よくある話「欲しい物?」
「そう、何かない?」
「別に。欲しかったら自分で手に入れる」
音源の納品を済ませてPCの電源を落とした直後、唐突に投げかけられる仁科の問いかけ。特に何かを欲しいと伝えた記憶もなく、仮に無意識に何かを探していたとしたら、それをサッと横から渡してくるような男からのそれに、意図がわからず、ただありのままに思った事を返答する。
困ったように苦笑する相方を見て、何かあったのか?と三徹目で鈍る思考を巡らせた。更に今回は、少し厄介な先方のオーダーで苦戦した後だ。その辺りは、一緒に振り回されている仁科もわかっているだろう。せめて、いつも通りに頭が働く時に聞いてほしい。
「だろうね……そう言うと思った」
「なら、どうして」
「いや、お前……本当にわかってない?」
「何を」
やれやれ……と言ったふうに、仁科は手にしたスマホの画面を見せてくる。画面に表示された数字は4/29……の23時45分。
「はい、明日は何の日でしょう?」
「あ……」
指摘されて思い出す……誕生日か。出会ってから早数年。最初の頃ならいざ知らず、スターライトオーケストラに所属してから律儀に全員分開かれる誕生パーティを経て、得意の世話焼き気質が刺激されたのか……はたまた、尽くしたくなるタイプなのか……毎年、ご丁寧にプレゼントが用意されていた。
「お前も同じ……っていうか、お前の方が苦戦してると思うけど、連日のリテイクとか打ち合わせで仕事以外のスケジュール管理出来てなくて、プレゼント買いそびれたんだよ」
「お前がスケジュール管理出来てないなんて珍しいな」
「笹塚、話逸らすなよ……って言っても仕方ないか。俺も徹夜までいかなくても忙しくて睡眠不足だったの」
「……そうか」
確かに、何度提出しても没とリテイクの繰り返しだった、厄介な仕事は仁科の睡眠時間も奪っていた様子だ。その証拠に、昨日もアジトのソファーで眠る仁科に音が欲しいと起こした時に、いつも以上に文句を言われた――ような気がするのを覚えてる。
「そういうこと。で、今年はプレゼントを持ってないんだけど……お前は何が欲しい?」
「お前の音」
「俺の音?いつも渡してるだろ。そんなの、誕生日じゃなくても、とっくの昔にお前の……」
「違うさ」
「?」
頭に疑問符を浮かべる仁科に、これは伝わっていないなとため息をついて言葉にする。
「俺を思い浮かべながら弾いたお前の音が欲しい」
仁科がほんの一瞬、思考が追いつかないという顔をしたのが珍しくて、こんな顔をさせられるのは自分だけだと思わず口元が緩む。
「……お前の欲しい音にならないかも」
「お前の音である以上、そんな事にはならないだろうな」
「俺だって寝不足なんだから、余計なこと考えたら、聴くに耐えない音になるかもよ」
「逆に興味ある。どんな音でもお前から生まれたなら、全部聴きたい」
ユニットを組んでからこちら、隠し通されてなかなか自在に引き出せなかった《音》は、至上の物だった。ならば、仁科の音が全て欲しくなるのは道理だ。
その瞳を見ながら、もう一度、珍しく頭の回転が鈍りに鈍っているであろう相方に伝える。
「なあ、仁科……今年の誕生日は、お前が《特別と思える音》が欲しい。駄目か?」
たっぷりと時間をあけて、時計が午前0時を告げた頃、観念した仁科は頷いた。