【弟子バロ】なかなか抱けないけど最後には抱ける話① 検事執務室での乾杯から一年半と少し経っていた。バンジークス卿に師事してからは三年弱になる。
――法解釈の前例を作る。
そう啖呵を切ってから、今まで全速力で走り続けてきた。初めは著しく個人的な動機から始めたが、同じく法の改正を求めるマイノリティと触れ合ううちに、法とは人権とは何か、深く考えるようになった。もはや亜双義は正義のために戦っていた。政敵というやつも現れ、時にはごろつきを雇って妨害までしてきたこともある。
かかった時間は、成果からすると驚くほど短期間だった。濃く圧縮された戦いの中で、亜双義たちはとうとう例の条項における緩和的な法解釈という判例をもぎ取った。「著しい猥褻行為」の定義をもっと明確にし、金銭のやりとりや複数人での乱交があった場合にすべし、という言質をもぎ取ったのだ。
そこに至るまでは分厚い洋書十冊分もの調査根回し交渉冒険謀略戦闘舌戦友情努力勝利があったわけだが、当の本人は仲間たちとの祝宴もそこそこに、御者にチップを弾んで馬車を飛ばして帰路についた。
誰もが愛する者を愛せるように、かの大国の舵を動かした夜。今はほんの数ミリ程度だが、百年先の到達地点は大きく違う。後世から多大に評価される出来事の、陰の立役者。名を残さない、いやむしろ検事としてヒールを演じた英雄の頭は、たった二文字で埋め尽くされていた。
――初夜!
手のひらから余る乳に顔を埋め、ぶっとい太腿に口づけし、丸い尻をこれでもかと揉みしだきたい。
亜双義一真という男は基本的に冷静かつ切れ者であったが、このときばかりは世界でいちばんアホになっていた。
今日この時間、バンジークス家のタウンハウスに使用人はいないはず。
帽子も手袋も外套も放る勢いで猛烈な帰還を果たした亜双義は、半ば息を切らしてホールを駆け抜け階段を上がった。猟犬のごとくぎらぎらした目つきで獲物を探す。
――と、寝室の扉が開くのが見えた。
「傍聴席から見ていたぞ、アソーギ。祝宴のわりには随分と早ぉぶンむぅうう……ッ!」
背伸びをし、両手を伸ばして後頭部を引き寄せ愛しの君に口づけをする。いいにおいがして乳が柔らかくてたまらなかった。やりたい。
吐息のかかる距離で「戻りました」とだけ囁いて、また食むように唇を動かす。
「ッ待て、んぅう、ッ――! んく……ッ、っふ、んん――っ」
濡れた口腔を丹念に舐め、ねっとりと舌を絡めて官能を呼び起こす。唇の内側までなぞり、抗議の唸り声を封じるように舌を吸いだす。くちゅりと下品な音を立てる度に男の体が強張るのを感じたが、今日ばかりは好きなようにやらせてもらう。
ナイトガウンをまとった分厚い体に手を回し、撫でまわし、両の尻たぶをがっつり揉みしだいたところで、さすがに止められた。
「っぷは、やめよ――! あまりにも破廉恥な」
「これからもっとすごいことをするのに?」
「ッ~~、慎め、廊下である」
「では寝室に」
「待て、今日は――」
年上の情人の腰を抱き、寝室に堂々と押し入った。昔は頑なに侵入を許されなかったのに、今やあっさりと敷居をまたげるのが嬉しくてたまらない。
絨毯の柔らかな感触が靴底から伝わる。さあ早くとばかりにぐいぐい体を押し付けたが、バンジークスは不可解にもベッドの方へは進まなかった。
「しない」
「へっ?」
空耳であった。もう一度聞き返す。
「その……ここでは、貴公の思うような……そのようなアレは、今夜は、できない」
「パードゥン?」
「元より約束もしておらぬ。先に話すことがあるし、それに……」
雷に打たれたような衝撃が走る。
確かに約束はしていなかったがしかし、そういう雰囲気はあった。口づけを交わし、どうにか性器に直接触れないように頑張りながら、判例ができたら性交解禁という、口に出さない約束が確かにあったのに。それを信じてやってきたのに。
「お、オレは……何のために……いや体目当てというコトでは断じてないが、二年半いやもっと、オレは、オレは…………うおおおおおおおおおお」
壁に頭をガンガンと打ち付ける。そうでもしないと窓ガラスを突き破って飛び出し暴れ、街灯を一本ずつ折ってまわりそうだった。
「や、やめよアソーギ! ステイ! ハウス!」
「うわあああああああ オレのちちしりふとももがああああああ」
「こ、こらっ――! ずっとできないとは言ってない。最後まで聞くのだ」
ぴたり。動きが止まり、瞬きを繰り返しながら師を振り返る。
男はたじろぎ目を泳がせたが、やがて意を決したように息を吸った。紫がかった銀髪がくるりとねじれながら額に落ち、彫刻のような白い肌には消えない傷跡が残っている。いつもは陰気に押し黙っている唇が、戸惑いと恥じらいをのせて動く。
「再来週、領地に戻る。その頃には判例も正式に記録されているだろうし、広くて静かで……他者を気にせず、その……あ、愛を……確かめることができる……」
「~~~~」
叫ぶことは予想されていたのだろう、しっかりと手で口を塞がれていた。
ひとしきり肺と喉を震わせた後、亜双義は無言で万歳三唱をした。呆れ顔をされたが気にしない。
「マッタク、可憐な令嬢ならまだしもこんな大柄な男に、貴公は何故そんなにも……。どんな風に見えているのか度し難いな」
「全体的にとても大きくて胸板も太腿も厚くしかめっ面の可憐な三十代男性に見えますが」
「やめよ。なんかこう……性的趣向が倒錯している……」
ため息をつきながら、バンジークスはいつもの「戸締り」を始めた。使用人は皆通いだ。誰もいないというのに扉に鍵をかけ、閉めたカーテンに隙間がないことを何度も確認し、クローゼットやベッドの下に誰かが隠れていないかすら確かめる。前に自分がやろうかと申し出たこともあるが、神経質にも「自身で確認したい」と言い張られたので手持ち無沙汰だ。
行為としては不要だが、しかしこれで彼が安心して身を任せることができるのなら、意義はある。亜双義はむっつりと閉口し、腕組みをしながら丸い尻を見守った。やりたい。
倫敦にあるタウンハウスは四階建てで、主人の寝室はワンフロアの半分を専有しているので当然広い。
百年以上前に建てられ、最近建て替えられたのだというこの洋館は、壁や天井、家具の装飾一つ一つが大仰で、美というよりは威圧を感じる。個人的に愉しむというより、財力を誇示する目的だと聞いたときにはおおいに納得したものだ。
いくつか見た他の邸宅は壁紙も家具も華美が過ぎ、居住など考えられないほど目が疲れる空間だったが、この寝室は陰気な主人の趣味により暗い色でまとめられている。まだマシというと大変に失礼だったが、障子と板張りで育った亜双義にとっては、提供された優美な客間よりも居心地のいい場所だった(なお客間については、壁紙を無地のものに張り替えてもいいかと執事に訊いたら滅茶苦茶怒られた)。
儀式めいた戸締りが終わり、性交はなしにしても境界線をちょっとずつずらした果てにこぎつけたペッティングができるかと思ったが、男は椅子を指して「座れ」と言った。
真面目な顔つきだった。
亜双義は渋々腰を下ろして向かい合う。
「今日の裁判は、正々堂々……というと定義が難しいが、弁護側とは結託せずに戦ったのだろう?」
「ええ。マヌケなところもあるが信念を持った人権派でしたよ」
「誰かを思い出す」
「まったくです」
少し口角が上がる。なんとなく、祖国の親友を想起させるような奴だった。
表立って活動するのは障りがある。よって裏から判例作りや法改正に働きかける。そういう予定であり、仲間の弁護士に戦いを託す予定だった。上から事件を振り分けられる検察と違い、弁護士ならばアプローチ次第で案件を選べるからだ。
――が、偶然もあるものだ。まさに争点が例の条項となる裁判で、駆け出しの検事亜双義が偶然指名されたのだ。被告人が既に契約していた人権派も駆け出しで、どうなるかと思ったが、彼は自分の仕事をやってのけた。
「終わったことだ。万民の人権という観点で、フランスやイタリアにようやく追いつこうとした躍進である。だが……私は手放しでは喜べぬ。そなたの名誉に傷がついた。敗北が問題なのではない。分かるな?」
「…………」
弁護士は、ちゃんと仕事をした。
亜双義も手を抜かなかった。だが、あえて間違った武器を使った。
かの弁護人は、同性愛者に対する差別発言を繰り返す検事に毅然と対峙し、人々の支持を集め、判決を勝ち取ったのだ。彼が意図したことではなかったようだが、陪審員はこう言っていた。
『後進国から来た東洋人と違って、我々は世界に先駆けた栄誉ある倫敦市民として、寛大で公平な判断をしなければ』
最後の最後、亜双義は蒙を啓かれた異国の若者として、おおいに感銘を受けて反省し、謝罪を口にしてみせた。弁護人と被告人と仲直りの握手までして、裁判は拍手の中終わった。
――とんだ茶番だった。
真実を追求し正義を執行するために学んだ術の一つは、陪審員の支持の集め方だ。となれば、逆にどうすれば弁護側に同情が集まるか、亜双義はよくよく知っていた。発展途上の祖国が野蛮で遅れた国であるという印象すら利用し先進国のプライドをくすぐった。異国人による手酷い口撃に対して、同胞を守ろうという心理にもなっただろう。
自分らしくもないやり口で滑稽なシナリオを書き、悪役を演じたのは亜双義自身だ。後悔はしない。私情を抜きにしても、ただ恋人と暮らしていた被告人が背負わされる罪と罰は、公平で平等とは思えなかった。裁判前はひどい物言いをされていた彼らには、今や応援の手紙すら届くという。
「目的のためには効果的で最速だった。今日の裁判を逃せば、次の機会は何年先だったかも分からぬ。それでも――私は師として言わねばならない。自他を傷つけるような演技はしてはならぬと」
しっかりと見据えられ、こんこんと諭される。師は正しい人だった。
「それを……貴方が言いますか」
「身に沁みているが故に」
震える息を吐く。
後悔や反省があるとすれば、あの時傷つけた被告人の心だ。八百長をすれば発覚したとき非常に困るので、弁護人には全く接触していなかった。が、被告人にはこっそり意図を伝えていた。茶番とは分かっていたはずだがしかし、公衆の面前で糾弾されたとき、彼は明らかにショックを受けた顔をしていた。
ひどいことを言いながら、頭では単なる手段だと分かっていても、それでも発した言葉はすべて己の身に返ってきた。鏡に向かって罵倒しているようなものだった。
「被告人は、事情を承知していました。が……ほとぼりが冷めたら、今一度謝罪に行きます。被告人と彼の恋人のもとに」
「必要だと思ったなら、そうするといい」
肩に手が置かれた。ぎこちない接触に、じわりと胸が温かくなる。
「もうしないと約束できるか」
どうだろう。己の中の魔物とは対峙し押さえ込めている。――が、仮に愛する者と法とが天秤にかけられたとき、どうするかは分からなかった。バンジークス卿は震える手で法を選べる。だが亜双義は、この身の中の激情がどうなるかは、断言できない。
「……ええ」
遅れて返事はしたが、師は芯から納得したようには見えなかった。
それでも、不器用に口角をちょっと上げ、手を広げた。ぎゅうと抱きしめられて額に口づけされる。子供を慰めるようなやり方なのが気になったが、嬉しくないことはない。
「手段はともかく、よくやった。世論が動けば貴族院も動きやすくなるだろう」
「……はい」
首元に頬を擦りつける。控えめなコロンの香りに混じる、何度嗅いでも足りない匂いを追って息を吸う。困ったような気配がしたが、男は拒否しなかった。
抱擁が続き、服が邪魔に感じられたところで離された。
「今日は疲れただろう。もう寝るといい」
「つれない態度をして気を引くことはないだろう。残酷な人だ」
「そんな意図はっ……からかうな」
「寝室の戸締りまでして純情なフリをされても……」
「そのようなアレではない」
「じゃあ、」
「もうよい、不毛である」
んんっとバンジークスは咳ばらいをした。
「貴公がそこまで望むなら、その……健全な範囲での同衾を許す」
「ン、んふぅ……ッ、っは、っは、んく――ぁ、アソーギ……っ」
健全って何だっけ。そう思いながら舌を絡ませ、弾力のある乳を布一枚越しに揉みしだく。
亜双義は白い検事服のままベッドに侵入し、寝衣の師に覆いかぶさっていた。押し込み強盗のような気分だ。
同じ温度の舌を擦り合わせ、かすかなおうとつの感触を追う。
口づけは多分二人とも好きだ。うっとりと目を細め、男の大きな手が側頭部を包み、指の間に黒髪を通す感触を堪能する。
浴衣とそう変わらない、膝下まであるナイトシャツの下はむき出しの白肌だ。下着をつけないというのは破廉恥が過ぎるが、こちらでは普通のことらしい。以前ふんどしの着用を勧めたら丁寧に断られたことを思い出す。が、想像したらグッと来たのでいつか一時でもつけさせたい。
舌を吸い上げながら顔を離す。小さな洋燈の明かりに照らされ、立体的な相貌に影が落ちていた。ほのかな桃色を頬に探したが、恥ずかしいのか顔を隠してしまった。乙女か。
寝室を厳重に締め、さらにベッドの天蓋も下ろしている。だから明かりが必要になる。
世界から切り取られたような空間だったが、いつも男は露出を最低限に留め、声を出すまいと無駄な努力に励んでいる。
悪あがきに付き合いながらこちらも悪辣に少しずつ侵食していったが、とうとう許可は目前だ。広大な領地に建ったカントリーハウスでは、人目を気にせずあんなことやこんなことができるだろう。
ナイトシャツのボタンを上から三つ外し、盛り上がった胸筋を露出させる。顔を隠したままの体がぎくりと強張った気がした。
以前どこまでが健全かどうか確かめたことがある。不自然な性行為――バガリーに該当するかどうかを話し合いで決めた結果、性器への接触はバガリーで、胸部についてはノットバガリーだった。
男らしく張り出した胸筋は、揉みでがある。沈ませた指で弾力を確認し終え、位置を調整して表面をそっと撫でた。親指を動かす。
「ッ…………!」
それは見事にピンク色の乳首が、優しく触れる度に存在を主張していく。
指の背を唇にあて、男は耐える。――そう、以前はきょとんとしていたのに、何故だか耐える必要が出てきたのだ。全く理由が皆目分からず不思議なことである。
指の腹で挟み、転がし、きゅうっと力を入れて先端を引っ張る。はじめは米粒ほどだった乳頭が、今やぷっくりと膨らんで、指を離してもぴんと上を向いている。
気付けば、ごくりと喉を鳴らしていた。
揺れる明かり。盛り上がった乳。恥じらい背けたままの顔。シーツに広がる銀髪。
官能的な光景だった。
女人の胸に気を引かれたことなどなかったし、春画や艶本――同輩に無理矢理見せられた――でも胸をどうこうしている行為など見たことはない。欧米のドレスは胸があいていて驚いたが、しかし男性の胸についてのあれこれは、聞いたことがない。
もしかすると、非情に倒錯した変態的な趣味なのかもしれない。少なくとも、温室育ちの師はそう思っているようだった。
欲望のままに上体をかがめ、桃色の突起に唇を寄せる。
「ッ、やめよ……!」
焦ったように頭を押さえられた。が、そのままむちゅうと口をつける。
「アソーギ、いけない」
「何故」
「何故」
反対側の乳首をこにゅこにゅと揉みながら、焦る男を見上げる。
「性的な部位ではないと言ったのは貴方でしょう」
「それはそうであるが、だからといって、何もない部位ばかりに執着するのは変だ……」
「手に接吻するのと変わらないでしょう」
桃色の箇所を狙って口づけ、ちゅうと吸いながら離す。
「あっ、ッ~~~~!」
声を出したことを悔やむように、声のない叫びを上げながら、太い腕がぐいぐいと抵抗する。
「ッ――! 何も出ないというのに……」
「生殖に無関係な射精に至る懸念があるから抵抗するのでは?」
「なッ! あるわけがない!」
「じゃあいいですね」
「こら、んくぅう――ッ! っは、言うことを……ッ、っふ、んぅう~~ッ! っは、ンぅッ 噛むな、まだ……っ、く、ッ~~~~!」
ちゅぱっと音を立てて吸い、ざらざらとした舌を押しつけ、軽く甘噛みする。もう片方も肉の粒を半ば潰すように何度もこねる。
何がどう効果的で、この先どうなるかは分からない。しかし確実に、この純血と純潔を煮詰めたような男の体は快感を受け取っていた。
――乳首で感じている。このオレが、バンジークス卿を、感じさせている。
それはこの世の他の何からも味わえない喜悦だった。
体温が上がり、肌が汗ばむ。息が荒くなり、股座に血が集まる。
抱きたい。
初めの頃は(同衾中の)射精も禁じられていて辛かった。というか無理だろ無理すぎた。オレはよく頑張った。
性欲だけが全てではない。が、こんなに近くにいて共に発散できないのは一種の拷問であった。どうにかこうにか時間をかけて「お互いの性器に触れなければノットガバリー」という位置までだましだまし指標を動かしたのは、歴史的な偉業といってもいい。ぐずぐずのガバガバだが、多分いいだろう。きっと百年くらい後にはもっとウヤムヤになっているはずだ。
「ッこら、っはぐ、っは、んぅうっ――、アソーギ、だめ、駄目だ……っ!」
上擦りながらも必死な声だった。渋々ちゅぽんと口を離す。
胸の突起は朱色に近づいていて、もっとほしいとねだるように膨らんでいる。
「挿入は里帰りまで待ちます。しかし法的な瑕疵がほぼなくなった状態で、貴君は何を気にしているのか」
「それは――! 淫らな行為に耽るのは、よくないことだからだ」
本気である。この男、本気である。
あとちょっとで何もかも全面解禁とばかり思っていたが、もしかすると、まさか、挿入は許すが快楽の追求はダメとかそうは言われないだろうか。いやいやまさか。まさかまさか。
「……里帰り中。挿入のほかに、色々したいことがあるのですが」
「な、なんだ」
「全身にキスしたり舐めたり」「ひっ」
「ナニをこすりつけたり色んな体位を」「ノー!」
ああ恐ろしい、とばかりにバンジークス卿は首を振った。貧血で失神でもしてしまいそうな顔色だ。
「生殖に繋がらない……いわゆる性的不道徳は教会で禁じられている。許されない」
「信仰ならば尊重はするが……。だったら世の恋人たちも娼婦も子供ができなかった夫婦もみな地獄行きですか」
「そういうのは神学者が議論することだ。あくまでも慎み深い市民としての規範意識や公序良俗という点で……」
「ベッドの中でそれいります?」
「ぐ……っ! とにかく、は、破廉恥である!」
つーんと師はそっぽを向いてしまった。
え? 乳首丸出しで? いや乳首は関係ないが、とにかくこの人はプライベートにおいて、言い負かされたときの行動が幼く感じる。もしや、相当に甘やかされて育ったのではないか。いやきっとそうだ、貴族であるし。
「…………」
気まずい静寂の中、じっと見下ろす。
おかわいらしい抵抗だが、頑なだった。法解釈の点さえ解決すればと思っていたのに、やはり他に原因があるのだ。今まで聞いたどの弁明もしっくりこない。まだ隠しているのか刷り込みなのか、一体何がそこまで拒否をさせているのか分からない。
なお、嫌われているとか嫌がっているとか、そういう可能性はゼロである。性的でなければ接触には応じてくれるからだ。特に冬。あと目がよく合うしオレにだけちょっと笑うときがある。
極めて健全に、ただ肩を掴む。どうしたら伝わるだろう。
「何故駄目なのかちゃんと聞かせてもらえれば、共感はできずとも理解の努力はできる。どんな内容でも怒らないし笑わない。オレを信じて、打ち明けてはくれまいか。……貴君を傷つけたくないがしかし、愛する者から拒まれ続けるのはさすがに……堪える」
「ッ――!」
薄青の瞳が揺れる。久々にまともに目があった気がする。
別に常日頃から嘆いていたわけではない。しかし、自分でも知覚していなかった感情が、つい漏れていた。口にして、耳で聞いて初めて「ああオレはそう思っていたのか」と自覚した。
「違うのだ、しかし私にも理由など……」
冷たい指の背が頬に触れる。
戸惑う目が困惑に揺れながらも、唇は言葉を探すように動いていた。
苦労して内省をし、感情を捉えるのは苦手なはずなのに、なんとか伝えようとしている。そういう顔をされるのにはとことん弱かった。
「決まりきっていて、そういうもので……。でも、これだけは確かだ、アソーギ」
髪に指が通される。
「私は、貴公を――」
そのときだった。カランカラン! と耳障りなベルが鳴り響いた。
弾かれたようにベッドを出て、亜双義はカッと目を見開きサーベルを探す。
過去一度だけ聞かされたその音は、ホームズが開発した警備装置であった。
「侵入者だ! そこにいてください」
腹立たしい。ギタギタにしてやると誓いながら、亜双義は武器を取った。