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    おもち

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    おもち

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    PsyBorg。ホワイトデーの話。

    #PsyBorg

    絶対に直接行かないって約束をして教えてもらったのに、俺はその約束を破って彼の家に向かう電車に乗っていた。
    だって、ふーふーちゃんも約束破ったもん。
    バレンタインデーから一ヶ月後の今日この日を俺はものすごく楽しみにしていた。去年、彼にホワイトデーのプレゼントを強請ったら「バレンタインデーにくれなかっただろう?」と言われたから、今年はちゃんとバレンタインのプレゼントを贈ったんだ。それなのに、今日届いた郵便物の中にふーふーちゃんからのプレゼントはなかった。
    俺の好きな甘いお菓子とか、キザに花束とか、可愛いアクセサリーとかでも良いなって毎日ワクワクしながら過ごしてたのに、まさかなんにもくれないなんて。お返しのためにバレンタインデーにプレゼントをしたわけじゃないけど、でもやっぱりお返しを期待していた。
    ふーふーちゃんはバレンタインに俺が贈ったプレゼントを受け取ってすぐに俺に連絡をくれて、嬉しそうな声でありがとうって言ってくれた。だから俺もおんなじように、大好きをいっぱい込めてありがとうを言いたかった。ただそれだけなのに。
    勢いのまま家を飛び出し、電車とバスを乗り継いで、案外あっという間にふーふーちゃんの家の近くまでやってくることができた。地図アプリが表示する彼の家まではあと数分歩けば着いてしまう。
    ここまで来ておいて、本当にいいの?と今さら不安に襲われる。直接会うつもりはないって言う彼に、プレゼントを送りたいから、絶対家に行ったりしないからって言ってなんとか教えてもらったんだ。いくら優しいふーふーちゃんでも俺のこと嫌いになっちゃうかもしれない。……嫌われるのは、いやだなぁ。
    やっぱりやめようかなと足を止めて、でもここまできたら会いたいって気持ちで少し歩いて、また立ち止まって、と、怪しい行動をしていたら、ワンッ!と低い鳴き声が聞こえて、俺はビクッと体を震わせそれが聞こえた方へ顔を向けた。茶色と黒の混ざったもふもふの毛を持つ大型犬が不審者を警戒するように俺を見つめてる。違うんだよ、確かにちょっと怪しかったけど何も怪しいことはしてなくて、……て、いうか、なんかキミ見たことあるような……。
    「……浮奇?」
    「……あ、……ふーふーちゃん……」
    ああ、そうだ、何度も写真を見せてもらったんだから、見覚えがあるに決まってる。
    まだ会うって覚悟も決まっていなかったのに、突然対面してしまったふーふーちゃんと目が合わせられなくて、俺は咄嗟に俯きジッと俺を見上げる大型犬と目を合わせた。笑みを浮かべれば彼はその場におすわりをして、指示を求めるようにふーふーちゃんに顔を向ける。釣られて俺も顔を上げてしまった。
    「どうしてここに?」
    「……、……ホワイトデー、だから」
    「……? ……会いにこないって約束をしてたはずだ」
    「う……わかってる、約束破ってごめんなさい。……でも、……会いたかったから、会えて嬉しい。ごめんね」
    「……はぁ。いいよ。本当はもっと早く、約束なんて無視して会いに来るんじゃないかと思ってた。むしろよくここまで我慢してたよ。ありがとう」
    「……怒らないの?」
    「反省してるなら怒る必要はないだろう。住所を教えた時点でもう覚悟は決めてたから」
    「……それならもっと早く来ちゃえばよかった」
    ポツリと呟いた言葉に、ふーふーちゃんは笑って俺の頭にトンッと優しく手刀を落とした。全く痛くないそれじゃあ怒られているとは思えなくて、彼に触れてもらえたことの喜びが勝った俺はニヤけそうな口元を両手で覆って隠した。「ん?」と眉を顰めて俺を見るふーふーちゃんに首を振って誤魔化す。
    「お散歩、これから行くところ? もう終わってお家に帰ってる?」
    「帰ってるところ。……家、来るか?」
    「……いいの?」
    「ここらへんには洒落た喫茶店もないし、一番近い座って話せる場所は家になるからな。浮奇がそれでもいいなら」
    「いいよ! むしろめちゃくちゃ行きたい!」
    「……何も面白いものはないけど?」
    「本気で言ってる? ふーふーちゃんが暮らしてる家だよ、全部知りたいに決まってる」
    「……」
    数秒間見つめ合うだけで、俺の心臓は走った後みたいにバクバクと激しく動いた。二人きりで話したことなんて数えきれないくらいあるし、こんなただの会話じゃなくて心の中のやわらかい場所を触るような、他の誰にも言えない話もしてきたのに、今までで一番心臓が痛い。彼の瞳にパソコンの画面なんかじゃなく、俺が、俺だけが映ってる。
    「……浮奇?」
    「……う、ん……大丈夫、ごめん、ちょっと」
    「……触っても平気か、浮奇」
    「え」
    「ダメなら遠慮なくそう言ってくれ」
    「ダメじゃない! 触って!」
    「……ん、さわる」
    優しく笑う時にふっと溢れる吐息も、頬に触れる指先の小さな震えも、画面越しじゃ一生知らなかったことだ。呼吸をしたら涙が零れてしまいそうで、俺はぐっと息を止めたまま目の前のふーふーちゃんにだけ意識を集中させた。
    瞬きをして、綺麗な目が俺を見つめて、頬に触れた手が俺の目元をそっとなぞる。それから彼は、はあっと息を吐き、「すごいな」と呟いて笑った。
    「本物の浮奇だ」
    「……ネットでやりとりしてたのだって、本物のおれだよ」
    「知ってる。でも違うよ。浮奇も手を貸せ」
    「うん……?」
    「本物のファルガーオーヴィドを、どうぞ?」
    差し出した俺の手を掴んだふーふーちゃんは、そのままそれを持ち上げて自分の頬に添えてみせた。手のひらに感じる確かな体温と肌のなめらかさ。すこしずらせば細い髪に指先が触れる。もう彼の手が支えていなくても、俺は自分の意思でふーふーちゃんに触れていた。
    「……ほんものだ」
    「ふ、だろ? ああ、道端でこんなこと始めて悪いな。歩けるか? すぐそこだから」
    彼が先に進む素振りを見せると、いい子におすわりをしていた大型犬はむくっと立ち上がり彼の隣に並んだ。うちにいる猫と比べるとあまりに大きくて、もふもふで、抱きしめてわしゃわしゃと撫でたい気持ちが湧いてくる。
    「ふーふーちゃん」
    「ん?」
    「あとでドッゴのこと撫でてもいい?」
    「ああ、もちろん。いつもは警戒心が強いんだけど、もう俺の大切な人だってわかってるみたいだ。たぶんすぐに懐くよ」
    「……ふーふーちゃん」
    「どうした?」
    「……ホワイトデーだよ」
    「うん? そうだな?」
    「……バレンタイン、あげたのに」
    拗ねた口調でそう呟けば、彼はぴたりと足を止めた。俺も立ち止まり、俯いていた顔を上げてふーふーちゃんを見つめる。
    「届いてないか……?」
    「……そういう誤魔化しは」
    「誤魔化しじゃなく、……本当に、ちゃんと送ったんだ。……日付の指定はちゃんとしたはずなのに……。そうか、それでわざわざここまで来たのか」
    「……ほんとのほんとに、嘘じゃない?」
    「嘘じゃない」
    「……帰る」
    「は?」
    「だって、おれ、一人で勝手に怒って、ふーふーちゃんとの約束も破って、最低だ……」
    「待て、浮奇、ストップ」
    回れ右をしようとした俺にふーふーちゃんが手を伸ばして腕をぎゅっと掴んだ。振り払えない力強さにときめいてる場合じゃない。
    「きっと配送業者が忙しくしてるんだよ。明日には届くだろうから、また明日受け取ってくれればいい。せっかく会えたんだから今日のところはもう少しおまえと話したい」
    「……迷惑じゃ、ない?」
    「おまえが迷惑なことなんてないよ、浮奇。送ったものとは別に、何か今日あげられるものがないか考えてみる。と言ってもうちにはお菓子もないけど……」
    「……いい。お菓子とか、そういうの、もういいよ」
    「浮奇」
    「違う、拗ねてるんじゃなくて、……ふーふーちゃんがいればいいよ。それだけで特別なホワイトデーになる」
    「……安上がりだな」
    「こんなに価値のあるプレゼント世界中探してもないよ」
    俺の腕を掴んでいるふーふーちゃんの手に触れて、指を重ねる。ゆっくり力を緩めた彼は俺の手を取りきゅっと繋いだ。「こっち側においで」と誘われて、間に犬を挟む立ち位置ではなく、彼のすぐ隣に並んで俺たちの間に繋いだ手を下ろした。
    「……ここ、ふーふーちゃんの家のすぐ近くなんでしょう? ご近所さんに変に思われない?」
    「問題ない。すでに十分不審者だと思われてるから」
    「……こんなに素敵な人、他にいないのにな」
    「……そんなこと言うのおまえくらいだよ」
    さっきより近い距離で視線を絡めて、笑みを交わす。ずっと心臓がドキドキしていて死んじゃいそうだけど、お願い、まだ、もうすこし。ふーふーちゃんと特別なホワイトデーを過ごす間は死にたくないよ。……やっぱり明日、ふーふーちゃんが送ってくれたホワイトデーのプレゼントを受け取るまで。ううん、もういっかい、今度はちゃんと約束をしてふーふーちゃんに会うまで、絶対に死んでなんかやらない。
    ぎゅうっと繋いだ手と大好きな人の笑みに心臓は一層騒がしくなったけれど、もう俺はそれを気にせず、彼に今までで一番の笑顔を向けた。
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