氷海に沈んでどこまでも休日前夜は誰だってハッピーだと思う。
仕事もおれにとってはハッピーに近いけれど、セナとゆっくりできる時間が待っているのかと思うともっとハッピーになる。
そんなおれ達の休日前夜は、いつも近所のカフェテリアで夕飯を食べることから始まる。
おれは少しだけお酒を飲みながら、セナはお気に入りのエビパスタを食べながら、お互いの仕事の話やKnightsの話をする。
一緒に暮らしてるんだから特に話すことも尽きそうなんて心配は、思ったより必要なかった。
セナの仕事の話を聞くのは好きだし、ぽろっと溢す愚痴や文句はおれだけが聞いてると思うとちょっと嬉しいし。
そんな時に食べるご飯とお酒は格別に美味しいんだ。
帰宅したらゆっくりシャワーを浴びて、二人の寝る支度が整ったら一本映画を観るのが最近の定番。
作曲においてはアウトプットの分幾分かのインプットも大事で。最初はおれ一人でたまにやっていた映画鑑賞がいつの間にかセナも一緒になって、気づいたら習慣化してた。
現代とは本当にすごいもので、サブスクというシステムのおかげで昔よりずっとずっと映画を観るのが簡単になったと思う。
セナはホラー映画以外は割となんでもいいみたいだ。ベタベタの甘い恋愛映画なんかはおれの方が恥ずかしくなってソワソワしちゃうんだけど、セナは涼しい顔をして真剣に観てたりするし。ミステリーや推理物の時は二人であーでもないこーでもないって話しながら観たりする。
二人並んでソファーに沈みながら物語に没頭する時間はたまらなく心地良い。
ドラマティカに所属しているおれはともかく、セナもたまにお芝居の仕事をするからこそ、真剣に物語と向き合うことができるし。
それから何より、一本の物語を見届けた後にやってくる余韻とともに深まっていく夜も、おれはすごく好きだった。
「――こんなに長かったんだねぇ、この映画」
ぼそりと呟いたセナが、隣で大きく伸びをする。
「長かったんだねぇ、って、セナこれ観たことなかったのか? おれが言うのもあれだけど、すごく有名な映画だぞ?」
「あるよ、ママに連れられて映画館で。でも俺はまだ小さかったし、船が沈んで悲しいくらいにしか思わなくてそれっきり」
「ふぅん……?」
今日観た映画は豪華客船が氷山にぶつかって沈没してしまう、あの有名な大恋愛映画だった。
おれが受けた仕事の中に同じ事故がモチーフになった舞台の劇伴の依頼があって、作曲のヒントを得るために選んだ作品。
おれはママと世界をまわっていた頃に初めて観て、船移動がちょっと怖くなるくらいにはしっかり影響を受けた。本編は三時間弱もあるし子供には難しいシーンもたくさん出てくる。そんな映画を小さい頃に観ただなんて、セナの家はやっぱりすごいななんて思った。
「どう? 霊感とやらは湧きそう?」
「あ〜、うん。なんとなくイメージは思い出せたし、形にできそう」
「そ。なら良かった」
スペクタクル超大作を観た直後だというのに、セナはやけに落ち着いていておれはちょっと拍子抜けする。
悲劇を目の当たりにしたらおれだってちょっとダメージがくるのに。セナはなんでもないみたいにくい、と水の入ったグラスを傾けている。
あー横顔も綺麗だな、なんてぼーっと眺めていたらセナに「何?」と言われてしまいおれはセナに身を寄せた。
「セナはさぁ、映画みたいな状態になったらどうする?」
「なりたくないけどねえ」
「それはそうだけど! 余韻だよ、余韻。ほら、おれがジャックでおまえがローズだったら……セナはローズみたいにする?」
自分で振っておいて少し意地悪だと思った。
映画では主人公は最後に愛する恋人の手を離して、冷たい氷海に沈んでいく彼を泣きながら見送る。そうするしかなかったから。もう2人とも凍えて死んじゃいそうだったし、彼もそうして欲しいと思ってた。
自分で放った言葉に少し怯えながらちらりとセナの方を見れば、セナは口にしていたグラスをコトリと机に置いて、ふと小さく笑う。
「俺は離すよ。生き残りたいもん」
「うっ……」
「自分で聞いといて何ダメージ受けてんの」
ああそうだよ、セナはそんなやつだと思ってた!
セナって多分おれが死んだって力強く生きていくタイプだし、おれはセナのそういうところが好きだよ!
でもそうあっさり言われちゃうとこう……くるものがある。
セナははぁ、と困ったようにため息を吐くと、おれの髪をくしゃりと撫でてきた。
「……なんだよ」
「うん、れおくんは面白いなと思って」
「はぁ? 馬鹿にしてる?」
「あはは、違う違う。あんたは本当に貰った言葉通りに受け取る単純なヤツなんだなって思っただけ」
「馬鹿にしてるじゃん!」
がるる、と威嚇してみせればセナはなんだか楽しそうにからからと笑う。なんだよ、触んなよ。
「好きな人が目の前で凍え死んじゃったらもうどうもしてやれないでしょぉ。それならその人に助けてもらった分だけ俺は生きなきゃいけない、生き残らなきゃいけないって思う。……一緒に死ぬなんてれおくんに失礼だと思わない?」
真っ直ぐでキラキラしたアクアマリン色の瞳がおれを見ていた。
……確かに。おれがもし彼の立場だったら、ううん、あの時彼は彼女に生きていて欲しいと思ってた。おれも同じだ。
少しでも長く生きて、生き抜いてほしい。
おれはここまでかもしれないけど、その分生きて欲しいと願うと思う。
セナがそんなことを思っていたなんておれは思いもしないで、まるで子供だ。
「どう? これで満足?」
「……っ、わははっ、おれセナのこと甘く見てたかも」
「俺はれおくんより普段色々考えながら生きてるからねえ。あんまり舐めないでもらえる?」
「それはそれでなんかムカつくな……。でもそんなセナもだぁいすき!」
ぎゅっと肩を抱き寄せると、びく、と一瞬だけ体が跳ねる。
でもすぐに受け入れておれに体を預けてくれるようになっただけ、おれたちの距離は近づいているようだった。
――でもな。
おれはそうやってセナに少しでも長く生き続けてもらえたらきっと本望なんだろうけどさ。
でも、最期の瞬間にベッドで抱き寄せあって沈んでいくあの老夫婦の事もすごく羨ましく感じてるんだ。
極論、おまえとはああなりたい。
最期の最期までおまえのことを抱きしめてたいし、たくさんの愛してるを伝えて一緒に死にたい。
……なんて、いつかまた同じ映画を観た時にはセナに伝えられてたらいいな。
おれはセナの耳元に唇を寄せると、そっと愛してるを伝えてそのまま雪崩るようにソファーに沈み込む。
氷海に沈んでどこまでも。そんな夢を見ながら。