バッドエンドルート主肥 俺の片腕を切り落し、腹の深くまで刃を通した異形は、それで満足したのか、べっとりと赤にまみれた刃を一振りすると、低い咆哮を一つ、あとは振り向きもせず立ち去った。ばかだな、と思う。俺の刀達なら、確実に息の根を止めて、息絶えたのを確認してからその場を後にするだろう。生き残った敵が、例え致命傷を負っていたとしても息がある限りは何をしでかすか分かったもんじゃないのに。そういう小さなミスが命取りなんだよな。こっちからすれば、今はありがたいけど。
実際のところ、出血量は半端なくて足元は血の海だったし、意識も朦朧としてはいたけれど、でも、俺はまだ生きていた。生きていて、利き腕は動いたので、緊急用に支給されている鎮痛兼止血兼気付薬兼、まあその他色々の、とりあえず為すべきことを為すまで動けるようになる薬を自分に投与する。緊急用で審神者一人につきひとつしか支給されないとあって、効果は絶大だった。痛みは引いて、遠のきかけていた意識もはっきりしてきた。出血もとりあえずは止まったようだ。とはいえ、ただそれだけで、なくなった腕は生えてこないし、流した血が戻ってくるわけではないからふらつくし、裂かれた腹から赤黒い何かが見えてるのはちょっとまずいと思うけど。幸い、執務室だったのでそのへんを探せば使えそうなものは出てきた。救急セットの中に包帯が入っていたけど、片手じゃうまいこと固定できないし、とりあえず中身が出なければいいかと判断して、腹にガムテープをぐるぐると巻き付けた。包帯で巻くよりはやりやすかったけど、片手でするには時間のかかる作業だった。四苦八苦しながらどうにか穴を塞いで、廊下に出る。腕って実は結構重かったんだな。うまくバランスがとれなくて、腕がある方に傾いてしまう。よたよたと歩きながら、ひどい有様の我が本丸を眺める。あちこち火があがってるし、皆で一生懸命耕していた畑もぐちゃぐちゃ、花壇もどこまで花が植えてあったのかわからないくらい踏み荒らされている。かなしい、かなしいなあ、と思うけれど、最悪ではない。俺は俺の手でこの本丸を終わらせられるし、いくつかの部隊に分かれたうちの主戦力は、今頃別々のゲートを抜けて政府管轄の安全地帯に到着しているはずだ。辿り着けば、審神者が消えても面倒な手順をいくつか踏めば顕現は解かれず政府管轄の刀剣男士となる。歴史遡行軍に対する戦力は減らないままだ。ざまあみろ、と笑えば、血の塊が喉から零れた。痛くないだけで、まずいかも、と思うけれど、既に目的地だ。普段は鍛刀のために絶えず火があるこの場所も、今はしんと静まり返っている。
「はあ……ほんと、かったるいなこれ……」
こっちは手負いで片腕なのに、まあ腕があるだけいいか、と思いながら資材が詰まれた棚と壁の隙間に手を入れた。奥の、ある一角のへこみに触れればいいだけなのに、中々届かない。今敵に見つかったら終わりだな、と思いながらも、どうにか手を伸ばすと、邪魔だった資材を、後ろから伸びた手が横に退けた。手が届く。カチリ、と音がして、ようやく、俺の目的は果たされた。審神者の生体反応を状況を読み取ったシステムが、この本丸の消滅に向けて動き出す。三分後か、十分後か。分からないけど、歴史遡行軍に捕捉され、襲撃されたこの本丸は、審神者である俺と共に消滅する。そういう決まりだった。
「第二部隊に加われって言わなかったっけ」
振り向いて、消滅の手助けをしてくれた刀を見上げる。見上げてから、自分がもう立ち上がれないことに気付いた。刀は、肥前はこれ以上ないくらい眉間にきつく皺をよせ、俺を睨んでした。
「……なんで、それでおれがいうこと聞くと思うんだよ」
「っ、ふふ、それも、そうか」
笑うと、腹がじくりと痛む。おい、貴重品っぽく配布されたのに効き目が短すぎないか。
「実は、」
幸い、目は見えているし耳も聞こえている。まだ話すことも出来た。
「実は、そうならいいと思ってた」
伸びてきた手が、腹を押さえていた俺の手を退ける。惨状を見て、眉間の皺は消えないままだった。
「聞いてねえ、こんな、これは、」
「まあ、マニュアル通りでは、ないよね」
補足された本丸の役目は、なるべく敵をここに集め、食い止めて、そのまま消えることだ。でも俺は、それをしたくなかった。実際そうしようとした審神者なんてほとんどいないだろう。結果として消滅する本丸と運命を共にしたとして、それでも最後まで、自分や、刀剣男士達の逃げ道を探したはずだ。俺みたいに。
「……みんなのことが大切だから、別の場所で生きてて欲しい。俺のワガママだけど」
「っ、ばかじゃねーのか、お前、おれたちは、道具だろ……っ」
肥前の声は、少し震えているようだった。歌仙も怒っているだろうな、と思う。騙し討ちみたいな形で避難ゲートに押し込んだもんな。敵地に繋がってるからとか言って。いや、でも気付いていたかもしれない。もしかしたら、合流できないかも、って。後で追いつくから、って伝えた時は、ワンチャンいけるって思ってたけど。いけなかったら、その時はしょうがないとも思っていただけで。ああ、瞼が重いな。
「ひ、ぜん」
すっかり重くなってしまった手を持ち上げると、力が抜ける前に強い力で握られた。
「肥前、おまえのことも、大切だから、」
だから、手離したはずなのに、
「……最後まで、そば、に」
途中で声がでなくなり、返事もなかった。聞こえなかっただけかもしれない。けれど、片方だけ残った肩にすり、と額が寄せられたのが分かって、俺はそれで、幸せだった。
***
握った手はまだ温もりがある。けれど、それだけだった。
体のそこかしこがガムテープで留められていて、杜撰な手当てだ、と思ってすぐに、手当てではないのだと気付いた。
『なんで、それでおれがいうこと聞くと思うんだよ』
そうは言ったが、途中までは確かに審神者の命に従ってはいたのだ。背くなら、もっと早くに背いていれば、そうすれば。
足元を、血だまりが広がっていく。
本丸に戻る、と言った肥前を、歌仙は許さなかった。当然だろう。本当は歌仙の方が、そうしたかったはずだ。仲間割れのような形だった。あそこで争わなければ、あるいは。いくつもの「もしも」「ああしていれば」が浮かんでは消える。
寄り添った体は、段々冷たくなっていく。審神者は死に、この本丸も消える。ここにいる肥前も同じだろう。それだけが、救いだった。