花守り 桜もそろそろ咲こうかとする頃、どこかから一通の手紙が送られてきた。
その中身を読むなり、拳兄は大慌てで俺を隣のおばちゃんに預けてどこかへ飛び出て行って、それから数日経ってようやく帰ってきた。
その腕の中に眠ったままの綺麗なお姫様を抱いて。
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そのお姫様は実はお姫様じゃなくて、ずっと行方不明になってた俺のもう一人の兄ちゃんだった。
名前はミカエラ。
初めて拳兄からその名前を聞いた時は、この国じゃ馴染みの無い音だなって思ったけど、こうやって本人を前にすると舶来人形みたいに綺麗なこの人にはとても良く似合う名前だと思う。
ミカ兄はずっと寝ていて目を覚さない。
拳兄が言うには、ミカ兄は俺がうんと小さい頃に俺達とはぐれちゃって離れ離れになったんだって。拳兄はミカ兄を探してあちこちを転々としてたんだけど、たった一人で、しかも俺を連れてだから中々の上手く行かなかったらしい。
その内大陸の情勢もきな臭くなってきたってんで安全のために日本に来て、ここら一帯を仕切ってる古い吸血鬼の一族を頼ってあちこちの吸血鬼の集まりを紹介してもらったりして、必死で情報をかき集めてミカ兄を探してたんだそうだ。
この間届いた手紙はミカ兄が見つかったって知らせで、それで拳兄は取るものもとりあえず慌てて手紙に書いてあった場所までミカ兄を迎えに行ってたんだって、ミカ兄が家に来たその日に教えてもらった。
初めてミカ兄を見た時、俺は心底ビックリした。だって、おかっぱくらいの長さに切り揃えられた艶やかな黒髪も、微かに紅く色づく小さな唇も、濃く長いまつ毛に縁取られた目を閉じて眠っているミカ兄を形作る何もかもが見たこともないくらい綺麗で、俺らと同じ男だとは到底思えなかったからだ。
さらに一番驚いたのはミカ兄の年齢だった。
どう年嵩に見積もってもせいぜい十四、五歳くらいにしか見えないその人は、なんと今年で三十になるらしい。
びっくりして「嘘だ!」て叫ぶ俺に苦笑して、拳兄が教えてくれた。
ミカ兄は大人になりたくなかったんだろうって。催眠の力が強いミカ兄は、ずっと自分がこれ以上成長しないように自己暗示をかけていたんだろうなって。
「大人になりたくないって言うより、男になりたくなかったんだろうなぁ」って苦しそうに言う拳兄の言葉の意味は俺にはイマイチ良くわからなかったけど、ミカ兄が大変な目にあってたんだって事だけは理解できた。
俺達と離れ離れになった後、ミカ兄はずっと一人ぼっちで大変だったらしい。だから心と体が疲れちゃってて元気になるまでは起きれないんだって。
本音を言うと、帰ってきてから拳兄はずっとミカ兄につきっきりで、全然俺に構ってくれないもんだからちょっと寂しいし面白くなかった。だって拳兄は今まで俺だけの兄ちゃんだったのに!
けれど、「お前にあんま構ってやれなくてごめんな。でも透も俺と一緒にミカ兄ちゃんを守ってやってくれるか?」って拳兄にお願いされちゃったしね。だから拳兄と一緒に俺もミカ兄を守るんだ!
それに最近お嫁さんを貰った馴染みの兄ちゃんが言ってた。「男は守るものができて一人前なんだ」って!
つまりミカ兄って守るものができた俺は一人前の男ってことだよね!
でも拳兄にそれを言ったら息もできないくらいゲラゲラ笑ったんで、むかっ腹が立ったからとりあえず蹴っといた。
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ある日、なんの前触れも無くミカ兄が目覚めた。
真昼間にミカ兄を挟んで三人並んで寝ていたらもの凄い叫び声が聞こえてきて、ビックリして飛び起きる。
何事かと慌てて声がした方を見れば、聞いた事も無い何処かの国の言葉で何かを叫びながら暴れて自分の目に指を突き立てようとしてるミカ兄と、必死でミカ兄を抑えながら同じ異国の言葉を叫んでる拳兄がいた。
どれぐらいそうしていたのか。やがて糸が切れたみたいにミカ兄が意識を失って、拳兄はそんなミカ兄を抱きしめながら声を殺してずっと泣いていた。
俺はと言えば、そんな2人の様子にすっかりビビッちゃって、布団の上でただ呆然と眺めてる事しか出来ない自分が情けなかった。
俺も拳兄と一緒にミカ兄を守るって、約束してたのに。
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今日もミカ兄は眠ってる。一度目を覚ましたあの時から全然起きる様子はない。
眠るミカ兄は、まるで昔なんかで読んだ本に出てきたお姫様みたいだ。
魔女に眠りの呪いをかけられた、茨のお城で眠る綺麗なお姫様の話。
ミカ兄の頬を優しく撫でていた拳兄にそう言うと「確かに」って笑って、「(でもきっとお前は俺の口づけじゃ目覚めてくれないんだろうな……)」って、相変わらず俺には何を言ってるのかわからない異国の言葉を呟きながら、親指でミカ兄の唇をそっとなぞる。
こういう時の拳兄は痛いのを我慢しているような、大切な宝物を見るような、そんなよく分からない顔をしていて、なんか知らない人を見てるみたいで俺はいつだって落ち着かない気持ちになってしまうからちょっと苦手だ。
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ミカ兄はまだ眠ってる。
あれから季節は一巡して、今はそろそろ桜の蕾が膨らんでくる頃だ。
こんなにも長い間眠り続けなきゃいけないくらい疲れちゃうなんて、どれだけ大変な目にあったんだろう?
ミカ兄が前に起きた時の事が忘れられない。
何を言っているのか全くわからなかったけど、でもミカ兄が酷く苦しんでる事だけはわかった。
眠るミカ兄の横にうつ伏せに寝そべって、よく拳兄がするみたいにそっと指の背でその頬に触れる。
拳兄が毎日手入れをかかさないから今では肩より長く伸びた黒髪も、青みがかった白い肌もすべすべだ。
「ねえミカ兄、ここにはミカ兄に呪いをかけるような魔女なんて居ないよ。みんないい人ばっかだよ。だからさ、早く起きてよ。そんで桜が咲いたら俺と拳兄と一緒にお花見しよう?」
拳兄がミカ兄は桜を見た事がないって言ってたから、見せてあげたい。ここの近くの堤防の桜はね、すごく綺麗なんだよ。ミカ兄みたいに。
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そろそろ桜も開花しそうな暖かな昼下がり。
ミカ兄がまた唐突に叫びながら目を覚ました。
前と同じ、知らない国の言葉を叫びながら暴れて自分の目を潰そうとするミカ兄と必死でミカ兄を抱きしめる拳兄。
前の時は俺は何も出来なかった。雰囲気に呑まれて、ただ呆然とする事しか。
でも、何も出来なくてあんな情けない思いをするのはもう嫌だ!
「ミカ兄!」
意を決してミカ兄の腰にしがみつく。
「大丈夫だよミカ兄! 怖い事なんてもう何にも無いよ! 俺も! 拳兄も居るから! 一人ぼっちじゃ無いから!だから、だから……っっ!!」
正直、何を口走ってるのか自分でも良くわからない。ただ、ミカ兄に「もう大丈夫だよ」って伝えたかった。俺も拳兄も側にいるよって、もう一人で苦しまなくて良いんだよって。叫びながら力の限りミカ兄を抱きしめた。
不意にあれだけ暴れていた体がピタリと止まる。どうしたのかと不審に思って顔を上げると、信じられない物を見るような顔をして俺を見下ろすミカ兄と目が合って………え、目が、合って?
「………Tor?」
ミカ兄の口から溢れた音は耳慣れ無いものだったけど、不思議と名前を呼ばれたのはわかったから。
「そうだよ! 透だよ! ミカ兄!」
もう一度、ぎゅぅっと細い体を抱きしめる。ミカ兄はノロノロと顔を上げて今度はすぐ横にある拳兄の顔を見た。
また耳慣れ無い音がミカ兄の口から溢れて、それに呆けた顔した拳兄が俺がわからない言葉で返事をする。何度か確かめる様に俺と拳兄を見比べて、触ったら消えてしまうんじゃないかって思ってるみたいに震える手で俺達の顔に触れたかと思ったら、急に綺麗な顔をくしゃくしゃにして泣きだしてしまった。
まるで産まれたての赤ん坊みたいに大泣きするミカ兄を見てる内に俺もつられて大声で泣いちゃって、そんな俺達を二人まとめて抱きしめながら拳兄も泣いちゃって。そうやって三人団子みたいになりながら泣いて泣いて、泣きまくって。
やがて泣き疲れて眠りに落ちる寸前———。
「(ミカエラの王子様は俺じゃなくてトールだったか………少し、妬けるな)」
頭を撫でる優しい手の感触と一緒に聞こえた異国語の呟きは、やっぱり俺には何を言ってるのか全然わからなかった。