君に捧げた心臓は永遠に高鳴ることをやめない その退治人を初めて見た時、向日葵のようだと思った。
太陽に愛された大輪の花。強く美しく、大空に向かって真っ直ぐ伸びるその姿に、一目惚れしたのだ。
そういえば向日葵の花言葉にも「一目惚れ」なんてものがあったなと、誰が植えたか知らないが、城の近くに咲いていた黄色い花を見つけた時に調べたことを思い出す。今やすっかりあの土地は彼らのものだった。
花は愛でるものだ。太陽を浴びて元気に育った昼の匂いを放つそれに、ドラルクはいつも恋焦がれて仕方がなかった。
*
傷口に消毒液が染みて痛いという理由で、ロナルドは目の前で彼の腕の傷を手当てしているドラルクを八つ当たりみたいに殴った。
当然ロナルドの戯れみたいなパンチですら受け止められない吸血鬼は崩れて塵の山となる。
「やめんか! 痛いのは自業自得だろ」
ジョンの泣き声をBGMに素早く元に戻ったドラルクは愛しのマジロを抱き上げて救急箱を片付ける。
「お前ってストレスなさそうだな」
「はあー? 何だね突然。私は五歳児の育児で毎日ストレス塗れだが?」
「誰が五歳児だ」
いつもの口喧嘩はコミュニケーションの一種のようなものだとジョンは思っている。それとは別に主人の死は悲しい。
ヌーと泣きながら砂山になったドラルクに縋る。
「お人好しも過ぎれば有害だぞ。若造は考えもせず事件に突っ込んで行くじゃないか。怪我した君の面倒を見る私の気持ちも考えたまえ」
「それはお前もだろ。すぐ死んでバカやらかすくせに面白いとか抜かして事件に突っ込んで行きやがって。事態を収集する俺の身にもなれ」
「理由は違えど行き着く先はどうせ同じだ。だったら楽しくやろうじゃないか」
「こちとら仕事だ!」
仕事だから楽しんではいけない、ということはないと思う。もちろん人命に関わることも多い退治人の仕事だ。手を抜けとか気を抜けと言っているわけではない。ただもう少し人生を楽しめと、長く生きた先輩としてドラルクは思うのだ。
ロナルドの師匠だって趣味でやっているのだから、仕事に楽しみを持ち込むことは悪いことではないだろう。
お人好しのロナルドには退治人という仕事が天職だろうと、赤の他人のドラルクでさえ見ていて思うのだから。続けていくつもりならもっと楽しめばいいのにと、生真面目ワーカホリックの相棒に半ば呆れてしまう。
「仕事にやりがいを感じてるのはいいと思うけどね。それが君のすべてじゃないんだから、もう少し気をつけなさいよ」
つい先日、そんなやり取りをしたのが走馬灯のようにドラルクの脳裏に浮かぶ。
人生それがすべてじゃなくても、ロナルドなら迷わず飛び込むだろうと思った。目の前の川で溺れている人間がいたら。助けを必要としていれば手を差し伸べるのがあの男だ。
似たくもないところばかりが感化される。
「おい、爺さん、すぐ助けを呼ぶから死ぬんじゃないぞ!」
ドラルクは声を張り上げて、増水した川の中でかろうじて水草に掴まっている年寄りに言い聞かせる。
昨日の雨のせいで水かさが上がっていたところに足を滑らせたのだろう。こんな日に土手で散歩してるんじゃない、夜目も効かないくせに人間は。
年配の男が握っている同じ水草を掴んで手繰り寄せようとするが、いかんせん細腕ではびくともしなかった。
生憎ロナルドはまだ仕事中だ。今日は依頼人の家に出た下等吸血鬼を退治しに行っている。
「ジョン、警察と救急車、それからギルドに連絡してくれるかい」
ドラルクは一瞬迷った。あの人間を助ける前に自分が死んでしまうのではないか、あの人間に辿り着けても途中で力尽きてしまうんじゃないかと。誰か助けを待った方が確実に助かる可能性の方が高い。
「ヌー!?」
驚きの声を上げる使い魔を背に、ドラルクはマントを脱いで川に足を踏み入れる。冬の冷たい水でなかったのは幸いだった。水中で死ぬのだけは避けたい。
水の深さと速さに飲み込まれそうになるのを必死で耐えながら、せめて泳げる生き物になれよと念じながら変身する。
それなりに形になった魚の尾とヒレを懸命に動かしながらドラルクは川の流れに逆らって男に近づいた。
「早く掴まれ!」
「は、はいっ」
突然現れた人面魚に驚きながらも、溺れかけていた男はもがきながらドラルクの鱗に包まれた胴体に片手を伸ばして掴む。
予想通りさすがに人間一人を運ぶにはドラルクの体力が無さすぎた。ようは他の助けが来るまでこの男が溺れて流されなければいいのだ。
「死んだら殺すぞ、ドラルク!」
どれぐらい経ったのか。突然聞こえた、世界一物騒なセリフを放つ信頼できる声を頼りにドラルクは死にものぐるいで泳ぐ。気づけばふとましい腕にがっしりと掴まれ、陸に向かって勢いよく放り上げられた。
当然地面に華麗に着地とはいかず、べしゃりと叩きつけられて塵となる。
「なんでロナルド君が居るんだ」
濡れた服に不快になりながら復活して、救助された老人を介抱しているロナルドを見上げた。なんでと尋ねながらも、この男なら駆けつけるだろうなと確信めいた思いもあった。
「仕事終わったから、ギルドに寄ってたんだよ。そしたらジョンから電話があって。つーか、俺にも連絡寄越せやクソ砂、ジョン泣かせてんじゃねぇ!」
「それで走って来てくれたの? ゴリラにも程があるぞ」
「タクシーに決まってるだろ! 論点そこじゃねぇ!」
その後すぐに救急車と警察が来て、見知らぬ老人は保護された。ロナルドとドラルクは事情聴取を受け、ドラルクが吸血鬼という理由で吸血鬼対策課にも連絡が入れられ、パトカーで現れたヒナイチにドラルクは心底心配された。
一足先に事情聴取を終えたドラルクはジョンと一緒にタオルに包まってロナルドを待っていた。
「困ったなあ、若造のお人好しが移ったのかもしれない。家族は似るというが、悪いところばかりが似てしまったね」
話しかけながら主人に縋りついて腕の中から離れようとしない使い魔の額を撫でる。
ジョンには一生分の心配をさせてしまった。帰ったらたっぷり甘やかしてやらなければとさすがに反省する。いつもロナルドに無茶をするなと叱っている自分が、少し無茶をしすぎたのも自覚して情けなくなる。
警察にぺこぺこと頭を下げたロナルドが疲れた様子でドラルクの方に歩いて来るのを見て近づいた。
「もう終わった?」
ドラルクはクシュンとくしゃみをした拍子に塵になってしまう。呆れたような困ったような顔でロナルドがそれを見下ろした。
「何やってるんだ、帰るぞ」
「待て、二人共。送って行くぞ」
停まっていたパトカーの扉が開いて、助手席のヒナイチが顔を出す。
「ヒナイチ君、気が利くじゃないか。ではお言葉に甘えて」
「ありがとな、ヒナイチ」
いつもなら遠慮するロナルドも、さすがに大人しく礼を述べてドラルクの後から濡れた身体をタオルで覆って後部座席に押し込んだ。
ドラルクはまだ仕事用の顔を貼り付けたままのロナルドの横顔を見つめる。
いつもより大人しく考え込んだ様子に、これで少しはロナルドもドラルクの気持ちを――大切な人が怪我をして帰って来る心配や不安を味わえばいいと思わなくもない。
先に入れ功労者、とロナルドが珍しく、本当に珍しく、労ってくれるのでドラルクは甘んじて入浴を済ませた。
着替えを終えて、銀髪の人影につられて浴室の向かいに見えていたバルコニーに続く扉を開ける。シャワーを浴びて火照った身体に対して夜風が心地良い。
こっそり煙草でも吸ってるのだろうか。夜の町を見下ろす背中に声をかける。
「ロナルド君? お風呂空いたよ」
「飲んだらすぐ行く」
振り返ったロナルドの手には煙草ではなくマグカップが握られていた。
「風邪ひかないでよ」
「ん。……なあ、ドラ公」
「何だね?」
ロナルドの緊張した面持ちに、ドラルクも自然と身構えた。
「頼むから、俺の知らないところで勝手に死ぬなよ」
「何を言い出すかと思えば、それこそ私のセリフじゃないか。君だって、私の知らないところで怪我をして帰って来るだろ。お互い様だとは思わないのかね?」
当然憤慨しているが、普段遠慮なく殺して来るくせに、ドラルクのことが大切で、生きて隣にいて欲しいと縋ってくれていることに、嬉しくもなる。
一瞬でも大切な存在を失う怖さを味わった効果はてきめんだったようだ。
「……だって、俺は、強いから大丈夫だ。でもお前は違うだろ、すぐ死ぬくせに……」
「そうだ、全然違う! 私はすぐ死ぬが再生できる。君は一度死んだらもう二度と生き返らないんだぞ!」
「なんで俺が怒られてんだよ。怒ってるのは俺なのに!」
「私だってずっと前から怒っとるわバカ造!」
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌヌン、ヌヌッヌ!」
ドラルク様、ロナルド君、ストップ!
見兼ねたジョンがドラルクの頭上から声を張り上げた。いつもは二人の応酬に加勢するか傍観するジョンが珍しく、ご近所迷惑でしょ、と注意する。
「すまなかったね、ジョン。ロナルド君も早くお風呂済ませておいで。夜食用意しておくから。ゴリラも腹が満たされたら少しは気持ちが紛れるだろう」
まだ不服そうにするロナルドに背を向けてドラルクは足早にキッチンに引っ込んだ。
こういう時は美味しい料理を作るに限る。ドラルクにとっても、ロナルドにとっても、もちろんジョンにとってもだ。
*
コンコン、棺の蓋を叩く音が聞こえる。
「まだ起きてるか?」
ドラルクが黙って耳を澄ませていたら、今度はガチャガチャと蓋をこじ開けようとしてくる。
ロックがかかってるのに開くわけないだろ。壊す気かこのゴリラ。
やれやれ仕方ないといった体裁を装って解除する。本当のところ、ドラルクも彼と話がしたかった。
急に蓋が開いたことにロナルドは驚きながら、そっと棺の中を覗き込んで来る。
「……起きてるが、何か用かね?」
「ジョンは?」
「さすがに泣き疲れて寝たよ」
ロナルドは眉尻を下げて、眠るジョンを腹の上に抱いたまま棺から出てこない寝巻き姿のドラルクを見下ろした。
「さっきは怒鳴って悪かった。今日のドラルクは、すごくよくやったよ。死なずに耐えて偉かったな」
「今度は誉め殺しかね。すぐに君が駆けつけてくれたおかげだろう。……助けてくれてありがとう」
「俺が兄貴みたいな、もっと強い退治人だったらよかったのにな……」
「エンタメのヒーローみたいにピンチに間に合ったんだから十分すごいでしょうが」
「今回は偶々だろ」
「それに私は君がお兄さんみたいじゃなくてよかったよ。君がモテすぎたら私が嫉妬で狂う」
もう大概、狂ってはいる。誰彼構わず牽制して、彼の隣は自分のものだと主張しまくっているのだから。誰とは言わないが、彼の好みそうな巨乳の美女にだって容赦はしない。
「そんな物好きなやつ、お前だけだって」
恋情に鈍いロナルドも流石にドラルクの物言いから異変に気づいたようで、おやすみと立ち去ろうとする。鍛えられた腕を引き寄せる力はないが、掴めば辛うじて引き止めることができた。
「まだ眠れそうにないんだ。興奮冷めやらぬ感じでね」
「そういうことあるよな。俺も未だに大きな仕事した後は寝れなくなる」
「そうだ、ロナルド君、ちょっと抱き枕になってくれる?」
いつもならふざけるなと容赦なく暴力がドラルクを襲うが、ロナルドは頬を赤らめて首を傾げるだけだった。
「……狭くないか?」
「大丈夫だよ。おいで、ロナルド君」
ドラルクはジョンを落とさないように抱え直し、棺にスペースを作るために身体の位置を変えた。
手招きすれば、ロナルドは大きな身体をなんとか棺の隙間に収めようと慎重に入って来る。
ようやく枕に頭を沈めて向かい合うと、ドラルクは恋人の赤く染まった頬に素手を這わせた。
「いいね、こうすると君の顔がよく見える」
至近距離で長い睫毛に縁取られた青い双眸を見つめながら、頬からピアスの外された耳へと細い指を伸ばした。柔らかな耳朶までかたちを確かめるように、すりすりと撫でさする。
黙ってされるがままのロナルドに気を良くして、そっと触れるだけのキスを唇に与えた。
「っ、おい、ドラ公……」
「なんだね?」
「や、やめろよ、ジョンもいるのに」
「静かにしてれば起きないよ」
「変なことすんなよ」
「キスだけだから。今は君を甘やかしたい気分なんだ」
思案顔を見せるも程なくして小さく頷いたロナルドに再びキスを贈る。愛情たっぷりに啄んで、長い舌で唇の表面をくすぐった。ゆっくりと綻んだ口腔に舌を伸ばして優しく舐め尽くす。
無鉄砲な退治人の彼が憎らしくて、どうしようもなく愛しい。自分の命を削って、他人を守っている彼が。他人を思いやれる人間らしい彼が。誇らしくてたまらなかった。この純粋で善良な男が私の退治人、私の恋人なのだと、全世界に自慢して回りたいくらいには。
「私は君に夢中だよ、ロナルド君」
「そうかよ」
「愛してる」
「もうわかったから」
「だってこんな時でないと君に殺されてしまうだろ」
「うぅ……」
唸り声のような悲鳴のような、恥ずかしいと言わんばかりの声がロナルドの喉から漏れ聞こえる。
「私の愛は永遠にロナルド君のものだからね。半分はジョンに、残りの半分はロナルド君に捧げてしまったんだから、覚悟したまえよ」
「……うん。俺も、お前が好き」
照れ屋な恋人の控えめな愛の言葉。けれどいつになく素直な態度に、愛しさが募ってふふっと笑い声が零れてしまう。
「ドラドラちゃんはお人好しなんて柄じゃないのに、こんなにも君に似てしまったんだから責任をとってもらわないと」
ドラルクのプロポーズ紛いの言葉にロナルドは困ったようにはにかむ。
「……俺、お前のこと置いて行くと思うけど、いいのか?」
ロナルドの容易く自分を犠牲にしてしまうその不器用なところでさえ愛しいのだから厄介だ。できることならもう少し、生きることに執着してくれたらいいのにとは思うが。
「いつか訪れる未来を心配するより、我々と一緒に今日を面白おかしく生きようじゃないか。毎日楽しいことが積み重なって、“俺の人生最高だったな”って最後に言いたくないかね?」
「それも悪くないかもな。ちゃんと最後に聞き届けろよ?」
ロナルドの真っ直ぐすぎる青空に似た視線に焦がされそうになる。太陽を仰ぐ向日葵もこんな気持ちなのだろうか。
「もちろんだとも」
――君の生命の輝きを一瞬足りとも見逃したくはないからね。
だから今夜もドラルクは退治人にとって良き隣人の吸血鬼として物分りのいいフリをする。