「冬と狼 星の夜に」(前略)
ところで主の前に相棒の話しである。彼は自分と同じ化生の類だ。
自分達が付喪神と呼ばれる存在であること、自分を買い求めた人間の男、つまりは自分達の主のこと、彼はなんでも教えてくれた。
若いという言葉ではまだ足りない。単に幼いとも違う。そんな「生じたばかり」の自分を大変可愛がり、気にかけ、主が時折とても意地の悪いことを言ったりやったりするのから庇ってくれたりもした。
「僕は脇差だからね。お手伝いとかお世話が出来るのが嬉しいんだ。君の本体は非の打ちどころのない良品だし姿形も立派だけど、付喪としては赤ん坊だもの、尚のこと気になるよ」
これでも僕は何百も『年上』だしね、と彼は笑った。
堀川国広というこの少年の姿をした脇差の付喪神は、己の正体について人間の世界では色々と賑やかで定かでないことも一番初めに知らせてきた。
曰く、自分がヤンチャをした時に舐められないよう、最初にきちんとしておこうと思ったらしい。
それがそんなに大事なことだなどと露ほども考えなかった彼曰くの赤ん坊は、言われるまま「そうなのか」とただ素直に受け入れた。
少しして世間という物が少々解るようになってからやっと、堀川が何故出会って早々にそんな話を聞かせようとしたのか、その気持ちを理解した。
理解したといってもその言動の理由であって心の内まで解ったと奢った訳ではない。ただとにかく彼の中にある複雑に漸く少し触れたのだ。
君は僕の相棒、僕は君の相棒になったんだよ。
笑顔で告げられたその言葉が彼にとってどれほどの重みを持つか、本当に知るのはもっとずっと先の話だ。
さて、いよいよ主の話だ。
新撰組副長、土方歳三。
そうしっかりとした声で名乗った男は堂々とした良い男だった。もちろん暫く経ってから知った事だが、美醜で評価しても他者から美男と思われる姿で、つまるところよくモテた。
組織の筆頭補佐などしているくらいだからまあ色々と思うところあって近づく者が居たのも確かだが、少なくとも彼と彼の敬愛する、或いは大事に思う仲間と作り上げた組織を嫌わぬ人であれば、老若男女惹きつける魅力のある男だったのは確かだ。
ただし身分と立場は本人の望みとは沿っておらず、その事で随分悔しい思いと板挟みの折衝を重ねてきた苦労人でもあったが。
見目好い男がそれなりの立場にあれば当然反発ややっかみも多く買うし、本人も生来の短気な質だからしょっちゅう怒っていた。子供の頃やまだ肩書きのない頃は喧嘩沙汰も日常茶飯事だったそうで、生まれた地方の言葉で公然と悪餓鬼と呼ばれ、時には乱暴が過ぎると疎まれるほどであったらしい。
これも後年知ったことの一つだが。
色々と評価に事欠かない男であったのは確かだ。
良くも悪くも目立ち、そして義兄弟とも慕うたった一人を押し上げるためならばどんな労力も、決して賞賛されぬ事柄に手を染めることさえ厭わない。目的のために必要となれば引くことも知っている、そういう人だった。
目的も理想も少しずつ違う血気盛んな男所帯をまとめようというのだ、日々大小様々起こる問題に、立場を持ってしまった男が眉を寄せたり頭を抱えることが当たり前になった頃。
それが和泉守兼定が土方歳三の刀になった時分の、新撰組という組織がまだ夢を見ることが出来た、物騒で賑やかで不穏な時代を象徴するように騒がしいある一幕と運命の重なるところだった。
ぴかぴかの新品だったのはほんの僅かの間のことだった。
化生の姿は人の写しそのままといっても過言ではなく、裸でいる訳にはいかないという感覚や恥の概念も人に染められて生まれる存在らしいといえばらしいもので、だから恐らくこれを常識と呼ぶのだろうあれやこれやの少々は、姿を現すことが出来るようになったその瞬間から身に付いていた。
とはいえ打たれたばかりの本体とはまさしく切っても切れぬ我が身である。男の元に納められると決まった時にはまだ何にも染まぬ証の如く真白で、飾りや遊びなど一切無かった衣装は、拵を与えられた時にそれこそ見事な衣替えをした。色鮮やかに、そして彼の理想と望みのままに。
「ほう」
一言寄越した主たる男が何を思ったのかは知らない。
ただ、満足そうなその一言だけで良かった。
主。そう、この男が自分の主なのだとその思いを強くした瞬間でもあった。
この時と、初めて『使って貰った』時。
多分それが本当に主という存在を持った瞬間だったと思う。
「兼定」
そう呼ばれるたびに心が震えた。嬉しい、嬉しいと仮初の心臓が跳ねる。
「お前ぇは随分別嬪になったもんだな。振るえば一太刀の流石の切れ味もその形(なり)からはまるで想像がつかねえや」
に、と笑う主の指が悪戯に髪を掬う。
「……主がそう願ったからじゃないんですか。オレはあんたの好みに副う、そういうモノだと思う」
「へぇ。んじゃあ国広がああなのも俺の所為か?」
「それはどうか知らないです。国広は、『何百も生きてる』と言ってるじゃないですか。人間はそんなに長く生きないんでしょう? 色んな人の手を渡って来てああいう姿になったなら、それは主一人を知ったばかりのオレとは少し違うかも知れない」
だから拵を揃いにしてくれたのは嬉しかった、と言ったら、だろう、と主は頷いた。しかし、と続いた言葉は良く解らなかったが。
「はあ、なるほどねえ。つまりお前さんは生娘同然ってことか」
「き……?」
聞いたことが無い言葉に首を傾げると、意地の悪い顔をして主が言った。
「だぁめだねえ、そういう顔を見せる相手は選ぶもんだ。取って食われちまうぞ、お前」
「オレなんか食っても美味くないんじゃないですか……? 元はただの鋼ですよ。人間が食えるもんじゃないような気がする」
「ははっ、違いねえ。お前や国広の肉は美味かねえかもな。大体、幾ら鬼のように人を斬る組の副長サンでも人の姿をしたもんを食う趣味はねえや」
「主以外に食わせるつもりなんかない。……です」
む、として言い返したらいよいよ主は堪えきれなかったと見えて噴き出した。
何を笑われているのかさっぱり解らないで困惑していると、からりと開いた襖の向こうからやはり少々むっとした堀川が現れる。
「また兼さんのこと揶揄ってるの、歳さん。意地が悪いですよ。この子こんな姿でもまだ何にも知らない無垢なんだから、笑ったら可哀想だ」
「無垢、無垢ねえ…… もう何人も斬り殺した刀が無垢ってえのはなんとも釣り合いの取れねえこったな」
自分たちはただ腰元に飾られているのがお役目の刀ではない。主の危険はなるべくなら避けたいが、仕事ならば自分が敵を斬るのは良いことではないのか、と疑問に思う。そもそも武器であるのだし。
「またそんな無防備な顔しやがって。形はでかくっても本当に赤ん坊だな」
「もう、だから言ってるじゃないですか。姿が立派なのは本体が健全な証拠! だからって世間も人間もよく知らないのになんでも訳知り顔で説かれたら怖いでしょう?」
「ま、それもそうか。何しろ親父殿しか人間を知らん内に貰い受けちまったからな。荒くれモンの集まりにお迎えするにゃ高嶺の花だ」
「あちこち散々強請ってやっと兼さんを手に入れたのは歳さんでしょう」
強請ってやっと手に入れた。
その言葉が意味するところを想像してチクリと生まれたばかりの心が痛む。
「主は、他に、欲しい刀があったのか……」
少し声が小さくなったのを恥じていたら、丸い眼を更に丸く見開いた堀川に見つめられた。
「何言ってるの兼さん。歳さんが欲しかったのは『和泉守兼定』だよ。そんなに簡単に手に入る刀じゃないのは兼さん、貴方だよ」
「おうよ、お前ぇさんは俺にはちっと難儀な買いモンでなあ、伝手と金策には苦労した。だが、惚れ込んだ刀を手に入れられるは剣を扱う者の至上。俺好みに変わるなんてな化生が付いてるとなりゃあ自慢以外のなんでもねえな」
てっきり望む刀を探しても誰も手放さない、もしくは金子の都合で手が出ない、それでお前が精一杯だった。そう言われたのだと思った。何しろ世には名刀が溢れている。実用の時代が一度終息したこともあって目利きも減った。下手をすればとんだ鈍や贋作を掴まされることも稀ではない。己の主が身分確かな大大名様なら何も思わなかったが、そういう意味では完全に市井の人であるから『妥協』したのだろうと思ったのだ。
もちろん己を生み出した『親父様』は並とは一線を画す本物の腕がある人だと解っている。何しろ「和泉守」を名乗ることを許されているのだ。拝領となると画策と金だけで手に入る物ではないし、親父様は裏から手を回してまで形だけの名声を欲しがる人でもない。そもそも「兼定」の銘を切れる時点で充分に評価を得られるのだ。格が上がって損をする物ではないが、必死にお飾りの名を得る必要もない。
そんな人が生み出してくれたのだ、自分自身が己が銘を誇りに思えなくてどうする、と強気になれるだけの実績を持つ人だ。
けれど、求める人にとって「それ」でなければ意味がないとなれば、例え世間での評価が探している品より上等だったとしても価値は薄れてしまう。道具として生まれたからこそ、その感覚は本能のように刷り込まれている。
自慢、と言われて勘違いで萎んでいた心は一息に満たされ、誉で膨れ上がった。
ほら、こっちこい、と手招かれるまま隣に侍れば、主の剣ダコで固くなった、それでいて整った形をしている掌が髪を撫でた。
「綺麗だなァ。そこいらの女よりよっぽど別嬪さんだ」
その声が刀身を扱う時と少し趣を変えている事は解ったが、どういう風に褒められているのかがまだよく解らない。女に準えられていても尚、彼に褒められていると思うと高揚することにはまだ戸惑いを覚える。
「歳さん」
堀川の恐ろしいほど低い声で名を呼ばれても主はどこ吹く風だ。
「いーいじゃねえか、手籠めにしようってんじゃねえんだ。髪撫でるくらい可愛いもんだろ」
「……そうやっていっつも女の人口説き落としちゃう人なんだからまったく説得力ないです」
「オレは、女じゃないですよ」
ははは、と主が機嫌よく笑う。
「その通りだな、お前さんはどこぞの姫さんのような見事な衣装を纏っちゃあいるが立派に男子の体つきだよな。不思議なもんだねえ。衆道の気なんざ爪の先程もねえ俺でも、お前は美人だと思う。こうして触れてやりたいと思う。お前が化生だからか、嫌悪ってもんがひとっつも起こらねえ」
嫌悪という言葉にひくりと震えたら可愛い奴だ、と笑われた。
「お前さんは俺のものだ。国広も兼定も、俺の刀だ」
一番欲しい言葉をここぞという時に告げてくる、男はそういう、誑しの質だった。本当に、手に負えない酷い人なのだった。
多分きっと、この人に願われて乞われた時からすべては決まっていたのだ。彼のために、彼のものらしく、そして彼に『沿う』。すべてが、すべてを。過去も現在も未来までも。
初めて外を見せてもらったその日に教えてもらった天が、星がそうであるように、悠久であれ、と願われたのだろう。
それはきっと土方自身にも自覚のない、意識のないものだったに違いない。それでもそれがすべてだ。
それが彼と兼定との、そして堀川と兼定と、彼と堀川との『すべて』だったのだ。