巡る世界の氷炎と学士と人間の村(フレザム)「どうだ?変なところはないか?」
「ねーだろ」
「そうか。では、行ってくる」
「おー、行ってこい」
ひらひらと手を振る氷と炎の岩石魔人、フレイザードを残して、魔族の青年ザムザは村の入り口へ向けて歩を進めた。魔族であることが分からぬように人間に擬態して、である。
魔王と勇者が休戦協定を結んでから、早数年。世界はひどく穏やかに巡っていた。ザムザ達には何が理由で両者が和解したかは知らされていないが、最終決戦のあの日、魔王と勇者は唐突に無二の相棒へと変化した。
それは、彼らの内面が十五年後の未来から過去へ回帰したことにあるのだが、そのような理由を余人に伝えるわけにもいかず、知らされぬままだ。ただ、魔王ハドラーと勇者アバンが争い続ける意味など存在せず、地上を狙う別の敵との戦いを見据えるべきという結論だけを伝えられた。
その結果、魔王軍の残党とアバンが集めた幾ばくかの者達は、デルムリン島で恙なく暮らしている。そう、恙なく。全員で住める巨大な屋敷を作って、そこで仲良く生活しているのである。
ザムザもまた、その一人だった。父と親1人子一人で研究に没頭していた日々は、突然終わりを告げた。ハドラーに親子揃って勧誘され、デルムリン島ではそれぞれ別の研究施設を与えられて生活している。
その生活は、ザムザにとって悪いものではなかった。
父との関係はお世辞にも良いとは言えなかった。ザムザの父ザボエラは自己顕示欲の塊であったし、自分とそれ以外の間に明確な差を付ける男だ。息子であろうと優しい言葉一つかけられたことはない。
しかし今は、アバンを筆頭にザムザの研究に興味を示し、彼の能力を評価してくれる者達がいる。幼子達も島でのびのびと過ごしており、ザムザも時折家庭教師の真似事などをしている。そんなのどかな生活の一つに、買い出し担当というのがあった。
アバン以外にもデルムリン島には人間がいる。しかし、彼らは理由あって島に引きこもっている状態だ。人間社会に顔を出して何かがあってはならないと、島の外へ出るのは控えている状況。それでも物資は必要になるので、比較的人間に擬態しやすいザムザが買い出しを引き受けていた。
それでも、向かう村や町は毎回変えている。顔を覚えられると厄介だと思っているからだ。そのザムザの付き添いとして、荷物持ち担当で同じように島の外へ出ているのが先ほどの岩石魔人、フレイザードである。
ただ、彼の見た目はどこからどう見ても魔物だ。村に入るにはちょっと問題がある。なのでいつも、買い物をするのはザムザで、その間フレイザードは外で待っている。今日もそんな、ごく普通の買い出しの筈だった。
そう、そのはず、だったのだ。
「……魔物、ですか?」
「そうなんですよ。お兄さんも気をつけてくださいね」
「お気遣いありがとうございます。連れが腕が立つので大丈夫です」
「それなら良いですけどね」
魔王ハドラーが地上征服の意思を失った以上、魔物達もその影響から解放されている。今の魔物達はそこまで苛烈に暴れることはないはずだった。だというのに、この村の周辺では未だに魔物が人間を襲っているのだという。
ザムザは思わず顔をしかめた。仮にそれが事実だとすれば、それらは魔王の影響ではない状態で人間を襲っていることになる。魔王と勇者が休戦協定を結んでいる昨今、その状況はあまりよろしくない。
「魔王……、が大人しくなってからは、魔物も大人しいのではなかったのですか?縄張りに近づかなければ何もしないものが多いと聞きますが」
「余所はそうらしいですけどねぇ。この辺りのは、昔っからずーっと攻撃的ですよ」
「昔から?」
訝しげに問いかけたザムザに、店主の側で寛いでいた客が口を開く。その口調は軽く、当たり前のことを語るものでしかなかった。
「魔王が出てくる前から、この辺りの魔物は人間に攻撃的だったって祖父ちゃん達も言ってたよ」
「……なるほど。つまり、その魔物達の性質として、加害性が強いのですね」
ゆゆしき事態だ、とザムザは眉を寄せる。彼は魔王ハドラーを尊敬していた。自分の才能を見出して、個人として認めてきちんと扱ってくれた初めての他人である。その魔王の意思を無視する魔物というのは、捨て置けなかった。
望みの品を手に入れて満足したザムザは、店主に礼を言うと村の外へと向かう。それなりに大きな荷物を持つザムザを村人は心配してくれたが、外に連れがいることを伝えると皆安心してくれた。
「……俺はそんなに頼りなく見えるのか……?」
見た目は多少ほっそりとした青年であるものの、ザムザも魔族である。膂力はそれなりにあるし、買い出しの荷物の一つや二つ、多少大袋であろうと持つのは容易い。
しかし、人間に擬態している今の彼はどちらかというと文官然としており、とても荒事に向いていたり腕力があるようには見えないのも事実だ。ただ、ザムザが客観的にその辺を理解できていないだけで。
村人がかけてくる言葉が優しいものであり、あくまでも自分を気遣ってのものだということは理解できた。行きずりの相手にそんな風に言葉をかけてくる村人の純朴さに呆れつつ、仄かに胸に灯る温かさを隠すことは出来なかった。
デルムリン島に来てから、ザムザはこんな風に誰かの優しさに触れることが増えた。父と二人の生活では決して味わうことの出来なかった温かさだ。最初は戸惑っていたが、今では悪くないと思っている。
「おっ、戻ってきたか。買えたか?」
「あぁ、言われたものは全て揃えた」
村の外、入り口からは死角になる木蔭で待っていたフレイザードが声をかけてくる。当たり前のように荷物を受け取るこの岩石魔人は、ザムザにとっての優しい相手の代表格でもあった。
ザムザがデルムリン島に身を寄せて少ししてからハドラーに生み出されたフレイザードは、魔法生物と創造主という関係で言えばハドラーの息子のようなものだろう。生まれてまだ数年だが、魔法生物ゆえに知識も人格も成熟しており、ザムザとは対等の友人のようになっている。
最初の頃はどう付き合えば良いのか分からなかったが、今となっては何かあったときに声をかける最初の相手になっている。その程度には気を許している。そしてそれは、フレイザード側も同じだろう。
「何か情報でもあったか?」
「情報というほどでもないんだが、この辺りの魔物は人間に攻撃的らしい」
「あん?ハドラー様の影響は出てない筈だろ」
「元来の性質らしい」
魔王の負の感情が魔物を支配するという現象を知識としては知っているフレイザードは、不思議そうに首を捻っている。けれど、ザムザの端的な説明を聞いた瞬間、その顔が曇った。
いや、曇ったのではない。不愉快そうに歪められた表情に、ザムザは足を止めた。人目に付かない場所に移動して島に戻ろうと思ったのだが、フレイザードが動かないからだ。
「どうした、フレイザード」
「気に食わねぇなぁ」
「……は?」
いったい何が気に食わないのか、フレイザードは不機嫌だった。その不機嫌状態のまま、スタスタと歩き出す。……村から離れるのではなく、村の周辺を探るような動きだった。
「おい、何を考えているんだ」
「あぁ?意味なく弱者を食い物にするような魔物を放置したら、ハドラー様の名が廃るだろ」
「勝手に行動をするな。せめて、ハドラー様かアバン殿に話を」
「そんな面倒なことしてられっかよ」
潰せば終わるだろ、と物騒なことを簡単に口にして、フレイザードは周囲の気配を探る。すぐに魔物の住処を発見したのか、迷いなく歩いて行く。その背中を、ザムザは小言を言いながらも追いかけた。
追いかけて、その後は、あっさりしたものだった。
そもそも、フレイザードは魔王ハドラーに生み出された魔法生物である。氷と炎の身体を持つだけでなく、彼はその二種の魔法に対する適性が物凄く高かった。威圧だけで魔物達を怯えさせた後は、一方的に蹂躙である。
そのフレイザードから逃れた魔物を倒すのは、ザムザの仕事だった。討ち漏らしを魔法で的確に倒し、全滅させるのに一役買った。……逃げた魔物が村へ向かうのはありがたくなかったので。
そもそもが戦力差がありすぎる。あっさりと魔物を討伐したフレイザードは、実に満足げだった。良い仕事をしたとでも言いたげだ。
彼がこんなにも熱心に魔物退治を行ったのは、父の名誉を守るためというのではない。常日頃から、そういう奴らは許すなと言われているからだ。
誰に?勿論、勇者アバンにだ。正しい力の使い方を覚えてくださいねと微笑む勇者は、底の見えないオーラを背負ってフレイザードにそれを叩き込んだ。弱者を守るための力の使い方を。
ハドラーがそれに異を唱えなかったので、とりあえずフレイザードはアバンの教育方針を受け入れた。確かに、弱者を意味なくいたぶるやつを許すのは彼の性分にも合わなかったので、その教えはすんなりと彼の中に入ったのだ。
ザムザの方はそこまで徹底してはいない。そもそも、魔族の彼は人間に対する情は希薄である。生きようが死のうがさして興味はない。羽虫の生死を気にするほど繊細ではないのだ。
これがデルムリン島にいる人間達に関わることであったのならば、今少し真剣に考えただろう。アバンは彼を認めて研究の話に付き合ってくれるし、ソアラは母という存在の優しさを教えてくれた。年長者として、幼子であるヒュンケルやラーハルト、ディーノの身を案じる気持ちもある。
しかし、あくまでもそれだけだ。身内以外の人間がどうなろうと、そこまで気にはならない。
今回の魔物退治も、フレイザードが動かなければ即座に対応はしなかっただろう。島に戻って報告をし、その後で動いた筈だ。……その間に被害が出ていようと、ザムザは気にしない。
とはいえ、とりあえずはこの辺りの物騒な魔物は退治された。どう考えてもフレイザードの方が物騒であったのだが、幸いなことに彼らが魔物を殲滅する姿は誰にも見られていない。本当に幸いだ。
そもそも、フレイザードの姿を見られると色々と困る。まだ魔王の記憶が新しい世の中で、明らかに強力な魔物と分かる姿のフレイザードが村人の前に現れるのはリスクが高すぎる。こちらが何もしないとしても、あちらが勝手に萎縮するだろう。
そう、だから、フレイザードの発言は妥当なものだった。ただ、言われたザムザが納得できなかっただけで。
「それじゃあお前、村に報告に行ってくれ」
「何故そうなった」
「何故って、俺が顔出すわけにはいかねーだろうが。もう大丈夫だって伝えてやれよ」
「別に言わなくても良いだろう。魔物がいなくなったと、そのうち分かる」
面倒くさいと顔に書いてあるザムザだが、フレイザードは折れなかった。きちんと伝えておいてやらないと、村人が不安に思う可能性があるからだ。
そう、新たな脅威が現れたと思われても困る。
その辺りを説明されて、ザムザは渋々村へと戻った。本当に渋々だった。荷物を持たせたフレイザードに、覚えてろよと毒づく程度には面倒くさがっていた。
村人の1人に一言伝えれば終わるだろう。そんな風に思っていたザムザの予想は、裏切られた。
「兄さん、今、何て……?」
「……聞こえませんでしたか?周囲の魔物は退治した、と言ったんですが」
「あの獰猛な魔物達を倒してくれたのかい!?」
「……っ」
突然大声を出されて、ザムザは驚いたように息を呑んだ。村人はがしっとザムザの両肩を掴んで、本当なのかと重ねて聞いてくる。こくりと頷くザムザにそれが真実だと理解した男は、次の瞬間ザムザの手を引いて走り出した。
人間に引っ張られたところで、ザムザが振り回されることはない。ただしそれは、普段の状態なら、だ。今のように不意を突かれては引っ張られるままに走ることしか出来ない。
その間も村人は、大声で「この人が魔物を退治してくれたそうだぞー!」と触れ回っている。何だこれは見世物か、とザムザは顔を歪めた。
その後のことは、ザムザの予想を大きく裏切る展開だった。事務的に連絡すれば終わると思っていたのに、村中を引っ張り回され、村人からお礼の大合唱。
挙げ句の果てには、こんなことしか出来ないがと、食べ物や雑貨を押しつけられる。既に買い物を済ませた身だ。今更何かを貰うつもりもないのだと伝えても、村人達は引かなかった。……それだけ、魔物に困っていたのだろう。
結局、外で待つフレイザードのもとへ戻る頃にはザムザは買い出しと同量の荷物を持つことになった。大人から子供までもみくちゃにする勢いでお礼を言われて、擬態と外面を維持するのに大変だった。気を抜いて魔族だとバレたら大変だったので。
村人の感謝の言葉に見送られて村を出たザムザは、大量の荷物を抱えながら途方に暮れたような顔で歩いた。何故こんなことになったのか、ちっとも分からなかった。ザムザはちゃんと説明したのだ。魔物を倒したのも、倒そうと言ったのも自分ではなく血の気の多い連れなのだ、と。
それなのに村人達は、ザムザのことを英雄のように称えてくる。そんな風に扱われることなど知らなかったし、柄でもないと思っている。しかし村人の熱気はザムザの制止を聞かず、救世主みたいに扱われてしまった。
頼むから大事にしてくれるなと頼み込んで、やっと村人達の熱気は収まった。疲労困憊の状態でフレイザードの元へ戻ったザムザは、見慣れた岩石魔人の顔を見て、安堵したように息を吐いた。
「遅かったな。騒がしかったが、何かあったのか?」
「……分からん」
「は?」
「……礼だそうだ。受け取れ」
「……おう」
ぐったりしているザムザに首を傾げつつ、フレイザードは手渡された荷物を受け取った。何だこれと問いかける彼に、食料や雑貨と答えるザムザの声はぶっきらぼうだ。よっぽど憔悴しているらしい。
何か問題でも起こったのかと心配していたフレイザードだが、礼として手土産を持たされるくらいなのだから穏便に済んだのだろうと暢気に思った。その割に、ザムザが憔悴しているというか、途方に暮れているのが不思議ではあったが。
「俺ではないと何度も言ったんだ……」
「あ?」
「魔物を討伐したのも、しようと言い出したのも連れであって俺ではないと言ったのに、何故か礼を言われてもてはやされて……。……疲れた……」
俺は何もしていないのに、とぶつぶつとぼやくザムザに、フレイザードは目を丸くする。そんなことで疲れていたのか、と。そんなことが、理解できないのか、と。研究者として優れた頭脳を持っているのに、自分よりもずっと長く生きているのに、変なところで鈍いなと男は思った。
「そりゃあ、お前が俺に伝えなきゃ知らないままだし、お前のお陰でもあるだろ」
「は?」
「お前のお陰で魔物の討伐が行われたってわけで、それなら村人がお前に礼を言うのは当然だろ」
優しさには優しさが返る。恨みには恨みが。怒りには怒りが。同じように返される。それと一緒で、誰かに優しくすれば、その優しさに感謝を抱いた相手に優しくされるのは当然だ。
そう告げるフレイザードに、ザムザは目を大きく見開いていた。零れ落ちそうなほどに目を見開く青年は、フレイザードが説明した事象を理解できないようだった。何故、と問いかける声は細く、弱く、迷子のようだった。
「……ザムザ?」
「分からない……」
「あ?」
「そんなこと、俺は、知らない……」
ぽつりと零された言葉は困惑に満ちていた。そんな風に与えられるものを知らない、と。初対面の見知らぬ相手であるのに、優しさが与えられることなど知らないのだと。
途方に暮れた顔で自分を見るザムザに、フレイザードは瞬きを繰り返した。何を言っているのかよく分からなかった。自分は今、分かりやすく説明した筈だった。それなのに、自分より頭が良いだろうザムザがそれを理解できないと言うのだ。
呆気に取られ、そして次の瞬間、憐れみをフレイザードは抱いた。この青年は、そんな当たり前のことすら知らずに育ってきたのだ、と。
脳裏に描いたザムザの父、フレイザードがダニだのゴミだの呼ぶザボエラの姿にそれも無理は無いのかと彼は思った。出会ったばかりの頃、ザムザにはマトモな自己肯定感も承認欲求も存在しなかった。砕け散った自己肯定感と、憐れなほどにか細い承認欲求だけがあった。
共に過ごす内にそれらは正しく構築されて、今のザムザは自分の願いを口にすることも、嫌なことは嫌だと声を上げることも出来るようになった。それでもまだ、足りないのだとフレイザードは知る。当たり前も、普通も、それを与えられずに育った者にとっては未知の何かなのだと。
かけるべき言葉が見つからず、フレイザードはとりあえず、氷の腕でザムザの頭をポンと撫でた。勿論、凍らせないように温度は調節している。……ザムザと行動を共にするようになって、フレイザードはそういうことを覚えた。自分の氷と炎がこの友人を傷つけないように、と。
「フレイザード?」
「あんまり考えすぎんなよ。喜ばれたなら、それで良いだろ」
神妙な顔をするザムザに、フレイザードはそんな言葉を口にした。他に言うべき言葉が見つからなかったのだ。フレイザードの顔を見上げて、ザムザは困った顔をしている。
知らないことを知るのは、喜びと共に恐ろしさがあるのだろう。優しい世界を知らなかった青年は、こんな当たり前の優しさにも怯えたように反応することがある。生まれて数年のフレイザードですら分かることが、ザムザには分からないのだ。
「さっさと戻ろうぜ。皆が待ってる」
「……あぁ、そうだな」
促されて、ザムザは小さく笑った。外の世界は彼には未知の領域。だが、デルムリン島は違う。あそこは彼にとって家で、そこに待つ者達は仲間だ。そこでならばザムザは普通に笑うことが出来る。優しさを、普通に受け入れることが出来る。
いつか、正しく返される優しさを、ザムザが正しく受け取れる日が来るだろう。来ると良い、とフレイザードは思う。少しずつ、その傷つきすぎた心が癒やされるように、世界にとっての当たり前が彼にとっての当たり前になれば良い、と。
買い出しから戻った彼らを出迎える仲間達の声は優しく、2人が為したことを聞いた魔王と勇者はそれぞれの言葉で彼らを褒めてくれるのだった。
FIN