付き合いたてのフィガ晶+双子 フィガロと、いわゆる恋人としてのお付き合いが始まった。まさかそういうことになると思わなくて、「じゃあ、改めて、これからよろしくね、賢者様」とフィガロが差し出してくれた手を反射的に力いっぱい握ってしまった。
「は、はい! よろしくお願いします!!」
「あはは、情熱的だね」
運動部の挨拶じゃないんだから、と我ながら恥ずかしくなるくらい声を張ってしまった俺に、フィガロは優しい笑顔を向けてくれた。
それで、何が変わったかというと、別に、大きな変化はなかった。
他の人に気を遣わせてしまったら申し訳ないし、と二人の仲を誰にも言ってはいないものの、人前でも、二人きりの時にも、今までと距離感は変わらなかった。ちょっと寂しい気がしたけれど、いやいや! と俺は首を振る。付き合うにあたって、あれをしよう、これをしようと具体的に話したわけじゃない。それに、前も、今も、俺はフィガロのことを好きなのと同じ位、彼と一緒に過ごす時間が大好きだ。一緒にお茶をしたり、買い物したり、眠れない夜にはとりとめのない話をしたりする、そんな時間が。それに、何一つ変わらないわけじゃない。人込みの多いところで、はぐれないようにという気持ちもあって手を繋げば、小さく笑って握り返してくれたりだとか、シャイロックのバーに行く回数が少し減って、その替わりに俺の部屋でのんびり過ごすことが増えたりだとか。少しずつの変化だけれど、その一つ一つが愛おしかった。それに、フィガロは気さくに接してくれるけど、俺よりもずっと、ずっと長生きしている魔法使いなのだ。他の人を知らないから分からないけれど、長寿の魔法使いから見れば俺はきっと子供みたいなもので、だから、
***
「あの、だから、何もなくても、仕方ないのかなって……不満があるとか、そういうのでは全然ないんですけど……」
冷めてしまったマグカップを、無駄と知りながら両手で何度も包みなおす。椅子に腰かけた賢者の両際で、最初は『賢者ちゃん、我らと恋バナしよ!』『フィガロちゃんとお付き合いしてるの、知ってるんだからね!』とキャッキャしながら目を輝かせていた双子は、話が進むにつれ段々怪訝な顔つきになっていった。
「「ふむ……」」
揃って同時に首を傾げた双子に、賢者は慌てて笑顔を作る。
「ごめんなさい。恋バナにならないですよね……忘れて下さい」
「いやいや、すまぬのう。我らこそ、少しはしゃいでしまった」
「賢者ちゃんは何も悪くないからね! 謝るでない」
ね、と両際から見つめられ、圧に負けて賢者もこくりと頷いた。その間に、双子は互いに目配せする。
「じゃあ、我らはそろそろ退散するかの」
「仕事の邪魔してごめんね、賢者ちゃん」
「いえいえ、俺こそ良い休憩になりました。ありがとうございます」
元々、賢者が書類仕事に根を詰めすぎるからと、息抜きも兼ねてやってきたのだ。律義に頭を下げた賢者に手を振り、スノウとホワイトは部屋を出ると、そのままひそひそ話を始めた。
「どう思う? スノウ」
「どうもこうもないのじゃ、ホワイト」
「我ら、考えることは同じじゃな?」
「もちろん」
同じ顔を見合わせ、うんうんと頷き互いに鼓舞し合うよう手を上げる。
「「れっつごー!」」
***
うわっ ……いえ何でも。なんですかお二人で俺の部屋に来るなんて。どう考えても治療目的じゃないですよね。嫌な予感しかしな……、……何で知ってるんです? ああいや、お二人が気付かないわけないですよね。……そうですよ。賢者様と、恋人として正式にお付き合いしてます。それが何か? ……そのままの意味ですよ。色々あったし、俺も俺なりに色々考えたんです。え? 手を繋いだだけ……って、それ賢者様から聞い、……まあ、想像つきますけど。賢者様に強引に迫って聞き出したんでしょう? 賢者様は優しいから、つい話してしまっただけ、って分かってますよ。責めたりしません。え? ……随分掘り下げますね。弟子の色恋沙汰にそんなに食いつくタイプでしたっけ?
別に、俺も賢者様を大事にしたいというか……言わせないで下さいよ……。そもそも、賢者様もそんなにがっつく感じじゃないでしょう。まだ若いとは言え、魔法使いと付き合うなんてもちろん俺が初めてだろうから戸惑うことも多いだろうし。俺はお二人程じゃなくても長く生きてますし、気は長い方だし、賢者様の心の準備が整うまで待ってようかなあと思ってるだけです。それが包容力ってやつじゃないですか? あはは、いかにも南の優しい先生、って感じでしょう?
***
ドアを開いた途端、嫌そうな顔を隠しもしなかったフィガロは渋りながらも、両際から質問攻めにされるがまま、滔々と語った。双子は、「はああああ~~~~」と長い溜息を吐き、次に「すうううう」と吸い込むと、
「話し合わぬか!」
「コミュニケーション不足じゃ!」
と、声を張り上げたので、フィガロは思わず耳を押さえた。
「急に大きな声を出さないで下さいよ……驚くじゃないですか」
「驚いたのはこっちじゃ!」
「あ~あ! 賢者ちゃんかわいそ~!」
「時々からかいつつ見守ってあげようと思ってたけどもう無理~!」
「はあ?」
怪訝な顔つきのフィガロに、スノウとホワイトは両際で交互に話し始める。全てではないが、晶との会話のほんの一部だ。恋人としての付き合いに、何も不満はないと言ってはいるものの、寂しそうな顔をしていたこと、大きな変化がないことを、晶自身は、長生きの魔法使いならそういうものなのかな? と受け取ってしまっていること。ということは、フィガロが『待って』いる間は当分何の変化も起きないのでは? というか、そのあたり、ちゃんと話し合わぬか! これだからフィガロちゃんは! などなど。
最初は、師匠二人がなんかうるさいなあ、という顔を隠しもしていなかったフィガロだったが、話が進むにつれ段々真顔になり、「ふうん……賢者様がねえ」と独り言のように呟いた。
「そうですね……確かに、俺が勝手に待ってただけで、きちんと話したことはなかったな」
「「ほらあ!」」
「お二人に言われて行動するのは癪ですけど、後で賢者様と話してみますよ」
「癪って言った?」
むむむ、と唇を尖らせたものの、双子は用は済んだでしょうと言わんばかりにこちらに背を向けたフィガロを再び両際から挟み込み、体を無理やりドアの方へ向けた。
「うわ、なんです。まだ何か?」
「今じゃ!」
「今行くんじゃ!」
「善は急げじゃ!」
「ちょ、ちょっと……」
ぐいぐいと背中を押され、自分の部屋から追い出される形になったフィガロはそれでもまだ抵抗した。
「大体、賢者様は仕事中でしょう。理由もなく部屋に邪魔しに行くのも、」
「この期に及んでまだ言っておる!」
「あのねえ、フィガロちゃん、理由なんて――」
***
コンコン
戸を叩く音に、晶は顔を上げた。元々得意とは言い難い事務仕事に頭も体も悲鳴をあげていたところだったので、その音は作業を中断するのにちょうど良いきっかけだった。
「はーい! 今開けます」
やるときは一気にやってしまいたい、そもそも賢者として自分が役に立てる仕事もそう多くないんだし、明確に自分にしかやれない仕事くらい、と思いながら書類に向かっているとついつい休憩や食事がおろそかになるのを見越して、双子を含め他の魔法使いも時々手土産と一緒に部屋にやってくることがあった。気遣われることが申し訳ないと思う反面、そんな優しい人達のためにもがんばろう、とも思う。だからこのノックの音も、もしかしたらその内の一人かも、と思いながら戸を開けた。
「……やあ、賢者様」
「! フィガロ」
そこにいたのは、晶ががんばりたいと思う理由の中でも、一番に顔が浮かぶ人物だった。いつも通り、穏やかな笑みを浮かべてはいるが、少しだけ困ったように眉尻を下げている。
「こんにちは。えっと、どうかしましたか?」
「ああ、いや……」
珍しく、言葉に詰まったように言い淀み、それから、
「恋人に会いに来るのに、理由がいるかな?」
そう、照れたように笑ったので、晶もつられてじわじわと赤くなっていく。
「えっ、いや、そんな、あの……」
付き合い始めて、明確に大きな変化があったわけではない。だからこそ、こいびと、とはっきり口に出されるのも慣れていなかった。けれど、
「……会いに来てくれて、嬉しいです。フィガロ」
消え入りそうな声で、それでも顔を上げてそう言うと、フィガロもどこか安堵したように笑ったのだった。