二時間だけの回遊魚二車線道路の片側を走る車のヘッドライトだけが、この世界で唯一生きている生き物のようだった。
どんなに発展した都市だとしてもその隅は寂れたものである。それはどんな場所でも時代でも時代であっても変わらない。補助席に座りドア側に体を傾けると窓のガラスが鏡のように反射して自身の顔が映る。目の周りは落ち窪んだように暗く、ガラスの向こう側の夜の色が重なり見るからに顔色が悪く見えた。我ながらひどい顔だとミゲルは小さく笑った。自嘲である。
郊外の夜道の暗がりに潜んでいるものはなんだろう。遠い向こうに見える小高いものは山なのか丘なのかわかったものではない。あるいはミゲルの知らない名前をした街なのかもしれなかったし、はたまた木々の群れなのかもしれなかった。ただ夜目のきくミゲルの目ですら生き物の気配を感じることができなかった。ここは漂う空気さえもアース928によく似ていた。しかし似ているだけでやはりここはミゲルの世界ではない。
夜明けまで数時間。夜と朝の隙間を車は駆け抜けていく。ドアに体を預けたまま漫然に運転席に座りハンドルを握る彼を見た。彼の隣に座るのは今夜で何度目だろう。手持ち無沙汰な指折り夜を数えてみると、右手の五本と左手の三本の指を折りたたむことになった。あと少しで両手が塞がれるのかと思うと両手の内側にほんのりとした温もりが宿っていくように感じられた。
「何をしている?」
ヘッドライトに照らされた道路の先を見つめたまま彼がミゲルに問いかけた。きっと視界の端にミゲルの幼さを含んでいるようにも見える仕草が入り込んでいたのだろう。
「……今日で、何度目かと数えていた。」
「そうか。もう何回になるのかな。」
「あと少しで十回だ。」
「なんだかあっという間だな。」
感慨深いようなようでないような
「……どうする、どこかに寄るか?」
「……今夜はこのままでいい。」
ちょうど誰が泊まるのかも分からないモーテルの電飾が二人の目の前から後方に、星のように流れた。
「わかった。」
彼がアクセルを一踏みしめる。ちょうどみげる郊外の荒れた路面が車を揺らし、車内の助手席のミゲルと運転席の彼との間にあるドリンクホルダーに入った二つの缶を揺らした。缶の中に残っている黒々とした濃いコーヒーとカフェインを含まない薄い色をしたお茶の表面の波打つ水音が、エンジン音と沈黙した二人の隙間を満たしていく。エンジンに揺られる体に代わり映えのない窓から見える景色と水音が重なり、まるで回遊魚になったよう。
ここは深い海か。
いや、違う。
ここは大きな海流の中ではなく狭くて窮屈な円柱の網の中なんだろう。内側に居るのはミゲルと彼だけで、同じ場所を飽きもせずに回り続ける。彼の後ろを追いかけながら、彼にもまた追いかけられている。
(……ああ、……いいな。)
そのとき、ひときわ大きく車が揺れた。あわせてミゲルの体も無防備に大きく跳ねる。どうやら思っていたよりずっとぼんやりとしてしまっていたようだった。
「ひどい道路だな。次ももう通らないようにするよ。疲れているな、……大丈夫か?」
ちらちらと彼がこちらを見る。手を伸ばしミゲルの頬に触れ、器用にかさついた唇を親指で撫ぜる。
「こうしている間は、まだ平気だ。君も居るし。」
「それは光栄だな。」
「それは俺の言葉だ、ミゲル。」
「どうして?夜中に連れ出してる俺を、君が?」
「だからだ。」
唇のあわいで彼の指を食みたいと思ったが、しなかった。あとたった一時間すらないのだ。そうしてしまえばきっと帰りたくなくなってしまうはずだろうから、そうしてしまうわけにはいかなかった。
(このまま本当に魚になってしまいたい。)
この弱さに流されてしまえない自分が、今はひたすらに憎らしかった。