酔いの理由。「シュウ〜もうそのへんにしときなよ。」
「んぅ、やだぁ…もうちょっとだけ…。」
深夜零時を回った頃。
ルカは、いつになく頬を赤く染めたシュウをソファで支えていた。もうシュウは全然呂律が回っておらず、体もフラフラで完全に身を委ねてきている。だが唯一右手だけがまだ元気に動き回っており、酒に伸びてはルカが止め、また伸びては止めを繰り返していた。
「もうこれ以上はだめだよ、はいおしまい!」
「ちょっ、るかぁ〜…!」
ルカはシュウが飲んでいた缶を掴むと、伸びてくる手を制しながら一気にそれを飲み干した。鼻の奥にハイボール独特の香りがふわっと広がり思わず顔をしかめる。缶の半分も入っていなかったが、少ない量でも酒の効果はそれなりにあって、喉元から胸の辺りが熱くなるのを感じた。カンっ、と乾いた音を鳴らし机に置くと、眉を下げてじっと見つめるシュウと向き合う。
「ほら、もうなくなったから。今日は寝ようよ、ベッド行こ。」
「もうちょっとだけ、あとちょっとなの〜!」
寝室まで運ぼうと肩に手を回すと、弱々しい力で胸板をそっと押し返してくる。イヤイヤ、と首を横に振る姿はまるで小さな子供だ。いつも大人びているシュウからは想像も出来ないくらいふにゃふにゃで、なんだか無理やり連れていくのが忍びなくなってしまう。これが母性本能をくすぐられる、ということなのだろうか。
「どうしちゃったのさ、こんなに飲んで…。」
「もうちょっとだからぁ…。」
なにがもうちょっとなのかは分からないが、とにかくまだ寝たくないと訴えかけてくるシュウ。
いつもはアーモンド型の綺麗な瞳が、とろんと微睡み今にも閉じそうになっている。長い睫毛の奥で、うっすら溜まった涙がきらきらと存在を主張した。吸い込まれそうなほど美しい紫色が輝き、まるでアメジストのようだとルカは思う。
「そんなこと言ったってだめだよ、これ以上飲んだら明日頭痛くなるって。」
「だって…まだだってばぁ…。」
「わかったわかった、飲み足りないならまた今度一緒に飲もう。それでいいでしょ?」
「んん〜…るかぁ…。」
さすがにこれ以上は心配だ。なにかあってからでは遅いと思ったルカは、未だ抵抗するシュウを無理やり抱き抱えた。想像していたよりも簡単に持ち上がった体に驚き、改めて華奢だなとまた少し心配が重なる。腕には筋肉があるものの、細い腰やスラッと長い脚はほぼ女の子と変わらない。腕の中にすっぽりと収まってしまうシュウは、呪術で戦うより自身が守られる存在なのではないか?とルカの庇護欲をかき立てた。
「ほら、首に手回して。」
「んんぅ…。」
ここまでされて多少諦めたのか、ゆっくりと首の後ろに体温が触れる。それを確認してから、ルカは寝室へと向かった。
「はい、着いたよ。」
暗い室内はそのままに。そっとベッドにシュウを降ろし、ルカもその隣に腰掛ける。ガッシリとした体格の分ベッドも音を立てて沈み、肩に傾いてきたシュウの重みを感じた。
「今日はもう寝よ、また明日ね。」
頭を支えながらゆっくりとシュウを倒し、眠るように促す。ぽんぽんと優しく撫でれば、蕩けた瞼がさらに一層重みを増した。
「……るかぁ。」
「ん、なあに?」
俯きながら、眠気を帯びた低い声でシュウがぽつりと呟く。暗くて顔がよく見えないためぐっと近寄り覗き込むが、目線を逸らされてしまった。シュウは毛布を上へ引っ張り、あの特徴的な前髪までをすっぽりとその中へ隠す。そしてルカに背を向けた。
「…ううん、なんでもない。」
「…そっか。」
少しの間が空いて聞こえたのは、くぐもった声。何を言おうとしたのか気になるがそれを今詮索するのは違う気がして、ルカはもう一度頭を撫でてから柔らかい髪の毛に小さくキスを落とした。
「じゃあおやすみ、シュウ。」
眠気の限界だったのか、返事はない。ルカは起こさないように静かにベッドを離れると、そっと部屋の扉を閉めた。
リビングに戻り、酒の空き瓶やつまみの残りを片付けながら今日のシュウを思い出す。
《今日一緒に飲まない?》
夕方頃。配信を締めにかかっていたルカのスマホ画面にそんな通知が入った。そのすぐ上に表示された名前は"Shu"。ルカはエンディング恒例のキスもそこそこに足早で配信を切り上げ、そんな珍しい誘いに胸を躍らせた。
《もちろんいいよ! シュウのこのあとの予定は?》
《今日は朝早くの配信だけだったから、もう空いてるよ》
《そっか! じゃあ何時にしようか》
そんなやり取りをしながら、今日一日働いてくれたパソコンをシャットダウンさせる。モーター音が止まったとの同時に画面が暗くなり、そこに映り込む口角の上がりきった自分と目が合った。
結局ルカの家で飲むことになり、生活感の溢れる部屋を少し片付ける。シュウが来るのは久しぶりで、ソワソワと嬉しさが滲み出て気づけば鼻歌を歌っていた。
シュウから飲みの誘いが来ることは滅多にない、というか初めてかもしれない。普段から二人とも飲む方ではなく、夜に会うことはあってもゲームをしたりくだらないことを話したりとそんな程度だ。酒が嫌いというわけではない。すぐに酔ってしまうため、人前で好んで飲むことはあまりなかったのだ。ただ、シュウが飲みたいというなら話は別である。
ルカは冷蔵庫を開け、いくつかのハイボールとチューハイがあるのを確認した。シュウはどのくらい飲めるのだろう?以前配信で飲んでいたらしいけど…。そんなことを考えていると、訪問を知らせるチャイムが鳴り響く。
「シュウ! いらっしゃい!」
「んふふ、おじゃまします。」
そして酒の入った袋を下げたシュウを部屋へと招き入れた。
いざ飲み始めると予想よりもシュウのペースが早く、ルカは若干置いていかれそうになった。ルカの話に可愛らしく笑ったと思うと、手に持ったままの酒を机に置くことなくまたすぐに口へと運ぶ。それはなんだか少し急いでいるようにも見えた。
「ねぇシュウ、飲む時はいつもこのペースなの…?もう顔真っ赤だよ。」
「え〜?んへへ、大丈夫だよ〜。」
心配で声をかけるも、笑って返されてまた一口喉に通した。毎日飲んでいるならまだ分かるが、たまにしか飲まないのにこんなに早いのは…楽しいよりも心配な気持ちが勝ってしまう。もしかしたら何か不安なことや、嫌なことがあったのかもしれない。
だがそんなルカの心配をよそに、シュウはどんどん飲み進めていた。喋り方がふわふわしてきて、徐々に表情も緩くなっている。
「ねぇシュウ、ほんとに大丈夫?」
「わぁ、ぅかの手冷たくてきもちいね〜んはは。」
「もう…。」
丁寧に膝へ添えられたシュウの手の甲に優しく触れると、まるで子供体温のように熱かった。
正直、酔っ払ったシュウはとても可愛い。もちろん普段も可愛いけれど、これはこれでまた違った可愛さがある。顔を赤らめてそんな可愛い声で名前を呼ばれたら、誰だってそう思うだろう。もしこれで自分も酔っていたら、いつ押し倒していてもおかしくない。でもルカは、酔っ払いに手を出すような奴にはなりたくないと必死に耐えた。
そして、ルカの苦労は冒頭へと繋がる。
「シュウ…。」
片付けを終えてシュウの眠る部屋へ戻ってきたルカは、ベッドサイドへ腰を落とし、いつの間にか毛布から出ていたらしいシュウの寝顔を眺めた。アルコールのせいで火照った頬に、筋の通った鼻、薄い唇。長い睫毛は涙に濡れてきらきら光っている。綺麗だ、とても。柔らかな頬に手を滑らせ、おでこにキスを落とした。自分のベッドに大好きなシュウが眠っている。しかもこんな無防備な姿で。それだけで心臓は音を立てそうだ。でも今はその感情は押し殺して。今日はこのまま眠ってしまおう。ルカは空いているスペースへ静かに自身の体を滑り込ませ、背中に可愛らしい熱を感じながらぎゅっと強く目を瞑った。どうか明日のシュウの体調が良くありますように。
* *
翌朝。カーテンから射し込む光で目が覚める。いつもならこのまま起きてランニングに行く時間だ。
シュウはまだ起きていない。寝ている間にお互いが向き合っていたようで、シュウは腕の中にいた。なんだか無性に触れたくなって、しなやかな髪を優しく指で梳く。さらりと手から抜け落ち、それと同時にシュウがもぞもぞと動き出した。
「ん…るか…?」
「ごめん、起こしちゃった…おはようシュウ。」
「…うん、おはようルカ。」
ふわりと目を細めると、シュウも同じように返してくれる。幸せな朝だ。
「頭とか痛くない?体調は?」
「あー…うん、大丈夫…ありがとう。」
そう聞くとシュウはだんだん口篭り、そして昨晩のようにまた目を逸らした。思い出して恥ずかしくなったのだろうか。
「そっか、なら良かった。いっぱい飲んでたからびっくりしたよ〜いつもあんなに飲むの?」
昨日は全然答えてくれなかった質問を、今なら大丈夫かとぶつけてみる。もし毎回あんな飲み方をしているのなら止めさせないと。体調も心配だし、それにもしルカがいないところであんな風な姿になったら…。そう思っただけでモヤモヤしてしまうのだから、それが現実に起きたら自分はどんな行動を取るのだろうとルカは真剣に考えていた。
「いや…違うよ、いつもはあんなんじゃない…むしろ飲むこと自体少ないし…。昨日はごめんね、迷惑かけちゃって…!」
「え、全然迷惑じゃないよ!大丈夫、少し心配なだけだったんだ。」
シュウはあたふたしながら答えた。迷惑なもんか、むしろ可愛いとさえ思っていたのだ。ルカはそう口走ろうとして、出かかった言葉を飲み込んだ。いまシュウに可愛いなんて伝えたら、余計顔を逸らされるのは目に見えている。
「じゃあ、どうしてあんなにいっぱい飲んでたの? 俺はてっきり何か悩みでもあるのかと思ったんだけど…違った?」
言った途端、シュウの肩がピクリと反応した。一瞬だけ、逸らされていた目線がルカを捉える。どうやら図星らしい。
「…え、と…。」
「何があったのか教えてくれないかな。もちろん言いたくなかったら言わなくてもいい。」
そう伝えると、シュウは上目遣いでこちらを見つめてくる。もごもごと口を動かし言いにくそうにしているが、ここでなにか言えば急かしているように見えるかもしれない。ルカはじっと次の言葉を待った。それに気づいたシュウは、深呼吸をしてからゆっくりと唇を開く。
「……引かない?」
「! 引かない。」
「絶対…?」
「絶対!」
真剣な表情のルカがアメジストの中に映っていた。何があっても引かない。それだけ、ルカには自信とシュウへの想いがあった。
「…あのね、夢を見たんだ、昨日。」
「夢?」
「うん、ルカの夢。」
俺の夢? ルカはシュウの夢に自分が出てきた嬉しさと、でもそれがシュウの悩みになってしまった申し訳なさでどんな表情をしたらいいのかわからなくなった。
「僕ってさ、普段からあんまりルカに自分の気持ち伝えたりしないじゃん。甘え下手だし、何より恥ずかしくって言えないんだよね。」
たしかに、シュウから"好き"と言われたのは、おそらくこの関係になった瞬間くらいだろう。告白をしたのはルカの方で、そのあとの返事がそれだった。普段一緒にいても甘い言葉をシュウから放つことはまずない。でもそれはシュウの性格であって、ルカが気にしたことはなかった。言わなくてもシュウがルカのことを好きなのは明白だったし、それを伝える伝えないはルカにとって優先事項ではない。言うなれば、そんなところも含めてシュウのことが好きなのだ。
「でね、夢の中のルカに言われたんだ、『シュウはほんとに俺のことが好きなの?』って。それでルカは離れて行っちゃったの。それ見たら僕怖くなって…。だから、お酒の力を使えば伝えられるかなって。まぁ結局勇気出なかったんだけど。」
んはは、なんていつもみたいに笑うシュウ。
引かないよ、こんな話。引くわけがないよ。シュウはこんな夢に見るくらい、ずっと悩んでいたんだ…。
「えっ、わ、ルカ?」
気づいたらシュウを抱きしめていた、強く、ぎぅっとキツく。
「それであんなお酒飲んだの?俺に好きって言いたくて…?」
「…うん、ごめんね。」
声色はいつものシュウだった。でもその一言でルカの心臓あたりがちくりと痛む。
「なんで謝るのさ、シュウが謝ることなんて何もないじゃんか。」
「でも迷惑かけちゃったし…大変だったでしょ、昨日。」
「だから迷惑じゃないってば。」
ルカは全く気にしていなかったのに、シュウは一人で悩んでいた。それになんでもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。シュウのことだから、きっと周りから悩みを悟られないようにしてたんだ。でも俺が気づいてあげられなくてどうする。何のために恋人やってるのか分からないじゃないか。それに夢の中のルカはなにやってるんだ…とんだ大馬鹿者だ。
「ねぇシュウ、聞いて。」
「なあに。」
「いい? 俺はね、離れたりしないよ。シュウのことが大好きだし、シュウも俺のことが好きだって分かってるから。言葉にしなくても十分伝わってるよ、大丈夫。だからいつも通りでいて。ね、お願い。今のシュウが好きだから、変わろうとしなくていいの。」
ルカはシュウを抱きしめる腕に力を込めると、ゆっくりそう言葉にした。自分の想いが上手く伝わるように、ゆっくり、ゆっくり。
「る、か…っ。」
「うん、なに?」
少し揺れる声で名前を呼ばれるのと同時に、ルカの背中にも熱が回ってきた。そのままシュウはルカの胸に顔をうずめる。どうやら気持ちはしっかりと伝わったらしい。頭を撫でると、背中に回された腕に力が入るのが分かった。
「ありがとう…ルカ。」
「うん、こちらこそありがとうシュウ。ずっと悩んでたんだね。もっと早く、"大丈夫だよ"って伝えてあげられなくてごめんね。」
震える背中をもっと守りたくて、もっと愛したくてどうしようもない気持ちになった。いつも大人なびているのに、なぜ今日はこんなにもか弱い存在に見えるのだろう。やっぱりシュウは守られるべきなのではないかと、ルカは心の底から思った。
「…ルカ、」
「うん?」
「………好きだよ」
「…!! うん、好き、俺も好き…!!」
なんて幸せな朝だろう。なんて幸せな言葉なんだろう。シュウが好き、大好き。
二人で抱きしめあって、どちらともなく唇を重ねた。決して深くはない、触れるだけのキス。二人にとってはこれで十分だった。
「ねぇシュウ、もっかい、もっかいだけ言って。」
「え…や、やだよ。もう言わない。」
「えぇー!」
「言葉にしなくてもいいってさっき言ったじゃん…! あれはなんだったのさ!」
「だ、だって〜…!」
お互いに見つめて、同時に笑いあった。
もう一度シュウからの好きを聞けるのは、またもう少しあとのお話。