お客さんが多い日曜日なのにどこか物足りなく感じるのは、いつもお昼前に来る小さなお客さんたちと会えないからかな。目をキラキラさせて花を見つめ舌足らずな可愛らしい声で花の名前を聞いてくるこども達に自分が思ってる以上に癒されていたらしい。それに、こども達を見守る優しいあの人にも。
最近は仕事が忙しいらしく、二人きりで会うどころか、彼がこども達のお散歩で通ってくれる時以外は顔を見れてすらいなかった。会いたいなぁと思うけれど、仕事なら文句は言えない。彼があの仕事を、こども達のことを、とても愛していることを知っているから。それでも、ねえ、やっぱり会いたいよ。花を見るみたいに俺を見つめて微笑んでくれるあなたに、名前を呼んでほしい。
「浮奇」
「っ! ……げ、幻覚?」
「ふふ、立ったまま俺の夢でも見てたか?」
「……本物の、ふーふーちゃんだ」
ちょうどお客さんが途切れていて、お店の中には俺と彼の二人きりだ。進んでいなかった雑用の手を止め、俺はすぐに彼に駆け寄った。腕をきゅっと掴むと彼の手は俺の腰に優しく添えられる。
「なかなか時間を作れなくて悪い。ようやく少し落ち着いて、今日は久しぶりに仕事のことを考えないでいられる週末だったんだ。浮奇に会いたかったんだけどおまえが仕事なことも分かっていたからどうしようかと思って、……でも、やっぱり会いたかったから、花を買いに来た」
とっておきのイタズラをバラすこどものように、彼は可愛らしく、少しだけ申し訳なさそうに笑った。俺は彼に会えたことが嬉しくて言葉を詰まらせ、ふるふると弱く首を振った。口を開き、花の香りの空気を吸い込んで、それに勇気をもらって声を出す。
「俺も会いたかったから、会いに来てくれて嬉しい。ありがとう」
「よかった。仕事が終わってからの時間をもらうことはできるか?」
「うん、もちろん、なんなら今すぐにでもお店を閉めたいよ」
「浮奇の花を買いに来た人が開いていなかったら困るだろう。そこらへんで待っているから、……そうだ!」
「うん?」
俺より年上のくせに、いちいち表情が可愛いんだから。何かを思いついてパッと笑みを浮かべて見せるふーふーちゃんに、俺はやわらかく首を傾げた。
「花束を作ってもらえるか? 好きな人に渡したいから、とびきり可愛いので頼む」
「……どんな花を使いますか? 色とか、雰囲気の好みは?」
「んー、……店員さんのオススメでお願いできますか? 花のことは詳しくないんだ。でも、きっとあなたの作るものなら美しい」
「……ふーふーちゃん」
「ふ、お店屋さんごっこはもう終わり?」
「キスしたい」
「……仕事を終わらせてからだ。あとすこし、我慢」
「んん……誰もいないよ……」
「今すぐしたくなるから可愛い顔をするな」
俺の唇に立てた人差し指をそっと当て、彼は眉間にシワを寄せた。俺の腰を抱いていた手はいつのまにか離れている。一歩近づこうとすると一歩後退るから、俺は唇を噛んで熱を持つ瞳で彼を見つめた。まだ溢れていない涙を拭うように彼の手が俺の目元をなぞる。
「また店が閉まる頃に来るから」
「待って」
「今はキスはしない」
「わかった。本当はめちゃくちゃしたいけど我慢するから、ちょっとだけ待ってて。すぐに花束作るから」
「……後でいいけど。迎えに来る時に花束を持ってた方がいいか?」
「それも素敵だね。だけど、それより誰にもナンパされないように、これから恋人と会って花束渡すんだなって思わせておいて」
「……誰が俺なんかをナンパするんだよ」
「俺」
「それならナンパされていいだろ?」
「仕事の後でね。それまで一人でそこらへんをうろつくって言うなら持っていて」
話しながら自分の好きな花を選んで作った花束は俺が好きなように作ったんだからもちろん俺好みで、それを彼に渡して持ってもらうと俺のために生まれてきたの?って聞きたくなるくらい、心臓を撃ち抜く素敵さだった。こんな魅力的な人に美しい花束をもらえる人が羨ましいな、まあ俺なんだけど。
「どうしよう、かっこよすぎて逆にナンパされちゃうかも……」
「ふっ……そんなこと言うの浮奇くらいだ。おまえこそ、花の話をしてるといつもより表情が優しくなるだろう。お客さんにナンパされないでくれよ」
「……ナンパしてきた人がなんか言ってるなぁ」
「ああ、経験者だからわかるんだ。こんなに可愛い店員さんに綺麗な花束を作って笑いかけてもらったら、好きになるに決まってる」
「……」
「頬がバラの色になると浮奇が花になったみたいだな。美しい」
「……お店閉めるまでどっか行ってて」
「あははっ」
照れ隠しでとんっと小突くと、彼は明るい笑い声を上げて無邪気に笑った。スラスラ口説き文句を放つ男と同じ人だなんて思えない。どっちの彼も、すごく好きだ。
相変わらず律儀に代金を払いたがるふーふーちゃんにこっそり値引きした金額を伝えてお金を受け取り、花束の他にもう一つ、赤い薔薇を一輪だけラッピングして手渡した。これは?と聞く彼に笑みを返す。
「サービスです。恋人に渡したらあなたのお花はなくなっちゃうでしょう? あなたにも、花を持っていてほしいから」
「……浮奇」
「ふふ、うん?」
「……なんでもない……」
ぐっと堪えるような表情を浮かべ、ふーふーちゃんは薔薇を受け取った。彼はそれをじっと見つめてから、俺に視線を戻す。今すぐ抱きしめて、キスをしたい。俺だけじゃなくて彼の頭の中もそれでいっぱいだって目を見たら分かる。
「誰もいないよ?」
「……そそのかすな」
「だって俺はしたいもん」
「……花が、見てるから」
「……きっとみんな祝福してくれる」
一歩、彼に近づく。彼はその場で立ち止まったまま、迷うように視線を彷徨わせた。きちんと線を引いて拒んでくれないと、止まってあげられないよ。つま先にグッと力を入れてかかとを持ち上げ、俺は彼に顔を近づけた。ふーふーちゃんは俺たちの間に挟まれる花束が潰されないようサッと横にずらす。手を伸ばして彼の後頭部を引き寄せ、あっという間に唇の距離をゼロにした。
大好きな花に囲まれて大好きな人に愛を伝えられることの幸福さを、あなたに分かってもらえるかな。色味の少ない家の中に俺のあげた花が飾られて彩りを添えていた時とか、一緒にいるうちに俺の香りが移って肌からふわっと甘く花の香りがする時とか、心の中が満開の花畑になったみたいに幸せでいっぱいになるんだ。大好きでも愛してるでも、言葉ではこの感情は伝えられない気がした。
「浮奇、もう」
「ん……。……我慢できなくてごめんね?」
「……浮奇が謝る必要は少しもないよ。我慢できなかったのは俺の方だ。仕事の邪魔はしたくなかったのにな」
「ううん。でも、お客さん来なくて良かった」
「……、……悪い」
「うん?」
「表の営業中の札、ひっくり返して準備中にしてある」
「……え」
「少しだけ、浮奇をひとりじめしたくて」
言わずに帰れば気が付かなかったことを馬鹿正直に告白して申し訳なさそうな顔をする彼に、心の中でまた花が咲く。俺は飛びつくようにふーふーちゃんを抱きしめて、花が見ていることも忘れて夢中でキスをした。