私の獣性には四肢がある 雑渡は腕に愛おしい温もりを抱いてそれはそれは最高潮に機嫌が良かった。
明日から伊作は春休みで、自分も長い骨休めに入る。
余程のことが無ければ邪魔は入らない。
さて、想い人が自分を愛していようが愛していまいがどうでも良く、絶対に手に入れると決めてしまった場合の話をしようか。
雑渡は自らを死に損ないとまではいわないが、まあ正直あの時死んでもおかしくなかったので今はボーナスステージを進んでいるような気分で生きている。
そして死を一度直面しているので、欲しいものに対して諦めるという概念が一切無い。
勿論子供に手を出さない、等の極々一般的な倫理観は持ち合わせているが……兎にも角にも諦める気が無かった。
欲しいものは手に入れよう。
君の未来を思って諦める、不相応だと泣き寝入り、いつまでも愛おしい君を心に抱いて……まあ世間には色々な愛のカタチがあるが、これら全てお断りだと雑渡は薄く笑う。
欲しいものは欲しいので、一番欲しいものを自ら取りに行く。
それは当然のことだった。少なくても雑渡の中では。
「伊作くん、恋愛相談というものをしてみたいんだけど私。屋敷に案内させてくれる?」
そんな言葉を発したタソガレドキ城の忍組頭を見つめて伊作はポカン、とした顔をする。
ここは忍術学園の廊下のど真ん中だ。
伊作が驚いても無理はないだろう。
しかし言われて直ぐには思考は動かないが、取り敢えず首を縦に振る伊作。
これまで生きてきた中で得た処世術や順応力がさせた妙技だった。
「いや、ぼくで良いのなら……はい、」
頷いてしまったからには了承するしかない。
というよりこれは実は初めてのことではない……ただ、こうやって改まって聞かれたのは初めてだったので戸惑っただけだ。
今までも雑渡からは空想妄想恋愛相談を幾度となくされてきた伊作にとっては特に問題も無かった。
問題があるとしたら、それは伊作が雑渡に対して恋心があることくらいだろう。
聞けば聞くほど切なくなる、泣きたくなる。だから早く切り上げてしまいたくなるくらいのもので。
「良かった。じゃあ私の部屋でお茶でも飲みながらお話しようか」
「はぁ……別にここでも良いと思いますが、」
というより、ここでさっさと済ませてしまいたい。
泣いてしまうから、きっと。雑渡が帰った後ひとりで泣かせて欲しい。
泣き顔なんて、見せたくないのだから。笑って見送ってあげたい、だからどうか。
「出来ればゆっくり聞いて欲しいからね」
「はあ……わかりました」
ニッコリと満面の笑みを向ける雑渡、そこでも伊作は特に深く考えず仕方なしと雑渡の後ろを着いて行こうとしたが……突然の眠気に襲われる。
雑渡の背が歪み、眠りを誘う香にやられたのだと気づいたが最早後の祭り。
中立とはいえ相手はタソガレドキの組頭なのだ、油断しすぎたと伊作が悔やむが最後に映ったのがあまりに悪意のない笑顔を向ける雑渡だったので悪いことはされないと思ってしまう辺りが忍びに向いていないと言われる所以であるという自覚はあったけれど。
なんとなく大丈夫、この人はぼくに危害は加えないだろう。
そんな根拠もない信頼を向けていることこそが全ての過ちだとこの場で気づいているのは雑渡ひとりだけ。
彼は今、伊作にも誰にも見られない角度で、かかった獲物の前で舌なめずりをするような獣のような顔をしている。
他のタソガレドキの忍び達が見たらなんとかして伊作を逃がしただろうし、他の6年生が居ればその場で騒ぎ立てただろう。
だが、今日は残念ながらその望みは一切ない。
全て計算して雑渡は今ここに居る。
そうして後は伊作の守り人たちがやってくる前に闇夜に溶け込み移動を始めて冒頭に繋がるのだった。
「……ん? と…………」
伊作が次に目を覚ましたのは恐らく丑三つ時、見知らぬ天井を見つめながらぼんやりと今の今まで起きたことを思い出そうと動きが鈍い頭を回してみる。
寝起きで眠いくらいで異常はない、格好も特にいつも通りだったし……布団もふかふかで上質なものと直ぐにわかった。
「あ、伊作くんおはよう」
「……おはようございます」
にこ!ととても機嫌のいい笑顔で雑渡が言うからつい返事をしてしまったが、さっきこの人に眠り香を嗅がされなかっただろうか?
伊作が全てを思い出してガバ!と思いっきり起きて周りを確認するとソコは本当に見知らぬ屋敷だった。
「いらっしゃい、ようこそ我が家へ」
「……は?」
「いやあ、ちょっと忍術学園から遠いから思いっきり飛ばして移動したからね。眠ってて貰ったよ」
「は?」
「ほら、あんまり早すぎて舌噛んじゃったら危ないし、」
「ならば説明すればよかったでしょう!」
「素直に説明したら君、来てくれた?」
来なかったですけど。
とは言えずに伊作が固まれば雑渡はニッコリと笑う。
どうやら今日の彼は本当にご機嫌のようだ。
「そういえば、誰の気配もしませんけど……」
「まあここ、あんまり帰ってこないし誰も入れてないんだ。だから誰も居ないよ……あ、でも君を招くから掃除はしてあるよ!」
尊奈門が。とは言わない。
しかし伊作はここまで聞いてもまるで危機感を持たないらしく、そうなんだなーくらいの感覚で話を聞いている。
「なるほど、それはありがとうございました」
お礼を言いながらも珍しそうに雑渡の屋敷を見渡して若干ワクワクしているような表情をしている伊作。
先程眠らされたと言うことはもう忘れているらしい。
だが残念ながら彼は今から屋敷を気にする余裕もなくなるだろう。他でもない雑渡がそうさせる。
色々と話している間に月がまた傾き出していた。
後ろを振り返れば無防備に庭に目をやりのほほんと空を眺める伊作。
雑渡は完全勝利を確信した。
「特別な茶葉が手に入ったんだ……お茶を入れる腕は悪いけどきっと美味しいよ」
「ありがとうございます。是非飲みたいです」
「そこら辺で適当に寛いでてくれる?」
言えば直ぐに伊作は寛いでしまう、強メンタルだなぁと感心すらする。
しかし自分が普段過ごしている風景の中に伊作が居る。なんて心地いい景色だろう。
この景色が当たり前のものになれば良い。そう願いながら湯で茶葉をジャンピングさせれば小さな茶葉の一片一片が万遍なく湯に混ざり、味、水色、香りの全てが上等である茶が抽出された。
中央には茶柱が立っている。幸先が良すぎる。きっと勝てる。
神様がそう告げているのだろう、と。意気揚々そのもので雑渡は茶を持って伊作の元へと足を運ぶ。
「お待たせ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
伊作が嬉しそうに雑渡から茶を受け取る。
受け取って直ぐ、口に運び顔を綻ばせる伊作。ああ、まさかの雑渡の呪いの茶とも知らずになんと愛らしいのか。
美味しい、と喜ぶ伊作の隣にシレッと座り雑渡も自信作の茶を口に運ぶ。我ながら完璧な出来だった。
「それで、相談ってなんですか?」
サク、と本題に入る伊作に戸惑う様子も無ければ、狼狽えている様子も無い。
正直この状態を見れば脈無しだと雑渡も解っている。だが残念ながら雑渡は余裕だった。当然だ。
逃がす気などサラサラないのだから。
「そう。前々から凄く好きな子が居てね」
「はい、そこまでは解ります」
ここでもサクッ、とまるで焼き立て煎餅のような小気味良い音をさせ先を促す伊作。
仕方ないのだ。伊作はいつだって自己防衛のために雑渡の徒然恋愛相談を終結させようとどんどん結果へと話を持っていこうとする癖があった。
だがそこに物足りなさを感じた雑渡は不満です、という感情を隠さずムス、とした顔になる。
「もうちょっとそこを掘り下げようと思わない? と言うか、思ってよ」
「いや、雑渡さんに好きな子が居るから相談受けてるんですよね? 雑渡さんが何に困ったり、どうしたいかを聞かせて貰えればいいと思ってます。それとも聞いてほしいだけなら黙って聞いてますけど」
「相変わらず私にだけ冷たいね。そんなところも好きだけど」
「散々ぼくをおちょくっておいて今更なんですか? 寧ろ相談に乗ってるだけでも温かいでしょう」
伊作が雑渡から視線を外してまた茶に口づける。
そうだったね、君は初めからとても暖かくて陽だまりのようだったよ、と伊作を見ながら雑渡が内心で笑う。
だからこんなにも雑渡は伊作に執着している、固執している。手に入れないと気が済まなくなっているのだ。
「とりあえず私、組頭じゃない。しかも戦大好きのタソガレドキの」
「そうですね」
「一応考えたんだよね。この立場だと満足に時間も取れないだろうし、どうしても殿を優先しなくちゃいけない時が多い、それにいつ死ぬかもわからないしねぇ」
困ったわ、とでも言わんばかりに雑渡が頬に手を当て小首を傾げている姿はなんとも奇妙だ。
大男の可愛げなど見ていて気持ち悪いだけのはずだが、伊作の恋心がギャップ萌えに繋いでいる。
とても悔しいが。恋をすれば一律して皆、盲目になるものだ。仕方がない。
「雑渡さんでもそういう事考えるんですね」
「雑渡さんをなんだと思ってるんですか? 結構私、そういうところは気にするタイプだけど」
「そうですよね。そこはちゃんと知ってるんですけど……実際本人の口から聞くと感慨深いっていうか……そのスキルをどうしてぼくに発動してくれなかったんだろうとか……色々思います」
失敬な。今まさに君に対しそのスキルをフル発動しているじゃないですか、とは言えない雑渡はまた食えない笑みを浮かべて伊作の発言をスルーする。
「でも雑渡さんなら黙ってさえ居れば相手からやって来そうですけどね」
「そうなんだよねえ。でも既に相手に色々と喋ってしまった後でね……凄く困ってるんだ」
伊作がサラっと褒めてるんだか貶してるんだか、な発言をするが、そこも雑渡はサラっと受け流す。
すると今度は伊作が気の毒そうな顔で雑渡を見る。解せぬ、と雑渡がまた不満を表情に乗せると更に彼は問題発言を重ねた。
「ああ……、それで嫌われてしまっている、と」
残念そうな顔で納得したように頷く伊作に雑渡が若干の心の疼きを感じる。伊作本人にこの態度を取られるのは微妙でしかない。
強靭なハートを持ってこの瞬間に挑んでいるが、流石に傷つく。
「私、多分……嫌われてはいないと思います」
「あ、そうなんですか。じゃあまだチャンスはありますね!」
苦し紛れに、雑渡が小さく負け惜しみのような言葉を使えば伊作が嬉しそうに笑ってくれた。
本当に悪気なくここまで発言した彼を雑渡は、とても愛している。
「それで、雑渡さんは告白するんですか?」
にっこりと笑う伊作に雑渡もにっっこりと笑いかける。
はい、告白します。
今、ここで、君に。
今日、絶対に、します。
告白、させてください。
好きです、私のものになりなさい。
「そうだね。告白するつもりなんだけどね……困った事があるんだよねぇ……」
「困った事?」
「そう。だから伊作くんに意見を聞こうと思って今日ここにお誘いしたんだけど」
「あ、やっと相談っぽくなりましたね。なんです?」
「私が告白して、相手が拒絶する場合だってあるわけだ」
「そりゃそうですよね」
「その場合、私は絶対に逃がす気はなくて。寧ろ拒絶されたら逆上する可能性もあるし。最終的に私を好きになってくれれば問題ないからね、どんな卑怯な手でも無限に使うし。勿論逃げても地の果てまで追いかけて、しつこくアタックするだろうし、なんなら幽閉するのもありだよね」
「なしでしょう!! ネバーギブアップ精神も行き過ぎるとただの犯罪ですよ……!」
「そうかなぁ……?」
またも小首を傾げて悩む仕草を見せられるがもう伊作の恋の盲目パワーをもってしても恐ろしいモンスターにしか見えない。
このモンスターは檻に入れて大人しくしてもらわないとマズイ、危険だ。
見知らぬ女性、若しくは男性、兎に角見知らぬ誰かの安寧が今、伊作の手に委ねられている。
「そうです……! 相手に迷惑かからない程度に頑張るなら良いんじゃないですか?」
「でも私、隙あらば最近巷で人気の体から入る恋愛に縺れ込むのも辞さない構えだけど」
「ちょっ! 相手の意志の尊重とかその辺のものはどこにやったんですか!? もっと言うと人気でもなんでもないって言うか、雑渡さんの中でだけ人気なだけでしょう!?」
ビシ!と伊作が雑渡を指差すが、雑渡はまるで怯まずにニコニコ笑って楽しそうにしている。
「そう……? この前部下に借りた小説にこのシチュエーション書いてあったけど」
「偏った知識です! 今すぐ捨ててください!!」
雑渡の衝撃の告白で伊作は思わずツッコみを入れるが雑渡は知らん顔でどんどん話を進めていく。
捕食者はいつだってマイペースで落ち着いていないといけないからだ。まして、獲物の前なら殊更に。
「最初に言った通りね、絶対に逃がす気はないんだよ。最終的に私を好きになってくれればオールオッケー問題無し」
指で丸を作ってオッケーと笑う雑渡がもうわからない。
今、ここまでしっかり聞いても雑渡の言うことはおかしさしか感じ取れず。
「問題ありすぎです! 怖いですよ!!」
伊作がわが身を抱きしめながら叫べば、雑渡はニッコリと笑う。まるで自分の事のように怯える伊作が愛おしかったから。
他人の不幸を自分の痛みのように感じる事が出来る事。それは当たり前のようで、とても尊い。
そうそう、身の危険をどうぞしっかり噛み締めなさい。
そもそもこれは、まるっとぐるっとそのまま全部、君の身の上に降り注ぐ災いなのだから。
「駄目ですよ雑渡さん! 告白して、ダメだったら一緒にお酒も飲みますから……普通に! 普通に行きましょう!」
見たこともない、寧ろ端から存在しない雑渡に片思いされている見知らぬ人間の為に必死に軌道修正を図る伊作。
全て特大の自己防衛に繋がっている事に気づいていないのがとても残念だが、まぁナイスファイトだろう。
しかし残念ながら、雑渡には伊作を逃がす気が更々ない。
「それこそ駄目だよ。その間に逃げてしまったら私、すごく困るじゃない」
「そこは逃がしてあげましょうよ! っていうかお友達から始める、とか」
「嫌だね。もう直ぐにでも欲しいから告白しようと言っているのに何をそんな悠長な事を言っているんだい?」
「自分勝手ー!! もう諦めてあげてくださいよ! その子の幸せを遠くから祈ってましょうこのまま!」
伊作に言われて、取り敢えず手近な自分の部下や同級生たちと並んで幸せそうにする伊作を想像してみる。
つい最近までしていた想像だったからすんなり思い浮かべる事が出来たが、今と前では勝手が違う。
不快。それしか感じないので直ぐにその想像を止めて、心底嫌だと言う顔で首を横に振る雑渡。
「それは絶対に許さないよ。絶許甚だしい。私以外が彼を幸せに出来る筈がないもの。私くらい強くないと不運からも守れないだろうし」
「どこから来た自信ですか!? っていうか彼!? 男!? いやそれより相手が自分を好きなの前提ですか!?」
ああ、ツッコミどころが多すぎてツッコミ切れないと伊作が頭を抱えている。
可哀想に、なんて本気で思う雑渡。
折角の上等なお茶なので温かい内に飲んで落ち着いて欲しい、と思いながらも雑渡がふむ、と顎に手をあてて思案する。
「いいや。好きかもしれないし、好きじゃないかもしれない。だけど絶対に好きになって貰わないとすごく困るし」
今度は伊作が嫌な顔をする番だった。ああ、聞いたところで絶対に胸焼けするような回答が返ってくる。
しかしここまで足を突っ込んでしまったからには、聞くしかないだろう。罪のない可哀想な誰かの為にも。
伊作は覚悟を決めて雑渡を見据える。言葉を発する前に溢れ出てしまった唾液を飲み込む音がやけに耳についた。
「……何でです?」
「やっぱり極力犯罪には手を染めたくないじゃない? 好きになってもらうし、好きになって貰えなかったら一生囲っちゃうって話なんだから」
「うわぁ……!」
ゾッと身を震わせる伊作。思っていた以上に恐ろしい回答だったからだ。
どうしよう、もう逃げてもいいのかな?ぼく、結構あなたのために善戦したよね?ベストは尽くしました。
伊作が自分の中の誰かに尋ねるが、答えは返ってこない。いいよって言って欲しいのに。
「それで、ここまで全てお話したんだけど……私、告白するべきだと思う?」
「はい?」
雑渡が何故か穏やかに笑いながら伊作に再度質問をする。何を言っているのかまるで理解出来ない。
どこにも告白するべき要素が無い気がしたが、彼を止められる気もしなかった。そもそも彼は告白するつもりしか無い気がした。
だが伊作が理解と言葉に困っている間にも、雑渡はどんどん展開を推し進める。
「伊作くんは……私の背中、押してくれるよね?」
「……は、はぁ、」
今、伊作はこの危険な人物を捕獲している檻の鍵を持っているのかもしれない。
止められるのは伊作だけ……いいや、絶対に無理だ。このモンスターは最強勢力に属されるタソガレドキ城の忍軍の長。
戦闘力が桁外れだ、伊作の手に負える相手じゃないし、ここで開けないと檻を破って伊作が殺されてしまうかもしれない。
雑渡に想われてしまった哀れな誰かの貞操が危ない。しかし、伊作はどうしてもこれ以上関わりたくはなかった。
悲しい、痛い。
兎に角もうこの話をするのが嫌だ。そんな気分だった。
だって伊作は失恋しているのに、羨ましいあなたのために十分戦ったじゃないか。
雑渡に想われている人がどう思うかはわからないけれど、本当は伊作が欲しかったのだ。
それにもしその人が雑渡に恋をしていたら問題ないかもしれない。
だったら一か八か。
この檻を開けたところで誰にも解らないのだから、開けてしまえば良いだろう。
後は彼の良識と良心を信じて。
「まぁ、やれるだけやってみたらどうでしょう?」
「それは?」
「告白、してみたらどうですか?」
伊作が雑渡から目線を逸らしながら言う。疾しい気持ちと知らない誰かに対する罪悪感、あと、この名状しがたい苦しい感情から逃れる為に。
そんな伊作の機微を察し、更に雑渡は試す様に……否、最終確認を行う。
「……告白して拒絶されたら、相手を襲ってしまうと言っているのに? 告白しても良い、と?」
「そこ確定事項なんですか……と言うか、止めて欲しいんですか?」
「まさか。伊作くんには応援して欲しいと思ってるよ、最後までずっと」
本当に、心から。伊作に応援されてしまえば全て丸く納まるし。
「襲ってしまわなければ良いと思うんですけど」
「振られたら逆上します。逆上したら襲います。それを聞いても告白の許可をくれたわけだ、伊作くんは」
そんなところキビキビはっきり言うなと、と。伊作がうんざりしながらため息を吐く。
ああ、さっきから何なんだろうか、この奇妙な感情は。悲しいを通り越して最早腹立たしい。
もう兎に角この話は止めにして欲しい。伊作は無意識に自分の心臓の上に手をあてる。
大丈夫、流石に彼も本気で罪のない人間を襲いはしないだろう。
出来たら相手がその場で雑渡を好きになったら大団円じゃないか。
「……まぁ、良いと思いますよ。はい」
「…………言っちゃったね?」
「は?」
突然、いきなり雑渡の声のトーンが変わる。驚いて前を見ると纏っている雰囲気すら変わっていた。
妖しく笑いながら、しかし嬉しそうに雑渡が伊作を見ている。何が起こったのかわからないけど、何かがマズイと本能が警笛をかき鳴らしている。
「言質はとったよ?」
「何の?」
「私は告白をして、相手に拒絶されたら逃がさないし、逃げられたら追いかける、どうしても駄目なら体から奪ってでも手に入れる……これを全て君には話したんだけど、伊作くんは告白の許可をくれたね」
「許可って……っ」
「許可だよ。良いと思うって言ったからね。獰猛で、人道から外れた事を言う私に告白しても良いと言ってしまった……酷い子だよねえ。罪のない誰かがひとり、こんな極悪人の毒牙にかかるかもしれないのに……お前はそれを良しとした」
「い、いや……良しとしたわけでは」
痛いところを突かれた。いや、でも伊作には伊作の言い訳がある。
それを言おうと頭を動かすのに、先に動いたのは雑渡だった。この場においては先手を取る事だけが勝者を決めるのだとばかりに。
「好きだよ、伊作くん」
「はい?」
「私は君の事を愛しているよ。お慕いしています」
「へ?」
「返事は今すぐもらえる? 断られたらこの場で体だけでも私の物にしても君は文句を言えないよ?」
悪人の笑いとはコレの事だろう。伊作はまだ状況判断は出来ていなかったが、しかし罠にかかった事だけは理解した。
檻の中の危険人物が狙っていたのは鍵を持った自分だった。しかも自分で鍵を開けてしまった。今まさに、その危険人物は伊作を狙ってゆっくりと牙を剥いている。
どんな喜劇だこれは。断ったら即ゲームオーバーだなんて。否、まだやれることがあるはずだ。伊作はこの状況を打破すべく頭をフル回転させた。
好きだから何でもいい、何されてもいいとかではないのだ。
心の準備というものがあるというか、全く心が追い付いてこない。時間が欲しい。
そもそも伊作にも意地がある。こんなやり方納得いかない、卑怯だ。
「お、おともだちから……」
「それはダメだと言ってある」
「あ、と、その……えっと、じゃあ……返事を待ってもらうのは……」
「今すぐ私の物にしたいのに何を悠長なことを、と言ったはずだ」
全部切り捨てられ伊作は閉口する。なんだろう、全部が全部。今までの全てが伊作に圧し掛かってくる。
何か悪いこと、しただろうか……と、考えて、していた、と思い出し項垂れる。そう、伊作は先ほど、存在はしないが見知らぬ誰かに嫉妬して、見捨てようとした。
最後までその見知らぬ誰かを守ってさえいればこうはならなかった。伊作の心は今、後悔で一杯だ。後悔など、先に立った試しがないのだ。今も昔も、多分これからも。
しかし今の伊作の独白を雑渡が聞けば否、それは違うと答えるだろう。何故なら最初から雑渡は逃がす気はなかったのだから。
最後に伊作は悪あがきをすることにした。どうにか無事にこの部屋を出たい。出来ればこれまで通りに、平和に。
そして気持ちの整理をしてまた出直させて欲しい。
「あの……この場合どうしたらぼくって無事に学園に戻れますか?」
「雑渡さんの事が大好きって言って口吸いのひとつでもくれたら初めての夜くらいはロマンチックに過ごせるように努めるよ」
絶望した伊作の顔を見て雑渡は笑う。とても嬉しそうに。ああ、彼は絶望してもやっぱり愛らしい。流石未来の自分の伴侶だ、と。
しかし伊作は最後の最後に意地を見せる。色々焦り、絶望し、最後に漸く今自分の置かれている状況が理不尽であると気づいたのだ。遅すぎるくらいだったが。
「ズルいじゃないですかーっ!!」
突然食ってかかる伊作を飄々と受け止める雑渡。これくらいは予測済みだ。狼狽える筈もない。
伊作はもう大混乱の末鼻水を垂らして泣いているのに、告白を仕掛けた男は余裕である。解せぬ。
なんなら雑渡は鼻水まみれで泣いているのに世界で一番かわいい伊作が奇跡のようだとうっとりしている。
「え? 何がズルいの?」
「こんなの罠ですよ!」
「はい、良く出来ました。これは罠です。だから最初に言っただろう。お前を手に入れる為なら卑怯な手など無限に使うって」
「開き直らないでくださいよ! そんなのぼくの事じゃないと思ってましたよ!!」
「酷いな伊作くん。自分さえよければ他人はどうなっても良いといったようなもの……慈悲深い保険委員長の言葉とは思えないね」
伊作の良心を攻撃しながら、更に伊作から逃げ場を奪い取っていく。
敵は本気だ、と伊作が確信して思考を叱咤し、なんとか逃げようと辺りを見渡す。
しかし逃げ場などどこにも無い。そうしている間にも雑渡が忍び装束を緩めて伊作との距離をどんどん縮める。
「どうやら体から始める恋をご所望かな?」
「ご所望じゃないです! 全然っ!」
伊作がいよいよ雑渡から逃げ出そうと動き出すが逃げ場など何処にもない。
というより雑渡が最初から逃げ場など全部取り上げている。
悔しい、ズルいと泣いたってもう全てが遅すぎた。
そのまま体からの恋愛に突入して、なあなあと雑渡に絆されてしまうのは言うまでも無かったけれど。