Sound of Wind, Chips, and Your Dream 昼下がり。なんとなく口寂しい時間。マーヴはガレージに篭っている。つまり今すぐお菓子を取り行けば、マーヴにバレずに小腹を満たせるということ。
今日の天気は快晴で、気温も風も心地良い。家のところどころで窓を開け、部屋の中まで風の匂いを感じる。こういう日はのんびりと過ごしたい。
「確かあの棚にアレがあったはず……」
収納場所を一ヶ所ずつ思い出しながらキッチンを目指した。そうだ、冷えた炭酸水をお供にしよう。シュガーフリーのドリンクなら大丈夫。決意してキッチンに入ると、思わぬ先客がいた。
「あれ、マーヴ? ここにいたん……あ、」
見るとマーヴはキッチンカウンターに突っ伏して眠っている。思わず言葉が途切れ、足もぴたりと止まった。ガレージにいると思ってたのに。どうやらマーヴを起こさないようにしておやつを用意するしかないらしい。慣れてはいるが、やはり緊張はする。目当ての棚はマーヴの真後ろにあり、ぐるりとカウンターを回り込まなければならない。そっとマーヴに近づき今一度様子を確認すると、彼は小さな寝息を立てている。
「マーヴの寝息……! 可愛い音……」
微かな寝息に気を取られつつ、どうにか起こさずに棚からチップスの袋を取り出すことができた。また、無音で冷蔵庫から炭酸水を出すことにも成功した。我ながら今日は調子が良い日なのだとわかる。マーヴは耳がいいから、バレずに何かを遂行するのは至難の業なのだ。
調子づいた俺は無音のままチップスと炭酸水をカウンターに置き、マーヴの隣に座った。何も聞こえない空間で、マーヴの寝息だけが飛び回る。あまりにも静かで、すーすーと音を鳴らす寝息はいつもよりはっきりと聞こえてくるほどだ。マーヴの背中は呼吸のリズムに合わせて上下に揺れていて、つい手を添えたくなってしまう。
「いやダメだろ俺、起こすなよ……」
今はマーヴの目を覚まさせてしまうすべての行為に対する衝動を抑えるべきだ。
「こんなところで昼寝するなんて」
しかし彼に声をかけることだけは我慢できないらしい。寝息と同じくらいの小さな声で、何の意味もないようなことばかり呟いてしまう。窓を通り抜ける風は、マーヴの髪を梳かすように撫でていく。
「マーヴ、もっと楽な場所で寝たらいいのに」
そう、それならマーヴと一緒に夢が見られる。
「こんな体勢で寝てるから、Tシャツの裾から背中見えちゃってるよ」
俺は見えていても構わないのだけど。マーヴは気にするだろうから、一応教えておかないとね。あと、起こしちゃいけないから裾から手は入れないでおくよ。
「マーヴもチップス食べる? なんてね」
食べるなら少し残しておこうか? いらない? そっか。
「ねえマーヴ、一つ聞いていいかな」
どれだけ話しかけてもマーヴは目を覚さない。マーヴは返事をしない。
「俺と結婚してくれる?」
眠っている相手にこんなことを聞くのはずるい、それはわかってる。決してイエス以外の返事を聞くのが怖いわけでもなければ、俺の言葉が冗談であるわけでもない。むしろこれは祈りのようなものだ。こんなにも天気が良くて、何も二人を邪魔するものはなく、ただ風が吹くだけ。そんな日にはつい溢れてしまう。今日みたいな日々がこれからも続くように、と。
「まあ、返事は今度でいいよ」
自らの言葉を軽く流し、チップスの袋に手を伸ばした。この時俺は完全に油断していた。袋の擦れる音が鳴った瞬間、マーヴが目を覚まし勢いよく起き上がったのだ。
「今お菓子を開けたな!?」
昼寝から起きたばかりとは思えない瞬発力と判断力で、マーヴは隣で固まる俺を目で捕らえた。
「ま、マーヴ」
「今日は食べないと言ってただろう?」
どういうわけか、俺の口は閉じることを忘れてしまった。
「あー、えっと……起きてたの?」
寝起きのマーヴより鈍った判断力を駆使して、なんとか話をすり替えた。マーヴは小さく一回あくびをして首を振った。
「いや、袋の音がして目が覚めたよ」
「怖……」
「心外だな、君が宣言を破ったんだろう」
その通りだけど、マーヴの野性本能には驚嘆させられる。マーヴは気温差で濡れ始めた炭酸水のボトルを掴みキャップを開けた。炭酸の抜ける音は、この日この場所で一番大きな音だった。ボトルに口をつけ、マーヴは何か思い出したように人差し指を俺に向けた。
「そうだ、今起きる直前に夢を見たんだ」
「夢?」
「ああ……変だな、すごくリアルな夢だった」
そう言ってマーヴは俺に炭酸水をすすめた。ありがたく受け取り一口飲んだところで、マーヴが頬杖をつき宙を見つめた。
「夢の中で君は何か話していたんだけどね、まるで今こうして会話してるのと同じくらい現実的に感じたんだよ」
「俺が話してた?」
まさか夢の中でさっきの話を聞いていたんじゃないだろうな……。マーヴとマーヴが見つめる何もない空間に交互に視線を泳がせていると、彼は頬杖をついたままこちらを向いた。
「でも君が何を話してたか、全部忘れちゃった」
それからマーヴはあっけらかんと笑った。
「え、あ、そう……」
よかった、聞かれていなかった。……よかったってなんだよ。よかったのか、これで? マーヴは微笑みを崩さず俺の頬に手を添えた。
「夢で話してる時の君が幸せそうだったから、早く内容を思い出したいんだけどね……。思い出したら報告するよ」
そして添えた手の親指で頬を撫でた。
「……いやいいよ、知ってるから」
「? 知ってるの?」
マーヴはその柔らかく温かい手を引っ込めた。不思議そうに目を丸くしている。知ってるよ、俺がマーヴの夢で何を言ったのかは全部知ってる。
「うん。いつか現実でも話すよ」
きっとその時には、俺の言葉はただの祈りではなく、二人で交わす固い約束になるはずだ。夢や願望では終わらない。必ず現実に起きることだ。
「本当は自力で思い出したいけど、君から聞いて答え合わせするのもいいかもね」
マーヴはにっこりと笑う。おかしいな、キッチンにいるはずなのにマーヴの周りには花が咲いている。マーヴは記憶力がいいから、そのうち思い出してしまうだろう。そうなる前に言わないと。
「そう、その通り。なんなら忘れてくれてもいいんだよ? ほら、一枚どうぞ」
いまだ幻の花の中で、マーヴは小さく唸って考えている。マーヴの思考を邪魔するため、チップスを一枚差し出した。彼は俺の手から直接チップスを咥えた。軽い音を立てて咀嚼しながら彼は何かに思い至ったようで、自らの口元を指差し眉を寄せた。
「この一枚でさっきの夢を忘れろってこと?」
「ん? なに、一枚じゃ足りない? それとももっといいものにする?」
俺とか、と言葉を続けようとしたところでマーヴは俺の手を掴み、持っていたチップスを彼の口に入れた。
「三枚だ、三枚で忘れてあげるよ」
「せっかくお菓子よりいいものがあるのに」
「そんなのどこにある?」
マーヴはわざとらしくキッチンをぐるりと見渡した。ねえ、俺が見えない?
「マーヴの近くにあるよ」
そう言ってマーヴの額にキスをすると、彼はくすぐったそうに笑った。そして今度は彼自身の手でチップスを口に運んだ。これで三枚。
「で、忘れてくれた?」
「ああ、忘れたよ。綺麗さっぱり」
またわざとらしく片眉を上げてマーヴが答えた。俺を見上げる彼の両目は知りたがっている。俺が夢の中で何を伝えようとしていたのか、その目を輝かせ探っている。マーヴ、悪いけどまだ言えないんだ。中途半端じゃダメだから、答え合わせはもう少し先にしよう。
庭の緑や窓のカーテンを揺らす風。その風に色をつけられるとしたら、今目の前に広がるマーヴの虹彩の色になるんじゃないだろうか。
「そう、ならよかった」
「ああ、よかったよ」
マーヴは小さく笑って席を立ち、ガレージにいるからね、と伸びをしながらキッチンを出て行った。
俺もマーヴに伝えたい言葉を組み立てながら、少し昼寝でもしようかな。きっと考えすぎて眠れないかもしれないが、予行は大切だ。だって、本番はマーヴの夢より良いものにしたいから。