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    tadanoyuuki

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    月鯉

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    Twitterにあげていた最終回後月鯉のSSです

    #月鯉
    Tsukishima/Koito

    お互いがお互いの灯台だから大丈夫な感じの月鯉「一滴も飲めません。全てお断り致します」
     よく通る鯉登の声が執務室に響く。対峙する上官の背にある窓の外には長閑な陽光が煌めき、小鳥の囀りさえ聞こえる穏やかさであるというのに、鯉登の凛としたその答えに月島は雷に打たれたような衝撃を覚えて硬直してしまった。
     しん、と静まり返った部屋、隣にはいつものように胸を張るが如くの姿勢で堂々と立つ鯉登、そして自分たちの前に座るのは、本来であればこのように押しかけての面会など叶うはずもない遥か雲の上の──、
    「……決して悪い話ではないと思うがね」
    「いいえ。閣下は私の話を聞いておられなかったのでしょうか」
     躊躇いもなく続けた鯉登を、月島は思わずぎょっと見上げる。それでも咄嗟に咎める声が出なかったのは、月島も心の中では鯉登に、そうであって欲しいと強く思いながら本日、彼に同行してここを訪れていたからだ。
     ──後ろ盾となってやってもいいという者たちがいてね、君が彼らの条件を飲めるのなら、私から彼らに繋いでやろう。
     背水の陣と言って差し支えのないこちらの状況に対して、この中将はさらりと手を差し伸べてきた。無碍にするでもなく見返りを求めるのでもなく、その程度ならば事のついで程度であるから手助けしてしやろう、そういう淡白な提案であり、それは今の第七師団には喉から手が出るほど欲しい活路でもあった。
     ただ──、ただ、と月島は思う。後ろ盾となってやってもいい、そう考えている者たちの多くが交換条件に何を求めてくるか。その要求の中に、この鯉登という凛とした青年を如何様にもして良いのなら、といった生臭い遊戯も含まれるだろうことは、ほぼ避けられないものであると踏んでいた。そして実際、繋いでやると言った中将は今しがた、条件のうちのひとつとして、はっきりとそれを口にしたのだ。
     曰く、体から何からを差し出し蹂躙されるのを喜んで承伏するように、と。
     ただし、それが一方的な貪りに終わらぬよう、見返りを確約してやろう、とも加えてくれた。その提案こそ、鯉登が欲しかったものだ。そのはずだ。それがあっさりと与えられたのだから、このあとはとんとん拍子で話が進む。進んでしまうのだろう。
     月島は、そう考えていたのに。
    「なにを犠牲にしても、という覚悟があると聞いたつもりだが?」
    「はっ。そう申し上げました」
    「で、あるのに、その身ひとつも差し出せないと?」
    「飲めば本末転倒であります」
     そこまで言ってから、鯉登はふっとこちらに視線をやった。
     あとは任せた、と物語るその眼差しに、月島は喉を鳴らす音が漏れぬようどうにか堪える。
     聞いていない。何も聞いていない。どうしろと言うのだと視線を返しても、鯉登はすんと中将のほうへと向き直ってしまう。
     中将から、当然の如く、説明を待つような視線を向けられて月島は危うく黒目を泳がせかけた。考えろ、考えろ、と言い聞かせて頭を回す。どうするのが一番か。どう回すべきなのか。
     しかし、そういった計算に勤しむ頭を置き去りにして、月島の口は先に澱みのない音を発していた。
    「ひとつ。少尉殿は我々全てを背負ってここにいらっしゃいます。少尉殿が規律を越えて何者かに傅くということは、全ての部下たちの立場をも無闇に下に置くということ。我々の咎を払い尊厳を確かにすることこそ本願とされる少尉殿が、自ら我々を沼底に率いるなど論外であります」
    「……ふむ」
     中将が顎に蓄えた髭を揉む。これでは仕留めきれない。それが本能的にわかっていて、ひとつ、と口走ったものの続きが出ず、月島は首の裏に汗を滲ませた。
     口にして初めて、そうか、と思った。これが月島にとっての全てなのだと自分でもわかった。論外、そう、論外だ。それが本音だった。
     他に道がなくとも、そうするよりない場所に追い込まれても、この人にだけは踏み込ませてはならないものがある、という答えだけが、月島の中にもあったのだ。
    「論外で、あります」
     辛うじて繰り返すと、中将は小首を傾げた。だからなんだと言われたように感じたが、怯むよりも、開き直りのような憤りが月島の胸に湧いた。
     なるようになってしまえ。そういう心持ちで、何が飛び出るかもわからない口をもう一度開いた時、「ふたつ」と、まるで月島の名を呼ぶかのような鯉登の声音が、前のめりになりかけた月島を制止した。
    「私の身ひとつで足りることは、私の身に何かがあれば成り立たなくなる。それではいけない。ですので、私個人を豚共に飼わせるのではなく、閣下に『我々』を買って頂きたいのです」
    「豚共」
     中将が鯉登の言葉を反芻して、それから可笑しそうに笑う。しばらく笑い声を響かせたあと、「私に豚除けをしろと?」と彼は声を低くして鯉登を睨んだ。
    「閣下も美しいものがお好きと聞きました。我々の脛は傷だらけですが、いまのところ、手垢はひとつもありませんよ」
     鯉登がいつになく柔らかく微笑むと、中将がぱんと自身の腿を叩いた。
    「気に入った! うん、露払いなら任せたまえ、足を引く者たちなら払ってやる」
    「恐れ入ります」
     柔らかな笑みのまま鯉登が頭を下げる。月島もはっとしてそれに合わせた。中将は上機嫌に椅子を揺らして、甘いものは好きかね、などとこちらに問うて、自身の右腕に鯉登のぶんの椅子だの茶だのを用意させる。
     気に入ったという言葉に嘘はないようだった。そこからは、彼はまるで可愛がっている孫に対するかのような眼差しと言葉を鯉登に向けた。しかし豚は言い過ぎじゃないか豚は、申し訳ありませんつい本心が出てしまいました、なんて会話に花を咲かせる彼らを横目に、月島はただただ気配を潜めて鯉登の斜め後ろに立っていた。
     中将の傍らにも同じように立つ男がいる。軍服も纏っていない。予備役すらとうに超えている──明らかに、中将よりも老年の男だった。
    (ああ……こういう仕え方も許されるのか)
     それに気づいてふっと気が軽くなった。男は月島よりもさらに見事に空気に徹している。ここを訪れた際の鬱屈していた気が洗われていくのを感じた。
    「本番に勝算はあるのかね?」
    「幸い、私にも優秀な右腕がいますので」
     しばらくの談笑ののち、帰り際に、鯉登はそう胸を張って中将に答えた。中将が笑って、楽しみにしとるよ、と月島の背を叩くので、月島は「精進致します」とどうにか腹に力のある声を出した。



    「……心の臓が止まるかと思いました」
     道の角を折れ、見送りの見えなくなった頃にようやく、月島は長く息を吐いた。
     本当に、何秒かは止まった気がする。胸から脇腹がしくしくとして、大きく摩ってしまいたくなった。
    「うふふ」
    「笑い事じゃあない」
    「そう怒るな。お前だって、門を叩いた時のほうが、余程死人のような顔だっただろう」
     指摘されて、月島は言葉に詰まりかける。けれどもそれではおさまりきらない程度には昂揚していた。
    「ああするならば、事前に言ってください。私が何も浮かばなかったらどうするつもりだったんだ」
    「でも、出てきたじゃないか、すらすらと。月島が何か言いたそうだったから振ったんだ。私もお前の本音を聞いてみたかった」
    「あんな場で聞くなと言っとるんです」
    「お前は、ああでもないと口を割らなかったんじゃないか?」
     あくまで柔らかく返されて、月島は今度こそ言葉に詰まる。
     鯉登だって、あの場に向かうときにはもっと硬い顔をしていた。口数も少なく、ほとんど目も合わなかった。それが、今は肩の荷が多少おりたかのように機嫌がいい。
     その様を見れば、全てが計算通りということではなく、この展開に彼自身も安堵しているらしいということが、月島にも流石にわかる。
    「まあ、私自身は飲んでも構わなかったんだがな。半分はそのつもりで来た。だからまあ、閣下にああ言ったのはその場の方便だ。乗ってくださって良かった」
    「……。……私が、」
     私が、万一顔に出さずに堪えていたら飲んでいたんですか。
     自分にも聞こえるかどうかの声で言うと、鯉登がうんと軽く頷く。
    「お前が平気で堪えられることならば、問題ない」
    「問題……?」
    「灯台なんだ。月島が私の」
     ふふ、と笑みながら歩く鯉登の後ろで、月島は思わず歩みを止めた。
     鯉登も数歩先で止まって振り向く。鯉登の向こう側に沈みかけた陽の強い光が、線のように空を走って月島に届く。
    「だから、お前の顔が曇るようなことを、私はなるべくしたくない。お前が納得出来るものなら他の部下たちもみな胸を張っていられるだろう。踏み越える時は相応の自覚を持つべきだ。使えるもの全てを乱用していたらあっという間に道を誤る」
     鯉登の視線が、月島へと長く伸びた自身の影を辿った。
     ひどく濃く、深い影だ。彼とて、それを足の裏に、いつでも引きずって歩いている。
    「私は好きに歩くが一人きりでは簡単に遭難してしまうぞ」
    「堂々と、おっしゃることですか……」
    「月島は私の目の届くところでちゃんと瞬いていろ。私のことも、月島の灯台にしていい。私は騒がしくしているから、はぐれてもお前からだってすぐに見つけられるだろう?」
    「事前に……」
     声が震えた。「事前に言ってください」万一、別の釦を掛け合っていたら、いま自分たちは、こんなふうに安堵した会話をしていなかった。自分が、不満を飲み込んでいたら。別の腹を括ってしまっていたら。そう思うと、どうしても顔が歪む。柄にもなく、泣きたくなる。
    「月島……。お前こそ、そんな汚い顔になるくらいなら、最初からもっと言いたいことを言え」
    「言ったって、いつも聞かないじゃないですか……」
     うふふ、とまた鯉登が笑った。
    「ほら。早く帰るぞ」
     先に歩き出した影を追い越すようにして、月島は大股で鯉登の隣に並ぶ。隣に並ぶと、鯉登の遮ってくれていた夕日が直で射して目が痛んだ。軍帽も被っていない鯉登はもっと痛むはずなのに、俯きもしない──、
     と思ったら、「キェェッ」と両目を瞑って瞼を押さえるので、月島はようやく小さく笑ってしまった。笑って、こっちですよと鯉登の腕に手を添えて歩く。
     こっちですよ。そう言って向かう先に眩むほどの光があることに、少しだけ胸を張った。張ることができた。これからは、出来得る限り、そういう道を探していかねばならない。自分だけではなく、彼の守らんとする者たちも、自然と顔を上げていられるように。
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