     茹でダコのように真っ赤になったカナトは、しかし、グッと唇を噛み締めてぶんぶんと首を横に振った。
    「そうか。なら少しきついかもしれないな」
     きついもなにも、カナトにとって今の状況も結構きつい。これ以上きつい状態にならないとこの問題は解決しないのだろうか。
     疑問に思っているうちに、ナジーンはベルトを外し、上着と共に投げ捨ててシャツの前ボタンを二つほど外した。
     チラリと覗く胸元には包帯が見え隠れして、未だにその背には血が滲んでいるのではないかとカナトは少し不安になる。しかし、そんな心配もすぐさま霧散し、思考は甘く塗りつぶされた。
    「私を許さなくていい」

     *

     目が覚めたら、とても綺麗な顔があった。
     柔らかく年齢を刻んだ顔は、怜悧で美しい。
     長い黒いまつ毛に縁取られた瞳には、宝石よりも美しい紅い瞳が仕舞われている。
     そっと頬に手を伸ばそうとして、からだじゅうの痛みに顔を顰めた。
     ぎしぎしと音がなりそうな程に、からだの至る所が痛い。筋肉痛にも似たそれは、筋肉よりもより深い場所からの痛みだ。
    「……私……」
     からだが熱くなって、よく分からない感覚に支配されて、暴れ回った末にナジーンの手を取った。
     そこから先を思い出し、カナトはぼんと音がしそうな程に瞬く間に真っ赤になった。
    「ナジーンさんと、えっちしたんだ……」
     よく分からない状況の脱却の為なのだろうが、好きな人に抱かれるのは嫌じゃなかった。
     初めてだったけれど、ナジーンはとても優しくしてくれたとカナトは思う。後半の記憶がほぼない部分でかなり手酷くやられたのだが、あやふやなのでノーカウントだ。
     本来ならば、きちんとお付き合いを経て重ねるべきなのだろうが、緊急事態なのだから仕方がない。むしろ、ラッキーだったとさえ思える。
     ナジーンは熟睡しているようで、カナトが起きたのにも気付いていない。カナトはしっかりと抱き締められた腕からすり抜けて、這うようにしてベッドから降りた。
     足腰は使い物にならないが、からだを支えるものがあればなんとか動ける。
     少し動くだけで、股から腿につぅと何かが滑る感覚がした。慌てて力を込めて、それ以上の流出を防ぐ。
     それでも垂れた体液は、床にぱたぱたと白い汚れを散らした。
     カナトが部屋を物色すると、ベッドの下から盗られた荷物が見つかった。カナトと共に受け渡す予定だったのだろう。
     着ていた服もあったので、そのまま袋に突っ込み、カナトはその手で赤い宝石を弄んだ。
     そして、意を決したようにまたベッドまで這い、乱れたナジーンの髪を梳いた。
     顔にかかった後れ毛を丁寧に元の位置に戻して、カナトはナジーンのかさついた唇に己の唇を押し付ける。
     行為中、一度もされなかった口付け。心を渡す行為。
    「……ごめんなさい」
     押し付けた唇を離して、懺悔するように謝罪する。
     強くしがみついてしまったからだろう、その背に痛々しく滲んだ傷に、せめてもと回復魔法を掛けた。
     カナトは名残惜しげにナジーンから離れ、慣れた手つきで荷物を担ぎ、手に持っていた赤い宝石、アビスジュエルで転移した。

     カナトが転移したのは、最初にユシュカに寝かされていた、ゲルヘナの廃屋だった。
     アストルティアに帰ってもいいが、こんな状態でエテーネ村に帰って誰かに見られでもしたら、どう言えばいいのかわからない。
     とにかく、ナジーンは悪くないし、むしろ助けてくれたし、こんな人を辞めてしまった女を抱いてくれたのだからありがたいくらいだ。
     最初にアビスジュエルを落としてしまった水場でからだを洗い、小さな傷がないことに気がついた。ナジーンが回復してくれたのだろう。自分の回復すら、後回しにして。
     その優しさに、気遣いに、どうしようもなく顔がほてった。
     この場所は、かつて剣魔の一族が住んでいた集落だったが、今生き残りはゴーラにいるジルドラーナくらいだ。彼女の父親であるゼルドラドは、カナトとアンルシアの手によって殺されている。
     自分が殺した一族が住んでいた場所に潜むだなんて、と自嘲するが他に行く場所がない。
     ネクロデアも考えたが、ナジーンはそこの王子だし、カナトにはネクロデアにいる亡霊たちが見えるし会話ができる。それはいたたまれない。酷くいたたまれない。
     ナジーン王子のお手つきだなんて言われたら羞恥で死にそうだ。間違っていないけれど。
     これからのことを考えながら服を着て、カナトはとりあえず、からだを休めることにした。何せ、この状態ではろくに動けない。魔物が襲ってきても対処出来ないだろう。
     幸いにもゲルヘナ幻野は、カナトにとって庭である。ゲルヘナの悪魔の二つ名を冠したカナトは、ゲルヘナの魔物たちにとってそれはそれは恐ろしい存在だろう。
     すぐに戦闘に入れるように、手元に武器を置いて、カナトは硬いベッドにからだを丸めて眠りに就いた。

     *

    「……ン! ナ……ーン……! ナジーン!」
     ボンヤリとした頭を起こせば、困ったような表情をしたネシャロットがいた。
     ネシャロットに困った顔をさせるとは、かなりの至難の業だと頭の片隅で思う。
     軋むからだを起こせば、乱れた服が目に入った。上着こそ脱いだものの、服を着たままことに及んだ為、至る所に体液が付着して目も当てられない状態だ。
    「お目覚めのようだね。ところで、あの少女はどこに行ったんだい? その様子を見るに、ヤることヤったんだろう?」
     身も蓋もないあけすけな言葉に、もう少し言葉を選んで欲しいと思ったが、相手はネシャロットだ、聞くとは思えない。
    「カナトは……。…………は?」
     たっぷり考えて、ナジーンは腕の中にしっかりと捕らえて眠ったはずのカナトが消えていることに気付いた。
    「ふぅん、あの子、カナトっていうんだ」
    「いやそこじゃないだろう」
    「身元が割れてるならまだ探しやすいだろう? まさか、名前だけしか聞いてないなんてことはないよね? で、どこに行きそうなんだい?」
    「近くにはいなかったのか? そう簡単に動ける状態じゃないはずなんだが……」
    「うわえっぐい! ナジーンそんなに激しく抱いたのかわいそー!」
    「そこじゃないだろう。……近くにはいないんだな、だとすると」
     アビスジュエル。その単語が脳裏をかすめ、眉間を揉んだ。
     アビスジュエルを使用したとして、心当たりを思い浮かべる。
     ……多すぎて頭を抱えたくなった。
     まずアストルティア。アストルティアに行かれたらもう追えない。更にカナトが時渡りしたら絶対に追うことは出来ないだろう。カナトと同じように時渡りを出来るものは、この時代には誰もいないのだから。
     初手で詰んだ。こんなことあっていいのだろうか。
    「あの子実は見た目によらない子なんだね! そう言えばあの状態でファラザード兵たち撃退してた!」
     ナジーンの様子から流石に察したネシャロットは、瞳を輝かせてナジーンに食いついた。
     行動を読めない、または行動範囲が広い人物というのは、魔界ではかなり珍しい。それこそ、行商人に近いものだろう。
     しかし、行商人ならばそこまで早い移動は出来ない。だとすれば、はじき出される答えは謎一択。
     そんなもの、ネシャロットの好奇心を刺激しないわけがない。
    「詳しく教えてよっ!」
    「絶対にダメだ」
    「けちー!」
     むくれるネシャロットにため息をつき、とりあえず帰還を促す。幸いにも、投げ捨てた上着を着て、ベルトをし直せば身なりは誤魔化せそうだ。
     どこかくたびれたような様子はあるが、カナトが暴れ回っていたことを考えれば、それを御すのに奮闘したと見られるだろう。
     外していたボタンをとめ直して、未だにぶうぶう文句を言うネシャロットを後目に、ナジーンは部屋の外へと歩き出した。
     ネシャロットが何故ここに戻ってきたのか、どうしてカナトの行方を知りたいのか、その理由を保留にして。
    (むしろ責任を取らせて欲しいくらいだが……)
     それは、カナトの意思に反することだろう。既成事実を作ったとしても、カナトはそれで縛られるような少女ではない。どうしようもないじゃじゃ馬なのだ。
     からだまで繋げたというのに、肝心の想いは繋がらないまま、ナジーンは締め付けられるような胸の痛みを誤魔化すように、拳を握って自らの手のひらに爪を立てた。
     幸いにもナジーンは忙しい。仕事をしていれば、カナトのことを考える暇なんてないだろう。
     忘れてしまいたい、とは思わないが、今だけは考えないようにしたかった。
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