18.半分 彼女が逝ったのは粉雪のちらつく寒い朝だった。
晩年こそ足腰の痛みや視力の低下に悩まされていたが、大きな病気もせずに天寿を全うできたのは幸いであろう。
頭痛を訴えた彼女が自宅から緊急搬送され、そのまま最期を迎えた病院の屋上に蔵馬は佇んでいた。昼過ぎになっても雪はまだちらほらと舞い続けている。
「お疲れさん」
いつの間にか来ていた幽助に、ぽんと肩を叩かれた。
「……どうも」
何十年も前に家を出て、送金を続ける以外特に何もしていない自分がその言葉を受け取る資格はないように思われたが、素直に礼を言う。
「この病院ってさあ、あの時と同じ病院だよな」
「ああ」
かつて彼女が大病を患って入院し、蔵馬が満月の夜に暗黒鏡を使った病院である。といっても何年か前に改築して今風の外観になったため、当時の面影は少しも残っていない。
病院の玄関から義弟とその妻が慌ただしく出て行った。恐らく葬式などの手配をするのだろう。
久しぶりに見た義弟は頭髪が薄くなって、やや肥えていた。義父に似てきたとも思う。その義父は八年前に先立っている。
何もかもが変わりゆく人間界で、自分と幽助だけが殆どあの頃のままだ。自分の瞳に映る幽助の姿は十代の少年のままだし、彼の瞳に映る自分の姿もまた同じく。こうして二人でいると、この屋上だけ時の流れに取り残されたような錯覚を覚える。実際には四十年近くの時が流れたというのに。
「あの時、お前が半分命をくれたから母は今日まで生きることができた。改めて礼を言うよ」
蔵馬は命を捨てて母を助ける覚悟でいたのだが、彼の申し出のおかげで命の半分で済んだのである。そこで生き長らえたことから始まった奇妙な縁は、とても一言では語り尽くせない。今ここにいる自分はあの時から始まったといっても過言ではない。
「半分……そっか、あん時も半分だったか」
幽助も当時を思い出すように、鉛色の空を見上げた。その横顔にも、粉雪ははらはらと落ちていく。
「オレのオフクロが死んだ時さあ、蔵馬、何かと気ぃ使ってくれたじゃねえか」
彼の母親は肝臓を悪くして随分早くに亡くなっている。当時、特別なことをした覚えはないが、母と子だけの家庭を過ごした者同士、多少は寄り添える部分もあるかもしれないと半ば祈るような気持ちで傍にいた。
「あの時、なんかオメーが色んなモンを半分持ってくれたような気がしてさ。ありがとな」
雪が舞う屋上は相変わらず寒かったが、幽助のその言葉は蝋燭が灯ったような温かみをくれた。
――礼には及ばないよ。
口にすると思いが溢れそうで、蔵馬は胸の中でそっと呟く。
――お前がくれたものに比べれば、そんなことくらい。
幽助は改めてこちらに顔を向けて、ぽりぽりと頬をかいた。
「あー、だから今、オレも半分持ちたいって思ってんだぜ。頭わりーからこれといって思いつかねーけどさ」
照れながらも不器用に言葉を選ぶ幽助に、蔵馬は微苦笑する。
「……じゃあ、もう少しこっちで付き合ってくれるかな」
たりめーよ、と幽助は頷く。
もう少し、もう少しだけ。すべてが終わるまで。彼女が灰になるまで。
そのあとは本来いるべき場所へ戻る。当初の予定から四十年以上遅れてしまったけど、乾いた風が渡り赤い大地が広がるあの場所へ。
雪が強くなってきた。灰にも似た粉雪が葬送のように屋上から眼下の街へ舞っていく。少年の姿のまま、人間のふりをして四十年以上を過ごした街へ。
彼の言葉に甘えて、半分の気持ちを委ねるように手を握ると、その手はこのうえなく優しく握り返された。