国際軍事裁判が始まったのは、勇者が帰還してから一年も過ぎてからだった。その頃にやっと各地の情勢が落ち着いてきたと言ってもいい。
大魔王の脅威が去ったとて、その爪痕が消えたわけではない。一切の家財を失って路頭に迷う者や、大黒柱を失って生活に困窮する者たちもいる。
そういった国々の混乱を、ようやく世界が振り返り、見直す機会がやってきたということだろう。
元魔王軍の幹部、その処遇について人間達が考える間、身柄を確保させて欲しいと打診してきた。それはラーハルトがヒュンケルと共に登城した折のことであった。寝耳に水だった。
当然、投降する選択肢など持たなかったラーハルトはヒュンケルを連れて去ろうとした。
そこで予期せぬことが起こった。
「オレは行けない。彼らに従う」
ヒュンケルはラーハルトの手を拒んだ。
たちまち見張りの兵が駆け付けて、ヒュンケルを取り囲んだ。逃げようとするラーハルトではなく。
「な……」
兵達は、ただ棒のように立っているヒュンケルの喉に剣を突きつけ、言った。
「動くな。おまえが動けば仲間は死ぬぞ」
人質を取るような卑劣な真似はラーハルトの最も嫌うところだ。しかしこれは戦略として圧倒的に正しかった。
束になって掛かってきても毛ほども恐くはないが、ヒュンケルが死ぬのは恐かった。
「……ヒュンケルに手を出したらおまえら人間どもの命はないぞ」
ラーハルトはそう宣言し、武器を手放した。
ヒュンケルは牢に入れられているわけではないが、この城の賓客用の部屋に軟禁されているらしい。求めがあらば出廷にも応じる意思を見せているとのことだ。
最も困った状況に置かれたのはラーハルトだった。ダイが迎えにやってきた為、是とも非ともされぬ半端な扱いとなっている。しかし抵抗を見せればたちまち敵勢力と見なされるだろう。
彼は迷った。人間如きに捌かれるのは筋違いだ。信ずるものの為にだけに戦う誇りは神世の時代から息づく戦士の意志。昨日今日に栄えたような国々のルールなぞで是正されるべき価値観では無い。されどその己の信ずる竜の騎士は人間の為に戦った。その意向に背くのも不届きであろう。
なにより、ヒュンケルが上階に居るのだ。彼を置いて行けようか。
ラーハルトが今、監視もなく同じ城の部屋に滞在できているのは、ダイが居るからである。
表向きは優雅なティーセットが設置された瀟洒な部屋で、二人もてなされている格好だが。事実上ラーハルトが逃亡を図れば止められるのはダイだけなので、この形に落ち着けられているに過ぎない。
「逃げてもいいよ、ラーハルト」
居心地の悪い椅子からハッと顔を上げると、向かいの席でダイが苦笑いしていた。
「おまえの百面相って珍しいから、見てて飽きないけどさ」
「し、しかし……それでは貴方様のお立場が……」
「おまえほど悪くはならないから大丈夫。おまえはおまえの心のままに。……行って」
ラーハルトは椅子を降り、膝を突き、床に額が付きそうなほど頭を下げた。
全てを見通し、ヒュンケルを連れて逃げる許可をくれた主に感謝の念が湧き溢れた。彼を救出して安全な所に匿った後であれば、主の為に己だけが裁かれに戻っても良いとまで思った。
しかし上階に忍び込んだところで心境は一変した。
表向きは優雅なティーセットが設置された瀟洒な部屋で、ヒュンケルがテーブルに突っ伏して死んでいた。
腹の底から燃えるような破壊衝動が湧いてきた。
絶対に人間を滅ぼしてやる。
怒りに震える拳を握り締め、だがそこでラーハルトは気付いた。ヒュンケルの手の中に空になった瓶があった。
毒か。
そして書き置きがあった。もうひとつの、液体入りの瓶の下に。
『先に行く。すぐに来てくれ。待たせないでくれ。頼む』
紛う事なきヒュンケルの筆跡だ。言葉の少なさも、彼らしい。
何を言いたいのかはよく分かる。誰にも手出しをせずに終わってくれということだ。
いつもわがままひとつ言わないのに、最後の頼みがこれだなんてあんまりだ。
せっかく主が情けをくれたのに、逃げる先が変わってしまった。
ラーハルトは瓶の蓋を開けた。
カチャリと扉を開けて、ダイと、アバンと、各国の代表者たちが入室した。
そこには、床に倒れる二人の姿があった。
ラーハルトは、ヒュンケルの頭を大事そうに抱えながら、やさしく微笑んで眠りについていた。
「勝った……」
ダイはそう呟いた。
数刻前。
国際軍事裁判だ。主な発言は各々の国の司法のトップが行っていた。
「大量殺戮を、のちの功績だけで帳消しにできるようなら罪など無いも同じ。やはりクロコダイン、ヒュンケル、ラーハルトの三名は裁きを免れ得ないかと」
身元引き受け兼、弁護者としてダイも此処に列席はしているが、いささか門外漢であった。一人で割って入っているのは同様の役目で参じていたアバンだった。
「ですが投降兵に死罪を与えていては投降する者など居なくなります。法は無益な殺戮を助長する為にあるのではない」
「それは一般兵の場合でしょう。指揮官は責任者です。責任をとらねば」
「どのように責任を取るかは一律ではないはず。情報提供による司法取引の例も有りますが、彼らは更に命を賭した戦いでも購った。十分では」
「購い切れたでしょうか。クロコダインは良いでしょう、ロモス城下の破壊はあったもののそれは勇者の揺動の目的のみにて市民に死者は出ませんでした。ですがヒュンケルとラーハルトについては、パプニカ、リンガイアの首都を陥落させており死者も多数でております」
「しかし戦いに於ける国際規則は戦後に制定された。それで戦中の彼らを裁くのは法令不遡及の原則にも反するはず」
「パプニカにもリンガイアにもそれぞれ既存の法があります。それらに照らし合わせて刑期を計算したところ……」
「二人で合わせて懲役三千年以上、ですか? 死罪を超えていますね」
「公正な判定に基づく算出です」
「戦争中であったという事実をお忘れなきよう。平時の殺人罪が適用される時下ではありません」
「通常の戦犯でもない事をご留意いただきたい。彼らは単身で国を滅ぼせます。その危険性は恐怖です」
「恐怖、ですか。論理が法から離れましたね」
「事実です。それが世界の多数の人間が抱く懸念です。特にラーハルトが問題です。寿命が長い。ダイ殿がご不在と成られ次第、敵に回ってもおかしくない」
聞いていて、ダイは叫び出したくなった。泣きたくもなった。みんなを助けたいけれど、国の代表者たちもたくさんの遺族の想いを背負ってここにやってきている、その気持ちもわかるからだ。
「結局は、心……の問題ですか? では、あたたかい心を持っているのに更生の機会も与えられないのは、はたして正当でしょうか」
「それは……真にあたたかいかは、心中を推し量る術などありません。未来の保証もないでしょう」
一対多数の議論は平行線を辿り、アバンはしばし押し黙った。
そして不意に弟子の勇者へと目を向けた。
「……ダイ」
「は、はい!」
突然の指名にダイは肩を跳ねさせた。
「貴方の考えでは、ラーハルトは、ヒュンケルがそう望む限り人間には危害を加えない。そうでしたね?」
「それは、絶対そうです」
力強く返事をする。だってそうなのだ。ラーハルトは竜の騎士に絶対服従するけれど、でもラーハルトがうれしそうに甘やかす相手はヒュンケルだけだ。
「考えにくいのではありませんか? 相手は『ヒュンケルに手を出したらおまえら人間どもの命はない』と公言した魔族ですよ?」
「うん……。だから、もしもラーハルトが本当に暴れたら、おれが責任を持って討ち取るよ。でも、おれじゃアイツに勝てるだけなんだ。止められるのは……」
「ヒュンケルだけ、ですね」
アバンの言に、ダイは同意した。
しかし追求は収まらなかった。
「ではヒュンケル亡き後はどうでしょうか。魔族の余命を考えれば想定が必要でしょう」
どれだけ彼を愚弄すれば気が済むのか。さしものダイも机を叩いた。
「ヒュンケルがそう願ったら、ラーハルトは人間に酷いことはしない!」
けれどそれが真実かを確かめる方法は無い。やはり平行線だ。
コホン、とアバンがひとつ咳払いをした。
「では、賭けをしましょうか」
「賭け?」
「未来永劫を証明する、死という覚悟で。もしもヒュンケルがラーハルトを止められたなら、その心を信じて赦免。……いかがです?」
誰もが困惑に隣と顔を見合わせた。
「で、では、アバン殿もダイ殿も、その賭けに負けたなら、彼らの断罪を承服されると?」
ダイは息を飲んだ。彼らの運命を左右してしまうことに尻込みしかけた。
いや、大丈夫だ。ラーハルトはヒュンケルが大好きだ。
ぎゅっと口を引き結び、頷いた。この賭けは勝つ。
アバンが立ち上がった。
「……では仮死状態を作り出す飲み薬を、ふたつ、用意しましょう」
2024.03.01. 21:20~00:25
SKR