海を見に行く 砂はともすれば足をとらえる。
おろしたてらしいスニーカーが砂浜にいくつもの跡をつけた。白地の、そこに灰色の染みがついても奏汰が気にすることはない。
風は冷えている。
潮騒は耳鳴りに似ていた。
夕暮れどきになずむ空に鳶が声高く鳴いた。
「ちあきがくつをはけっていいましたから」
そういう声はやわらかく、かぼそいわりに海風にまぎれないでいる。まぎれてしまえばいいのにとそんなことを頭の隅でちらりとおもった。
「千秋さんの言うことならなんでも聞くんだなあ」
ばかなことをとおもいつつどうしてか口にしてしまった、その言葉に奏汰はふふと笑ってみせた。
「ちあきはただしいので」
まったくそのとおりだと納得しながら、じゃあ俺は、と重ねてしまいそうになるのはどうにか自制した。
空は雲に覆われて薄暗く、夕茜が水平線のへりに滲んでいる。
波と砂との際に立つ、奏汰のうしろ姿はほとんど影のようで、ただシャツからのぞく白い腕と首筋ばかりが妙に目に残った。
逢魔時とひとの呼ぶ、だからだろうか、ふだんはしまっているはずの心のうちが洩れてゆく。
砂を踏み、そこにあるひとの腕をとる。
風のせいかひいやりとしてつめたい肌の、その奥にはかすかな熱がある。
ごろつき、そう呼ばれた。
名を呼ばないのはこれ以上のかかわりを持ちたくないからで、無宿者になぞらえるのは家を気にするなと言われているのだと、それはとっくの昔に知っている。
指の力をさらにこめる。白い肌にうすく朱が散った。
あおい目がこちらを向く。
自分はいつも奏汰のやさしさにつけこんでばかりいる。
しばらくして、ため息とともに頬につめたいものが触れた。ほっそりとしたその指は、おさなごをなだめるように二三度いきもどりして、ゆっくりと離れていった。
「ぼくはあなたののぞみをかなえてあげるべきなんでしょうか」
どこかのんきなその口ぶりに、斑もしょうことなしに笑ってみせる。
「奏汰さんは全知全能だからなあ?」
「あなたがそんなだから、かなえてあげたくないんですよ。……でもまあ、しょうがないので」
まだら、そう名を呼ばれた。
その瞬間自分がどんな顔をしたか、鏡を見ずとも奏汰の笑みでわかってしまうのがすこしくやしかった。
「あなた、きくところによるとなんだかおしごとでしっぱいしたみたいですけど、ぼくをえなじいどりんくがわりにつかうのやめてもらえませんかね」
こちらの腕からするりと抜けだし、奏汰は波打ち際を辿ってゆく。憎まれ口のうちにもどこか甘さがあって、斑はつい声をたてて笑ってしまう。
「奏汰さんにはなんでもお見通しだなあ?」
「あなたがわかりやすすぎるんですよ」
声はかぼそく、けれどもやはり波風にまぎれることはない。
我慢しきれなかったか結局スニーカーのままでじゃぶじゃぶと海に入ってゆく、奏汰の姿を斑はながめる。
わずかに残った夕あかりのなかで、その横顔ばかりがしらじらとして眩しかった。