次は香りも恋しがってもらおう ココガラの鳴き声が聞こえてくる穏やかな朝。きっと外は晴れているのであろう。朝日が遮光カーテンの隙間から突き抜けているのを見て、「今日の出勤はリザードンに乗って行こう」なんて考えながら、ダンデはいつも通りの時刻にきっかりと目を覚まし、身支度を整えながらハイチェストの中を見る。が、お目当てのものが見つからず首を傾げた。
「あれ、今日着ける予定のネクタイピンが無い。キバナ、君知らな…。」
そう言いながらベッドの方へ振り返って、しまったという顔をした。
「ロロ…キバナは出張ロトよ?ダンデ、頭のアップデートまだしてなかったロト?」
ふよふよとまだ眠そうに充電器から浮き上がったロトムが不思議そうにダンデへと尋ねる。
「いや、分かってはいるつもりだったんだぜ。」
「うっかりさんロト。」
「ははっ!確かにな。さて、ロトム!目が覚めたなら今日の予定を読み上げてくれるか。」
「任せるロー!秘書さんからもう届いてるロ!」
ダンデは気持ちを切り替える為に掌で両頬を軽く叩き、意気揚々と読み上げられる予定を頭に入れながら朝食の支度に取り掛かった。
『あははっ!お前そんなことしてたのかよ!』
「通話、切っても良いか。」
『待て待て!おい、頼むから終了ボタン押そうとするなって。』
深夜といっても過言ではない時刻。互いに出張や急なトラブルの為に顔を合わせられない日が続いた時に、キバナから「せめて画面越しでも会いたい」と言われて始めたビデオ通話だったが、それからすっかり習慣化してしまい、くだらない話でも良いから次の日の予定に響かないよう30分だけ。疲れている時はお休みの挨拶だけ。そんなルールでゆるゆると続いている。そして今、その通話の始まりに今朝の顛末を、うっかりロトムに口止めしてなかったせいで、彼が意気揚々とキバナへと報告し始めてバレてしまった。キバナは何が面白いのか画面の向こうで腹を抱えて笑っている。
「そんなに俺のうっかりが面白いのか。」
ちょっとだけ不貞腐れた気分になり、つい声が低くなる。
『いやいや、笑った理由はさ。今日、オレさま全く同じ事したんだよな。』
「え。」
『ダンデ、今日何時に帰ってくる?なんて聞いちまったのよ。可笑しいだろ。」
ちょっとだけ頬を染めながらそう告白するキバナを見て、ダンデは何故だか胸の中がじんわりと暖かくなる気がした。
『なあ。手、出して。』
「手?」
『うん。画面触ってくれよ。』
キバナの意図がいまいち読み取れないまま言われた通りに指先でキバナの映る画面にそうっと触れる。その後どうすればいいか分からず、指先の隙間から見えるキバナへ話しかけようとしたが、彼が自分と同じようにその大きな掌から伸びる、しなやかな指先を画面に触れさせている事に気づいて言葉になるはずだった空気を喉奥へ飲み込んだ。
『うーん。やっぱり感触は分からないよなー。』
「まあ、そうだろうな。」
『いや、ほらさオレさまがこの出張出て3日目だろ。そろそろお前の体温が恋しくてさ。でもこれ駄目だな。』
「当たり前だぜ。」
『そうは言ってもさ!ちょびっとだけでも触れてる気分になれないかなって思ったんだよ!』
心底悔しそうな声を出しながらも画面から指先は動かない。何となくダンデもそのまま画面越しに指先を合わせながら話を続ける。確かに見えているはずの見慣れた指先。なのに無機質な板一枚に挟まれて、ダンデも何だかもどかしい気分になる。
「君がそんなことをするから、俺まで君の体温が恋しくなってしまったじゃないか。」
『あー!もう今すぐそっちにに帰りてぇー!』
「まあ、明日には帰ってこられるんだし。せいぜい寄り道せずに良い子で帰ってくるんだな。」
『万年迷子のオマエに言われるとなんかすげぇ腑に落ちねぇな。』
「あははっ!違いない。」
『全然笑うところじゃねぇからな…明日、なるべく早くそっち行くから。オマエも良い子で待ってろよな。』
そう言ったが最後、画面からするりと指先が消えたかと思ったら海とも空とも言えない色が画面いっぱいに広がり、軽いリップ音と共に通話が終了した。
途端に先程まで賑やかだったリビングが寒々しく感じる。どうやら設定していた30分が過ぎたらしい。話しに夢中になり過ぎないようロトムにお願いしておいたタイマー機能だったが、今日はその唐突な終わりと共に訪れる静寂がいつもより堪える。何となく自分の指先を眺めてみるが、当然キバナの温もりも、少しだけカサついた唇の感触も分からなかった。
「明日が来るのが楽しみを通り越して、待ちきれないな。」
画面越しに口付けをされた指先に、祈るように唇を寄せる。
朝、起きた時に熱を感じない広いベッドも、やけに横に長く感じるソファも、片割れだけしかテーブルに乗らないペアのマグカップも、何もかもがダンデの寂しさを募らせてしまう。早く彼の体温に触れたい。そう思いながらダンデはリビングの明かりを消した。
明日はうんと早起きをしよう。そしてきっと全速力で帰ってくる彼のためにちょっとだけ豪華な夕飯を。あと、書斎のデスクに仕舞い込んでいたハンドクリームも丁寧につけてみよう。そんなことを思いながらダンデは欠伸を一つ溢しながら寝室へと続く廊下を歩き始めた。