貴女を攫いに来ました任務帰りに呼び出され向かった学長室で唐突に告げられた。
『七海が呪詛師に認定された』
頭は理解に苦しみ思考が止まっているのに、隠したはずの心は悲鳴をあげた。
「な……」
絞り出そうとした言葉は続かず、察した学長が詳細を話し出す。
「働いていた会社の同僚や上司の非術師十七名を殺害後行方を眩ませた。現在はーーー」
学長の声が霞んで聞きづらい。
息がしにくい。
呼吸ってどうするんだっけ。
「もしかしたら、お前に………耀!大丈夫か!?」
遠くで私を呼ぶ声がする。
大丈夫と言いたいのに声が出ない。
息ができない。
意識が、遠のく……。
久々の単独任務。
廃墟の中に呪霊の気配を確認して帳を下ろす。
と同時に呪霊の気配が消える。
え?どういう事?
周りを警戒しながら廃墟の方へ足を進めると、中から見知った鉈を持った黒いスーツ姿の男が出てきた。
「お久しぶりです」
優しく微笑むその男に見覚えは無い。
しかし、金髪に色素の薄い瞳、そして特徴的な鉈。
思い当たる人物は一人しかいなかった。
「七海……」
「お元気でしたか?」
彼は背中に鉈を仕舞いながら私に近づく。
手を伸ばせば触れられる距離で止まり、私を見つめる。
「綺麗になりましたね」
「七海はカッコよくなったね。鉈が無かったら分からなかった」
「それは嬉しいですね」
見た事のない笑顔でニコリと笑う。
その妖艶な事……。
私の知っている無愛想な美少年は色気漂う大人に成長していた。
「今日は貴女を攫いに来ました」
「え?」
「私の現状はご存知でしょう?」
私はコクリと頷く。
「このままでは貴女とは相容れない関係のままだ。私はどうしても貴女が欲しい。こちら側に来ませんか?」
右手を差し出す彼は、私の動きをじっと見つめて待つ。
「………行けない」
絞り出すように答えると、腕を引かれ七海の胸に抱き込まれる。
「行かない、ではなく、行けない、なんですね」
抱きしめられているせいで、七海の声が近くで聞こえる。
「何が貴女を引き止めているんですか?仲間?義務?正義感?」
「……………」
「そんなの捨ててしまえ。その中に貴女を救ってくれるものなんて無い。義務と正義感なんて自分を壊す材料でしかない。仲間だって所詮は人間。最後は自分自身が一番なんですよ?」
「でも………」
「貴女を守れるのは私だけだ」
七海は腕の力を弱め、私の顎を掬って目を合わせる。
「耀、愛してる。貴女は私と来ればいい」
そのまま彼の柔らかなカサついた唇が重なる。
「呪術師はクソだ。そして社会もクソだ。そんなもの守る価値は無い」
鼻先が触れ合う距離で七海が言った。
七海の言葉に私は何も言い返せない。
それは否定する為の材料が無いから。
そんな私を、碧の綺麗な瞳が見つめ続ける。
「今日は攫うのは止めにします」
「……」
「貴女はそのうち自分の意思でこちらに来る。私としてはその方が嬉しい」
そう言って彼はもう一度口付けを落とす。
「良い返事を期待してます」
七海は私からスっと離れると、暗い帳の中をどこかへ歩いて行った。
あの日、なぜ私は『行けない』と言ったのか。
引き止めているのは何なのか。
七海の言葉がずっと思考を支配している。
本当は『行かない』と言うべきだった。
呪術師とは、非術師を守るもの。
そう教わってきたし、そういうものだと思っていた。
でも、七海が呪詛師になったと聞いたあの時、私の中で何かが壊れた。
クソだと言っていた呪術師を辞め、社会に出て幸せに暮らしていると思っていた彼は、きっとここよりもクソな世界を味わった。
だからあの真面目を絵に描いたような彼が一般人を殺したのだろう。
そんな世界を、愛する人を苦しめる世界を、その世界を形作る非術師を守る意味って何だろうか。
「耀、おつかれー」
自販機横のベンチで項垂れる私に声をかけてきたのは、一つ先輩の五条さんだった。
「……お疲れ様です」
「耀、この前変な報告書出したんだって?伊地知が心配してたよ?」
「あぁ……すみません」
七海とあった日の報告書の事を言っているんだろう。
私は報告書に七海の事を書かなかった。
『帳を下げた際、呪霊の消滅を確認。呪霊本体は確認できず』
私はそう報告した。
「別に責めたいわけじゃないよ。ただ、本当は何があったのかなと思って」
五条さんは自分の分の飲み物を買うと、私の隣に腰を下ろす。
「ねぇ、もしかして誰かに会った?」
「……誰かとは?」
私は項垂れたまま質問を返す。
隣で缶を開ける音がする。
「誰とは言わないけどさ。お前の情緒を揺さぶるやつなんて一人しかいないでしょ」
「…………」
無言は肯定……そういえば七海が言ってたな。
「わかるよ。僕だって傑の時も七海の時もかなりショックだったし、正直、今の僕のやってる事は間違ってるんじゃないかって不安にもなるよ」
「……あの五条さんが?」
「お前、僕を何だと思ってるの?」
「唯我独尊、傍若無人」
「お前ねぇ……」
私は少し笑いながら顔を上げた。
「それでもさ、誰かがやらなきゃいけないんだよ。弱い者を護って世界を救う。光は当たらないし、辛い仕事だけどさー。聞こえだけはヒーローみたいじゃん?」
五条さんはジュースを飲み干すと、私の頭に手を乗せる。
「お前は十分頑張ってるよ。心配になるくらい」
頭の上の手が優しく撫でてくれる。
「僕達はいつもお前の味方だから。何かあったらいつでも頼って?」
首を傾げ私の顔を覗き込む。
「耀は独りじゃないよ。だから……お前は歩く道を間違えちゃダメだよ?」
独りじゃない……本当に?
その道が合ってるって誰が決めるの?
「じゃ僕行くね。今から北海道に出張だから」
私の頭をポンポンと優しく叩き、五条さんが立ち上がる。
「美味しいお土産買ってくるから、いい子にしてるんだよー」
後ろ手に手を振りながら五条さんは校舎の中へ消えていった。
それから数日後の単独任務の際、また七海がやってきた。
私が帳を下ろすと、彼が呪霊を祓った。
そして私の元へやって来て愛を囁く。
「愛してる」
「貴女を守れるのは私だけ」
「私の傍にいて」
「貴女が欲しい」
それは毒のように心を侵食していく。
その毒は、いつしか私の中にある責任感、義務感、正義感、正しいと言われる全ての感情を飲み込んだ。
そして、仲間を仲間と見れなくなった。
何回目かの七海との密会。
私は帳を下ろし、彼の元へと走った。
呪霊を祓い終わり、血まみれの鉈を振り下ろす彼の姿に胸が高鳴る。
私を見つけた彼は、両手を広げ、優しく微笑みかける。
私は迷わず彼の胸へと飛び込んだ。
「七海、会いたかった」
「私も会いたかった」
彼は私を強く抱きしめる。
それに答えるように、私も彼の背中に回した腕に力を込める。
「七海、愛してる。ずっと傍にいて?」
「えぇ。いくらでも傍にいますよ。ですが、いいんですか?」
それは優しさからの言葉ではなく、確認。
私の心の在り所の確認。
「うん。もういい。七海がいればいい」
「やっと堕ちてくれましたね」
心底嬉しそうな声で七海が言う。
顔を上げると、ほくそ笑む彼の顔があった。
「もう離しませんよ?いいですね?」
「うん。いい」
口角を上げた彼の唇が私のそれと重なる。
それは啄むものに変わり、やがて深く互いを求め合うものに変わる。
「はぁ……愛してる。貴女の全ては私のものだ」
そう呟いた七海の口が私を食べるかのように貪る。
私はそれをただ受け入れ、甘い声を漏らす。
「早く帰りましょう。貴女を抱きたい」
唇を離した七海は熱の篭もる瞳で私を射抜く。
それだけで私の背中は震えた。
私は夜のような帳の中、愛する人と二人闇の中へと足を踏み出した。
私の心はきっと初めから彼に攫われていたのだろう。
呪詛師となった彼と会った、あの時から。