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    ろまん

    @Roman__OwO

    pixivに投稿中のものをこちらでもあげたり、新しい何かしらの創作を投稿したりする予定です。倉庫です。

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    ろまん

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    橙真が飴職人になる夢とともにまつりちゃんを見つめてきたこと、そしてそんな橙真を見つめるひゅーいとの交流を書いた話です。
    主に前半がまつりちゃん、中盤以降がひゅーいとのやりとりです。恋愛、友情、親愛、共闘心、よくわからない感情が色々ごった煮の橙まつであり橙ひゅです。
    時間軸としては24話と28話の間になります。
    pixivにも同じものを投稿しています。

    ブルーキャンディの虹彩ブルーキャンディの虹彩 俺の日常は、輝きを目に焼き付けることの連続だ。
     飴細工を手掛ける師匠の手さばきや、飴を渡したときのお客さんの笑顔。幼馴染の魔法のようなプリマジや、その努力する姿。

     飴職人になりたいと夢を持ったときから、そして、幼馴染への気持ちを自覚したその日から、俺はその眩しさに必死に向き合ってきた。
     
     ――だから、考えもしなかったのだ。

     何かを眺めてばかりの俺のことを、瞳を煌めかせながら見つめてくる存在が現れるなんて。

    ブルーキャンディの虹彩

     ホームルームが終わると同時に、放課後を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。静かだった教室が堰を切ったように生徒の話し声で満ちていく。
    「あれ、伊吹もう帰んの?」
     教科書やノートを鞄に詰めるなり席から立ち上がった俺を、前の席に座る友人が不思議そうに見上げた。
    「ああ、修行があるから」
    「おーそっか」
    「また明日な」
    「うん、バイバーイ」
     ゆるく手を振る友人に見送られて、俺は足早に教室を出た。
     俺にとって、放課後は飴作りの修行の時間だ。たまには外で遊んでこいと師匠に言われてしまうけれど、俺は少しでも時間を無為に過ごさないように、学校が終わるとなるべく早く帰宅するよう心掛けていた。


     廊下を歩いていると、まつりの教室の前に差し掛かった。小学生の頃は同じクラスになることが多かったが、中学では人数が増えたせいか、まつりとはクラスが分かれてしまった。
     だから中学に上がってからのまつりがどんな風に過ごしているかを、俺はあまりよく知らない。

     開けっ放しにされている廊下の窓から、そっと教室の中を覗く。
     ホームルームが終わり生徒がごった返している教室でも、まつりの姿はすぐに見つけられた。よく一緒にいるところを見かける女子達と、窓際の後方で楽しそうに話している。まつりが肩を揺らして笑うたびに後ろのカーテンもゆらゆらと揺れて、オレンジ色の髪をふわりと撫でつけていた。
     その光景に口元が緩んでしまいそうになり、慌ててグッと引き締める。
     
     いつも、いつも。
     無意識下でさえ、俺はどうしたってまつりのことを探してしまう。今だって、少しでも長くあの笑顔を目に焼き付けようと必死だ。帰宅した後に向かうのはまつりの家だというのに、それでもまだ足りないと思ってしまう。俺は、そんな貪欲さを心の中に抱えている自分が無性に恥ずかしかった。……だってまつりは、俺がそんなことを考えていることなんて全く知らないのだ。
     込み上げてきた気まずさを振り払うように、教室の前を足早に通り過ぎようとした、そのとき。ふと、まつりと目が合った。

    「あっ、橙真!」

     ざわざわした放課後の喧騒のなか、まつりの澄んだ声が真っ直ぐに耳元へと届く。その瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。
    「ちょっと待ってて! 私も帰るから!」
    「……え?」
     思わず前に進めていた足がピタッと止まる。「帰るから」と言ったまつりは、通学鞄を肩にかけると「ひろみ、こずえ、また明日ね!」と友人達と挨拶を交わして、こちらへと小走りで向かってきた。

    「おまたせ! 途中までだけど、一緒に帰ろ」

     俺の前に来ると、まつりはそう言って明るく笑った。
    「……うん」
     喜びがじわじわと込み上げて、少しだけ声が詰まる。
     まつりはそんな俺に気づくことなく、教室を出るとステップするように軽快に歩き出した。わずかに遅れて、俺も歩き始める。
     早めの成長期がきた俺は、同学年の男子の中でも比較的背が高い。まつりも女子の中では背が高い方だが、それでも俺との身長差はあって。足を数歩進めるだけで、すぐにまつりの横に追いついてしまった。隣に並ぶと、分かる。まつりの頭のてっぺんが俺の顎あたりにくることを。それだけお互いに成長したことを。

     さらさらと流れる髪の隙間からまつりの横顔を密かに見つめていると、その長い睫毛がはた、と上下に揺れた。
    「橙真、これからうちで修行だよね?」
     大きな瞳がくるっとこちらを向いて、俺は咄嗟に足元の上履きへと視線を移した。じっと眺めていたことがバレるのは避けたい。
    「ああ。まつりはプリマジか?」
    「うん! 今日はプリズムストーンでれもんちゃんと待ち合わせてるんだ」
    「そっか。だからそんなに楽しそうなんだな」
    「あははっ、バレてた?」
    「うん、バレてた」

     プリマジの話をするとき、まつりはいつも声色がワントーン明るくなるから分かりやすい。全身から喜びが溢れ出て、とにかく楽しそうなのだ。特に、最近のまつりはずっとそうだ。おそらく、プリマジスタとして過ごす日々がとても充実しているのだろう。

     思い返すと数ヶ月前。
     まつりが突然プリマジスタとして華やかにデビューしたことは、俺を大いに驚かせた。
     いつもどこか自信なさそうにしていたこの幼馴染が、沢山の人の前で歌い踊っている。大勢の観客に注目されている。そんな現実を目の当たりにする度に、俺はなんだか異空間に迷い込んでしまったような、不思議な気持ちになった。
     でもそれ以上に、魔法のようなステージでパフォーマンスをするまつりの姿はとても輝いていて。まつりがプリマジスタとしてあのステージに立つことは、必然なことのようにも思えた。

     しかし……そんなまつりの姿を幼馴染として誇らしく思う一方、俺の心にはとある懸念が生まれているのも事実で。


    「お、陽比野。今帰り? プリマジしに行くの?」
     別クラスのため、お互い少し離れた場所にある靴箱で靴を履き替えていると、聞き覚えのない声がまつりを呼んでいるのが聞こえた。
     振り返ると、まつりが見知らぬ男子生徒から声がかけられている。まつりの近くで靴を履き替えていることから察するに、おそらくクラスメイトなのだろう。
    「うん、そうだよ」
    「そっか、頑張れよ」
    「あはは、ありがと! また明日ね!」
    「ああ、じゃーな!」
     にこやかにその男子と挨拶を交わすまつりを眺めながら、俺は言いようもない焦燥感に襲われていた。
     そう。懸念、とはこのことだ。

     まつりはいつも明るくて、誰にでも優しい。
     同世代で最も長く共に過ごしているはずの俺でもそう思うほど、まつりは裏がなく、いつだって真っ直ぐなやつだった。
     だから当然なのかもしれないが、まつりは誰にでも好かれた。本人はあまり気づいていないけれど、恋愛……的な意味で気にしている奴も多い。中学生になってから、そしてプリマジデビューをしてから、教室でも廊下でもまつりの名前を耳にすることはさらに多くなった。
     まつりの良いところが多くの人に伝わるのは良いことだと分かっている。でもたまに、俺はどうしようもなく不安になった。

    「まつり」
    「うん? なあに?」

     校舎の外に出て、前を歩くまつりを思わず呼び止める。くるっと後ろを振り返ったまつりに、つい衝動的に名前を呼んでしまった俺は焦った。
    「いや、えっと……あ。今日作った飴、みゃむいるかな?」
     咄嗟に出したのは、飴の話題。それしか思いつかなかった。自分のトークの引き出しの少なさに落ち込むが、きょとんとしていたまつりの顔は花が咲くようにパァッと明るくなる。
    「わあっ、絶対喜ぶよ! みゃむ、橙真の作るにゃんこ飴が好きだから!」
    「……まつりの分も取っておこうか?」
    「いいの!?」
    「もちろん」
    「やったぁ! ありがとう、橙真!」
     会話が良い方向に転がったことにひとまずホッとしながら、俺は「まつりが俺の作った飴を楽しみにしてくれている」という事実を噛み締めて、静かに高揚していた。

     ……俺がまつりに飴を渡すとき、まつりはいつだって「ありがとう」と微笑んでくれる。しかし、本当に感謝を伝えたいのは俺の方だ。

     これまでまつりは、数えきれないほど俺の作った飴を口にしてきた。師匠に弟子入りしてから、初めて作った何の動物かもわからない不恰好な飴だって、まつりは目を輝かせながら受け取ってくれた。あの頃から、まつりはずっと変わらない。
     キャンディショップ『キャロル』はまつりの家で、俺の師匠はまつりの祖父だ。俺の飴より師匠の飴の方が味も安定していて、見た目も繊細で美しい。まつりはそんな飴をずっと身近で見て、食べてきたはずなのに、それでも俺の飴をいつだって嬉しそうに受け取ってくれる。飽きたっておかしくないのに、ずっとずっと俺の飴を楽しみにしてくれている。
     俺はそれを実感するたびに、無性に泣きたくなった。好きだ、という気持ちが血に溶け込んで身体中を巡るような、そんな気分になるのだ。
     まつりを好きでいられることが嬉しくて、少し苦しい。でもこのどうしようもない想いを、どうしようもなく大切にしていたかった。


     ――カキーーン!

    「わっ、」
     そのとき、突如グラウンドにこだましたバッティング音に、俺の浮ついていた意識は一気に引き戻された。
    「あ、野球部の練習はじまったね」
    「……そうだな」
     グラウンドを見ると、野球部が活動を始めていた。今日は試合形式の練習なのか、部員達の表情には緊張が浮かんでいる。その姿を見て、ああそうだ、と我に立ち返る。
     俺にとっての放課後は、飴作りの技術を研鑽するための時間だ。飴職人になる夢のためにも、そしてまつりの横に胸を張って立てる自分でいるためにも。俺はまだまだ努力をしなければいけなかった。
     気を引き締めなければ、と己を律していると、隣でまつりが「あ、そうだ」と小さく呟いた。

    「あのさ……橙真、この前私に飴をくれたでしょ?」
    「この前?」
    「ほら、魔法界でくれた翼付きのにゃんこ飴!」

     翼付きのにゃんこ飴と言われて、ああ、と俺はあのときのことを思い出した。
     いきなり連れていかれた魔法界で、マナマナと呼ばれる魔法使い達と交流したこと。ウンディーネという魔女に拐われたこと。助けに来てくれたひゅーいに俺のワッチャを渡したこと。涙目のまつりに抱きつかれたこと。意を決してまつりに飴を渡したこと。
     それにしても、何故今その話をするのだろう。
     そう思って再び隣を見ると、まつりとばっちり目が合った。長い睫毛に縁取られたその瞳には、卵白のような色合いをした夕陽の光が差し込んで、淡く溶け込んでいる。

    「あの飴ね、橙真の努力がすっごく伝わったよ。飴で翼を作るなんて、きっと大変だったよね? 橙真はやっぱりすごいよ」
    「まつり……。いや、でもあれはひゅーいと一緒に作ったものだから、俺一人の力じゃなくて……」
    「それも含めて、だよ! 私もね、みゃむがいないと私のプリマジは出来ないから。それに、一緒に頑張ってくれる人がいるって、それだけでなんだか力が湧いてくるじゃない?」
    「……その感覚、分かるよ」

     だって俺は、プリマジに打ち込むまつりの姿にいつも前へ進む元気やパワーを貰っているから。だから、分かる。
     
    「私思うんだ。それってきっと魔法なんだって!」
    「魔法……?」
    「そう。魔法使いじゃない私達にも使える魔法。橙真が私にくれる飴だって、私にとっては魔法だよ。『頑張れ!』って気持ちが伝わって、よし頑張ろう!って思えるもん」

     三日月のような弧を描いたまつりの青い瞳が、光を反射した水面のようにキラキラと輝く。
     そこには、夕陽のせいか頬が赤く染まった俺の顔が、ゆらゆらと映り込んでいた。

    「橙真が頑張ってると、私も負けてられないなって思えるんだ。橙真が飴作りを頑張ってるみたいに、私はプリマジを一生懸命頑張るから。だから、これからも一緒に前に進んでいこうね!」

     そう言ってオレンジにきらめく空に負けないくらい目映く笑ったまつりを見て、俺は思わず目を細めた。
     そのあまりの眩しさに、鼓動の速まるまま、衝動的に想いを告げてしまいそうになる。でも……今はまだ、まつりは俺の気持ちに気付かなくていい。

     ただ、この瞬間は、その輝きから決して目を逸らさないように。この先もずっと、まつりの傍にいるために。
     俺はすうっと息を吸った。

    「――うん、一緒に頑張ろう。まつりの努力を、俺はこれからもずっと……ちゃんと見てるから」







     帰り道の途中でまつりと別れて、俺はそのまま家へと帰宅した。自分の部屋に入るなり急いで制服からTシャツへと着替え、頭に巻くバンダナを手に取る。
     数分で用意を終え、さてと部屋を出ようとしたそのとき、カタ、と背後から音がした。
     妙に思って振り返ると、今度は窓ガラスがトントンと軽くノックされる。カーテンの向こうには、うっすらと人影が透けていた。
     傍から見るとかなりホラーな状況だが、それでも俺が至って冷静でいられるのは、その人影に思い当たる節があったからだ。泥棒でもない限り、ベランダから侵入してくる者など一人しか思い当たらない。ましてや泥棒が律儀にノックなどするはずもなく、犯人は自ずと一人に絞られた。
    「ハァ……」
     相変わらず常識外れな訪問の仕方に呆れるが、かといってこのまま放置しておく訳にもいかず。仕方なくカーテンを掻き分けて窓の鍵を開錠すると、目の前には予想通りの人物が立っていた。

    「………ひゅーい」
    「やあ、橙真」

     ベランダからの侵入者……もといひゅーいは、俺が名前を呼ぶと毛先を動物の耳のようにぴょこんと動かして、嬉しそうに微笑んだ。
     まるで犬みたいな仕草だな、と思っていると、ひゅーいはまさに犬よろしく俺に顔をズイッと近づけて「橙真さ、」と口を開いた。初めて会話らしい会話をしたときから、この男のパーソナルスペースはめちゃくちゃ狭い。
    「な、なんだ?」
    「僕がいきなり来ても、全然驚かなくなっちゃったよね? あ〜あ、さみしいなあ」
     さみしい、と言いつつも、目の前のひゅーいの顔には喜色が浮かんでいた。
     思わず、俺の口から溜息が溢れ出る。
    「あのな、ベランダを玄関にするのはやめろ」
    「えー? 警察呼ばれちゃう?」
    「………魔法使いでも、万が一高い所から落ちたら危ないだろ」
    「フッ、あはは!  橙真は優しいね。そういうところが好きだなあ」

     悪びれる様子も無いひゅーいに、俺はフゥ、と再び溜息を吐いた。この調子では、ひゅーいはきっとまた懲りずにベランダから入ってくるのだろう。良い機会だからこの辺りでみっちり説教をするべきなのかもしれないが、残念ながら今の俺にはここで駄弁っている暇はなかった。
    「ひゅーい。悪いけど、俺は今からキャロルに修行に行かなくちゃならないんだ」
    「えっ、もう行っちゃうの?」
    「ああ、今日はちょっと遅れたから」
    「そっか。じゃあ、また見学させてもらって良い?」
    「それはいいけど……」
    「やった」
     すると、ひゅーいはパッと姿を消した。
     どこに向かったかはおおよそ検討がつくので、俺は窓の鍵を閉めると、今度こそ部屋を出た。

     そのまま靴に履き替えて外に出ると、案の定ひゅーいは家の玄関の横に立っていた。そのまままつりの家でもあるキャンディショップ『キャロル』まで二人で歩く。とはいえ、すぐ隣なので十秒もかからずに着いてしまったが。

     俺は師匠に挨拶をすると、いつものように修行場である厨房へと入り、飴作りの準備を始めた。本日はいわうさんが私用で不在なため、師匠はカウンターの方に出るらしい。
     完成した飴のストックは十分あるので急いで作る必要もなく、裏にいるのは俺とひゅーいの二人だけだった。

     器具や材料を用意し終わり、早速飴作りを開始する。普段から師匠が付きっきりで指導してくれるわけではないので、俺は黙々と一人で作業をこなしていくことに慣れていた。
     初手として水飴と砂糖を投入した鍋を火にかけると、部屋の中にはブワッと熱気が充満した。しかし、繊細な温度調整をするため窓を開けることはできない。垂れた汗がじわじわと衣服に染み込んでいく。

     思えば、俺が師匠の下で飴作りを始めてからまず初めに理解したことは、理想の飴を作るには繊細な技術だけでなく忍耐力とスピード、そして集中力が必要だということだった。
     飴を練り上げるには手の平が火傷してしまうほど高温の熱を使用しなければならないし、飴を形成して目的の形を完成させるまでには、たった数分程度しかかけられない。作りたいものが細やかな造形であるほどすぐ冷めて、指や和鋏で変形できないほどに固まってしまう。
     もう何十年も飴を作り続けてきた師匠は、時間なんて気にも留めないような素早い手捌きで様々な動物の飴を形成していくが、そんな技術を持たない俺には、時間との戦いはなかなか厳しいものだった。集中力が少しでも落ちると、完成には間に合わない。まだまだ俺は未熟だった。
     しかしだからこそ、俺は毎日欠かさずに飴を作るのだ。今はできなくても、継続すれば数ヶ月後は……いや、数年後にはできるかもしれないから。気が逸ってしまうこともあるけれど、地道な努力こそが一番の近道だと信じて進むしかなかった。

     何より俺は、飴作りが好きなのだ。好きだからこそ、毎日難題に打ちのめされたって頑張ることができた。


     ひたすら飴作りを繰り返し、時計の短針が一周半した頃。集中力が切れてきたのを感じて、俺は一旦休憩を入れることにした。
     すると、部屋の隅でずっと静かに見学していたひゅーいが俺の元へと近寄ってきた。
    「橙真、お疲れ」
    「お、サンキュ」
     なみなみと水の入ったコップを律儀に渡されて、素直に受け取る。
     頭に巻いていたバンダナを外すと、内側は汗に濡れて色が変わっていた。体外に出てしまった水分を取り戻すように、一気にコップの中身を煽る。喉を通過していく冷たい感覚に心地良さを感じていると、隣から声がかけられた。

    「おいしい?」
    「え? ああ」
    「フフッ、良かった。その水、僕のとっておきの魔法をかけておいたから」
    「は? 魔法……?」
    「そう、僕の気持ちをギュッと込めたんだ」
    「……それは、どんな?」
     俺がそう尋ねると、ひゅーいは意味深に微笑んで、唇を薄く開いた。

     が、そのとき。ひゅーいの近くでポンと軽快な通知音が鳴った。どうやら、ひゅーいが手に持っているタブレット端末から聞こえたものらしい。さっきまでは聞こえなかったから、休憩に入ったときに通知をオンにしたのだろう。
     ひゅーいは手元を覗くと、顔を上げた。

    「今からプリマジが始まるみたい」
    「そうか」

     どうやら先程の返答は流れてしまったらしい。まあ、今一度聞き返すようなことでもないので、俺も追及はしない。
    「そういえば、ひゅーいはプリマジを見に行かなくていいのか?」
    「うん、今日は画面越しに見るよ」
     笑顔でそう言うと、ひゅーいは再び手元に目を落とした。
    「………こうして、どこにいてもプリマジが見られるのは素敵なんだけどな」
    「え?」
     ひゅーいは何かを小声で呟くと、その表情を曇らせた。それを見て「ああ、まただ」と心の中で思う。

     たまにひゅーいが何かを憂うような素振りをするのを、俺はとうに気付いていた。
     それなのに俺が未だ深入りできずにいるのは、何かを訊ねたとしてもきっとはぐらかされるだろうな、と察していたこともあるが、一番はひゅーいに無理して秘密を打ち明けてほしくなかったからだ。

     実際、俺が魔法界でトラブルに巻き込まれたのは、ひゅーいが俺の願いを叶えるために、本来人間には秘密されているらしい魔法界へと俺を連れて行ったことに起因している。
     結果的に俺を拐ったのは「悪い魔女」ではなかったから良かったものの、マントを被っていてもなお「誰か」から隠れなければいけなかったことは確かだった。きっと魔法界やひゅーいの周りでは、俺の知らないところで色々と大変なことが起こっているのだろう。
     そうでなくても、俺に秘密を明かすことで、ひゅーいがさらなる苦労を背負いこむ可能性だってある。何故なら俺は、プリマジスタでも何でもない「チュッピ」だからだ。俺は、まつりの幼馴染として偶然魔法の存在を知ってしまっただけの、ただの一般人に過ぎなかった。

     それに……正直に言うと、俺はどうしたらいいかわからなかった。いきなり魔法界に連れてかれてから、いや、まつりの家の庭に現れた喋る猫が次の瞬間みゃむに変わっていた不可解な現象を見てしまってから、俺はプリマジを取り巻く謎を咀嚼することで精一杯だ。

    『――昔からマナマナはチュッピの力を食べて生きてきたのさ。どんなに親切にしてても欲しいのはあんたたちが生み出すワッチャ。そのために利用してるだけ』

     魔法界で俺を連れ去った魔女ウンディーネは、あのとき俺にそう告げた。彼女の言葉を、俺はたまに思い出す。
     魔法使いである「マナマナ」が、魔法マジのエネルギー源となるらしい「ワッチャ」を手に入れるために、「チュッピ」、つまり人間を利用している――。ウンディーネの話は、なんとなく嘘だとは思えなかった。

     しかし、ひゅーいやみゃむを見ていると本当にそうなのか?と疑問が湧く。
     まつりのプリマジを見ていればわかる。まつりとみゃむが心から信頼し合うパートナー関係を築いているからこそ、まつりのプリマジはあんなに煌めいているのだと。
     ひゅーいだって、プリマジを眺めているときはいつも楽しそうだ。それに、「友だちになろう」と突然抱きつかれたときから今この瞬間まで、ひゅーいが単にワッチャ目当てで俺に近づいてきたとは思えなかった。
     最初の頃は意味がわからず混乱したけれど、今は俺だってひゅーいのことを大事な友人だと思っている。まあ、調子に乗りそうなので、本人には言わないが。

     ……ただ、つい最近ひゅーいに告げられたあの言葉――。

    『マナマナとチュッピの間、かな』

    『橙真……。僕が変わってしまったとしても君だけは僕を信じてくれる?』

     ……あの言葉は、どういう意味なのだろう?
     タブレットを操作するひゅーいの横顔を、ちらっと盗み見る。
     マナマナとチュッピの間って? 何であんたは変わってしまう? どうしてそれを俺に告げた?
     聞きたいことなら山ほどあった。
     ひゅーいは一体何を葛藤しているのだろう。俺にできることはあるのか。俺はちゃんと力になれるのか。そして、ひゅーいが俺に拘る理由は何なのか。
     それが分かれば、もしかしたら――。


    「――ま、橙真。まつりちゃんの出番だよ」

     急に肩を叩かれて、ハッと思考の海から意識が戻る。「あ、やっと気づいた」、ひゅーいはそう言って笑った。どうやら何度も俺に呼びかけていたらしい。
     はい、と横からタブレット端末を差し出される。四つ角の左下を受け取って、ひゅーいとシェアする形で画面を覗き込んだ。
     カメラはちょうど、まつりがステージに立ってコールアンドレスポンスをしている最中を撮っている。
    「フフッ、まつりちゃんは今日もかわいいね」
     隣からの揶揄いには何も答えず、俺は画面の中心で白い歯を見せながら楽しそうに笑うまつりを眺める。

     プリマジスタとしてメイクされたまつりは、普段とは雰囲気が違っていた。水色のメッシュが入った髪は腰に届くほど長く、パフェに載せられたさくらんぼのような赤色をしている。口にも目元にも華やかな色を纏って、煌びやかな装飾がついた衣装もよく似合っていた。
     ずっと共に育ってきたまつりがこのときばかりは俺よりずっと大人に見えて、少しだけ緊張する。

     数秒経って、まつりのマイソングであるマジ・ワッチャパレードのイントロが静かに流れ出した。まつりが最初のワンフレーズを歌い出すと、ステージが一気に明るくなり、満天の星空のように光の粒が舞う。
     ひゅーいも、このステージに魅入っているようだった。
     
    「うん、今日のステージも素敵だね」
    「ああ、まつり、輝いてる」
    「さっきのれもんちゃんのステージもすごく良かったんだ。作業中じゃなかったら、一緒に見たかった」
    「それは……悪い」
    「ううん、大丈夫。きっとプリマジはこの先もっともっと面白くなる、……ううん、俺がそうしてみせるから。そのときまた一緒に見れたらうれしいな」

     そう熱く零したひゅーいは、キラキラした目でまつりのプリマジを見ていた。乱れた一人称には突っ込みを入れないでおく。
     ただ、そのひゅーいの顔を見ていると、自然と俺の頬は緩んだ。
     魔法のような……いや、魔法で輝く夢のようなステージ。楽しそうにペンライトを振る観客の顔。満面の笑みを湛えてパフォーマンスをするまつり。どこを見ても幸福感で溢れた空間が、そこにはあった。
     

     まつりのステージを無事に見届け、壁に掛けられた時計に目を移すと、当初予定していた休憩時間を大幅に過ぎていた。俺が少々焦りながら厨房に立とうとしたそのとき、背後でひゅーいがポツリと呟いた。

    「そういえば、まつりちゃんってさ」
    「ん?」
    「瞳が青いよね。太陽の光を反射して輝く、透明度の高い海みたいな青だ」
    「………何が言いたいんだ」

     顎が俺に肩に触れるほど、ひゅーいが至近距離に詰め寄った。

    「さっき橙真が飴につけてた食紅の色、青だったね。もしかして、まつりちゃんのことを考えてた?」

     そう、ひゅーいが耳元で囁いた。
     突然言われたその言葉に俺は一瞬固まって、内容を理解した瞬間カアッと頬が熱くなった。
     意識したつもりは全くなかったけれど、そう言われると否定はできなかったのだ。むしろ、無意識なら尚更恥ずかしい。
    「あれ、顔赤い。もしかして図星?」
    「……ッ、うるさい」
    「アハハッ! かわいい〜。今日、まつりちゃんに関する何か良いことでもあったのかな? 例えば、一緒に下校できたとか」
    「あんた、見てたのか!?」
    「え、もしかして正解?」
     目を丸くしたひゅーいを前にして、俺は一気に居た堪れなくなった。
    「………俺、修行するから」
    「ごめんごめん! 謝るから怒らないで?」
    「別に、怒ってない」
    「ほんと?」
     ひゅーいが、眉を下げて俺の顔を覗き込んできた。
     まるで親に怒られた幼児のような目をしていて、グッと絆されそうになる。悔しいことに、そんな顔をされてしまったら怒る気すら起きなかった。
    「怒ってないよ、本当」
    「良かったあ。僕、橙真に嫌われたら生きていけないから」
    「なんだそれ」
     手元で着色の作業を再開しながら、俺は小さく笑った。
     青い猫の形をした飴に、目や鼻をちょんと描き込んでいく。少しでもバランスを崩すとこの店の飴らしいかわいらしさがなくなってしまうので、慎重に、丁寧に。

    「……やっぱり、いいなあ」
    「は?」

     小さい声でひゅーいが呟いた。何が、と尋ねようとすると、ひゅーいが作業台の傍らに置いていた箱に手を伸ばした。
    「橙真、これもらってもいい?」
     ひゅーいがひょいと手に取ったのは、ピンポン玉ほどの大きさの、切跡が入って表面がでこぼこした飴。冷めて固まるまでに形成が間に合わず、後で廃棄しなければならなくなったものだ。
     ……俺に技術があったならば捨てられるはずがなかった、廃棄物と化してしまった飴。
    「いい、けど……それは失敗したやつだぞ」
    「知ってるよ」
     でもさ、とひゅーいは睫毛を伏せた。

    「捨てるなんてもったいないじゃない。こんなにキラキラしてるのに」

     ひゅーいはそう言って、飴を親指と人差し指で優しく摘んだ。まるで高級な宝石でも扱っているかのように。
     箱から取り出された飴は、人工の照明の下に翳されると、でこぼこの断面に光を反射させてツヤツヤと光った。

    「橙真が努力した証だもの。どんなものだって、僕には何よりキラキラして見えるよ」

     ……そのとき、俺は。
     飴越しに見えたひゅーいの瞳も、深くて広い大海のような濃い青色だったことに気づいた。
     その瞳が、飴を映してキラリと光る。その向こう側には、俺が。その光景に、俺は息を呑んだ。

     ごく自然に「ひゅーい、」と、俺の喉から声が溢れ出る。「ん?」とひゅーいが首を傾げた。
    「……俺、今日、みゃむとまつりに飴を作る約束をしてるんだ」
    「へぇ、そうなんだ? じゃあ静かに見てるよ」
    「いや、その……ひゅーいも要るか?」
    「え? 今これ貰っちゃったばかりだけどいいの?」
     きょとんと首を傾げるひゅーいに向けて、俺は力強く頷いた。いいの、なんてそんなこと訊かなくたって。

    「いいに決まってるだろ。俺は、俺の作った飴で喜んでくれる人の笑顔が好きで……その人達をもっと笑顔にしたいから、努力してるんだ。だから俺は、ひゅーいにも上手く出来た飴をもらってほしい」


     ――魔法界には、ピカ飴という美しい飴がある。
     ひゅーいに案内された魔法界で、俺はそれを知った。きっとピカ飴は、魔法使いならばいつでも手にすることができるものなのだろう。
     しかし、それでも。まだまだ未熟な俺が作った飴を、ひゅーいは一番に選んでくれた。

     それにひゅーいは、俺と二人で作った飴をまるでお守りのように大切に持ってくれていた。本人は何故かそのことを言わないけれど、俺はなんとなく気がついていた。
     ……もし、俺の飴がひゅーいの力になれているならば。
     飴は保存が効くから、暫くは持っていても問題ない。だから、その時間分はひゅーいが落ち込むことがないように――俺はただ、そう思った。
     今はまだ、俺なんかがひゅーいの力になれるかはわからない。それでも、何かの役に立てるなら。その不安や緊張を少しでも和らげることができるなら。……俺は、それをしてやりたい。

    「確かに俺は、飴を作ってるとき、たまにまつりを思い出すよ。いつも飴を受け取ってくれる人達の笑顔を思い浮かべながら作ってるけど、やっぱり昔から誰よりも考えてきたのはまつりのことだ。それは今もずっとそう……だけど」

     ひゅーいの口元へと、たった今完成した飴を差し出す。今日作ったもののなかで、一番上手く出来たにゃんこ飴。

    「……最近は、ひゅーいの顔も思い浮かべるよ」

     瞬間、ひゅーいの顔が固まった。
     それから数秒経って、俺が差し出した飴を恐る恐る、という調子で受け取ったひゅーいは、そのまま「マナマナ……」と唱えると一瞬光って、その場から消えた。

    「あっ、おい!?」
     脈絡なく突然目の前で消え去られて俺が呆然としていると、数分後、ひゅるひゅると風を切るような音がして、先程より二歩分くらい下がったところに再びひゅーいは現れた。
    「ご、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって……」
    「いや、こっちもびっくりした……」
    「あはは……だよね、ごめん」

     それからふいに、わからないんだ、とひゅーいは零した。「わからない?」と聞き返す。

    「……橙真といると、君の力になりたいって、そのためなら頑張れるって思うんだ。プリマジに無関係のチュッピに干渉するのはルール違反なのに、おかしいでしょう?」

     ひゅーいは目に困惑の色を湛えながら、そう言った。
     俺はなんて声をかけたり良いのかがわからず、その場に立ち尽くすことしかできない。すると、フッと笑ってひゅーいが一歩、二歩と前に足を進めた。

    「でもね、やっぱりこの気持ちを大切にしたいって思うんだ。こういう気持ちになることが、すごく不思議で……口はよく回る方だって自覚はあるのに、何故か言葉に詰まっちゃう」

     青い瞳が俺を映す。
     真剣な表情で、ひゅーいは俺と向き合っていた。

    「橙真はさ、飴が好きだから飴を作るんでしょう?」
    「ああ、そうだよ」
    「僕もね、……好きだから」

     見つめ合った状態で告げられたその言葉に、一瞬俺の心臓が跳ねた、気がした。

    「――プリマジが、好きだから。頑張るよ、マナマナもチュッピも、みんながプリマジを見て幸せになれるように」







     ふと顔を上げると、外はすっかり暗くなっていた。時計を見ると、もう店終いをしなければならない時間だ。
     後片付けを始めるか、と思案していると、横でひゅーいが「あ、」と小さく呟いた。例の如く、髪の先が犬耳のようにぴょんと立っている。
    「もうすぐ、まつりちゃん達帰ってくるみたい。僕もそろそろ帰ろうかな」
    「もう帰るのか? あとちょっと待ってくれれば、家で夕飯でもご馳走するけど……」
    「残念。行きたいのは山々だけど、やらなくちゃならないことが溜まってるんだ。橙真に会いに来るのは僕の癒しだから、帰るのは名残惜しいんだけどね」
     少しだけ表情に翳りを見せたひゅーいは、それでも次の瞬間にはその翳りを笑顔のなかに紛れさせてしまった。
    「じゃあ、また誘うよ」
     考えるより先に、そう口を衝いて出ていた。ひゅーいは目を見開くと、ゆるりと顔を綻ばせた。
    「ありがとう、楽しみにしてる」
    「うん」
    「あと、これも。大事にする」
     失敗作の飴たちを入れた袋と、俺が渡したにゃんこ飴を手に掲げると、ひゅーいは「またね」と呟いて、パッとその場から姿を消した。

    「……今度、犬の形の飴でも作るかな。にゃんこ、じゃないから、わんこ飴……?」

     そんなことをつらつらと考えていると、店のドアベルがカララン、と鳴った。バタバタと聞き馴染みのある二人分の足音が聞こえて来て、まつりとみゃむが帰ってきたのだとわかる。
     カウンターの方へと出ていくと、ちょうど二人もこちらを見た。

    「おかえり。まつり、みゃむ」
    「橙真! ただいまー!」
    「ただいま〜……って、むうっ!?」
    「みゃむ、どうかした?」
    「どうもこうも、この辺りからマジを使った気配がするぞ!? もしかしてアイツ、また来たのか!? ここはこのみゃむ様の家でもあるのに〜〜っ!」
    「あっ、もしかしてひゅーいさん? ふふっ、橙真ったらすっかり仲良しだね!」
    「ま、アイツ友達いないからな〜。お前が構ってくれるのが嬉しくて仕方ないんだろ」

     みゃむの真っ直ぐすぎる物言いと、それをクッションのように受け止めるまつりの会話に苦笑する。
     それに耳を傾けながら、ちょうど二人が揃ったので、俺は作業台に置いていた飴を手に取った。
    「みゃむ。これ」
    「ん? ひゃあ〜っ! にゃんこ飴!?」 
     先程作ったにゃんこ飴を、みゃむに渡す。飴を見るなり、みゃむ顔をパァッと輝かせた。その喜びように、ついこちらまで口角が上がってしまう。
     早速一口舐めたみゃむは、頬に手を当てて唸った。
    「んん〜っ! 甘くてウマい!」
     すると、まつりがみゃむの頬をツンと軽く突いた。
    「こら、みゃむ〜? まずはありがとう、でしょ?」
    「んぐっ、あ、ありがとな!」
    「ん。どういたしまして」

     みゃむの不器用なお礼を受け取って、俺はまつりにも飴を手渡した。

    「まつりの分。今日のプリマジ見てたぞ」
    「えっ、ありがとう! どうだった?」
    「すごくキラキラしてて……まつりを見てるみんなが笑顔になってた。かっこよかったよ」
    「えへへ。かっこいいって言われると、うれしくて照れちゃうね。あっ、橙真が作ったこのにゃんこ飴はすっごくかわいいよ!」
    「ああ、かわいいだろ?」
    「あはは、うん!」
     
     そうやって笑い合っていると、飴をペロペロと舐めていたみゃむが「そういや、今日の夕飯はなんだ?」とまつりを見上げた。
     途端に、まつりが「あー!」っと声を上げる。
    「そうだ!今日はお母さん、お友だちと旅行に行ってて遅いんだ! えっと、おかずは作り置きがあって、おじいちゃんがご飯炊いてくれてるはずだから、私はお味噌汁を作らないと……。あっ、橙真うちで食べてく? たぶん量多いと思うんだ」
    「いや、厨房を片付けたら帰るよ」
    「そっか、わかった! じゃあ、また明日ね!」
    「うん、また明日」

     二人で並んでキッチンへと向かっていくまつりとみゃむの背を見送ると、俺はまだ終わってない片付けをするために厨房へと向かった。



     家に帰り、自室に到着すると、俺は着替えもせずそのままにベッドへと倒れ込んだ。
     飴を作るのは集中力が要る上、平日は学校の授業をこなしてもいるので、気を緩めた途端いつもドッと疲れが襲ってくる。
     これから夕飯を食べ、風呂に入り、宿題に手をつけなければならないと思うと少し憂鬱だった。今にも落ちてきそうな瞼を無理矢理持ち上げながら、せめて寝落ちしないようにとベッドから起き上がると、ふとズボンのポケットの違和感に気がついた。

     ごそごそとポケットに手を突っ込んで中身を取り出す。そこから出てきたのは青い飴だった。
     ……ああ、そうだ。と、思い出す。ほんの気まぐれに、いつもは処分してしまう失敗作を一つだけ持ち帰ってきたのだ。

     俺は、その歪な形の飴を照明へと翳した。
     青く着色したそれは、光を反射して鈍く煌めく。

    「努力した証、か」


     ――ああ、「見られて」いるんだな。
     ひゅーいの言葉を思い出して、俺はふと、そう思った。

     俺が、まつりを元気づけようとして「好きだ」と告白紛いのことをしてしまったことも、飴を作るたびに自分の未熟さを突きつけられて打ちのめされていることも、ひゅーいは知っていた。
     もしかしたら、気づかれているのかもしれない。俺が師匠のような立派な飴職人になれるか毎日不安に思っていることも。今はプリマジの邪魔をしたくないけれど、本当はまつりに俺を意識してほしいと願っていることも。
     落ち込んだり不安になったりしては、そんな気持ちを振り切るように、ひたすら手を動かしてきた俺の姿をひゅーいは見ていたから。


     今現在、俺とまつりの間には、「飴作り」と「プリマジ」という違う土俵でそれぞれ上を目指す、ライバルのような、それでいて共闘相手のような、そんな繋がりが存在している。
     それは飴職人を目指す俺にとっては、とても心強いもので。この繋がりをこの先もずっと大切に持ち続けていくためにも、俺はまつりに一歩だって置いていかれるわけにはいかなかった。
     ……しかし、俺の歩みは遅い。修行の成果が出るのは、いつになるかもわからない。
     俺が停滞している横で、まつりはものすごい勢いで階段を駆け上がっていく。ステージに立つたびに、どんどん輝きが増していく。その成長スピードは、眺めているだけでつい息を呑んでしまうほどだ。
     ただ、それでも。俺はそんなまつりを下からただ見上げているだけの存在になるのは御免だった。
     俺の登らなければならない階段は、一歩上がるだけで息切れしてしまうような、気が遠くなるほどに辛く、長い道のりだとわかっている。
     だけど俺は、俺の持つ可能性や努力、繋がりの何一つだって諦めたくはなかった。


     ひゅーいは、そんな風に追いかけるばかりに必死で不恰好な俺を、まるで眩しいものでも見るかのように眺めてくる。
     そういった視線に慣れていない俺は戸惑うばかりで、奇妙な感覚を覚えるけれど。自分の努力を見ていてくれる誰かがいるというのは、存外悪くなかった。


     ――この青い飴は、瞳のようだった。
     俺が見つめる瞳と、俺を見つめる瞳。二人の、キラキラした海のような瞳。
     それを、俺は静かに口へと運んだ。

    「甘い……」

     口内で転がしたそれは、とうの昔に慣れてしまった味がする。毎日練って、触れて、形を変えて。そうして俺が作り上げてきたものだから、当然だ。


     ……なのに、ほんの少しだけ。
     舌に載った甘さの中に、わずかなしょっぱさを見つけてしまったのは――まだ俺の技術が未熟だからか?

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    DONE【まりすず】20歳になったまりあちゃんに「大人」と「子ども」の壁を感じて焦っている19歳のすずちゃん。お互いを大切に想うあまり、ちょっとしたトラブルが起きてしまいます。
    リングマリィの2人とラビリィがこれからも共に生きていく決意や覚悟の話です。お酒に超つよいみらいちゃんが出てきます。
    pixivにも同じものを載せてます。
    ビタースウィートに溶ける すずがまりあと出会ってから、片手の指じゃ数え足りない年数が経過した。どんどんかわいくかっこよくなっていくまりあを、すずはいつも一番近くで眺めていた。
     そんな穏やかな日々を積み重ねた先で迎えた、半年前のアイスクリームの日。
     その日、まりあはとうとう二十歳になった。

     ……そう、まりあは一足先に「大人」になってしまったのだ。一つ年下のすずを残して。





     先日ブロードウェイでのミュージカルが休演期間に入り、リングマリィは久々に帰国していた。
     二人がキラ宿にいることは配信でも伝えており、みらい先輩から「食事でもいかない?」とメッセージがきたのが三日前のこと。すずとまりあは喜んで「いきたいです!」と返信し、トントン拍子でリングマリィとミラクルキラッツの食事会が決まった。
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