渋谷駅前、かの有名な交差点は深夜になっても人も車も途切れることはない。煌々と輝くモニター画面には雑多な情報が流され続け、色鮮やかなLEDに彩られた看板は星の光をかき消すように輝いている。夜の闇さえ寄せ付けない光の奔流は、月の存在までも薄く儚いものに変えてしまったようだ。
信号が青に変わると一斉に人の流れが動き始め、それぞれの進行方向へと、人々が双方向に入り交じりながら滔々と流れていく。その人混みから少し離れて道路を眺めていた青年が、隣に立つ男に話しかけた。
「ここだったよね、KK」
「ああ、そうだったな」
あの夜、二人が『運命的』に出会った場所がここだった。
「ねぇ、夜の散歩に行かない?」
暁人がそう声をかけてきた。正直なところ面倒だな、とKKは思った。もう飯も食って風呂もはいって、後は寝るだけ、という状態だ。出来ることならこのまま暁人を寝室まで引っ張って行って、さっさと押し倒したいところだが。まるで飼い主に散歩をねだる犬のような目で見つめられては、異を唱えることなど出来ようはずがない。甘いな、俺も。そう思いながら答える。
「あぁ、いいぞ」
その声を聞くや否や、暁人は嬉しそうにKKの腕を取って言う。
「じゃあ、着替えて?」
「は?散歩ってその辺だろ?」
何故わざわざ着替える必要があるのだろうか。部屋着のままでは駄目なのか、近所のコンビニに行く位の感覚でいたKKには甚だ疑問だった。
「ちょっと遠くまで行こうかなって」
「遠くって何処だよ」
「渋谷駅前」
そこは今彼らが居る場所からは、かなり離れている。
「ちょっと散歩に、って感じじゃねぇぞ」
「天狗、使えば速いでしょ」
「タクシーみたいに言うなよ…」
「いいから、これ着て」
結局、暁人が言うままに着替えさせられてKKは外へと連行されていく。
KKは天狗にワイヤーを引っ掛け、高い夜空を滑空していく。暁人はエーテルを操る能力を持たないので、KKに抱き抱えられてその肩にしがみついている。
「やっぱり便利だよね、こういうの。KK、いいなぁ」
羨ましそうに呟く。
「まぁ、これは便利だけどな」
それ以外に関してはどうだろうか。怪異が見えるからといって特に良い事などあった記憶が無い。周囲からは全く理解されないし、見るも不快な有象無象と遭遇することもある。負の要素の方が多い気がする。
「小さい頃にお祖父さんと、河童探したりとかしたんでしょ?楽しそう」
耳元で楽しげに響く声に、ああ、そうだな、と思い至る。暁人と出会えたのは、この能力のおかげと言っていいだろう。これのせいで般若に実験台として変な力を植え付けられ、挙げ句の果てには殺されて、暁人の身体に取り憑いた。結果として今二人は、お互いを代えがたい特別な存在としてここに居る。悪くはない。
眼下には光の洪水。スクランブル交差点が見えてきた。
「目的地に到着だぞ」
KKの声に暁人は笑みを浮かべて遥か下を見下ろす。
あの夜、この場所で、KKは暁人を見つけた。
あの時は霧に呑まれ、人の気配の一切が絶えていた交差点は、今は人々と喧騒に満ち溢れている。あの出来事は無関係な彼らにとっては、もう忘却の彼方なのだろう。
「これで満足したか?」
ぼんやりと雑踏を眺める暁人にKKが声をかける。
「うん、じゃ次行こっか」
「は?次?って、もう帰んじゃねぇのかよ。散歩だろ?どこまで行く気なんだよ」
不機嫌そうに眉をしかめるKKに、甘えを含んだ声で懇願する。
「あと一ヶ所だけ。ね、いいだろ?」
KKの腕に手を添えて、顔を覗き込むようにしてお願いすれば、暁人の経験上大概のことは断られない。今回もそうだった。
「仕方ねぇ、あと一ヶ所だけだぞ」
渋々といった感じで、KKは簡単に譲歩した。恋人の顔を特に気に入っている彼にとっては、これは嬉しくて決して抗えない攻撃なのだ。
営業時間外のカゲリエ展望台に不法侵入すると、街中では我慢していたのだろう、KKは早速、煙草を咥えて火をつけた。煙の流れを見て、暁人の風下に移動する。
「ここは本当に眺めがいいよね」
「そうだな」
「あの時はそれを楽しむ余裕も無かったな」
双眼鏡を覗き込みながら暁人が言う。
「ねぇ、KK」
暁人は双眼鏡から離れてKKに向き直る。真剣な暁人の様子にKKは、吸い始めたばかりの煙草の火を消した。
「僕は恋愛に関しては、全部、KKが初めての相手なんだ」
「ああ、知ってる」
男同士はおろか、女性とも付き合ったことがないのはKKも知っている。こんなに女性から好かれそうな男が何故、とKKは思うが、今時の若者はそんなものなのかも知れない。
「僕たちが付き合い始めたのは、KKが身体を取り戻してからだけど、僕はその前からKKの事が好きなんだよ」
「……出会いは最悪だったけどな」
なんせ俺はおまえを殺そうとしたんだからな、とKKは思い返す。無意識に自分の右手を見ていた。この手で暁人を絞め殺そうとした。二度も。その手を暁人がそっと両手で包み込む。
「僕を選んでくれてありがとう、KK」
「……あの時はそれしか選択肢が無かっただけだ」
暁人は静かに首を振る。
「あの時だけじゃないよ」
「おまえこそ、俺なんかで良かったのか?」
「僕はKKじゃなきゃダメなんだ」
熱を帯びた視線で見つめられ、KKは思わず空いている左手で暁人を抱きしめる。暁人は右手から手を離し、KKの首に腕を回す。解放された右手は暁人の腰を抱いて、さらに強く抱き寄せた。
「だから二人が出会って、初めて一緒に過ごしたあの夜が、僕にとってのKKとの初デートになるんだよ」
抱き合ったまま、KKの耳元で暁人は囁く。
「でも、あの時はとにかく必死だったから、色々な事に」
だから、ほんの少しだけ、あの夜を再現して二人で過ごしてみたかった。それが暁人の今夜のお散歩だったようだ。
「だからこの格好なのか」
「そうだよ」
初めて会った時と同じ服装。黒ずくめのKKとジャケット姿の暁人。
「今度は東京タワーにも行きたいな」
「また、いつかな」
暁人を抱いたまま、KKはワイヤーを伸ばして天狗を捕まえる。
「今夜はもういいだろ?」
さっさと部屋に戻って、思う存分にこの可愛い恋人を抱くことにしよう。少し眠そうだが、今夜は多分、寝かせてはやれなさそうだなとKKは思った。可哀想だがこんな男と関係を持ったのが、運の尽きだ。諦めろよ。