ぶぜまつ小話「なんかよく笑うようになったね」
3ヶ月ぶりに会った元カノは開口一番そう言った。
公園のベンチに並んで座ってる姿は、傍から見れば見事なカップルだろう。
「私と別れて楽しそうって腹立つ」
何が変わったの、と言われて、真っ先に思いつくのは、彼の顔だ。
――「豊前が言うならなんだってやるさ」
時にその響きは重たくまとわりつくようだが、それが嫌じゃないのは彼だからだ。
豊前にとって人間関係とは、常に虚無的なものだった。「こなす」という表現が正しいだろう。目の前に現れた人間の会話に適応して返答し、あしらって終わらせる。まるでコンビニのレジのように、そこには虚無しかなかった。
青天の霹靂は、目の前の女と別れて3日後。
「豊前、君のことを好きでいていいだろうか」
突如告白してきたのは、今まで歯牙にもかけていなかった相手。いつも隣にいて、それが当たり前だった松井からだ。物静かで穏やかで、時に禁欲的な彼からの告白は、豊前の中で激しい衝撃だった。彼が男に告白するということ、それが自分であるということ、とにかく、一から十まで全てが豊前の中では想定外だった。
もっと想定外だったのはそれからだ。
「鼻血が出そうなほど、君は今日もかっこいい」
好きでいることを受け入れてからというもの、松井へのイメージはガラッと変わった。いつも一歩引いて、大人しく話を聞いているというイメージはどこへやら。横顔を見てはため息をつき、時折鼻を抑え...どうしたと聞けばこのとおり歯の浮くような甘いセリフがやってくる。
「好きだ、君のことが」
どこがいいんだ、と聞けば「全て」と言う。お決まりのセリフ。だのに彼の表情はいつだって新鮮で、最上級の表現だと分からせてくる。
「どんだけ好きなの、次の女のこと」
彼女は憎々しいという表情を隠さない。
「そんなんじゃねぇよ」
「まだ付き合ってないとか?」
「ま、そんなとこ」
彼女は半歩、こちらに体を寄せた。
「私にまだチャンスある?」
答えは簡単だった。
「悪い、そういうことじゃねぇから」
さりげなく掴まれてた袖から指を離すよう促すと、彼女はあっさり身を引いた。
「そういうところも、変わったね」
諦めたようなその声が、妙に心地よかった。
「あのさ、話があんだ」
「ああ、今日も会えて嬉しいよ、豊前。そのシャツもよく似合ってる。」
鼻を抑える松井に「おっ、鼻血か?」と軽口を叩くと、彼は素直に頷く。
「今日も滾ってしまうね」
あの会話から数時間。場所は同じ。目の前にいるのは松井。日はすっかり落ちて、街灯にたかる虫がキラキラとしている。
こんな時間に相手を自分から呼び出すなんて、今までの彼女じゃ有り得なかった。
それが一種の証明だろう。
「元カノと会ってたんだ」
「へぇ、どうだった、なにかわかった?」
わかったことは、山ほどある。
でも、その全てを言葉にするのは、少しくどいだろう。
「あのさ、話があんだ」
切り出しは奇しくも彼女と同じになった。
途端に松井の顔が曇る。
「大事な話かい?」
「ああ」
松井は少し引きつった笑顔を見せる。
「わかった、なんでも受け止めよう」
じっと目を見れば、彼の造りの端正さにはため息が出る。膝の上で結ばれた指、少し震えているだろうか。白い肌は、街灯の下で神々しく輝いている。だから、今から言うことを少し躊躇う唇が、勝手に震えてしまう。
息を吸って、吐く息にのせて。
「松井のこと、好きだ」
彼の大きな目が揺らぐ。愛しさが溢れる、という言葉を初めて理解した。