因縁と因果と約束と「アノガキ……コノ怨ミヲ……」
「アイツノ身体サエ……手二入レバ……」
とある廃墟を一人の魔術師が歩いていた。
彼の専門分野はネクロマンシー。とはいえまだようやく駆け出しを卒業したかと言うくらいのレベルではある。知識を蓄える為、昔それなりに力があったと言われている《怨嗟》アンドラスの遺産を求めてきたのだ。彼の隠れ家だと言われてた場所を転々と巡って今回はここにたどり着いた。
「ちっ、めぼしい物は見当たらないか……漁られた形跡もないし今回の場所はデマだったか……?」
一通り調べて部屋を出ようとしたところ、部屋の入り口にゴースト……いやリッチだろうか?いつの間にか佇んでいた。
「入ってくる時にはいなかったと思うが……まあいい。こいつに聞いて何も無ければ引き上げるか」
彼はリッチに向かって魔術を行使し、魔術関連の物の所へ案内するよう指示する。すると
「まじかよ!こんな所に隠し部屋が……おい、ネクロマンシー関連のものって分かるか?」
リッチは彼の望む本をいくつも持ってくる。それどころかその関連の触媒すら選んで持ってきた。
「これは掘り出し物だぜ!魔導書や触媒もすげえが、このリッチも指示が通りやすいし中々使えるぜ!なんならこのままここを拠点にすれば物も揃ってるし内容把握してるやつまでついてくる!」
そうはしゃいでいる彼は気づくことが出来なかった。
リッチの表情がニタリと怪しく歪んだ事に……
昼すぎのキュアノエイデス、街はいつも通り活気に溢れている。
そんな中、ザガンはネフィとフォルを連れて買い物に来ていた。今日は買ったものも多く、ザガンの手には沢山のリンゴの入った袋やミルクなどがある。ネフィの荷物は比較的小ぶりなもの、フォルは花壇の肥料を大事そうに抱えている。
魔術師の自分たちには買い物袋の重さや量など関係ないが、それでも重たいものをネフィに持たせて自分が軽いものを持つのはなんとなく嫌なのだ。
人通りが少ない所を通ると一人の孤児が道の端っこでうずくまっている。
「あー……そういえば今日はリンゴを沢山買ったが何か作るのか?」
「はい、明日のおやつ用にアップルパイを作る予定です。でも余裕もって購入してあるので幾つか食べたりしても問題はないですよ」
「ふむ、そうか。まあ沢山あるしな。ひとつぐらい無くなっても気がつかんだろう。もし万が一足りなければまた買いにくればいいしな」
「はい、そうかもしれませんね」
ザガンの言葉にネフィはわかっていますというような雰囲気で相槌をうってくれた。
物体操作の魔術を使い、何食わぬ顔で袋のリンゴをひとつ浮浪時の側へと落とす。そちらには視線を向けず、あたかも落としたのを気づかないフリをして通り過ぎていく。
しばらく離れたらフォルが声をかけてきた。
「ザガン、いつも普通に渡さない」
「当たり前だろう。俺は万人を救う聖者などではない。全員に恵んでいたら食い物が幾つあってもたりん」
「でもいつも落としている」
フォルの指摘はもっともだろう。ネフィもザガンの行動をわかっているから多めに購入していたりするのだ。
「ふん、相手が子供でも当然のように食い物をねだる恥知らずなら平気で蹴り飛ばすぞ。それに……」
浮浪時でいられた最後の記憶を思い出す。
「食い物に釣られるようなら、ろくな事にならん。実際俺もそれで魔術師に攫われて危うく生贄にされかけたからな」
「本当にご無事でよかったです」
「殺される直前に返り討ちにしたからな。まぁ散々拷問されたのに一息で殺してしまったから気は晴れんかったが……」
「前に言ってた復讐に失敗した話?」
「まあな。ま、それがバルバロスの師匠だったと知ったのは随分あとだったがな。初めて喧嘩売られた当時はそんなこと知らんかったから変なやつに絡まれたと思ったもんだ」
「便利屋が変なのは今も一緒?」
「そうだな。あいつ根っこの部分は昔から変わってないのかもしれんな」
「バルバロス様も優しいところもありますし、そんなところにシャスティルさんは惹かれたのかもしれませんね」
「あいつは優しくはないと思うが……でもたまに持ってくる酒は美味かったな」
そんな話をしながら大通りに出る。帰りの馬車の所へと向かって歩いていく。
「さてと、帰ったら早速肥料を与えてみないとな」
「うん、美味しいの出来るといいな」
「沢山とれたらマカロンいっぱい作りますね」
そんな魔王一家の様子は既にキュアノエイデスの名物となっていた。街の人々はザガン達を微笑ましく見守っていたりする。
なので特に気にする事はなかった。
一人の魔術師がそんなザガン達を見つめていた事を。
リッチは彼の期待通り……いやそれ以上だった。必要な資料を持ってくるのはもちろん、寝食忘れ没頭して疲れが溜まると疲労回復のレシピと素材まで持ってきてくれたのだ。最近は制作までやって出来た薬を持ってきてくれたりもする。
更にはここには無い彼の望む資料のありそうな場所まで示してくれる。まあ流石に魔王の《魔術師殺し》ザガンや《煉獄》バルバロスを示された時はどうしようもないが……それでも気になってふとキュアノエイデスで買い物をしてる魔王を探してしまうこともある。
最近なんだか身体が重い。おそらくまた魔術の研究に没頭し過ぎたせいだろう。そう思っていたらリッチが薬を持ってきてくれた。それを一気に飲み干す。
「グッ……ゲホッ……!?」
直後激しい目眩と動機に襲われその場に膝をつく。口から血を吐いていた。一体何が起こった!?
「……全ク馬鹿ナヤツダ。他人ガ作ッタ薬ヲ疑イナク飲ムナンテナ……毒トモ知ラズニ……」
「なっ!?貴様!」
「オ前如キ格下ニ使役サレルト思ッタカ……ココマデ弱レバ血縁デナクトモノットレル。ヨウヤクダ」
「このっ、リッチごときが…………!?」
彼はリッチへの憎悪を滾らせ……
「くくくっ、久しぶりの肉体だ。優れた器では無いが、まあアイツの身体を手に入れるまでは大事に使ってやる。ちゃんと示した相手を見つけてくれたみたいだしな。あのガキが成長して魔王になり、更に女と買い物とはな……それにアイツも聖騎士長の女とつるんでいるのか……中々使えそうな情報じゃないか……くくく……」
リッチは消え、後には不気味に笑う男だけが残った。
昼過ぎの執務室、皆それぞれ休憩の為に出払っていてシャスティルとバルバロスは紅茶を飲みながら雑談していた。急にバルバロスが影に潜ったと思ったら、そのあと人が近づいてくる足音が聞こえた。
「失礼します。シャスティル殿、街外れで一家が魔術師に襲われました。子供は保護出来たのですが……親は魔術師に攫われました。行方は現在掴めておりません」
アルフレッドと共に一人の聖騎士が部屋に入ってきて報告する。普段聖騎士達の連絡は三騎士達が継いでくれるのだが、穏やかでは無い内容だ。本人が直接話した方がよいと判断したのだろう。
「な……詳しい状況説明を」
「被害者の一家は両親と子供一人の三人家族です。本日巡回中に魔術師の男と父親が会話してるのを目撃しました。会話の内容は聞き取れませんでしたか、その後家族をつれて魔術師と一緒に郊外へと向かっていくのを不自然に感じ追跡しておりました。街からある程度離れると魔術師は一家を殺戮し始め……捕まえようとした時、子供に向けて魔術を行使され助けてる間に両親を連れて逃げて行きました。それと両親ですが急所を抉られており……おそらく生きていないかも知れません……力及ばず申し訳ありません」
「……そうか。だが子供だけでも助かったのは、あなたが気づいて追跡してくれたおかげだ。ありがとう」
「!?勿体ないお言葉です」
「とにかく警戒は必要だな。しばらく巡回は必ず三人以上で回ること。それともしかすると魔術師は被害者の家に戻ってくるかもしれない。目的も不明だしその周辺は特に調べておいたほうがいいかもしれない」
「分かりました」
指示を出すと二人は部屋を出ていく。しばらくしてシャスティルは影に向かって声をかける。
「あなたはどう思う?もしよければ意見を聞かせて欲しい」
『一言で言うなら不自然だな。死体が欲しいんならネクロマンシー辺りがありえそうだな。けど普通はそもそも人目につかねえ所にいるやつを殺る、もしくは奴隷買ったり孤児など攫うかだ。わざわざ街中の人間をおびき寄せるなんざ教会の目につくようなやり方してる辺り目的わかんねえ』
「ネクロマンシー……つまり両親の身体で何かをするつもりなのか……その人でなければならない理由でもあったのだろうか……」
『さあな。なんか特別な種族や血筋なら狙われんだろうけど……生け贄にすんなら殺さねえだろうし、そもそも大人よりガキの方が良い生贄になる。まあ、あとは何処かで怨みを買ってて魔術師に殺しを依頼されたとかだな』
「そうか……なら落ち着いたら子供に家の事など話を聞いてみるのもいいかもしれないな……トラウマを掘り起こすようで酷かもしれないが……」
『はん、死にかけたのを助けたんだ。仇討ちの為に情報出すくれえ普通だろ?手え貸してやる側が躊躇う必要なんざねえよ』
「全くあなたは……でも参考になったよ。ありがとう」
言い方は悪いけれど、おそらく話を聞きに行くシャスティルの事を気にしてくれてるのだろう。トラウマを抉る事に罪悪感抱かないようにと。
『まだ無差別の可能性だってあるんだ。ポンコツも狙われんよう気をつけるこった。それと紅茶相変わらず不味かったぜ』
見るとバルバロスが飲んでたカップはいつの間にか空になっていた。
「あなたには言われたくないがな」
そういいながらシャスティルはカップを片付け執務を再開した。
不可解な事件から既に三日、バルバロスは食事と情報収集の為に酒場へ来ていた。
教会は色々調べているけれど新しい情報はないようだ。バルバロスもシャスティルに危害を加えられる前に始末したいとは思っている。しかしその後の行動や逃げ込んだ場所が以前掴めないでいた。
思うようにいかず不機嫌に食事をとっているとシャスティルに繋げている影から会話が聞こえてくる。
『シャスティル殿、例の魔術師に襲われた家ですが、その後特に誰か立ち入ったり漁られた形跡は無いそうです。金品などにも手をつけられた形跡はないようで……』
『そうか……では家族そのものが目的なのか……』
盗みがない……?目的が人だとしても魔術師ならついでに金品盗むくらいやるだろう。金は魔術の研究には必要なのだから。
確かに普通は警戒されてる中飛び込むことはしない。けれどわざわざ教会の目につくようなやり方をする奴がそこだけ気にするのか……?どうにも目的がわからない。
『それと……君、こちらへ。この子が例の襲われた子供です』
影越しに姿を確認してみる。年頃は八〜九歳くらいだろうか。別に珍しい種族でもない普通の人族で男の子供だ。あれから数日経ってようやく話を聞くようだ。落ち着いたらと言わずさっさと聞き出せばいいのに……あのポンコツはそういうところをすぐ気にするのだ。
『初めまして、私はシャスティルだ。教会の生活はどうだろうか?』
『皆優しくしてくれるし色々お話聞くのは楽しいよ!お姉ちゃんが皆がよく話してるシャスティル様なの?聖剣の乙女って言われてる……まだ若いのにすごく頑張ってるって聞いた』
『そう思ってもらえてるなら光栄だな。まだまだ力不足なところがあると思うが、私に出来る事は精一杯やらさせてもらってるよ。その……大変な目にあったと聞いた。そんな君にこんな事を聞くのは心苦しいが……君の家族は何処かに恨みを持たれていたり何か特別な血族だったりとか、ないだろうか?』
『うーん……僕たちに恨みがあったのかは分からない……血筋は純粋な人族のみだと思う。少なくともおじいちゃん達も人族だよ』
『ふむ、それと……襲ってきた魔術師に見覚えとか、あの日君のお父さんが何を話してたとか……何か分かることはあるだろうか……?』
『えと……何か楽にお金稼ぎ出来るけど人手が足りないから手伝って欲しいとかお父さんに言われた。それであの人について行ったんだ』
どうやら上手い話にのせられたようだ。魔術師の甘言なんて騙すためだけだろうに。それにしても一家連れ出して親の死体だけ持っていく理由は分からない。両親だけ必要なら子供まで連れてくる必要は無いはずだ。子供が無事だったのは、本当に聖騎士が割って入ったからだろうか?……何か重要なことを見落としている気がする。
『そうか……辛いのに色々教えてくれてありがとう』
『お姉ちゃんは僕の為に動いてくれるの?』
『出来るだけ力になれるよう頑張るよ』
『ありがとう。期待してる!』
『アルフレッドも連れてきてくれてありがとう。色々話が聞けて助かったよ……また手が空いたらでいいからこの子の話し相手にでもなってやってくれ』
『はっ。では失礼します』
そう言って聖騎士は子供を連れて退出していく。
『期待してる……か……』
一人になったシャスティルはそう呟く。おそらく両親を助けられないであろう事に罪悪感を抱いているのだ。聖騎士に話し相手になるように言ったのもせめてもの償いのつもりなのだろう。自分が悪くなくとも抱え込まなくていい事まであいつはすぐ抱えるのだから。
そんなシャスティルに声をかけようとしたけれど黒花が執務室に戻ってきて思い留まる。
猫女と話すポンコツは無理して取り繕ってるようにも見えた。
その日の終業後、密かに作られてるシャスティルファンクラブで定例会が行われていた。内容はシャスティルの様子や身辺状況、趣味嗜好や人柄など多岐にわたり語られている。ちなみに筆頭は蒼天の三騎士のアルフレッドである。
いつも通りシャスティルについて語り合いをしていると保護した子供がやってきた。
「おや?どうした?迷子にでもなったか?」
「えと……なんだか心細くて……その僕話を聞くの好きだからもし良かったら……」
どうやら両親を失い心細くなって話し相手を探していたようだ。シャスティルにも話し相手になるよう言われていたし特に拒む理由はなかった。
「構わないよ。と言っても今話していたのはシャスティル殿のことだけどね。君の好きな話題は何かな?」
「今日お会いしたお姉ちゃんの事ですよね。力になれるよう頑張るって言ってくれた人のこと、僕も色々知りたいです」
シャスティルファンクラブ同士なら尚のこと歓迎だ。アルフレッド達は気をよくして話し出した。
「立派な人だろう?何事も一生懸命なかたでな。それに女性だがとっても強いのだぞ」
「そうなのですか。お話した時は優しそうでしたけど、お強い人ならいつも気を張り続けてるのでしょうか?」
「いや、そうでもないぞ。ここだけの話、仕事終わった直後なんて聖剣持っていても結構隙はあるな。それに子供に対しては警戒心がないしな」
「そうなのですね。それなら僕が話しかけても嫌がられないでしょうか?」
「うーん……シャスティル殿は多忙だからな。執務室は本来限られた人しか入れないし中々会うのは難しいかもしれんが……でも機会があれば話してみるといいと思うぞ」
「そうなんですね……あ、じゃあ何か好きな食べ物とかありますか?あまり高いのは難しいかもですけど……お家が無事なら貯金箱に少しはあります」
どうやらシャスティルの為に何かしたいのだろう。特に伏せておくような内容ではないので話す。
「シャスティル殿は基本的に美味しいものなら何でも好む。特に洋菓子が好きだな」
本当は紅茶も好んでおられるけれど……以前毒を盛られた事があるのでそちらは伝えないでおく。せっかく好意で送るなら悪い思い出がある物は避けた方がよいだろう。
「そうなんですね!ありがとうございます。また色々考えてみます!」
「君は素直でいい子だな。あの男も見習えばいいものも……」
「本当にそうだよな。俺はまだアイツの事を認めてはいないからな!」
「シャスティル様と駆け落ちなど、何かの間違いに決まってる!!」
「み、皆様……でもバルバロスさんはシャスティル様をちゃんと護ってくださいますし……」
「あの男……ですか?」
「ああ……その、魔術師に襲われた君にとっては面白くない話だとは思うが……」
「お姉ちゃん、魔術師と何かあるんですか?」
あらぬ不信感を与えてしまったようだ。弁明する為に言葉を選ぶ。
「その……だな。魔術師と言ってもいいやつも悪いやつもいる。シャスティル殿はそう考えておられる。悪さをしない魔術師とは共存しようとしてるのだ。だが、もちろん君を襲った悪い魔術師などには容赦なく戦う」
「そうなんですね。僕もお姉ちゃんの考えは悪くないと思います。魔術師と協力出来るならそれでいいと思う」
どうやら不信感は拭えたようだ。魔術師に襲われたら大抵の子供は全ての魔術師を嫌う。けれど聡明な子のようでシャスティル殿の考えに理解をしめしているようだ。
「それで、あの男……バルバロスさん?もやっぱり魔術師なのですか?」
「ああ、シャスティル殿は魔術師と共生派だからな。それをよく思わない連中もいるのだよ。その為協力関係にある魔王から護衛として付けられた男なのだが……」
「魔王とも繋がりがあるのですか……」
「確かに魔王は凶悪な面の奴だが……まぁ嫁と街でよく買い物してるようなやつだ。無差別には襲わないはずだ」
いつもならザガンの事を弁明したりしないが、また不信感持たれないように説明する。初めてザガンの城に踏み入った時に返り討ちにあってるのであまり良い思い出もないけれど。
「そうなのですか。魔王にも色々あるのですね」
「まぁそうだな」
「護衛ってことはやっぱり強いのですか?お姉ちゃんとあった時はそれっぽい人はいなかったと思うけど……」
「アイツは影に潜んでるからな……」
「あの悪辣な魔術師が常にシャスティル殿の影に潜んでるなんて……もはやストーカーではないか」
「あいつの事はともかく、シャスティル殿について話をしたかったんだろう?」
「あ、うん」
その後も色々とシャスティルについて語り合う。中々話のわかる子供のようだ。結局お開きになるまで話を聞いていた。
「今日は色々話を聞かせてくれてありがとう。またお話聞きに来てもいいかな?」
「もちろんだ。シャスティル殿が好きなら大歓迎さ」
「ありがとう」
そう言って笑顔でかけていく。今は辛い時期だろう。少しでも心休まる時になったならいいが……
それから更に数日が経ち、不可解な事件から六日目になる。
その日の始業前、バルバロスはシャスティルと紅茶を飲んでいた。ここ最近全く調査は進まず、シャスティルは朝早くから資料見直したりして何とか解決しようとしている。けれどそれが気を張りすぎているように見えて放っておけず顔を出したのだ。
バルバロスが紅茶を入れれば案の定シャスティルは作業を止めて席に着く。
「……お前、あんまし気い張りすぎんなよ?」
「大丈夫だ。私に出来ることをやるだけだよ」
「ここんとこ茶を飲む度言ってっけどよ、ポンコツのせいじゃねえんだ。変に気を負いすぎるなよ?お前が責任感じる必要なんざねえんだからな」
「大丈夫、わかってるよ」
「……はん。どうだかな」
おそらく何度言っても無駄なのだろう。シャスティルの性格上割り切れない事なのだ。それでも言わずにはいられないのだから、そんな自分もどうかと思う。
魔術師の自分が無駄なこととわかってても声をかける。それだけシャスティルの事が大切なのだろう……もう本当は自覚はしてはいるのだ。
しばらくして小間使いのレイチェルが部屋に入ってくる。シャスティルを気づかってなのか特にお茶は中断させず部屋の隅に控えている。
「ま、あんまし無理すんじゃねえぞ。疲労がたたってポンコツやらかすと俺の負担が増える」
「まあ、迷惑かけないように気をつけるが……あなたの方こそどうなのだ?先程から欠伸も多いし寝てないのではないか?」
シャスティルの指摘通りバルバロスは寝ていない。
なんとかシャスティルの害になる前に始末したいと思い、寝ずに調べたり夜も襲われないよう警戒しているのだから。
もともと三日くらいに一度寝る生活ではあったのだ。既に事件が発生する前に二徹しており、更に六日経ってるのでもう八日ほど寝ていない。魔術で脳内物質操作してるとはいえ流石にそろそろ頭も痛くなってきている。
寝るなら不安要素は解決してからにしたいけれど……長丁場になりそうだし、いくらバルバロスとはいえ、その間無睡と言う訳にはいかないだろう。
「俺はいつもの事だし気にすんなよ。それよか今日の予定とか大丈夫か?気い張りすぎて予定忘れてもそっちはフォロー出来ねえぞ?」
「流石にそれは大丈夫だよ。今日は午前中に執務室で書類を片付けて午後からは夕方頃まで巡回だ。まぁ巡回と言っても今回のルートは街中の比較的安全な場所。郊外の方もすぐ近くにあるよく休憩に使う場所だ。おそらく少し事件と離れて息抜き出来るように部下達の気遣いなのだろう。もちろんいい加減に済ませるつもりはないがな」
執務中はネフテロスと黒花がいる。巡回も今回は危険なところは無さそうだ。それならここら辺で一度睡眠を取っておいた方がいいだろう。
「お前それ周りからも心配されてんぞ?もちっと気い抜かねえとそのうち盛大にポンコツやらかすぜ?まあこっちは夕方ごろまで寝るつもりだし、ポンコツやらかしても助けねえからな」
シャスティルは何でもすぐ気にする。事件だって解決していないのにバルバロスの事まで気にするのだ。なので寝るからこっちまで心配すんなと……伝えたつもりだ。
自分が凄く遠回しな言い方をしている自覚はある。それでもこれが今のバルバロスの精一杯だ。
「ああ、気をつけるよ。バルバロスもいつもありがとう」
「んじゃ、そろそろ俺は帰るぜ。せいぜい気をつけるこった」
そう言い捨て影の中に潜る。シャスティルの反応からして……多分伝わったのだろうか?しばらくして猫女が来たことを確認してからバルバロスは八日ぶりの睡眠を始めた。
午後の巡回前、アルフレッド達は昼食をとりながらファンクラブのメンツと雑談を交わしていた。内容はもちろんシャスティルの事である。他の三騎士やレイチェル、保護した子供も話を聞きに来ていた。
「午後の巡回、少しでもシャスティル殿の息抜きになればよいのだが……」
「そうだな。何事も懸命になるのはあの方の美点、しかしあまりご無理をされるのは心配だな」
「だが息抜きをしていてもあの男は付いてくるのだろう?何とかならんものなのか……」
シャスティル殿は女性だ。ただでさえ殆ど男性ばかりの聖騎士に身を置いてるのだから色々と不便な事もあるだろう。それなのにあの男はプライベート関係なく常にくっついているなど気が休まらないではないか。
「あはは……そう言えばバルバロスさん、今日は夕方頃まで寝るって言ってましたよ」
「おぉ!それは本当か!」
「それはいい事をきいた。気兼ねなく午後の巡回が出来るな!」
「魔術師さん達はこんな時間に寝るものなのですか?」
「まぁ、人によると思うがな。あの陰鬱な男は不規則な生活でもしているのだろう。それでも魔術師も人である以上睡眠は必要だと思うぞ」
「そうなのですか……護衛と聞いてたのでちょっと不思議に思ったんですけど、巡回は危なくないのですか?」
シャスティル殿の身を案じてくれるあたり、やはりいい子なのだろう。例え親は助からなかったとしても、出来るだけ早く事件を解決したいと思う。そんな健気な子供の不安を解消すべく言葉を紡ぐ。
「まあ、危険な場合もあるな。だが今回は街中の比較的安全なところと郊外の休憩で使うところだからそこまで大きな危険はないはずだ」
「あ、もしかして前にお話で言ってた場所ですか?水場が近くにあって、それとシャスティル様が身支度整え直しやすいように近くに死角になる岩場もあるって言ってた」
「おお、よく覚えているな。そこだよ。景色も悪くないしな」
「そうなんですね。色々いいお話が聞けました」
子供の言い方に若干違和感があったような……一瞬そんな感覚を覚える。おそらくシャスティル殿の息抜きにあの男をいないことを喜んでるから一緒に喜んでくれてるだけだろう。その違和感を特に気にすることなく会話を続けていく。
「今回も色々お話きけてよかったです。お仕事頑張って下さい」
「ありがとう。また帰ったらシャスティル殿について一緒にはなそう」
そう言い残しアルフレッド達は昼食を切り上げ、巡回に出る為に支度を始める。その後ろ姿を子供がどんな表情で見てるか知る由もなく……
巡回は特に問題なく平和だった。周りの人が気を使ってくれた今回の巡回場所はあまり気を張らずに回れて少し気分が落ち着いた気がする。
やはりバルバロス達に言われてた通り気を張りすぎていたところもあったのだろう。職務でこんな事を思うのはどうかと思うけど良い気分転換になったと思う。今は郊外の見回りも終わりいつもの休憩する場所に来ていた。
普段ここに来る時と同じように岩陰で一息つく。ここの陰にシャスティルがいる時は三騎士達も気を使って少し離れていてくれている。そしてバルバロスは寝ているので完全に一人のはずだけれど、ふと人の気配を感じた。
警戒して立ち上がろうとすると保護したはずの子供がそこにたっていた。気配の正体に警戒を解き、座っていた方が目線も合うのでそのまま立ち上がらず話しかける。
「君は……何故こんなところに……?」
「あ、あの僕頑張ってくれてるお姉ちゃんに会いたくて……今日ここに来るって聞いていたから……」
「そうだったのか。中々会えなくて申し訳ない。でも郊外に一人で出歩くのは危ないぞ」
「ごめんなさい……ここは比較的安全って聖騎士様たちとのお話で聞いた事あったから……」
「別に責めてるわけじゃないよ。ちゃんと安全な場所と危ない場所の区別がついてるのはいいことだ。でも絶対安全とは言いきれないから気をつけるようにな」
「次から気をつける。あとこれ……聖騎士様達からお姉ちゃん洋菓子好きって聞いたから……その、食べて欲しいんだ」
みると子供の手の中には包みがある。わざわざ持ってきてくれたのだ。受け取らない選択肢はシャスティルにはなかった。
「ありがとう。大事に頂くよ」
「その、前にお母さんと一緒に作った時は上手くできたから大丈夫だと思うけど……少し心配だから今食べてみてくれる?」
「手作りなのか!それは凄いな。それじゃありがたく頂くよ」
包みを開けてみるとクッキーが入っていた。形も上手にできていると思う。シャスティルは一つ食べてみる。
「うん。とても美味しいよ!君は料理が上手なのだな」
「喜んでもらえたならよかった!僕も……食べてもらえて嬉しいよ」
「よかったら君も一緒に食べないか?今飲み水を汲んで……?」
水場に行くため立ち上がろうと……したけれど出来なかった。そのままバランスを崩して倒れてしまう。
「あ……れ……?」
身体が動かない。なんだか瞼も重たくなってきた。
そんなに無理をしたのだろうか……?睡眠もそれなりにとってはいたつもりだったのだけど……だんだん意識も朦朧としてくる。
強力な睡魔にあがらう事も出来ず、そのまま意識を手放した。
「くぁ……」
そろそろ夕方近くになる頃、煉獄の中でバルバロスは欠伸をしながら気だるく身体を起こす。
まずはシャスティルに影を繋げて様子を確認する。今では習慣化した寝起きのルーティンだ。しかし……
「……な!?繋がらねえ!!魔力が感知出来ねえ!?」
寝起きのぼんやりしてた頭が一気に覚醒する。一体何があった?今日は特に問題になりそうな事はなかったはず。慌てて教会に状況確認する。
「おい!何があった!今日ポンコツは執務と安全な所の巡回だけだろ!?」
執務室には猫女とエルフ女がいた。正直猫女は苦手だが、そうも言ってられない。
「魔術師さん?えっと、シャスティル様ならまだ巡回から戻られてないですけど……」
「どうしたの?シャスティルならもうすぐ帰ってくる予定だと思うけど……何かあったの?」
二人ともシャスティルの異変は知らないようだ。なら巡回中に何かあったか。
「影が繋げられねえんだよ!ポンコツの魔力が掴めねえ。一緒に向かったのはいつもの三人組か?」
「え!?それって……」
「!?三騎士様たちと一緒のはずですけど……」
魔力が感知出来ない。二人ともそれはどういうことか分かったのだろう。よくて敵に魔力を完全に封じられている状態、最悪なら死だ。
すぐにザガンが三馬鹿と呼ぶ連中に繋げようとするが……
「大変だ!シャスティル殿が魔術師に攫われた!」
丁度目的の連中が戻ってきたようだ……シャスティルの凶報の知らせとともに。
「てめえら、ポンコツに何があった!」
「郊外でシャスティル殿が休まれてる岩場に人影が近づくのが見えたので様子を確認したら、洗礼鎧を外され魔術師に抱えられていたのだ。外傷は見当たらないものの意識がなく、すぐ三人で応戦したのだが……二人が囮になって追い詰めたところに、たまたまそこに居合わせた子供に攻撃されてその隙に逃げられてしまったのだ……」
「チィッ!」
三人中二人が大きな怪我をしている。おそらく相手はそれなりに手練で、囮は怪我を負い動ける者が一人だけだったのだろう。その一人も子供を助けるために……
とにかく現場にむかってみなければ。何か手がかりがあるかもしれない。特に何も無ければすぐザガンを引っ張り出して魔術師の魔力を追跡させる。
それでもダメだったなら……その時はもう手段は選ばない。非道な事だろうとシャスティルに嫌われようとも構いはしない。他に何を犠牲にしたとしても無事に助け出すことさえ出来るならそれでいい。
例えば、短時間で広範囲を探索する為に大勢のリッチやゴーストの人手を確保……つまり大量無差別殺人などでもだ。
いつもの休憩場所と言っていた。普段から影を繋げていたバルバロスも場所は把握している。すぐさま煉獄の通り道を確保し影に飛び込んだ。
手がかりを求めて飛んだ先には争った形跡があった。
岩を剣などで切りつけた後、所々焦げている草や血の跡など。どうやらこの場所で間違いはないようだ。とにかく犯人に繋がる物を探さなくては。
「随分と早い対応だな。夕方頃まで寝ていると聞いていたが……流石護衛と言ったところか」
「!?」
いつの間にか男が立っていた。その姿は教会で保護された子供にどことなく似ている。おそらく持ち去った父親の死体なのだろう。
それと自分が寝る事を知っていて行動した。それを知ってるのはシャスティルとレイチェル。二人とも協会内で話す事はありえる……
しかし外部にもらしたりはしないだろうし、聞いたやつもわざわざ外で護衛のいないことを言いふらしたりしない。
つまり教会内の情報は筒抜け、更に初めからシャスティルに手を出すつもりだったという事だ。
「お探しなのはあの女なのだろう?」
「てめえの仕業か!あいつをどこへやった!」
現れた男を逃がさないようにすぐさま黒針で両足を負傷させ影で拘束する。
「おやおや、随分と手荒な歓迎じゃないか。余程あの女が大切とみえる。あれを傷つけたら、どんな反応をしてくれるのか……」
「!?ポンコツ傷つけんなら容赦しねえ!」
「ポンコツか。確かに疑いもせず薬入りを口にするのだからポンコツとしかいいようがないな」
「てめえっ!!」
怒りに任せ、今度は両手と腕、それと腹に黒針をぶち込む。それでも相手は態度を変えずに平然としている。
「別にこの身体は使い捨ての死体だから壊されても俺は構わない。でもそうすると大切な女の手がかりは無くなるぜ?」
「チィッ!あいつに何飲ませやがった!何をしやがった!!」
「心配せずとも少しばかり強力な睡眠薬を飲ませて魔力を封じただけだ。今のところは、な」
予断を許さない状況ではあるけれど、男の言葉を信じるなら、とりあえず今のところは無事のようだ。
「……んで?わざわざ出てきたんだから俺になんか用があんだろ?なんのつもりだ」
「くくくっ……それでは本題と行こうか。あの女は今俺の拠点で拘束している。助けたいなら誰にも言わず一人でこい。そこで取引といこうじゃないか」
「いいぜ。行ってやるよ。どこに行きゃいい?」
魔力が掴めなくとも取引でシャスティルの無事を確認するためなど理由をつけて目視する事が出来れば……簡単な拘束なら破壊して影で即連れ出せるか……?とにかく慎重に事を進めてまずはシャスティルの安全確保を最優先だ。
「まあそう焦るな。それと、拠点内へ転移……というより魔力を使うことはオススメしない。あの女のところに魔法陣を設置してある。拠点内で俺以外の魔力使用を感知するとそこに稲妻の魔術が流れる仕組みだ」
「なっ!?」
「まぁそれなりの魔術師なら負傷で済む程度だ。洗礼鎧のない普通の娘なら即死だがな」
「クソッタレが……!」
こちらに一切魔術を使わせる気は無いようだ。何としてでもバルバロスに要求をのませたいのだろう。
「こちらも少し準備させてもらう。一刻後に指定の場所まで来るがいい。時間は早くとも遅くとも人質の無事は保証しない」
「はん、心配せずともちゃんと行ってやる。てめえこそ人質は大切に扱えよ?俺と取引したいならな」
「では拠点で会えるのを楽しみにしてるよウェルズ……いや、おそらく私が与えた名前は全て捨てたのだろうな。バルバロス」
「!?」
そう言い残すと男の懐から一枚のメモが落ちる。それと同時に動かなくなった。
自分に偽名を与えた人物など一人しかいない。確かにネクロマンシーの知識はある奴だ。しかし奴は死んだはず……けれどもしも本人ならおそらく取引で要求されるものは……
それは本来なら絶対にのまない条件。仮に魔王の刻印と引き換えでも蹴るだろう。
それでも行かない選択肢はバルバロスにはなかった。取引の対象にされているのは、自身より大切な者なのだから。
「ん……」
ぼんやりと意識が浮上する。自分は過労で倒れたのだったか……?確かあらかた巡回が終わって休憩してたはず……
「起きたか。丁度いいタイミングだな」
「!?」
知らない声、知らない場所に思わず警戒し立ち上がろうとして出来なかった。
「そんなに急いで立ち上がろうとせずともいいではないか。せっかく特等席を用意したのだからな」
みるとシャスティルの身体は椅子に括りつけてあった。腕は肘掛に、上半身は背もたれに固定されており、両足には枷が付けられている。そして椅子の下にはなにかの魔法陣が刻んであった。
「あなたは誰だ!私を生贄にでもするつもりか」
「くくく……教会でお探しの魔術師とでも答えておくさ。心配せずとも生贄ではなく人質だ」
「!?あなたが子供のご両親を攫った魔術師か!二人はどこだ!それに私を人質にしても教会はあなたに屈したりしない!」
「あの二人なら死んで俺の手駒になっている。男の方はちょっとした野暮用でもうボロボロだ。女の方はすぐそばにいるだろう?」
みるとシャスティルのすぐ後ろに女性が立っていた。
「貴様っ!」
「しかし本当に子供には警戒しないのだな。疑うことなく思い通り事が進んで助かったぜ」
「あの子に何かしたのか!」
「くくく……俺の魔術は分かりやすくいうなら身体を乗っ取れるという事だ。まあまだ対象は自分の血縁かもしくは衰弱してる奴に限るがな……あの一家は俺の血縁だったってわけだ」
「!?」
「狙われた理由探していたんだろう?わざわざ教えてやったのに睨むとはな」
「貴様……!あの子を解放しろ!」
「随分と勇ましいものだな。協会で会った時とは大分雰囲気が違う。聞いた通り人を襲う魔術師には容赦ないようだな」
「……協会の会話は筒抜けだったということか」
「そういう事だ。言ったであろう?『お姉ちゃんは僕の為に動いてくれるの?』と。おかげで『期待してる』通りになったぜ」
「なっ!?」
「それに話し相手になって欲しいって言ってくれたおかげで協会の連中も色々話してくれたしな。ここ数日情報集めるのにすごく助かったぜ」
「くっ……協会に何をするつもりだ……」
「別に協会に何か求めてるわけじゃないぜ?……おっと時間か。せいぜい役にたってもらうぜ?」
「時間?……!」
足音がきこえてくる。そちらの方に視線を向けたと同時に乱暴に扉が開かれた。そこには心強い人影があり、思わずその人物を呼ぶ。
「バルバロス!」
メモに記された場所に向かうとシャスティルが拘束されていた。近づくと後ろにいる女はシャスティル向けてナイフを構える。これ以上近づけば傷つけるという意思表示だろう。
「言われた通り来てやったぜ。早くそいつを返せ」
「くくく……忠告通り魔術使わずに来たか」
「え……?」
「はん、取引したいんだろ?さっさとしろよ」
「つれない態度じゃないか。せっかくよく見えるよう大切な女を特等席に案内してやったのに」
「ぐだぐだ言ってんじゃねえ。とっとと要求言えよ」
「やれやれ……久しぶりの師弟顔合わせじゃないか。まあいい。お前を弟子にしたのはこの為だしな」
「師弟……?で、でもバルバロスの師匠はザガンが殺したって……」
「おや、そんな事まで知っているのか。随分と色々話しているんだな」
「……たまたま会話してん所に居合わせただけだ。んな雑談するために呼んだんじゃねえんだろ」
「ではお望み通り取引といこうか……お前の身体を寄越せバルバロス」
「なっ!?あなたは仮にも師匠なのだろう!弟子にむかって言うことじゃない!」
アンドラスの言葉にシャスティルは食って掛かる。しかし
「元々俺の身体乗っ取るために弟子にしたんだから当然だな」
「!?そんな……」
そう、この男はその為だけに自分を弟子にしていたのだ。そんなバルバロスの言葉にシャスティルは愕然とする。
「まさかここまで成長するとは思わなかったがな。普通に魔術をかけてもお前を乗っ取りきれないだろう。だから更に契約を交わして完全にその身体を頂くつもりだ」
「はん、身体渡してもそいつを解放しねえなら意味ねえだろ。取引すんなら先に離せ」
「それこそ連れて逃げるか抵抗するだろう?助けたいなら条件飲むしかないと思うがな。そうだな……身体を乗っ取った後三分ほど自由をやろう。お前ならその間に女を転移させられるのだろう?」
確かにその通りだ。もし解放するなら即シャスティルを魔法陣から引き離して反撃に移るだろう。三分もあればシャスティルを安全な所へ転移させるには充分だ。魔術さえ使えるなら一瞬で移動できるのだから。
そして魔術は定められたルールを破らないものだ。仮に守らなければバルバロスに対しての効果も弱まる……シャスティルの安全を第一にするならのむのが賢明だろう。
「ちっ……一度身体から出たら契約無効も条件に付けさせてもらうぜ?出たり入ったりされて肝心な時にそいつを危険に晒されたらたまんねえからな」
「まて!バルバロス!そんなの絶対にダメだ!!」
「条件つけられる立場だと思っているのか。別に人質は殺さずとも痛めつけることは出来るんだ。例えば」
そういいながらシャスティルの手に触れて……
「女の綺麗な爪を一枚ずつ剥がしていくとか……ああ、中々いい顔してるし陵辱するのも悪くない」
「てめえっ!!」
「おっと気をつけろよ?お前の魔力が噴きこぼれると魔法陣起動して女が死ぬぜ?せっかく魔術使わずに耐えているのだからな」
歯を食いしばり、爪が食い込むほど手を握りしめて耐える。そうでもしないと憎悪で魔力の制御を失いかねない。
追加の条件付けは難しいだろう。そう思い提示された条件で承諾しようとした時、
「身体を渡すなんて絶対だめだ!私のせいで魔術が使えないと言うなら、身体を乗っ取られると言うならっ!」
シャスティルは舌を出しそのまま噛み切ろうとする。
「おい!やめろシャスティル!!」
「チィッ!」
直後、後ろに控えていた女の手がシャスティルの口に突っ込まれ、噛み切ろうとする行動を阻止した。
「むぐっ、ふぁなへ!」
「……人質が自ら死のうとするとはな。そんなに傷つきたいなら望み通りにしてやる。大人しくしていろ!」
直後魔法陣は光り、出てきた雷はバチバチと音を立てながら口を抑えてる女ごとシャスティルを襲い始める。
「ふぐっ!ふああああっ!!」
「やめろっ!!そいつに手え出すんじゃねえっ!!」
「心配せずとも死なないよう加減はしている」
「やめろっつってんだろ!!それ以上やんなら取引はしねえ!力づくで取り返すぜ!!」
戦闘態勢になったバルバロスの本気が伝わったのか雷はピタリと止まった。
「痛めつけられるくらいなら死のうとも構わないと?」
「……エルフ女達の魔法なら死んでも助けられる可能性はある。出来るだけリスクを取りたくねえだけだ。けどそれ以上手え出すってんなら構わず力づくでいくぜ」
「なるほど……」
アンドラスは何かを考える素振りをし、女をシャスティルから離した。取引をぶち壊しにしたくはないのだろう。これ以上手出しをするつもりはないようだ。
シャスティルは……既に抵抗する力もないのだろう。痙攣しながらぐったりとしている。舌を噛み切る心配は無さそうだが、その姿に腸が煮えくり返る。
「……いいだろう。お前の提示した追加条件を受け入れよう。大人しくその身体を渡すこと、渡した後三分はお前の自由にする事、一度でも身体から出たら契約は無効。それで取引しようではないか」
「いいぜ。その条件でやってやるよ」
どうやら最悪死んでも助かる手段があると聞かされ条件追加をのむ気になったようだ。それなら気が変わらないうちにさっさと済ませた方がいい。転移の前にシャスティルの手当も急がなければならないのだから。
「だ……め……」
シャスティルの制止する声が聞こえる。気にしていなければ聞き逃してしまう程のか細い声だ。おそらく止めようと何とか振り絞って必死に出した声なのだろう。そんな声を……バルバロスは聞こえないフリをする。
「では早速渡してもらおうか。そこの魔法陣の上に乗るがいい」
「ほらよ。さっさとやれよ」
「……や……め…………て……」
魔法陣が反応し、一瞬何か違和感みたいなものを感じた。魔術師は倒れてそのまま動かなくなっている。術がかかり自分に乗り移ったのだろう。なら急がなくては。
すぐにシャスティルへと駆け寄り魔法陣から引き離して拘束をはずす。
「おい!ポンコツ、しっかりしろ!」
話しかけながらシャスティルに向けて回復魔術を使い続ける。
「バル……バロス……」
「時間がねえ。ひとまず応急処置だ。ザガンんとこ送るからあとで嫁にでも見てもらえ」
「身体を渡すなんてだめだ……魔術解く方法はないのか」
「魔術ってのはルールを重んじるもんだ。時間が来れば乗っ取られる」
「そんな……」
「けど一度でもアイツが身体から離れれば契約は無効だ。ザガンの野郎に伝えておけ。てめえの復讐したい相手が戻ってきたってな。それで多分何とかなんだろ」
「分かった、必ず伝える……すまないバルバロス」
とりあえず普通に会話出来るくらいには回復したようだ。ただその表情は今にも泣きそうで……
「んな気負う必要なんざねえ。なんとかなるっつってんだろ?昔見た記憶では精神を同居させるような魔術だったはずだ。肉体の主導権は奪われっけど別に俺が消滅する訳じゃねえ。コイツを追い出しさえすりゃ元通りだ」
回復魔術を止めマントとアミュレットをはずす。そのままシャスティルにマントを羽織らせアミュレットを押し付けてた。そこに仕込んである魔法陣をいくつか発動させておく。
「え……?」
「お守りだ。魔術かかってるもんなんて聖騎士のお前は嫌がんだろうけど、きちんと回復するまでは持ってろ。その後は他人に渡しさえしなきゃ好きにすりゃいい……んじゃザガンんとこ送るぜ」
「あ……まってバ」
何か言いかけたシャスティルをそのままザガンのところに送る。嫌がられようが自分が護れないのだ。押し付けて返される前に転移させる。
いくつか魔術を発動させて残りの仕込んでる魔術は破棄する。乗っ取られるのにわざわざ使えるものを残しておくつもりはない。アンドラスへのささやかな嫌がらせだ。
「さてと……あいつに手え出したんだ。てめえただで済むと思うなよ?」
ザガンは城の玉座で捜索結界を使っている。そばでネフィが心配そうに見ている。
そんな時不意に転移の気配を感じた。バルバロスだろうか?
「ルバロス!」
「シャスティルさん!」
「おっと……シャスティル!お前魔術師に攫われたって聞いたが、その格好……バルバロスはどうした?」
「あ……ザガン……それにネフィも……」
「シャックスのやつから念話で聞いた。とはいえ黒花経由で聖騎士から聞いた情報しかないから詳しくは分からないがな。巡回中に魔術師に攫われたと。それで話を聞いたバルバロスは飛び出して行ったと聞いてる。何があった?」
「バルバロスが……身体を乗っ取られて……」
「あいつがか?!他人を乗っ取る魔術自体高度だ。それをバルバロスに向けて成功させるような奴……魔王どもでも相手にしていたのか?」
これにはザガンも驚愕する。バルバロスはあれでも優秀だ。それこそ純粋な魔術師としての力だけならザガンより上なのだから。
「魔王ではないんだ。その……普通には乗っ取れないからって言って私を人質にしたのだ。それでバルバロスに取引を持ちかけて……要求をのまされたのだ……すまない……」
「そもそも完全に乗っ取られたらお前をここに送れないだろう。何か要求持ちかけた時に制約……ルールでもあると思うが内容はわかるか?」
「大人しく身体を渡すこと、渡した後三分はバルバロスの自由にする事、一度でも身体から出たら契約は無効って言っていたはずだ。それで取引の後、私を手当てしてマントとアミュレット渡してくれたんだ。お守りだからちゃんと回復するまでもってろって……」
シャスティルはアミュレットをギュッと抱えて話を続ける。
「それと、あなたの復讐したい相手が戻ってきたって伝えろってバルバロスは言っていた」
他人を乗っ取る魔術を使えて自分が復讐したい相手……心当たりはある。ザガンはその魔術師を殺して知識を手に入れたのだから。
「まさか……あいつ生きて……?いやあの時確かに死んだはずだ……もしかして死後リッチになったあと誰かを乗っ取ったのか……?」
シャスティルが転移してきた所を見てみる。バルバロスにしては随分と簡単な転移陣だ。これならラジエルの時と同じように転移元へなら繋ぎ直せるだろう。
「わかった。手当と言ってもあまり時間に余裕なかったのだろう。ネフィ、シャスティルの状態を一度見てもらえるか?」
「分かりました」
「ラーファエル!」
呼べば有能な執事はすぐに部屋に入ってきた。ラーファエルには結界の一部を譲渡してある為ここに誰かが入ってきたのは既に知っている。いつ呼ばれてもいいように構えてたのだろう。
「お呼びか、我が王」
「シャスティル攫った元凶を捕まえに行く。見た目はバルバロスだがおそらく中身はアンドラスのリッチだ。まだ現地にいるが分からないが見つけたら即逃げないよう結界を頼む」
「御意に」
ザガンのやり取りを見つめるシャスティルは、不安と罪悪感を織り交ぜたような表情をしている。
「そんな心配そうな顔をするな。時間がなかったとはいえバルバロスならもっと複雑な転移陣を使う。明らかに解析できる転移陣使ったという事は乗り込んで来いって言っているようなものだ。おそらくあいつなりに考えはあると思うぞ」
バルバロスは馬鹿だか頭もよく有能だ。限られた状況でもやれる事はやっている可能性はある。
「そう……だな。ザガン、すまないがよろしく頼む……」
「とりあえず今日は泊まっていけ。あとでシャックス経由で協会の方に連絡しておく」
そう言い残しラーファエルと共に繋ぎ直した転移陣に飛び込んだ。
転移するザガン達を見送ったあとシャスティルはネフィに連れられて客室、以前シャスティルが借りてた部屋に来ていた。
あの後治療の為に何をされたのか聞かれた。それで全身を雷でうたれたと聞いたネフィが治療のために移動を促したのだ。流石に玉座の部屋で服を脱いで火傷の確認など出来ないしシャスティルも素直に従った。
「目立つ傷や火傷もないですし、バルバロス様の手当てで殆ど治っているみたいですね。あとはゆっくり休めば大丈夫だと思います」
「ありがとうネフィ。バルバロスは流石だな……無事に戻るといいのだが……」
ザガンの事は信頼してるし、バルバロスの事だって信用してる。それでも身体を乗っ取られるなんてやはり不安ではある。しかもそれは自分の不注意で人質になってしまったせいなのだから。
「心配しなくともザガン様も向かわれましたし大丈夫ですよ。それにシャスティルさんのせいじゃないと思いますよ」
「そうだろうか……でも人質にならなければバルバロスだって要求はのまなかったはずだ……」
「それではシャスティルさんはもしバルバロス様を人質にされたら、それはバルバロス様のせいだと仰りますか?」
「そんなことはない!彼は強いから余程の事がない限りそんな事にはならないと思うけど万が一捕まる事があるなら理由があるはずだ。責めるつもりもないし無事に助け出せるように全力を尽くすよ」
「バルバロス様もきっとそうだと思いますよ。だから少ない時間で手当てしてお守りを持たせてくれたんじゃないでしょうか」
「あ……そう、なのかな……でも怪我も治ったからもう持っていていい理由も私にはないのかもしれないけれど……」
バルバロスとの付き合いも長くなってきたけどマントやアミュレットを別のものにしてるところは見たことない。おそらく替えがきかない大切な物なのだろう。少なくとも他人に渡していいものではなかったはすだ。
「私にはどんな魔術を込めてあるのかは分かりません。ですが回復するまでは持っているように言われたのなら離さず持っていていいと思いますよ」
「え?」
そういってネフィはシャスティルの腕を優しく触れる。疑問に思いその場所を確認してみると火傷の跡らしきものがあった。本当に小さくうっすらとしていて更に服に隠れてしまう部分なので言われなければ気づかない程度のものだ。
きっと治せないのではなく治さなかったのだろう。現に他のところはネフィに見てもらって綺麗に治っている。
罪悪感でお守りをしまい込まなくていいように。シャスティルが気兼ねなく所持出来るように。
「やはり、あなたにはかなわないな」
「それに後悔や謝罪ばかりより、戻ってきた時に何かお礼をされる方がきっと喜ばれると思いますよ。ザガン様なら必ずバルバロス様を連れ戻してくださいますから」
「そうだな。ありがとうネフィ」
バルバロスは「なんとかなる」と言った。ザガンも「考えがあると思う」と言っていた。ならば不安に思い続けるより彼らを信じるべきだろう。
「やれる事はやっていると思っていたが、やはりあいつは有能だな」
転移したザガン達の前にあるのは破壊された女性の死体と倒れている男、そして負傷し結界に囚われているバルバロスの姿だ。
バルバロスと同じ知識を持っていても結界の破壊や治療はままならない様子だ。おそらく乗っ取られる前に使えるもの――相手の手駒は当然として、自分の手元にある触媒や仕込んでいる魔術も破棄したのだろう。
その使えるものに自分自身も躊躇いなく含めて自傷し、逃亡を阻止するところまで賞賛に値する。
もっともこんな事すれば更にシャスティルは気にするだろうからおそらく転移させた直後に全部やったのだろう。
そんな事を考えているとパリンと音がした。
「チイッ!あのクソ弟子め……」
どうやら結界はなんとか破壊できたようだ。こちらとしても丁度いいタイミングで破壊する手間が省けた。ラーファエルも既にアンデットの逃亡防止結界を張り終えている。
「久しぶりだな。アンドラス」
「あの時のクソガキ……本当に乗り込んできやがった」
どうやらバルバロスの記憶からザガンの来ることを予測したのだろう。
胸糞悪い研究ではあるけど、魔術研究の為に一通りアンドラスの遺産は目を通している。なのでアンドラスとバルバロスの現状はだいたい把握しているつもりだ。
「わざわざ身体を乗っ取ってまで戻ってきたなら好都合だ。あの時一息に殺して気がはれなかったのだ。ひたすら苦しめ恐怖と絶望のどん底に叩き落としてやろう」
「チィッ!調子に乗るなよクソガキ……がっ!?」
まずは挨拶がわりにアンドラスを一発殴っておく。とはいえ手元に使える魔法陣が無さそうなので死なないよういつもより加減はしている。
「グゥッ!だが俺を殺しても死ぬのはコイツだ!死なせたくなければやめることだな!」
「ふむ。バルバロスがどうなろうが俺は構わんが……まぁ一応加減はしているつもりだ。ソイツは普段もっと強く殴ってもケロッとしてるのだから心配せずとも死にはせん」
「クソが……最高の肉体を手に入れたのだ!魔術の仕込みさえあれば貴様なぞ……」
「ふむ……まさに我が王の言う通りだな。戦というものは、どれだけの準備が出来たかで勝敗が決まるそうだ。もっとも我が王が相手なら無駄な足掻きだろうがな」
全くその通りだろう。
なにかしらの準備があったからアンドラスはシャスティルを攫うことができた。そして人質を準備する事でバルバロスを乗っ取ることが出来た。
だがそこまでた。その後の準備を怠り、更にバルバロスが乗っ取られる用意をし、ザガンもラーファエルを連れてきた。
その結果、アンドラスはザガンに対抗することも撤退することも出来なくなったのだから。
「こんなところではなんだ、場所を移すとしようか。喜べ、貴様が使っていた拷問器具の数々は残してあるぞ。ラーファエルの手入れのおかげですぐにでも使えるしな」
「っ!?」
アンドラスを捕まえ、城に戻る転移陣を起動させながら常々思っている事を告げる。
「そうそう、それと頭の骨が軋む音ってのは一度聞いたら忘れられんものだ。貴様にも聞かせてるから覚悟する事だな」
「ふむ……まだ夜が開けたばかりなのだが……まぁ少しは気が晴れたかな」
翌朝、ザガンは遮音結界を貼ったある部屋で呟く。
ザガンの目の前には拷問器具の数々が存在している。昨夜戻ってきてから夜通し復讐に勤しんでいたのだ。
せっかく手に入れた身体をアンドラスは手放したくなかったのだろう。けれど延々と続く拷問に耐えきれず先程バルバロスから離脱したようだ。
「しかし我が王よ、逃がしたら次捕まえるのが困難では無いのか?」
現在この部屋はアンデット用の結界は張っていない。バルバロスから離脱させるためにあえて逃げ道を残したのだ。ちなみにバルバロスの身体ごと逃げ出そうと転移魔術を構築した時はザガンが全て喰らっていた。
「まあ心配ないだろう。あれは血族か義体用に整えた身体、もしくは衰弱してる肉体にしか乗りうつれんそうだ。あと目的を考えるとある程度行先は想像つく。それに……」
ちらりとバルバロスの方を見て告げる
「あいつに報復をしたいやつは別にいるしな。まぁ予定より離脱は早かったが俺は楽しんだ。あとはやりたい奴に任せるさ」
「……はん、そりゃどうも。つうかてめえ、最後あいつが出ていったの分かってて続けてただろ」
「アンドラスと違って拷問しがいのない反応でつまらなかったがな」
「ったく、人の身体だと思って好き勝手しやがって」
「貴様の身体なら加減する必要はないからな」
「ちっ……まあいいや」
今回借りをつくったのは分かっているのだろう。いつもの憎まれ口も控えめだ。
「シャスティルは昨夜中々寝付けなかったと聞いてるからまだ寝てるだろう……今後はヘマして心配させないよう気をつけることだな」
「へえへえ、雇い主のご所望通りにさせていただきますよ……っと」
軽口を叩き合う間に最低限の魔術回路を構築したのだろう。同じ記憶と身体でもアンドラスとは段違いの早さだ。目立つ外傷を治したあと、影を開きその中に飛び込んでいく。
そんなやりとりを一匹のコウモリが眺めていた。
「身体……アノ身体ヲ……」
拷問に耐えかね飛び出したアンドラスはリッチの姿でシャスティルの眠る部屋へと来ていた。
バルバロスの身体は手放してしまった。けれどそれならまた取引を持ちかければいいのだ。
「コイツサエ……コイツサエイレバ……」
この女さえいればアイツは何度でも取引に応じるだろう。そう思い眠る彼女に手を伸ばし……
「ッ!?」
バチッと何かに拒絶されるような感覚に襲われた。一体何が起こった?いくら聖騎士長とはいえ装備の無い状態なら普通の人間と変わりはないはず。肉体がないとはいえ眠ってる人間に抵抗など……
「そいつに取り憑いて弱ったら乗っ取ろうって魂胆か?これはてめえなんかじゃ破れねえよ」
「ナゼ貴様ガココニ……!」
あの身体は自傷と拷問で衰弱していたはずだ。それに仕込んである魔術も無かったはず……先程までの己だったのだから間違いない。
「そりゃお前が出ていったからな。すぐ魔法陣の回路構築して傷治して転移しただけだ。同じ身体だろうと転移魔術使ったことないお前と使い慣れてる俺、一から書くとしてもどちらが早く使えるかなんて言うまでもないだろ?」
例えていうなら計算式を知ってるだけの人と普段からその計算式使う人、どちらが早いかなんて決まりきっているのだから。
「クソッ……!貴様ガ何カシタノカ……!」
「俺が何かしたかなんて知ってんだろ?てめえが魔術使った直後の事じゃねえか」
なんの事だ……今なにかした訳じゃないのなら……
「う―ん……」
どうやら目を覚ましたようだ。ゆっくり寝具から身体を起こしたその姿に驚愕する。
上掛けで見えなかったその姿はバルバロスのマントをまとい、アミュレットをぬいぐるみのように抱いていたのだから。
何故まだ身につけていたのか。魔術装備を嫌がるような事を言っていたはず。渡した本人も怪我の治癒後は外されると思って渡していたはずだ。
「!?バルバロス!無事だったのか!!」
「チイッ!」
「って!ひえぇぇっ!?お化けぇ!?」
この状態では手出しは出来ない。なら……!
アンドラスは憑依魔術を行使しその場から撤退した。
「クソッ……とにかく一度立て直しだ。あの女さえ捕まえればいいのだから幾らでもやりようはあるはずだ。次こそは……」
アンドラスは拠点に戻ってきていた。再びあの魔術師の身体に憑依している。どうやらもう一度シャスティルに手出しする方法を考えているようだが……
「んで?その次を俺が許すと思ってんのか?」
バルバロスはそんなアンドラスに向かって不機嫌に問いかける。その身にマントとアミュレットを纏って。
「なっ!?何故此処に!!」
「てめえを追いかけてきたからに決まってんだろ?ったく、ぎゃあぎゃあ騒ぐからあいつから返されちまったじゃねえか」
自分のマントを纏うシャスティルは中々悪くないと思った。けれどアンドラスを追いかけようとした時にシャスティルはバルバロスを案じて間髪入れずに返してきたのだ。
確かに予め魔術を仕込んだものがあるとないとでは攻撃も防御も全く違う。まあマント姿は後で封書に残しておこう。
「チイッ!だが万全ではないはずだ!」
アンドラスは稲妻の魔術を三つ続けて繰り出してくる。どうやら今ここでバルバロスを倒して乗っ取る、もしくは撤退する隙を作るつもりだろう。自分に向かってくる稲妻を炎の魔術一つぶつけて相殺する。
「はっ、随分威力が低いじゃねえか。大事な身体を殺さねえように手加減ってか?」
おそらくそんなつもりは微塵もないだろう。元々アンドラスは八歳のザガンにやられるくらいだ。更に今使ってる身体もそんなにスペックは高くないのだろう。
まあ、それを知っていて煽るのがバルバロスなのだが。
お返しとばかりに黒針をアンドラスの右腕目掛けて放つ。
「ぐぅっ!……こんなところでのんびり戦っていていいと思っているのか?お前がそれを持っているということは今あの女を守るものは何も無いのだろう?」
そういいながら今度は五つ同時に魔術をくりだしてくる。同様させて隙を作るつもりなんだろうが……
「あ?ザガンの野郎んとこにいるから大丈夫だろ?それに」
転移して魔術を避け、機動力を削ぐ為アンドラスの背後から黒針を両足目掛けて放つ。
「ぐぅっ……!」
「魔力さえ掴めれば向こうの状況は把握出来んだよ。んなつまらねえハッタリ俺には効かねえよ」
アンドラスと殺り合いながらでもシャスティルの様子を確認する余裕はある。ザガンは身内が傷つくことを嫌うから安全は問題ないだろうけど……
「くっ、果たして本当にそうかな……お前を足止めしている間に気づいたら悲鳴をあげるような事態になるかもしれんぞ?」
次々と撃ってくるアンドラスの魔術を相殺しながら一応シャスティルの様子を確認する。
……あ、バナナの皮で転んだ。ロリガキのイタズラだろう。今度は蜘蛛だ。うん、確かに悲鳴をあげてるな。いつものポンコツだ。涙目になってるけどあの時の泣きそうな表情よりずっといい。もしかするとポンコツの調子を戻すためにわざとイタズラを……?
けどちょっと可哀想になってきた。これに関してはザガンの助けは期待できない。
「……確かにてめえの言う通りかもしれねえ。あいつのところ戻る為にも、とっとと終わらさせてもらうぜ?」
「くくく……そんな悠長なこと言ってるとどうなってもしらんぞ……」
奇跡的にアンドラスの言った通りにはなっているだろう。
実際はバルバロスの考える戻りたい理由とアンドラスの考える戻らせたい理由は全く別物ではあるけれど。
「言ったよな?ただで済むと思うなよ?って。本来ならあいつに手を出した事を後悔するまで痛めつけてやりたいところだが……まあそっちはザガンの野郎が好き放題やったしな」
バルバロスの前に魔力の光が収束していく。それを見たアンドラスは慌てふためき、何かしらの防御魔術を構築しているようだ。
「だから俺の怒りはこれに込めておく。一発だけで済ませてやるんだから感謝して欲しいくらいだぜ?何にせよてめえを見逃す選択肢はねえ!」
そういいながら憤怒の火を放つ。アンドラスには相殺出来ない威力だ。更に負傷した足では逃げ出す事も出来ないだろう。
部屋は一瞬で灰に変わり、魔術を防ぎきれなかったアンドラスの肉体は骨だけになっていた。
「お前に言った通り、師匠なんてなんでもねえ。俺がやっつけてやったぜ…………?」
今自分は誰に向かって言った?『お前』とは誰だ?アンドラスを……師匠を倒して何かを……誰かの言葉を証明したかったような気もする。けれどそれはなんだったのかバルバロスには思い出すことは出来なかった。
「ま、そもそもこの俺に出来ねえ事なんてねえしな。考えるだけ無駄か。んな事よりポンコツのフォローしてやらねえとな」
考えても分からない思考は放棄し今も悲鳴をあげている彼女のもとへと向かった。
「クスクスクス……」
とある家でアルシエラは待ち人を待つ。
『昨夜は夢見が悪くて……少し散歩してきていいですか?』
待ち人に付けているコウモリから様子を確認する。
『ありがとうございます。それじゃ行ってきます』
もうすぐ……もうすぐ待ち人は来る。今こそあの時の約束を果たすとき。
しばらくしてその家――襲われた一家の家に待ち人はやってきた。
「クソっ……魔術師の身体すら破壊された。ガキの身体だけではやれる事は限られる……幸い金は少しある。まずは手駒を用意しなくては」
「クスクスクス。どうしたの坊や?御気分が優れないようだけれど?」
「な!?あの時の……」
「あら?もう忘れてしまわれたと思ったのですけれど覚えていらしたのですね。てっきりあの日の約束と一緒に忘れてしまったのかと思っておりましたわ」
そういいながらアルシエラは教会で保護された子供――に憑依したアンドラスに向かって殺気を放つ。
「っっっっっっ――!」
「わたくし言いましたわよね。『自分の体も持たず他人に取り憑く寄生虫ならば、それは不死者側なのですわ』まあ今となっては本当に不死者になってしまわれたみたいですけれど」
そういいながら軽く手を握る。あの時見逃したものを後片付けするために。
「おごっ!」
「人として生きると言った貴方に対してこうも言いましたわよね?『一度だけ、見逃して差し上げます』と。あの時の約束果たさせていただきますわ」
「はひゅ、はひゅ……ま、まってくれ……」
「今度はきちんとお掃除しますわ。輪廻の環にも還らず消滅するといいのです」
「!!まっ…………」
そのまま手を握りしめてアンドラスの亡霊を消滅させ、直後倒れる子供を受け止める。
その後数分もしないうちに腕の中の子は身動ぎをする。
「うーん……」
「気がついたのですわね」
「……あれ?君は誰?僕なんでここで寝てたんだっけ??」
「さて、どこまで覚えているのでしょうか?悪い魔術師に襲われた事は覚えているかしら」
「えっと……うん。お父さんについて行ったら急に襲われて……お母さんとお父さんは僕を助けようとしてくれて……」
「辛い思いをさせてしまったのですわ……」
「でも聖騎士さまが助けてくれたんだ。それで教会に連れてってくれて……?」
「なら教会に戻るといいのですわ。きっと悪い夢を見て無意識に家族が恋しくなったから、ここにきてしまったのですから」
「うん、そうする。ありがとう」
教会へと戻る子供の背中を見送り、無数のコウモリは無人となった家から飛び去った。
城の一室、ザガンとアルシエラはチェス盤を挟んで話し合う。
「バルバロスはシャスティルのところに向かった。フォルのフォローもあったし、あの二人なら大丈夫だろう」
「あれをフォローと言っていいのか少し悩むところではありますけれど……でも確かにそうかもしれませんわね」
「とりあえずいつも通りに戻ったのだから問題なかろう。なにかお礼するとか別にいいとかどうでもいい事で言い合いはしていたがな」
「クスクスクス、不器用なだけですわ。せっかくお礼をと言われているならデートにでも誘えばいいのだけれど、中々難しそうですわね」
「それで、お袋の用事はもういいのか?」
「おそらくは……ただあれは精神体さえあれば何かの事故でゴースト化したり憑依する可能性もあるのですわ。もしも何処かに精神の欠片でも隠していれば……」
少し弱気な一手だ。もしかしたら始末しきれていない可能性を考えているのかもしれない。
「ま、とりあえず今回活動してた奴は跡形もなく消し去ったのだろう。あるかないか解らんものを悩んでも仕方あるまい」
そんな弱気な一手にザガンは強気の一手で返す。
「まあそうですわね。全く何の因縁か……あの時見逃さず、きちんと掃除しておけばよかったと思いますわ」
「ま、俺は復讐出来たしバルバロスもアンドラスを倒そうと思っていたらしいからな。別にいいんじゃないか?」
「当事者の貴方がそういうならそうかもしれませんわね。もし湧いてきたらその時は完膚なきまでに叩き潰せばいいのですから……チェック」
今度は容赦のない一手で来た。攻めに転じるのはおろか守りに徹しても逃げきれないだろう。それはまるで必ず仕留めるという打ち手の覚悟を表すような一手だった。
「……投了だ。全くお袋にもラーファエルにも勝てぬな」
「そう言いつつ打つたびに手強くなってますわよ、ザガン」
アンドラスは因果応報の報いをうけた。長年の因縁と約束は果たされたのだろう。
それでも再会を果たす時がくるならば、また完膚なきまでに追い詰めて倒せばいいだけなのだから。
それこそこのチェスゲームのように。