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    ろまん

    @Roman__OwO

    pixivに投稿中のものをこちらでもあげたり、新しい何かしらの創作を投稿したりする予定です。倉庫です。

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    ろまん

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    【矢久】白星・風雲児の合同任務の結果に責任を感じた久森が、神ヶ原からの頼みを引き受けて矢後をGPSアプリで1週間監視することになる話です。超かっこいい武居が出てきます。
    バケツ通信で書き下ろされた久森回の内容に触れています。
    pixivにも同じものを投稿しています。

    #矢久
    longTime

    罪滅ぼしモニタリング 特殊イーターの出現予報が出てから急遽立てられた討伐作戦は、最終段階として久森の未来視をもとに各ヒーローの配置場所が決定された。
     しかし、作戦決行までのいずれかの段階で未来が変わってしまったらしい。
     一体だけだと予想されていた特殊イーターがもう一体出現し、共同戦線を張っていた白星と風雲児が分断されてしまった。さらに想定外だったのは、逃げ遅れた住民が数人いたことだ。その住民達をシェルターに届けるために志藤と御鷹が途中で離脱したことで、白星の得意な連携攻撃がうまく作用せず苦戦を強いられた。無事に任務が完了したことは、不幸中の幸いだったといえる。
     それらはすべて、久森が視たはずの未来では起こり得なかった出来事だった。今回の任務はイーターこそ厄介なものの、比較的楽に終わるはずだったのだから。

     勿論、作戦が上手くいかなかった責任の所在は久森にはない。未来が変化する要因は、未知の部分もあるものの大抵は個人の介入できない超自然的な現象だ。そこには誰の責任も発生しない。当然周りを見ても久森を責める者などおらず、責任の一端が久森にあると考える者すらいなかった。
     しかしだからこそ、任務に貢献できなかった現実を前に、久森は罪悪感を増幅させていった。事実として、最終的には未来視で配置場所を判断したのだから。
     ――もう少しだけでも正確な未来を見ることができなかったのか?
     そんな後悔がひたすら押し寄せる。

     だが久森が視た未来は、視た時点では「起こることが確定した未来」だった。「正確な未来」はちゃんと視ることができていたのだ。だから自分はできることをしたと、そう納得しようとしたが………結局納得はできなかった。
     どうやら久森は、そう簡単に物事を割り切れるような性格ではなかったらしい。

     ヒーロー任務において久森の未来視はとても便利な代物で、この能力ありきで計画だって練られることもある。身の丈に合わない能力を持つ憂鬱を、ここでは誰かの役に立つことでプラスに働かせることができる。それはプレッシャーでもあるが、自らの在りように少しだけ自信を見出せる行動でもあった。
     しかし、それで未来を外してしまったらどうしようもなく……。珍しいことに、久森はかなり落ち込んでいた。

     普段、趣味のゲームや個性豊かなヒーロー達に振り回されているとき以外であまり感情が波立つことはない久森は、酷く落ち込むことも稀少だ。
     母から「集団でいるより一人でいる方が良い」と言われ、長らく人付き合いをしていなかった時間がその性格を形作った部分もあるが、同時に、母からのアドバイスに従って他人に介入することもされることもなかったからこそ、ある程度は平穏無事に生きてこられた。良い意味でも悪い意味でも、これまでの久森の人生は凪状態だったのだ。

     しかし、ここでは違う。
     皆が久森の能力を知りながら受け入れ、我欲ではなく他者の安寧のために役立ててくれる。歳が近い仲間達に、何も隠さずに接することができる。共にくだらないことで笑い合える。これまで無意識に押さえつけていた感情が、自然と溢れてくる。そんな日々が楽しくて、嬉しくて。久森は、そんな人達のために役に立ちたかった。
     だから、それがうまくいかなかった今回、久森は落ち込んだ気持ちを浮上させることができずにいた。自分一人の失敗は少し落ち込めば自然と回復する。けれど、他者を巻き込んだことで発生した罪悪感については解消方法を知らなかった。ゲームをやっていてもネガティブな気持ちが紛れず、久森は途方に暮れていた。


     ……そんなときだから、うっかり了承してしまったのだ。誰かの役に立つことで、このモヤモヤが解消されるかもと思って。
     落ち込んでいる久森以上に、寝不足で判断力が胡乱になっていた神ヶ原からの突拍子のない「お願い」に。





    「矢後さんにGPS付けていいですか?」

     月曜の昼休み。三年の教室に突然来てそう告げた久森に、矢後の周りを囲む「舎弟」を名乗る三年の先輩達は、一気にどよめいた。

    「え?副長は総長になにを付けるって言った?」「バッカお前! 副長が総長に差し上げるものなんてスゲーもんに決まってるだろうが!」「よくわからねー単語だったがありゃきっと、おフランス語よ」「さすが副長!パネェ〜……!」等々、どうしてそうなった?と叫びたい反応があちこちから上がり、久森は話しかける場所を失敗したことを即座に悟ったが、時すでに遅し。
     風雲児の「副長」がわざわざ教室まで足を運び、「総長」に会いに来たという事実に、場はすっかり沸き立ってしまった。しかし――。

    「は?ヤだ」

     不良達の騒めきは、総長である矢後の一言によって一気に静まりかえった。
     騒がしさに叩き起こされて不機嫌に細められたその眼差しには肌が粟立つほどの迫力があり、東成都の東エリアで不良達の頂点に佇む男の睨みに、皆が固まる。ただ、矢後と共にいる時間が多いため、すでに慣れ切ってしまった久森にはさほど効果がなく、固まる不良達のなかで一人マイペースに「これは困ったなあ」と考えていた。

    「うーん、まあ、そうですよねぇ。僕だって気が進まないんですよ?でも約束しちゃったし……」

     だが、そう言ったところで矢後の不機嫌そうな顔も変わらない。仕方がない……と、久森はこうなった経緯を説明することにした。

    「実は昨日、神ヶ原さんに頼まれたんです。今ALIVEで避難用のGPSアプリを開発中らしいんですが、そのモニターになってほしいと」
    「もにたー?」
    「うーんと……。アプリを実際に使ってみて、良かった部分とか足りない部分とか、とにかく何か意見や感想を述べてほしい、ってことですね」
    「? わかんねー……。つーか、そもそもそもジジィがなんとか、ってなんなんだよ」
    「あ、やっぱりそこからです?まあ確かに矢後さんがGPSを知ってたら驚きますけど……」
    「あァ?」

     一層と鋭くなった目つきにヒィッ!?っと周りから怯える声がするが、やはり当の久森は意に介さない。淡々と、そしてナチュラルに失礼を重ねていく。その様こそが最恐の副長として畏敬の念を集めてしまうの要因なのだが、本人は気づいてすらいなかった。

    「矢後さん。GPSっていうのはグローバル・ポジショニング・システムの略称でして……」
    「グロ、死す?へぇ、そいつつえーの?」
    「いや、一体どんな変換してるんですか?全然違いますよ。グロテスクでもないし強くもないです。まあ、元々軍事利用するために作られたものではあるみたいですけど……」
    「ふーん、武器?」
    「だから、違いますって!」

     なかなか伝わらずどうしたもんか、と久森が考え込んでいると、なんだか周りが一気に騒がしくなっていることに気付いた。
     教室を見渡すと、いつの間にかたくさんの不良達が矢後と久森を囲んで肩を組んでいるではないか。何故?しかも異様に興奮している。恐怖を感じる光景を前に、冷や汗が出る。
     すると「緋鎖喪離副長ッッ!!!」と、久森は一番近くに立っていた不良に声をかけられた。今この場にいるのは殆どが三年の先輩だ。年上の人達が中腰になって自分を見ているのは、とてつもなく居心地が悪い。あと、顔の圧が強い。

    「すんません!今のお二人の話を勝手に聞いちまってたんスけど……つまり副長は、総長に他校との喧嘩に役立つ兵器をプレゼントしたいっつーわけっスよね!?」
    「は……はい?!???」

     どうすればそんな誤解が生じるんだ……!??と、久森が戸惑っているのを他所に、周りはどんどん誤解をヒートアップさせ、勝手に盛り上がっていく。
    「エッ!そーなんか!?ヤベーー!!!」
    「さすが副長……ッ!レベルがちげぇよ……」
    「み、皆さんちゃんと話聞いてました!? いや別に聞かなくていいんですけど…!」
     久森の必死の訴えもむなしく、不良達の暴走はとどまることを知らないまま熱量だけが膨れ上がる。そしてとうとうその中の一人が声高に叫んだ。

    「これは全校生徒に伝えねーと!!!」
    「は!?」
    「ッシャア!!俺達は一年のクラス行ってくるわ!」
    「んじゃコッチは二年の階で叫んでくるぜ」
    「え!?まってまって!!違いますよ…!!?え、ちょ、本当に待って!!」

     久森の必死の制止も効果はなく、矢後の周りを囲っていた不良達が一気に教室から走り去っていく。
     一転して静かになった教室には、矢後と久森だけが取り残されることとなった。

    「……で?お前はなんの用事があったわけ」

     風に吹かれたプリントの束がパラパラと捲れる音だけが聞こえる空間に、矢後の低音が響く。
     先程の騒ぎが嘘のように、矢後はいつも通りだった。おそらく何も気にしていないのだろう。そんな矢後を見ていたら、走り去っていった不良達を追いかけても結局徒労で終わってしまう気がして、久森は渋々後を追うのを諦めた。後が怖いが、そのときはそのときだ。こういうのを、問題の先送りと言うのだろう。
     未来を視ずとも面倒な結果になるのが予想できて、思わず遠い目になる。

    「ああ……GPSの説明を聞きたいんでしたっけ?」
    「ちげーよ」
    「えっと、このシステムを使うと宇宙にある衛星によって僕達の今いる位置が把握できるんです」
    「おい」
    「まあ、僕もネットでちょっと調べただけなので、そこらへんをうまく説明できる気がしないんですよね……。というか、もはやそんなことどうでもいい気がしてきたような……」
    「はあ?」

     矢後が呆れた表情を浮かべるが、騒ぎで疲弊している久森はそれに気づかない。しかし、ふらふら彷徨っていた視線が矢後のスマホを捉えると、この教室に来た当初の目的を思い出したのか、久森はハッとした顔つきになった。

    「や……矢後さん」
    「お、意識が戻ったな」
    「まあ、はい……。というかあの、本当の本当に切実なお願いなんですけど、GPSアプリを矢後さんのスマホにインストールさせてくれませんか?一週間でいいんです」
    「……よくわかんねーけど。頼まれたのはお前だろ?お前がやればいーんじゃねーの?」
    「え、四六時中居場所を特定されるなんて絶対嫌ですよ」
    「お前……。つーか、じゃあなんで引き受けたんだよ」
    「それは……」

     ――この間の白星との共闘任務からずっと引きずっている罪悪感を、「人のためになる良いこと」をして無くしたかったから。

     それが、衝動的に引き受けてしまった理由だ。
     神ヶ原に頼られて、自分が役立てるならと求められるままに了承してしまった。

     ただ、引き受けた当初は矢後を巻き込むつもりなんてなかった。
     久森は勘違いしていたのだ。てっきり自分だけで足りると思っていたのだが、よくよく話を聞くと、神ヶ原は「久森と他の誰か一人」でモニターをしてほしいと頼んでいた。
     しかし、それは難しい条件だった。だって「自分を監視して下さい」なんて、どうやって、誰に頼めるというのか。

     訓練施設で顔を合わせる認可代表校のヒーロー達は、数人の破天荒でやや危険な人達を除けば、一週間くらいならGPSで行動を見られても別に良いかな、と思えるけれど。それでもこんな図々しくも何の得にもならないお願いは、誰にもできない。
     だったら自分が監視する側に回るしかないと思ったけれど、当然ながらそちらの方が遥かにハードルが高かった。自分が今どこにいるかなんてそんな個人的なこと、特別親しい人間以外に知られたい者はいないだろう。いたとしても奇特な者だけだ。
     久森は迷った。神ヶ原に言って断りを入れようとも思ったが、しかし引き受けた以上それを反故にもしたくない。けれど、無理なものは無理だ。

     ただ、そんなときだった。「あ、あの人がいるじゃないか…!」と久森が気づいたのは。「あの人」とは勿論目の前にいる矢後のことだ。
     毎度毎度、久森が未来視を使ってまでヒーロー任務に引っ張り出しているこの先輩は、思えば常日頃から久森に監視・追跡されているようなものだ。多分。
     ということは、つまり。
     久森が監視する側に回っても矢後には申し訳なさが込み上げないし、矢後だって久森に居場所を把握されることに対して慣れがあるはずだ。

     ――そういう経緯があって、久森はただ今、矢後相手にお願いをしていた。

    「……まあ、僕にも事情があってですね」
    「ハァ?」

     しかし、馬鹿正直にその理由を言うわけにはいかない。だってそうしたら、久森がらしくなく落ち込んでいることを矢後に知られてしまう。この人は案外察しが良いから、そこそこ厄介なのだ。
     よって、久森はただひたすらにお願いすることしかできなかった。

    「お願いします。……こんなこと頼めるの、僕には矢後さんしかいないんです。引き受けてくれませんか?」
    「………」

     ここで矢後に断られたら、神ヶ原に断りにいかなければならない。それはどうしても避けたい。
     すると少し間が空いて、矢後な床に突っ伏してしまった。「えっ」と久森が困惑していると、矢後が小さく「メンドーだから勝手にしろ」と呟いて、すうすうと寝始めた。ここは教室の床なのに平然と寝られるところがすごい。
     ……というか、この人は今「勝手にしろ」と言わなかったか?
    「えっ!あのっ、それって僕の好きなようにしていいってことですか!?」
    「………」
     そのとき久森の目には矢後がわずかに頷いた…ように映った。

    「やったー!矢後さん、ありがとうございます!じゃあ僕が色々とやっておきますね!」

     ポケットから拝借した無用心な矢後のスマホは、認証の必要さえない。久森はこれ幸いと、神ヶ原から教わった手順通りにそのスマホを操作していった。





     矢後のスマホにGPSアプリをインストールしてから三日が経った。
     
     三日もあれば、アプリの操作に慣れてしまうというものだ。
     避難用というだけあって文字の大きさや色使いなどに配慮がなされている画面は、スマホを日常的に使う若年層の久森にはとてもわかりやすい。たまに案内役として登場するバケッシュもかわいくて、子どもも見やすそうだ。久森はモニターなので操作面にも評価を下さなければならないが、今のところ問題は感じられない。
     提出用として書いているレポートにそのように記入しつつ、久森は再びマップを開いた。数十分前に開いたばかりなのに、つい開いてしまう。
     そう……問題があるとするならば、アプリではなく久森の方にあった。

     久森は、矢後を追いかけることにハマっていた。

     ……正確に言うと、アプリのマップ上を動く人型の赤いピン、つまり矢後の現在位置を眺めることに夢中になっていた。
     先輩をアプリで監視する――そんな趣味がうまれつつある自分を、かなり不味いと感じている。結構な大問題だ。
     しかし、のろのろとマップ上を移動する赤いピンを眺めるのは、放置型のゲームを見ている感覚に近くて楽しいのだ。猫のように行動が気ままな矢後は、行く先も様々でついついアプリを眺めてしまう。

     アプリを見ていて分かったことだが、矢後は久森が思っている以上に行動範囲が広かった。風雲児の校舎内にいることもあれば、近所の空き地にいたり、公園にいたり、はたまた隣町にいることもある。
     昨日など、授業中だというのに町の隅にある駄菓子屋の近くで三時間ほど微動だにしなかった。さすがにそのときは持病で倒れているものかと思い授業を飛び出して駆けつけたが、矢後はただ駄菓子屋のおばあさんに招かれて畳の上で爆睡をかましていただけだった。

     そうやって困惑させられたりハラハラさせられたりすることもあるものの、久森はそれすらなんだかんだ楽しんでいた。矢後が辿った跡から彼がお気に入りとしている昼寝スポットの存在を発見するのはなんだかわくわくしたし、パトロールに引っ張り出す際に手元を眺めればすぐ直行できるのは楽だった。
     ……まあ、たかが位置情報を把握しているだけだというのにここまで夢中になれる自分にちょっと引いたが。

     実際、矢後の行動を追跡することが楽しいなんてどうかしてると自分で思う。矢後は久森にとってただの同校の変な先輩であり、そんな先輩を四六時中追いかけてるなんて、まるでストーカーだ。神ヶ原の頼み事とはいえ、ここまで没頭してるのはさすがに不味い気がする。
     恋人や家族でもGPSを取り付けることには同意の確認が必要なのに、そこまで確かな繋がりのない久森と矢後が、監視してされての関係を構築している。実に奇妙だ。
     束縛の強い恋人でもあるまいし、矢後に絆や執着などの強い感情もない久森としては、自分の不可解な感情の出所が全くわからない。
     しかし不思議に思いながらも、指はまた勝手に動いて矢後の現在位置を確認してしまう。

    「今いるのは、隣町の廃工場?な、なんでそんなところに……。ま、どうせ喧嘩でもしてるんだろうなぁ」

     ただ――。いつも規格外で、ふらふらと気ままに動く矢後が、久森の手元にある小さな画面のなかで動いていることには、なんだかちょっとした「違和感」があった。



     それから特に何事もなく日々は過ぎていき、アプリのモニターを始めてから本日で五日目となった。
     つまり、もうすぐモニター生活は終わる。そう思うと、なんだか意外とあっけなかった。
     この一週間は、久森がGPSアプリに夢中になってしまったことと、「副長が総長に兵器を贈った」という誤解が校内外に広まりきったせいでさらに物騒な二つ名が追加されてしまったこと以外、実にいつも通りだった。どちらも勘弁してほしい事象だ。

     しかし、今日は土曜日。学校は休みとはいえヒーロー訓練はいつも通りあるが、ようやくゆっくり羽を伸ばせる。
     すでに午後練は終わってしまったので、夕食まで暇だ。出かける用事もないので、久森は訓練施設の自室のベッドでだらだらと寝転がりながら、ゲームで開催中のイベントポイントを稼いでいた。

     暫くゲームに夢中になっていると、誰かが久森の部屋のドアをコンコンとノックした。誰かが自分に用事があるなんて珍しい、と思いながらゲームをオフにして立ち上がる。
     この部屋に訪れる人なんて御鷹か斎樹、あと矢後くらいしかいないから、ノックをするということは前者のどちらかだろう。そうアタリをつけてドアを開いた久森は、予想外の人物の出現に固まった。

    「……えっ」

     そこにいたのは、武居だった。
     予想外のことに、思わず久森の口からは間抜けな声が出る。

    「おお、久森。いきなり悪いな」
     堂々と目の前に立つ武居は、きょろきょろと久森の部屋のなかを見渡した。

    「お前、今は矢後と一緒じゃないのか?」
    「へ?は、はい……」
    「マジか。アイツ、食堂にも部屋にもいなかったんだよな」
    「……ええと、武居さんは矢後さんを探してるんですか?」
    「ああ。アイツに用があるんだよ」
    「それ、ALIVEチャットじゃダメなんですか?」
    「あの万年寝太郎、寝てるとスマホ全然見ねーだろ?一応連絡はしておいたんだが、忘れねーうちに直接言っておきたい」

     ……ま、真面目だ。
     久森は思わず心の中で呟いた。
     個性的なヒーロー達のなかでも、武居の実直さと真面目さは突出している。いつだって努力を怠らないし、他者に厳しいがそれ以上に自分にも厳しい。ただ、そういうところが怠惰な方に流されやすい久森とは相性が食い違いそうで少々怖いのだが、優しく良い人なのはわかっているので、素直に尊敬もしている。
     だから武居が困っているなら力になりたい。というか、矢後のことに関しては勝手に監督責任みたいなものを感じてしまうので、是非協力させて欲しかった。

    「あの……僕、矢後さんの居場所がわかると思うので手伝います」
    「いや別にお前がわざわざ視なくても…」
     武居がそう言い切る前に、久森は慣れた手つきでアプリを開いた。マップ上をゆるゆると動く赤いピンを辿ると、どうやら現在目当ての人物は外出中のようだ。
    「矢後さん、寮内にはいないみたいですね」
     久森がそう言って顔を上げると、武居が愕然とした表情で久森の顔と手元のスマホを交互に見ていた。

    「………おい。それ……なんだ?」

     ……し、しまった。ここ数日アプリに没頭していたせいで、ごく自然に武居の前で開いてしまった。目力の強い武居に見つめられて、久森の大きな瞳がきょろきょろと左右に泳ぐ。
    「え〜〜、えっと……」
     まさか「矢後さんのスマホにGPSアプリを入れて監視してるんです」なんて本当のことを伝えたら、あらぬ誤解がこの訓練施設中に広まるのは目に見えている。二つ名が増えたりするのはまだ我慢できるが、そのとんでもない誤解だけは本当に勘弁したい。
     ……しかし、いくら考えても上手い誤魔化し方が全く思いつかない。武居がじーっとその黒目で久森が話し出すのを待っているというのに。

    「えーと、あの、これはですね……」
    「……ああ」
    「かん……。い、育成ゲーム、的な?」
    「……お前、今『監視』って言いかけなかったか?言いかけたよな?」
    「い、言いかけてませんよ?!」

     すると、武居が大きな溜息を吐いて久森の肩を掴んだ。結構力が入っている。ちょっと痛い。

    「……あのな、久森。いくら矢後が救えねーくらいのバカでアホでも、マジでクソほど手のかかる超バカでも――」
    「今『バカ』って二回言いましたね」
    「……お前がそこまでしなくてもいいんだぞ?矢後と一緒に道を踏み外す必要はねえ。自分の人生を大事にしろ。な?」
    「い、いや、別にそんな…」

     マズい。めちゃくちゃ誤解されている。そしてめちゃくちゃ心配されている。
     ついに武居は、表情に憐れみを浮かべて久森を見始めた。
    「お前、相当疲れてるんだな……。まあ、あの矢後の面倒見てんだから当然か。久森お前、何座だ?」
    「へ?射手座ですが……」
    「今週の射手座のラッキーアイテムは猫のキーホルダーだ」
    「あ、ありがとうございます…?」
     何故、ラッキーアイテムを……。久森が要領を得ないままとりあえず礼を言うと、武居は頷いて久森からパッと離れた。

    「んじゃ、俺は外探してくるわ。邪魔したな」
    「え、僕も手伝いますよ!?」
    「いい、いい。お前はゆっくりしてろ。たぶん、この間の任務の疲れも溜まってるんだろ」

     武居のその何気ない言葉に、久森は硬直した。

     ――『この間の任務』。

     久森の未来視が役に立たなかった、あの日のことだ。白星のフルメンバーが揃わず、武居にはきっと多大な負担をかけてしまった。思わず声が小さくなる。

    「あ、いえ……僕は全然……」
    「何言ってんだよ。お前が視てなかったらイーターがいつ来るかも予測できなかっただろーが」
    「で、でも僕、ほとんど役に立たなかったですよ。武居さんにもご迷惑をおかけしてしまって……」

     久森が俯いてそう呟くと、一瞬場に静寂が流れた。
     すると、ハァと溜息を吐いた武居が頭をガシガシと掻きながら久森に近づき、再び向き合う形となる。
     真正面から武居の鋭い目線に貫かれて落ち着かない。だが、目を合わせないのは失礼かもしれないと恐る恐る顔を上げると、そのタイミングで武居が切り出した。

    「いいか?久森」
    「は、はい……?」
    「作戦ってのはな、うまくいけば儲けもんなんだよ。まあ、ダメ元で立てる作戦や戦略なんて意味ねぇし、全部計算通りにいけばそれに越したことはねぇがな。だが、全員が必死こいて考えて、組み立てて、それでも成功すりゃラッキーなんだ」
    「も、儲けもん……」
    「そうだ。ただでさえ俺達は、宇宙からやってくる謎だらけの生命体を相手にしてんだ。当然、イレギュラーは起こる」

     「ただな、久森」と、武居が久森の肩下を拳でトンと小突いた。
    「お前の能力を使えば、その『イレギュラー』の範囲をスゲー小さくできるんだよ」
    「………」
    「それは、お前にしかできねえ。努力してもどうにもならない能力だからな、お前のそれは」
     それに、と武居は続ける。
    「この間は、未来視で特殊イーターがくるってわかってたから、戦闘準備が出来てるヒーローが七人も待機してて余裕があった。お前んとこの戦闘狂の軍艦巻きなんてイーター増えて喜んでたじゃねーか」
    「……あのときの矢後さんにはこちらが振り回されました……」
    「だろ?」
     武居はハッと笑った。呆れながらも、愉快さが混ざってるような顔だ。
    「まあ、反省があるってんなら落ち込むよりも次に活かす努力をしろ。俺はずっとそうしてきた」
    「は、はい」
    「大体な、俺だって伊達に毎日走り込んで特訓してねーんだよ。あんくらいヨユーだ、ヨユー」
    「武居さん……」
     武居の言葉に、ここ数日抱えていたどんよりとした罪悪感が段々と軽くなっていく気がした。

    「……あの、武居さん。ありがとうございました……。なんだか少し気持ちが楽になった気がします」

     久森が礼を言うと、武居はぶっきらぼうに「そりゃ良かったな」と零した。照れ臭いのか、久森に背を向けてすたすたと歩き出してしまう。
    「あー、らしくねぇ。らしくねーことしちまったぜ」
     そう呟く背中を感謝の念を込めながら眺めていた久森だが、ハッと気付いて武居を追いかけた。
    「あのっ、矢後さんを探すのやっぱり手伝いますよ!」
    「いや、いい。お前はゲームでもしてゆっくりしてろ。じゃーな」
     そう言って、手をヒラヒラと振って武居は歩き去っていく。思わず久森の口から「か、かっこいい……」と素直な感想が溢れ出た。


     部屋に戻り、久森はベッドにぽすんと横たわった。
     武居と会話している途中から、このところ白星のメンバーやALIVEの職員とすれ違うたびに罪悪感で強張っていた心が、するすると解けていくような感覚があった。いくらゲームをやってもGPSアプリに没入しても無くならなかった重苦しさが、たった数分の会話で消えていく。

     そこで、久森はようやく気づいた。
     武居のかけてくれた言葉は勿論だが、自分にとって何よりもありがたかったのは、「悩みに親身になってもらえた」ことだったのだと。

     久森はこれまで、誰かに自分の苦しみや悩みを吐露した経験が殆どなかった。
     会話自体はできるものの、友人と素直に呼べる同級生はいないに等しかったし、ましてや相談事を分かち合った経験だって記憶にもない。
     家族に対してもそうだ。
     久森の能力に勘付いた頃から、父は何か金銭的な不安があるたびに久森を金儲けに使おうとして、その度に母は激昂した。優しかった両親も変わっていき、至って穏やかだった家庭内は段々とぎくしゃくしていった。自分の能力によって平穏が壊れていく過程を、久森はずっと内側から見てきた。もうこれ以上家族に迷惑をかけるわけにはいかないと、久森は自分の抱えた問題を親にも打ち明けないようにしてきた。
     それに、母から「普通でいなさい」、「一人でいた方が良い」と幾度も言われてきたことで、久森は自ずと独りでも生活できるスキルが身についていた。大抵のことは自分で解決してしまい「他人に頼る」必要もなかった。
     今思うと、それらの具体的なアドバイスを自分に授けた母は、もしかしたら自分と同じ能力を持っていたのではないか――そう考えたこともあるけれど、そんなことを尋ねるにはあまりにも距離が遠くなりすぎていた。物理的な距離もそうだが、心の距離も。間違いなく家族で、自分のことを想ってくれているのはわかっているのに、だ。
     そんな経験があるからこそ、久森は他人に自分を打ち明けたり、寄りかかったりすることがとても苦手だった。

     しかし、今いる場所では違った。
     久森が困っていれば、周りにいる皆が助けてくれる。それは彼らがヒーローだからでもあるが、久森を仲間だと思ってくれているからだ。
     これまで久森が人を遠ざけてきた要因である能力を知っていて尚、皆が普通の友人のように、普通の先輩のように、普通の後輩のように接してくれる。
     矢後に能力がバレて無理矢理ヒーローにさせられた当初は、こんな繋がりができるなんて想像もしていなかった。
     だからこそ今回、そんな大切に人達に迷惑をかけてしまった罪悪感で落ち込んでしまい、何か他の「役立つ」ことをして挽回しようと思ったけれど……本当にすべきは、そんなことじゃなかったのかもしれない。
     武居の態度を見て、久森はそう気づいた。

     戦闘や平和に役立たせることが可能な未来視能力は、確かにヒーロー活動において重宝される。だが久森は、その能力をヒーロー活動時以外は極力使わないようにしていた。
     その信念とも呼べないようなこだわりを、皆が受け入れ、尊重してくれている。日常生活上で度々遭遇する未来視を使えば楽な場面でも、決して久森を「使う」ことはなかった。
     ここにいる人々は、特別な能力を持つ久森が「便利で役立つ」から良くしてくれているわけじゃないのだ。
     まあ、矢後に関しては何とも言えない部分はあるけれど、あの人だって、戦闘時以外は久森の能力を使うことはしない。
     それはただ、あの人が戦闘欲以外に持ちうる欲が、睡眠欲、食欲くらいしかないからかもしれないが……。でも多分、だから矢後といるのは意外と楽なのだろうな、と思う。
     ヒーロー活動にだけ未来視を使いたい久森と、戦闘時にだけ未来視を必要とする矢後。全然共通点はないけれど、そこだけは奇跡みたいに一致して、今いるこの場所があるのだ。
     普段は不運な出来事だったと何度も後悔している出会いだけれど、良い方に解釈すれば、矢後との出会いこそが、久森にも視ることができなかった今の未来を連れてきてくれたのだ。

     だから――。
     そんな人達に抱いた罪悪感を、久森自身が「自分が役に立てること」「自分が有用であること」を証明し、確認することで解消しようとしたら、きっとダメだ。
     武居は「反省があるなら次に活かす努力をしろ」と言っていた。おそらくこの場合久森がすべきなのは、誰かの役に立つための努力でも、悩まないための努力でもない。久森が「誰かに頼る」努力だ。

     武居に悩みを掬い取ってもらえて気が楽になったように、一人で抱え込んで悩みをこね回すよりも、誰かに頼ったり悩みを聞いてもらったりする努力が、おそらく久森には必要なのだ。
     ……それを実践するのは、少し怖い。
     悩みを聞いてもらうことは、自分の内側を打ち明けることでもあり、重たい荷物を背負わせてしまいかねないことだから。もしかしたら、迷惑だってかけてしまうかもしれない。
     だが、それでも。久森はここにいる皆が、他者の悩みを邪険にしない人達だと知っている。
     だからこそ。次からはその恐怖を乗り越えてでも誰かに頼れたらいいな、と思った。



     近くにある置き時計を見ると、針は夕方に差し掛かったばかりの時刻を指していた。
     夕飯までにはまだ時間があるが、気力が戻ったら今度はなんだかお腹が空いてきてしまった。
     コンビニにでも行こうかな……と思いスマホを探そうとして、そういえばずっと手に持ったままだったことを思い出す。GPSアプリも起動したままだ。久森は、あんなに没入していたアプリの存在をすっかり忘れていた。

     液晶画面に目を落とすと、矢後は八草市の町中を歩いているようだった。寝床探しの散策でもしているのだろうか?と足跡を辿ると、矢後の歩みからあることに気がついた。

    「……このルートって」
     ――病院へと向かう道のりだ。

     矢後がおそらく目的地として向かっているのは、八草中央病院だ。
     矢後が大怪我をしたり、呼吸不全で倒れたりするたびに運びこまれる場所。久森だってもうすっかり道を覚えてしまうくらいには、矢後の付き添いや見舞いで何度も訪れたことがある。
     おそらく今日は、定期検診の日なのだろう。矢後といると、なんとなく病院に行く周期がわかってくる。それに、矢後が自ら病院に向かう用事といえば殆ど定期検診がある場合だ。毎回サボろうとしているが、大抵は母や姉にせっつかれて渋々向かっている。今回もおそらくそうなのだろう。

     のろのろと動く赤いピンを見つめる。
     幼少期から矢後が通っているその病院は、ここら一帯で一番大きな病院だ。死期が近い重病患者が何人も入院している。
     以前、久森が見舞いと業務連絡のために矢後の病室に通っていた際、数日前まで人がいたはずの隣室がすっかり片付けられているのを見たことがあった。両親と三人暮らしな上に親戚付き合いもあまりなく、祖父母の存在も縁遠かった久森にとって、「死」は身近に感じるものではない。
     それでもあのとき空っぽの病室を見て、何故か喪失感が襲った。
     数度顔を見ただけの人だったのに、話したこともなかったのに。片付けられて真っ白になった病室を見ると、何かが決定的に自分の生きる世界から「足りなくなった」気がして、ショックだった。
     ……おかしなことだと思う。
     普段はヒーローとして、一歩間違えば死に直結するイーターとの戦闘をまるで日常のようにこなしているというのに、それでも久森は死は遠いものだと思ってしまっているのだから。
     しかし……矢後にとっては「足りなくなる」ことこそが日常なのだ。昨日まであったもの、いた人が次々と先立っていく。矢後にとって「死」は当たり前のなかにあり、常時彼に纏わりついているものでもあった。
     矢後と久森の「死」への距離感は全く違う。
     それに、久森は矢後の隣にいるのに、それでもずっと「死」との距離が近づくことはなかった。この瞳で、何度も矢後の死に様を見てきたにもかかわらず、だ。

     久森の瞼の裏で、矢後は幾度となくさまざまな要因で死んできた。視た未来は確かに死を何度も訴えかけてくるのだ。本来、矢後勇成という人物が数分後には生きているはずがないことを。
     しかし――矢後は運命を更新し続けることで今日も生きていた。
     この世で最も死に近いところにいるはずの男が、久森にとっては死と遠い人物に「視え」ている。
     矢後も知らない矢後の死を、久森は世界でただ一人視ているというのに、それでも死を上塗りするくらいの圧倒的な「生」の方がずっと印象に残った。
     いつの間にか、その状態に慣れてしまっていたのだ。死を「視ている」のに、死が「見えない」。矢後があまりに自由に、自然と、久森の隣に生きているから。

     だが、自由意思でなく病院へ向かう矢後を見ていると、否応なく、矢後は広々とした自由に包まれた人間ではないのだと気づかされる。不自由な身体の上に、その自由は成立しているのだと。

    「……この画面、小さいな」

     手元にあるスマホの画面で矢後を辿ることは、矢後の自由さを垣間見られるようで楽しかった。
     悩みを吐き出せず殻に閉じこもってた自分とは対照的に、のびのびとしている矢後を見ていたら、その自由をお裾分けしてもらえている気がして。その生き方に、勝手に期待していた。
     ……久森は自分勝手にも、この一週間近く、矢後に期待を背負わせ続けてしまっていた。
     「想いを託される」のは、矢後が嫌うことだ。何度も何度も、先立つ人間に彼は背負わされてきた。それを、久森はやってしまっていた。
     また、「視る」ことで勝手に他人の未来を知ってしまう罪悪感に長年苦しめられてきたはずの自分が、「見る」ことの暴力性に鈍感になっていた。矢後はそんなこと気にしないだろうが、久森自身がそれを許容できない。

     そこで、久森はようやく自分が抱いていた「違和感」の正体がわかった。
     久森にとって、矢後勇成とは誰よりも自由を体現する存在だ。周りを気にせずマイペースに行動して、好きなように寝て、起きて、喧嘩をする。病を抱えていても、痛みのストッパーを超えて動いてしまう。
     その荒々しい自由を、誰にも、何事にも、死にさえも、侵されてほしくなかったのだ。だから、アプリに没頭する気持ちとは裏腹に「何かが違う」と違和感が拭えなかった。当然だ。何より矢後を縛り付けていたのが、他でもない自分だったのだから。
     矢後には自由であってほしいと願いながら、矢後の自由を奪っていた。ここ一週間の久森の欲望は、言動は、あまりにちぐはくだった。

     しかし、悩みから解放する兆しが見えた今、もう依存するようにアプリを眺める必要はない。まるで絡まっていた糸がするすると解けていくように、久森の心はすっきりとしていた。久々に、晴れやかな気分だ。

     あと二日間モニターのテスト期間は残っているけれど、久森はもうアプリを見るつもりはなかった。身勝手だが、ここでモニター体験は終了にしてもらえるよう、神ヶ原にお願いするつもりだ。一応体験レポートらしきものはそこそこ真面目に書いていたし、それを提出すれば許してもらえるだろうか。
     神ヶ原の作成したアプリは、誰かを不健康に監視するためのものではなく、誰かの「生」を守るために生み出されたものだ。それを無意識的に履き違えてしまった申し訳なさはあるけれど、久森なりの「収穫」はあった。

     早速机に置いてある数枚のレポートを手に取って、久森がALIVEへと向かおうとしたそのとき。再びドアからノック音が聞こえた。
     今度のノックは強めだ。誰か自分に急ぎの用があるのだろうか。こちらもなるべく急ぎたいのだけれど、こればかりは仕方がない。
     久森がドアを開けようとすると、廊下から慌てたような声が聞こえてきた。

    「久森くんいるー!?」
    「はーい!います!」

     あれ、もしかしてこの声は……と思いながらドアを開けると、案の定そこに立っていたのは神ヶ原だった。何故か、心底安堵したような表情をしている。

    「ああっ、久森くんやっと会えたー!!」
    「か、神ヶ原さん?えっと…お疲れ様で――」
    「ほんっとーーにごめん!!!」
    「え、ええ!??」
     お疲れ様です、と言い終わらないうちに、神ヶ原が勢いよく頭を下げてきた。久森は事態が飲み込めず、その場に立ち尽くしすしかできない。
    「と、とりあえず頭上げてください……!あの、なんのことですか?!僕、神ヶ原さんに謝られるようなことされてませんよ?」
    「うう、本当にごめんよ〜〜」
    「だから何がですか!?」

     とりあえず部屋へと招いて、客用コップにお茶を入れて出す。座ってなお項垂れていた神ヶ原は、お茶を一口飲んでようやく顔を上げて話しはじめた。

    「この間久森くんにALIVEが開発中のGPSアプリのモニターをお願いしただろう?」
    「は、はい……」
    「前も説明したけど、あれはイーター出現時の市民の避難用に開発されたものなんだ。近くの避難所が一目でわかるようにとか、どこに大切な人がいるのかとかがすぐわかるよう色々工夫してあって……」
    「あ!あの機能、すごくわかりやすくて感動しました」
    「あはは、ありがとう。開発部の自信作なんだよ。……で、問題はそのGPSアプリのことなんだけど……」
    「も、問題……?」
    「そう。問題」

     真剣な顔をする神ヶ原を見て、久森は思わずごくりと喉が鳴らした。背筋に緊張が走る。

    「アプリの対象ユーザーとして想定されているのはね、子を持つ親や、夫婦、恋人関係にある人達なんだ。僕は友人同士でもできたらいいな〜って考えてるんだけど、あまり利用範囲を広げると悪用の可能性も出てくるからALIVE内部でも意見が分かれてて……」
    「は、はぁ……」

     一体それの何が「問題」だと言うのだろう。久森が首を捻っていると、神ヶ原が言いづらそうに口を開いた。

    「……で、結局ね。関係性に友人を含めるかは今のところは保留にしておいて、まずはテストをしてみようってことで、モニターとして想定していた関係に友人同士は入れないことになったんだ」
    「はぁ……って、え?」
    「うん……。今君の頭にある疑問は最もだと思うよ」
    「じゃ、じゃあ僕と矢後さんはどの枠のモニターなんですか!?ま、まさか……親子!?」
    「お、親子?……ではないかな」

     久森はゴクリと息を呑んだ。
    「………聞かない方が良いですか?」
    「え?なんで?」
    「だ、だって……」
     だって、親子関係を除いたら残る関係は二つしかないじゃないか。一つは法的に結ばれた夫婦関係だから除外で、もう一つは……。
     久森はその先の言葉を思い浮かべて、危うく気を失いかけた。なんとか持ち直したものの、この国の最重要機関であるALIVEのデータに、矢後と久森が「そういう関係」として記載されたものが入っていると思うと、自ずと意識が遠のいていく。
     すると、目の前にいる神ヶ原が「久森くん、大丈夫?」と声をかけてくれた。全然大丈夫じゃない。

    「あの、そのデータって……」
     消去は可能ですか?と一縷の望みをかけて久森が訊ねる前に、神ヶ原が柔らかく笑った。

    「普通に特別枠を設けて、友人関係でモニター登録しておいたよ。僕のミスだしね」
    「なっ、なんだ、良かった〜〜!!!し、心臓が止まるかと思った……」

     緊張感が急速に高まってから一気に脱力すると、人間は疲れるものらしい。未だにドクドクと大きく音を立てる鼓動を押さえながら、久森は深呼吸を繰り返した。
     そうしてようやく落ち着いてきた頃、神ヶ原が改めて久森に向き合った。

    「久森くんにモニターを頼んだとき、疲れ切ってたせいで脳内の情報が混乱していて……君達を巻き込んでしまったのは完全に僕の責任だ。本当にごめんね」
    「いえ、全然!むしろ今回のことで色々学んだといいますか……僕にとっても良い経験になりました」

     アプリは思わぬ形で色々な気づきを久森にもたらしてくれた。だから、特別枠のモニターとして久森が言えることはちゃんと言っておきたい。

    「あの、神ヶ原さん。……ユーザーのなかには家族や恋人よりも、友人が一番大切で、頼れる存在だという人もいると思うので、出来たら友人関係での利用も前向きに検討してもらえたら嬉しいです」

     久森は矢後には使わないと決めたけれど、それでも久森のような人を思えば、このアプリに友人関係での利用を想定することは必要だ。
     不安のなかで、家族を頼れない者がどこに寄りかかればいいのか。血のつながりや法的なつながりがなくたって、恋情がなくたって、そこにあるはずの大切な関係を無視してほしくはなかった。
     これが、久森なりの「収穫」だ。

     すると、久森の熱意が伝わったのか、神ヶ原が真剣な顔で頷いた。

    「うん、わかった。約束するよ」





    「あ、矢後さんいた」

     久森は、矢後を探していた。検査が終わる時刻を見計らって病院に向かったのだが、到着した頃にはすでに矢後はいなくなっていた。矢後の担当看護師が久森の顔を覚えていたため、わざわざ伝えにきてくれたのだ。
     しかし、矢後が真っ直ぐ訓練施設に帰るとも思えない。アプリはすでにアンインストールしてしまったから、現在位置を特定することもできず、久森は町なかをあてもなく彷徨っていた。
     それから十分ほど歩くと、前方に見覚えのある駄菓子屋が見えた。つい先日、矢後を回収に向かったばかりの場所だ。
     もしかしたら……と思い中を覗くと、畳に座る店主のおばあさんの横で、矢後が猫のように丸まって寝ていた。どうやらそこが気に入ったらしい。
     久森はまた駄菓子をいくつか買って店主のおばあさんにお礼を告げてから、矢後を叩き起こして店を後にした。

    「矢後さん、起きました?」
    「………」
     返事はないが、足取りは確かだ。意識は覚醒したのだろう。
     久森はふと空を仰いだ。
     夕日の大部分が隠されてしまった空は、すっかりオレンジを覆い尽くすほどの深い藍色に染められている。夜のはじまりの色だ。暗闇と呼ぶにはまだ明るいけれど、車もあまり通らないこの細道を暗く染め切るには十分だった。
     ちょうどいいや、と久森は矢後に話しかけた。

    「矢後さん。僕もうGPSアプリ使わないので、消してもらっていいですか?」

     すると、矢後はぱちぱちとゆっくり瞬きをして久森の方に顔を向けた。

    「……お前、あの機械気に入ってたんじゃねーの」
    「あー…矢後さんにもそう見えてました…?」

     そう言って気まずそうに苦笑いする久森に、矢後がポツリと「……どうだった?」と尋ねた。

    「どうだったって、何がですか?」
    「かんそー。俺を見張ってたんだろ?」
    「ええ……言わなきゃダメですか?」
    「……逆に言いたくないってなんなんだよ」
     久森は少々口籠ったあと、正直なまま述べた。
    「これが思いの外楽しかったんですよね…」
    「お前、マジか」
    「……。矢後さんにそういうリアクションされるの、仕方がないけど、かなりショックだ……」

     まあ、実際自分でも自分に引いたけれど、実際に矢後に「マジか」と言われるのはなんだかグサリとくる。やっぱり早々にアプリを手放せて良かった。
     すると、矢後が不思議そうな顔で久森に尋ねた。

    「……じゃあ、なんでもう使わねーわけ?お前、あの機械気に入ってたんだろ」
    「あ、それ聞きます?」
    「……」
    「なんか…やっぱりいいやって思ったんですよね」
    「は?なんで?」

     一拍置いて、久森が答える。

    「……なんだか僕、矢後さんを見つけに行く方が性に合ってるみたいなので」
    「……ふーん、あっそ」


     大通りに出ると、立ち並ぶ店や信号機、車のランプ、街灯などのさまざまな光が矢後と久森を照らした。すると、矢後が何か思い出したのか、ポケットに手を突っ込んでごそごそと漁りはじめた。

    「なにかポケットに入ってるんですか?」
    「……さっきの駄菓子屋でなんかもらったやつ。いらねーからお前にやろうかと思ったけど、置いてきたっぽい。ねーわ」
    「えええ……矢後さんがいらないものは、たぶん僕もいらないんですけど……。ちなみに何ですか?」
    「ちっこいネコのキーホルダー」
    「そうなんですか!?それはかなりほしかったです」
    「お前、ネコ好きだっけ?しらねーけど」
    「好き……というよりは、武居さんが今の僕のラッキーアイテムが猫のキーホルダーって言ってたから欲しいといいますか……」
    「へぇ、ウケる。でも持ってねーわ」
    「まあ、今日で一週間も終わりますし、別にいいですよ。効力があってもあと数時間でしょうから」
    「ふーん」

     交差点の信号が、目の前で赤になる。
     この信号は変わるのが遅いので、かなり手持ち無沙汰になってしまう。と、考えていたところ、久森は矢後がスマホのアプリをあまり利用していないことを思い出した。ほとんど初期設定のままのそのスマホに、新しく追加されたのはALIVEチャットくらいだ。

    「あの、矢後さん。アンインストールのやり方ってわかります?めちゃくちゃ簡単なので、自分でやれるならいいんですけど」
    「知らねー」
    「……マジですか」

     一応確認のために訊いただけなのだが、まさか肯定されるとは。仕方ない、と久森がスマホを預かった。見ると、初期設定のままのホーム画面に似つかわしくないアプリが一つ浮かんでいる。
     それを長押しをして出てきた『アプリを削除しますか?』を、久森は迷いなくタップした。
     ほんの一瞬でアプリが矢後のスマホ画面から消えていく。その様子を久森は黙って見届けた。なんだか、ようやく全てがスッキリと片付いた気分だ。


     ……ただ、そんなときこそ油断ならない。

     久森が晴々とした気持ちで矢後にスマホを返そうとしたその瞬間、ピコン!と手元にある矢後のスマホと、ポケットに入れていた久森のスマホが同時に鳴った。どうやらチャットに個別連絡があったらしい。
     久森が二台のスマホを両手に持って見ると、矢後もそれを覗き込んできた。矢後には伊勢崎から、久森には北村と武居からメッセージが来ている。
     その面子を見て、嫌な汗が久森の背中を伝った。

    『勇成、久森くんに監視アプリ付けられてるってマジ!?』

    『久森サンってなかなかアグレッシブだよね!アハハ、ボクでもそこまではしないよ!』

    『わりぃ。バカ二人に俺達の会話が漏れてたっぽい』

     チャットには、次々とひっきりなしにメッセージが送られてくる。
     しかし、目を通す前に久森は震える手でスマホの電源をオフにした。久森からスマホを返された矢後も、鳴り止まない通知に「うるせー」と呟いて、電源を落とした。どちらも何も言葉を発さずに、信号が青になった横断歩道を渡る。

     渡り切ったところで、矢後がようやくポツリと一言呟いた。

    「すげぇ広まってんな」
     
     その瞬間、久森が絶望を体現したような表情で矢後を見た。

    「や、矢後さん!!な、なんでこんなことになっちゃったんですか……!?僕があのとき武居さんに部屋に入って頂いてればこんなことにはならなかったんですかね!?」
    「いきなりうるさ。……まー、もう全員知ってんだろ」
    「……あの、今からでも猫のキーホルダー取りに戻りません?今の僕に必要なのは絶対にラッキーです」
    「あの駄菓子屋、たぶんもう店じまいしてるけど?」
    「そ、そんなぁ!!イヤだ……。帰りたくなさすぎる……!!」


     ぶつぶつと騒がしさが止まらない久森を見て、隣を歩く矢後は小さく笑った。


    「……ハハ。ま、元気が出て良かったんじゃねーの」
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