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    rinrizerosyura

    @rinrizerosyura

    夏五を生産する文字書きオタク

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    rinrizerosyura

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    GEGO DIG. AUTUMN 開催おめでとうございます。展示用の新作長編です。
    祓ったれ本舗の夏油傑と、祓ったれ本舗であるはずの五条悟、二人の舞台(世界)と過去の縛り。
    夏油目線でお送りします。

    夏五Forever……
    ☆作品の感想等は、スペースの書き込みボードか、当方のTwitterにあるwaveboxからお送り頂けますと嬉しいです(о´∀`о)

    #夏五
    GeGo

    あの照明(光り)を覚えているか「……、さとる」

     隣に佇む相方の肩を叩く。サングラスに隠された、日本人とは思えない蒼の瞳が瞬きもなく会場を見つめていた。

    「さとる、悟。行こう、呼ばれてるよ」
    「……すぐる、俺たち……」
    「そうだよ」

     たくさんの紙吹雪が舞い、歓声が響く。金色のテープも床や私たちの頭の上にまで引っかかってて、悟の頭のそれを取ってあげた。

    「私たち、優勝したんだよ!」

     念願だった。芸人としてデビューしてから今日まで長かったような、あっという間だったような。十年以上寄り添ってきた相方兼親友はまだ現実を飲み込めていないのか、一言と発さない。私は彼の手を引いて舞台の中央まで向かった。
     私たちが優勝したのは、若手芸人の登竜門とも言われ、全国で生放送されているお笑いグランプリだった。ずっとこれを目標に生きてきたのだ、嬉しくない訳が無かった。

    「五条さん、今のお気持ちは?」

     女子アナが興奮した様子で悟にマイクを向ける。優勝トロフィーを渡されていた悟は、手に持ったそれをじっと見つめ、それからマイクに向けて言った。

    「……終わっちゃった」
    「え?」
    「は?」

     女子アナの困惑した声に被さって、私まで声を上げてしまった。どうしたんだと、悟の方をちゃんと見ると、悟が片手でトロフィーを抱き上げたまま、私の肩を割とすごい力で掴んできた。

    「どうしたの!」
    「すぐる、終わっちゃった。優勝しちゃったよ」
    「しちゃったって……ずっと私たちの念願だったじゃないか! 今日この日のために、私たちは頑張って来たんだろう!」
    「なぁ傑」

     私より高い背がグンと低くなる。舞台の中央で、悟は膝を着いた。
     まるで、映画の中のプロポーズみたいに。

    「優勝しちゃったけど、まだ俺と、漫才やってくれる? 二人で祓ったれ本舗でいてくれる?」

     シン、と誰もいなくなったかのように会場が静まり返った。いつの間にか流れていた音響まで止まっていたようだ。
     会場から全国のお茶の間の視線を、今、私は一心に集めてしまっていた。


    あの照明(光り)を覚えてるか


    「ねぇ〜傑」
    「何だい悟、おやつのアイスはもう食べたでしょ」
    「認知症か。違うわ。お前今年の冬どうする?」
    「え、冬? 大晦日とお正月的な?」
    「おん」

     ラジオ収録の帰り、最寄り駅近くまでマネージャーの伊地知に送ってもらい、今は悟と二人で家までの夜道を歩いていた。七月になり梅雨のジメジメとした空気感からカラッとした暑さに代わり、太陽は既に隠れたというのに暑さまで隠してくれる気配なんて一切ない。ラジオ局から貰ったミネラルウォーターのボトルを仰ぎながら、悟の話に耳を傾けた。

    「普通に仕事でしょ。私ら毎年出てるアレに今年も出るんじゃない?」
    「若手芸人大集合のやつだろ」
    「うん」
    「アレもう飽きたんだわ」
    「飽きたって……君ね、まだ芸歴で言えば駆け出しの私たちを毎年続けて呼んでくれる番組なんて貴重なんだよ? どうしたの急に」
    「……大晦日、ジュジュワン出たい」
    「……正気?」

     悟の口から出た言葉は、にわかに信じ難い言葉だった。
     ジュジュワンとは、私らも所属しているお笑い事務所、呪力舎主催の大晦日特別番組で、正式名称はジュジュワングランプリ。若手芸人の登竜門だとか、ここで優勝すればお笑い芸人として約束されたも同然だとか、とにかく色々なレベルや敷居の高さが伺える大会だった。
     呪力舎の芸人でなくとも参加は可能で、確か毎年夏に募集を募り、そこから厳選なるオーディションが重なり、勝ち残った十組が優勝争いを生放送で行う。この番組への出演のために身を削ってお笑い芸人として過ごしている仲間もいるくらいだ。
     それに悟は、出たい、と。

    「本気か? 悟」
    「本気だよ」
    「私たちにその実力があると?」
    「最近は顔人気だとか囃し立てる奴も減った。ラジオもレギュラー番組も上々、俺たち個人の名前も少しずつ認知されてってる。祓ったれ本舗として売るなら、今がいいと思う」
    「……君の言ってる事は間違っては無いと思う。私としては、そんなに焦る必要はないんじゃないかと思うけど」
    「つっても俺たち三年目よ? 歳も四捨五入で三十になる。俺は遅咲きだとかそういうのは嫌だ。一分一秒、今最高のコンディションで傑と漫才がしたい」
    「それは……嬉しいけど」

     私は悟から目を逸らした。
     私も悟も、組んだ時からジュジュワングランプリにいつか出ようという話はよくしていた。しかし、あまりにも突然過ぎる。悟はプライベートだろうと仕事だろうと、自分の考え一筋で大胆に行動する奴だったが、その行動にはきちんと意味も考えもあった。今回のコレも何か思うところがあっての提案なのだろうが、わからなかった。
     私はもう一口、手にしていたペットボトルを仰った。熱くもなく冷たくもなく、ぬるい温度が舌に乗り、そのリアルな生ぬるさが下手な夢では無いことを示していた。

    「……ごめん、一度考えさせて欲しい」
    「いいぜ。一応言っとくと、応募締切一週間後だから」
    「わかったよ。締切日までに結論出す。でも教えてくれ」
    「何」
    「どうした? 急に」

     悟は私の質問に一回、二回、ゆっくり瞬きをして笑った。

    「別に」

    ----------

    「別にじゃないだろう!」
    「いやあいつの気まぐれは今に始まった事じゃないだろ」

     仕事終わりの一杯は美味い。悟は酒が呑めないから、あまり酒屋には誘わない。代わりに私の相手をしてくれるのは、悟とは別にもう一人、私たちと同じ高校の同級生であり女優として活躍している目の前の彼女、家入硝子だった。
     硝子は医療系やサスペンス系のドラマに出ると、それはそれはもう適役すぎて、最近では彼女の為に当て書きされて書かれた脚本もあるくらいだ。
     自分で言うのもアレだけど、私も硝子も最近名前が売れてきたおかげでこうして飲みに行く機会も予定を合わせにくくなってきたんだけど、今日ようやく取り付けた予定で、私はつい三日前にあった事を話した。

    「いやまぁそうなんだけど……何だかんだいつもは最初わからなくても途中で察せられたりネタバレされたりするから」
    「予兆みたいなのなかったの」
    「無かった。私が知る限りではだけど」
    「ひとつ屋根の下住んでて何謙遜してんだよ。お前が見てないで誰があんな歩く障害物の変化に気が付くって?」
    「歩く障害物だなんて言わないでよ」
    「ハイハイ」
    「悟は歩くトラブル生産機さ」
    「お前の言い様の方がよっぽどだよ」

     とは言いつつ、硝子の言うことは最もだ。高校を卒業してから悟とは二人で暮らしていた。
     実は、彼の家は日本で知らない人がいないくらいの有名企業の本家で、一般庶民の私からしたら想像つかない位の莫大な遺産と有り余る土地、権力を振りかざし肩で風を切るように振る舞い歩く家だった。端的に言うと、私は気に入らなかった。悟自身は(性格はともかく)家柄でマウント取ろうとかは一切無かったけど、私との二人暮しに関してもとても横槍を入れられた。結果的に当主である悟の発言で黙らせたみたいだけど、彼の実家からの所業に頭きた私をまぁまぁなんて宥めてくれたのも悟だった。

    「お前らさ」
    「何だい」
    「まだデキてないの?」
    「……、そういうことはあまり大きな声で言わないでよ」
    「すまん。で?」
    「聞くのは辞めないんだね……生憎と、まだ私の片思いだよ」
    「うぜぇ〜」

     硝子が持っていたジョッキをダンッと置く音が妙に大きく聞こえた。ついでにため息も。
     硝子にはこの通りバレバレなのだが、私はずっと、悟の事が恋愛対象的な意味で好きだった。別にゲイって訳じゃない、芸人だけに。ごめん。
     好きになったのが悟だったってだけ。たまにネタでお茶の間相手にも牽制とも取れる発言をする私だけど、その言葉の九割は本気だ。
     何だかんだ硝子とも十年以上の付き合いだ、彼女から言わせれば私と悟の関係は「どっちもどっち」らしいけど、その言葉を信じて新たな関係に踏み切れるほど、私も強気ではいられなかった。悟が私のことを親友以上の何かに見てくれてのは何となくわかるけど、本人の口から確実な言葉が無い限り、意気地無しの私は行動出来ない。

    「……ま、何にせよ? やってみりゃいいんじゃない?」
    「……意外だな、まさか後押しされるとは思わなかった」
    「そう? 私は別に、もう出ていいんじゃないとは思うけど。お前らデビューして三年目でしょ? どこまでいけるかわかんないけど、少しぐらい挑戦してみたってバチ当たんないと思うよ。逆にこれで予選落ちとかしたら、それこそ五条だって今の自分たちの実力を理解すると思うよ」
    「なるほど……言われてみれば、それはそうかもね」
    「優勝したらその金で肉奢ってくれ」
    「気が早いなぁ、まぁとりあえず今日のところは私が奢るよ」
    「何、気前いいじゃん」
    「気晴らしでやってきたパチがいい感じに当たったんだ」
    「パチカスかよ」

     ちなみに悟は今何してるかと言うと、今日は一人で雑誌の取材を受けている。デビュー前から悟の事を応援してくれている雑誌社で、小さいながらもいい記事を書く。私は先に追えていて、悟だけ遅れて取材とグラビア撮影をしている。何故悟だけ遅れたかと言うと、単純にあいつが遅刻してきたからである。
     と、噂をすれば、私のスマホがメッセージ受信の通知を鳴らした。

    「お姫様?」
    「そう。トラブル生産お姫様。いま終わったから帰るって。呼んでいい?」
    「いいよ、帰ろうもう。私も明日朝早いんだよ」
    「そうなの? それはごめんね」
    「急に入った仕事だから気にすんな。それより五条にちゃんと返事しなよ」
    「うん。聞けたら理由も聞こうと思う」
    「そうしな」

     硝子の分も支払って、私は悟へのメッセージを返した。今から私も帰るという旨を伝えると、駅で待ち合わせして帰ろうときた。何とも可愛らしく思え、ふふっと笑ってしまった。硝子からは「キモイ」というお小言を頂いた。
     硝子と分かれて最寄り駅まで向かう電車に乗る。私はその間当然ながら一人だ。

    (経験上……悟が何かに焦ってる時の行動はもっと突拍子のないものだったり、最後まで理解出来ないような手段に出たりするから、絶対何かしらの訳はあるはず、なんだけど……。参ったな、ここまでわからないのも久しぶりだ。)

     誰に自慢するわけでもないが、この世界で一番あいつを理解してるのは私だと思ってる。五条悟という人間と隣会えるなんて、そんな人間他にはいないだろう。硝子は分からないけど、多分そもそも並びたがらない。
     ジュジュワンは私も昔から目標とするところだったから、出場自体はいずれしたいと考えていた。デビューして三年、私たちは今年で二十三になる。先輩達からも散々言われているが、若すぎるのだ。この先の自分たちの未来のビジョンが、私には思いつかなかった。

    「悟はもう、未来を思い描いてるのか?」

     悟にしか見えていない景色があるのだろうか。だとしたらそれは、何だか置いてけぼりにされたようで無性に心が寒くなった。
     何だかんだと思考を巡らせているうちに、最寄り駅まで到着していた。スマホも一切見ずにここまで来たもんだから、改札を出てすぐの所に立つ美丈夫にうっかり驚いてしまった。

    「うわ、びっくりした。随分目立つ所にいるね今日は」
    「おかげで何人か話しかけられたわ」
    「だろうね。大丈夫だった?」
    「傑待ってるって言ったら、何か皆大人しく帰ってくれた」
    「どういう……」
    「ま、いいや。帰ろうぜ。あちーんだよもう。家にアイスあったっけ?」
    「ある……いやないよ。君足りないとか言って私の分も食べただろう」
    「そーだっけ? じゃ買って帰ろうぜ!」
    「悟、夜ご飯ちゃんと食べた?」
    「食べたわ。お前は俺の母親か」
    「やめてくれよあんな極悪非道の家の人間と同じにしないでくれ」
    「ブラックジョーク〜!」

     黙っていれば儚さ百パーセントの相方はガハハと品なく笑った。私はそんな素の悟が昔から大好きだった。駅から家までの道のり、先週話を聞いた時のような同じ状況。暫く無言だった私たちだったが、話すなら今しかないと、切り出した。

    「悟、先週の話なんだけど」
    「おん。決まった?」
    「その前に、どうして今のタイミングでの出場を決意したのか教えてくれないかい? 君が何故今に拘るのかを知りたいんだ」
    「……やーさ」

     悟が一歩前を歩き出す。私は黙って悟の言葉を待った。

    「お前がどう考えてるかわかんないけど、焦ってるとかじゃねーよ? ちゃんと今じゃねーかなって思ってのことだし。俺もお前も、多分これからもっと忙しくなるじゃん? そうなれば今みたいに漫才やれる時間も減るだろうし、チャンスは減るだろ」
    「それはそうだね。ありがたいことに、個々人での仕事も増えてきてる。私は……二人での仕事を優先させたいんだけど、名前を売るには、そうもいかないからね」
    「ん、だろ? 逆に今二人で売れればさ、周りの人間も、あいつらはニコイチで出した方が面白いーとか思ってもらえるかもしれねーし!」
    「そうだね。でも、それだけじゃないだろう?」
    「……」

     正直これはハッタリだ。さっきも言った通り、悟が何を考えているのかなんて分からない。分からないからこその、この質問。墓穴を掘るように、何か吐いてくれれば良いのだが。悟は困った様に笑って唸り出した。

    「傑のそれは勘?」
    「さてね。そう聞くって事は心当たりがあるってことだろ?」
    「いや別にー? でもま、そうだな……」

     悟は少し考える素振りをしてから立ち止まる。キラリ、と宝飾とも思えてしまうような彼の瞳が街灯に照らされて輝いた。

    「善は急げ、っていうじゃん」
    「うん」
    「そゆこと」
    「は?」
    「アハハ!」

     全然わからなかった。異国の魔法使いすら思い描かせるような悟の瞳は、結局真相を写してくれることはなく、何も私に理解させてくれなかった。

    「まぁさ、どちらにせよ、本気で挑戦したいって気持ちは嘘じゃないぜ。天下とってやりたいって思うよ、他ならぬ傑と二人で、な?」
    「……悟」
    「俺たち二人で最強伝説作ってやろうぜ」

     頼むよ、傑。俺のワガママ聞いて?
     悟が固めた拳を私の前に突き出してそう言ってきた。全く、私が君のワガママを聞かなかった事なんてあったかい?

    「仕方ないな。やるからには本気でやるぞ」
    「当たり前だっての!」

     コツンと拳と拳がぶつかり合い、悟は機嫌良さそうに笑った。つられて私も笑ってしまう。こうして私たちは、若手芸人最難関とも言われる登竜門をくぐるべく、そして「最強」を名乗る為の戦いに挑む決意をしたのだった。


    ----------

     それからは本当に、目まぐるしく私たちの日々は過ぎ去っていった。笑いの方向性の違いから割とマジな殴り合いの喧嘩もしたし、その数だけどっちかが家出もしたし、同じ数だけ二人で謝った。
     応募締切ギリギリでエントリーした私たちの名前に、応募先である所属事務所が何も言ってこない訳がなかった。エントリーするなんて聞いてない。言ってません。いつ決めた。応募締切前日です。馬鹿か。社長には普通にツッコまれた。返す言葉もなくて黙っていると、悟が口を開いた。

    「社長ごめん。今回は俺のワガママで傑にもノッてもらった」
    「いやお前達のやる事の八割はお前のワガママだろ悟」
    「違うし。言っとくけどこの前俺たちの同人誌買いにビッグサイトまで行ったのは傑発案だし」
    「いやあれ最初に君がラジオでナマモノの話とか私たちのボーイズラブの話とかしたのが原因だろ」
    「は? 傑だってめちゃくちゃ笑ってたし気にしてたじゃん」
    「私が悟に掘られるとか絶対ありえないからね。逆なら読もうと思うじゃん」
    「思わねぇよ」
    「煩い! 夫婦漫才は舞台の上でやれ! そもそもお前達のその件はまだ炎上鎮火できてない部分もあるんだぞ!」
    「おっそ! まぁ今更完全鎮火されなくてもいいけど」

     どうしてそうなったか今となってはハッキリ覚えてないけど、私たちは自分たちの深夜のラジオ番組で、私ら二人を描いた同人誌について取り上げ、後日本当に買って来て読む、という暴挙に出た。さすがに音読はしてないから安心して欲しい。
     普段こう言う炎上行為もままある私たちだったからこそ、社長は本気度合いを直接問うてきたのだ。おふざけや記念受験の様なものはご法度のソレに、本気なのかと。

    「悟、傑、いいのか」
    「はい」
    「おう」
    「……いくら売れてきているとは言え、半端な芸は見せるな。面白くなければ誰であろうと速攻落とす。それがこの世界だからな」
    「わかってます」
    「終わるまで炎上行為はやめろ」
    「善処はしてやるよ」

     夜蛾社長とも、こうして約束をした。
     硝子には出る事を決めたと連絡すると、審査員で出てやるから呼べと言われた。硝子はお笑いには厳しいから、これは手強い審査員だなぁと笑った。
     季節は夏から秋、秋から冬になる。今年の気温は悟みたいに気まぐれで、十月なのに気温が夏並みの日もあれば、十二月並の寒さになる日もあった。いつまでも衣替えが出来なくてとても困った。冬生まれなのに寒さに弱い悟は早々に長袖を着用し、私を「筋肉暖房」と呼んで引っ付いてきた。そのあだ名は頂けないが、内心惚れてる相手が密着してくる事に浮かれない訳がなかった。

    「悟、誕生日おめでとう」
    「おう、ありがとな」

     大晦日まであと三週間ちょっと。十二月七日に悟は一足先に二十三歳になった。誕生日当日は朝から実家に箱詰めにされるのは毎年の事で、日付が変わるまで残り一時間というところで今日は帰ってこられた。顔にありありと疲労を滲ませて帰ってきた悟は、家の扉を開けた瞬間、私の胸に飛び込んできた。正確に言うと、身長差から私の方が低いので胸と言うより肩だけど。

    「だぁ〜! もう疲れた〜! やだやだやだやだもう実家なんて二度と帰りたくねぇ! ここが俺の実家!」
    「あはは、嬉しいこと言ってくれるね。ありがとう、おかえり」
    「ただいま……」
    「おかえりの前にお祝いしちゃった」
    「順番なんてどうでもいい。傑からのおめでとうが俺は一番嬉しい」

     まるで恋人同士の言葉の交換のように、悟は私にだけ甘えた姿を見せてくれる。惚れないわけないだろ。
     心ばかりのお祝いとして、都内で有名なケーキ屋に(マネージャーの伊地知が)並んで買いに行った。悟好みの甘さ全開のふわふわチョコケーキにフルーツタルト、ついでに普通のショートケーキも買って、悟にふたつ選ばせるつもりだ。さっさとお風呂入っちゃいな、というと、外が寒かったのか身を震わせながら、そうする、と素直に私の言葉を飲み込んだ。風呂から上がった頃には時計の針が零時を越していたが関係ない。深夜だろうと砂糖の塊三つを並べて、私たちはこの一瞬だけ漫才を忘れて、親友同士の誕生日会を開いた。

    「悟、誕生日プレゼントだよ」
    「ん! 今年は何だよ。早く見せて」

     渡した紙袋を子供みたいにバリバリと開ける悟。聞いてるのかわかんないけど、一応は説明をしながらその姿を眺めていた。

    「今年何あげるか迷ったんだけどさ。あれこれ悩んでたら細々と買ってしまって。それはこれからきっと忙しくなるからと思って、安眠グッズ」
    「……アイマスクと、何これ、サイコロ?」
    「サイコロと同じ形だけど、それ目覚まし時計なんだ。キューブ型してて、画面と底側以外の四箇所のボタン押さないと止まらない」
    「……何これ、やば」
    「やばいでしょ?」
    「わざと?」
    「? 何が?」
    「いやなんでもない。こっちの箱は?」
    「開けてみて」
    「……あー、香水かもしかして」
    「うん、そう。でも柑橘系とか、そういう匂いより君には和テイストの匂いが似合うと思ったから。なんて言うか、和服に合うようなさ」
    「白檀の匂いがする。何か……坊さんみたいだな。袈裟着た」
    「えっごめんそうは思わないで、普通に似合うと思って買ったよ……」
    「こういうのはお前の方が似合うと思う」
    「そうかな?」
    「うん」

     香水をちょっとだけ手首に振りまいてくんくんと香る悟は、私の腕を掴み、同じく手首に擦るよう匂いを移してきた。そこに小さな顔が寄せられる。

    「……うん、やっぱお前向きだ」

     嬉しそうな、寂しそうな顔で言うもんだから、誕生日なのに心配な気になった。あまり喜んでくれてないだろうか、と柄にもなく悟に関して不安になるくらい。

    「お、もう一個あるじゃん」
    「あ、うん、でもそれ一番自信ない」
    「はぁ? 自信ないもの渡すなし」
    「じゃあ返して」
    「嫌です〜もう俺のだもん〜何だよ……ん、これって……」
    「……スノードーム」

     それは、たまたま目に入ったものだった。世間は既にクリスマス商戦真っ只中で、私がプレゼント探しに出かけたところも例に違わず色々なクリスマスグッズが所狭しと並んでいた。その中のひとつ、軽く降ると透明な水晶の中に入った白い砂のようなものが雪のように舞い散る、アレ。私が手に取ったのは日本家屋のような建物で、だけどどこか懐かしさを感じるような出で立ちで、雪が積もる様は少しの寂寞感と癒しを同時に感じさせてくれるものだった。

    「君に渡すような趣味のものじゃないのはわかってるんだけど、なんでかこれが凄くいい景色に見えてさ。あげなきゃって、思ったんだ」
    「ほーん……綺麗じゃん。ん、これスイッチある?」
    「あ、そう。それオンにしてみてよ」
    「……おぉ」

     悟は私の言う通りにスイッチを入れる。するとスノードームは、下が青く光り、上からはほんのり黄色の光りが灯った。寒々とした風景に希望の光がさすような、そんな場面を思わせた。

    「これさ、景色は雪景色だけど、この黄色の光が何だか舞台照明と似てないか?」
    「……確かに」
    「舞台の上に立つ時はさ、私と悟、二人だけの独壇場とも言えるし、ある意味孤独とも言える。けど、上から照らされる照明のおかけで私たちは輝ける。冷めた土地を笑わせられるんだ。……今すっごく根気詰めてるし、明後日には予選で全然休めてない。でもさ、悟。私らしさを忘れないで、最後まで頑張ろうね」

     丁度良い機会だった。悟は何をさせても基本的にそつなくこなす、天才だ。でもそれと同時に発揮される集中力から周りが見えなくなることも多々あった。今がソレに近い状態だと、隣にいる私だけが気が付いていた。スノードームを手のひらに収めたまま、悟が私の目をじっと見てきた。それからゆったりと笑って、スノードームを大切そうに旨の方まで持っていった。

    「ありがとな、傑。こんなプレゼント、初めてだわ」
    「女の子からも貰ったことない?」
    「バカ言えよ。俺が女作ったことある? ずっと傑と一緒にいんのに」
    「そう言われてみれば無いねぇ」
    「お前は作りまくってたけどな」
    「まぁね。一時的な暇つぶしだよ」
    「サイテー! 俺とのコンビは?」
    「一生飽きないかな」

     そう言ってやれば、悟はケラケラと嬉しそうに笑って、唐突に私の方へ倒れ込んできた。そんなこと突然されれば、さすがの私も慌てるし、受け身なんて取れず悟を胸に抱いたまま寝っ転がってしまう。

    「悟! 危ないだろ!」
    「アッハハハ! 傑! 一生俺のパートナーでいろよ!」
    「ぱ、パートナー?」
    「一生どっか行くなよ! 俺の目の届く所にいろよ!」
    「どこにも行かないよ! 君酔ってるな?」
    「酔ってねー!」

     少し引っ掛けただけでもベロンベロンになる悟が実家で酒をひっかけてきたとも考えにくかったが、そうと思える程、その日の悟は浮かれていた。油断するとその浮かれ具合から本当に空へ浮いてしまうんじゃないかと思うくらい。悟を受け止めたまま、私も彼と声を上げて笑った。
     そう、そして、私たちは奇跡的に……いや、実力で予選を勝ち上がった。実力主義の世界で先輩方を踏み台にし、決勝戦への切符をもぎ取った。切符を手にした時には、思わず悟と抱き合った。
     切符を手にしたのはクリスマス。サンタからのプレゼントだなんて言わせない、これは私たちが自ら取ったものだと見せつけるため、残りの一週間も最後まで練習を重ねた。
     そして、夢は現実になったのだ。私たちは大晦日の夜、生放送の舞台で、「最強」を掴み取れたのだ! 司会者の告げる私達のコンビ名の発音に、最初は信じられなかった。悟も、そうなのかと思ったのだが、彼の反応はまた少し違っていた。
     そして冒頭に戻るわけで。

    「優勝しちゃったけど、まだ俺と、漫才やってくれる? 二人で祓ったれ本舗でいてくれる?」

     どうしてか、悟は、喜びの涙では無い何かを含んで泣きそうになっていた。ただ一心に、泣かせたくないと思った。

    「……当たり前だろ。私の相方は君しかいないし、君の相方は私しかいないだろ? 優勝しちゃったんじゃない、最強伝説はこれからだろう? 私たちは、二人で祓ったれ本舗だよ」
    「……傑……すぐる!」
    「ぉわあ!」

     人前だとか、生放送だとか、そんなこと全く気にせず、悟は誕生日の日みたいに胸に飛び込んできた。にも関わらず、司会者も周りの芸人にも全く止められなかった。

    「すぐる、傑! 俺たち二人で最強だ! 最強になれたんだ!」
    「そうだよ! 私たちが優勝したんだ!」
    「アッハハハ! 見たかお前ら! これが俺と傑だ!」

     悟が私の上から退き、カメラに向かって泣き笑いの顔でイキっていた。やめろまた炎上するぞ! なんてヤジが飛んできたけど、私たちは無我夢中でカメラにアピールし、トロフィーと賞金ボードを掲げていた。



     ……。
     …………。
     ……そう、それがもう、半年前の話だ。私の誕生日を迎える前に、悟はいなくなった。

    「悟がどこにもいない」

     私がそれを事務所に伝えたのは、年が明けてから二週間程が経った頃。世間は正月モードからようやく抜け出せた頃合で、テレビ番組も正月特番から新番組へと切り替わっていた。大晦日優勝した私たちのスケジュールは、スケジュール帳に書き足すスペースが無くなるほど埋まっていた。寝る時間だって滅茶苦茶減った。それでも、悟と二人でずっといられる仕事ばかりで楽しかった。合間合間に二人で話す他愛もない会話も、漫才師らしく舞台の上で照明を浴びている時も、何もかも満ち足りていた。
     それがある日、一日だけ休みをくれと言った悟が一人でどこかに出かけた。特に何も言わずに出かけたけれど何も聞かなかったのは、大体そういう時は実家関係だからだ。悟は実家のことをあまり好き好んで話したがらないから、私も深くは聞かないようにはしていた。

    「行ってくんね」
    「行ってらっしゃい。気をつけて」
    「……おん」

     おん、と返事をするのは悟のたまにやる癖だった。うん、とおぉ、が混ざったんだとか。その言葉をいつも通り聞いてその背中を見送った。
     その日の夜から、悟の行方がわからなくなった。

    「傑、落ち着け」
    「落ち着いてます」
    「落ち着いてるやつが本家に一人で乗り込もうとする訳ないだろう」
    「ちゃんと正門から入ろうとしました」
    「手に持ってるのは」
    「木刀とスタンガンです」
    「シンプルにダメだ」
    「ちゃんとチャイムも鳴らしたのに、あいつら、アポがない方はこの家のどなた様ともお会い出来ません、なんて言いやがった。私だぞ、五条悟のパートナーの夏油傑だぞ。社長、私何か間違ってます?」
    「……半々だが、悟はそもそも本家なのか?」
    「それは正直わかりません……でも、悟が黙って私の傍から離れていく事なんて絶対ありえない。何も言わない時は……大体家の事です」
    「……なるほど」

     夜蛾社長は少し考え、自分からも正式に五条家へアポイントを取ってみると言ってくれた。テレビ局やラジオ局、芸能関係者には「五条は体調不良」という体で暫くは誤魔化す事になった。しかしそれもいつまでもつか、遠くない未来に崩壊することは目に見えていた。
     悟は、私と最強になったはずだった。それなのに、彼は何を思って今私の隣にいないのだろう。この先の活動について、考えられる最悪の事態……五条悟失踪による祓ったれ本舗解散、その展開についても考えない訳にはいかない事態になりつつあった。
     暫くしてから、社長の努力もあえなく跳ね返された。五条家は、何を隠しているのか悟と真実を封印してしまったのだ。私は茫然自失になりかけながら、家に帰った。暫くは一人でも出来る仕事をこなしつつ、いつこの「五条悟がいない事実」を公表しようかと。そればかり考えていた。そんな時、ふと部屋を見て何かが足りないことに気が付いた。最初はその違和感にすぐに気が付けなかったが、見渡してようやく気がついた。
     悟のベッドの枕元になかったのだ。いつも使っている私があげた目覚まし時計とアイマスク、それにスノードームが。出ていったあと日からこれらがなかったんだとしたら、悟が持ち出したのには必ず理由が……行方知れずになる理由が本人にわかっていたのだ。探してはいないが、この分だと香水も無いのだろう。

    「……してやられたなぁ……」

     二人で暮らしていた家に一人、私のため息と独り言だけが嫌に響いて聞こえる。そうしてこの時決めたのだ。絶対祓ったれ本舗は解散しない、と。何が何でも悟を一人で待ち続ける。祓ったれ本舗の夏油傑として、必ずこの場所を守りながら、悟の帰還を待つ、と。

    「でも絶対次会った時にはぶん殴ってやる」

     悟のベッドを力強く拳で叩きながら、それだけはやってやるとも決意した。それからの私は事務所が開いた記者会見やら取材やらテレビ出演やらと、一人で何もかもこなしてきた。半年間、止まらなかった。私の努力を悟がどこかで見ていてくれてるのならまだ救われるなぁ、なんて考えながら。季節はもう悟が出ていってから半周し、ジュジュワン出場を決めたあの日と同じ季節になった。あっという間の一年だった。

    「よぉ」
    「や、硝子。元気だった?」
    「まぁね。お前はちょっと痩せたな。良かったなダイエット成功して」
    「してないんだよな〜そんなこと」
    「相方失踪ダイエット、売れるんじゃね? 本でも出せよ」
    「仮に出す気があったとしても、執筆時間が今は一切無いよ」

     巷の居酒屋。なんの変哲も無ければオシャレでもない、私たちの行きつけの店に、約一年ぶりに硝子と待ち合わせしていた。硝子の容赦ないブラックジョークにも、大分余裕を持って答えられるようになっていた。硝子はジョッキ片手に、何の遠慮も無しに切り込んできた。

    「自分が原因で出ていったとか、思わなかったわけ?」
    「思わなかったね」
    「即答するじゃん」
    「あぁ。悟は君と同じで言いたいことはハッキリ言う奴だ。遠慮なんて私にしたことないから、私が原因なら初めに何かしら相談のひとつくらいはあったと思うよ」
    「ふぅん。じゃあ逆に聞くけど、何で五条は黙って出ていったと思う?」
    「……それは……」

     硝子、君は何か知ってるのか? 自分への問いを無視してそんな言葉が喉から出そうになった。だがそれを問うことは許されていないように思えた。

    「……正直、わからない。思えば、ジュジュワンに出たいと言い始めた頃も、悟の考えていることがわからなかった。あの時も本当に突然言い出して……。出場を決めてから優勝するまでは、今まで通り過ごしてきたと思うけど、その間に私への信頼が失われたとも思えない」
    「ま、そうだろうな。信頼が無くなったとかではないだろう」
    「なら!」
    「黙って出て行かないといけない状況だったのか、もしくは黙って出ていくことに意味があったのか……」
    「黙って出ていくことに、意味……?」

     思わず復唱した私に、硝子は意味ありげにニヤリと笑ってみせた。板に着いたその笑い方はさすが女優というべきか、薄ら寒さすら感じた。

    「夏油。お前随分五条には裏切られない自信があるみたいだけど、五条だって人間だ。お前の知らないところで色々考えてるだろうし、『五条』って名前を使って動いてる事もあるだろうよ。それをお前は『裏切り』だと思うか?」
    「……そんな事、思う訳ない。彼にもプライベートはあるし、私が知りえない家の事情もあるだろう。本当に裏切られたと思う時は……そうだな、私を置いて死んでしまう、とかかな」
    「……重。けど、五条も同じようなもんなんだわ」
    「えっ」
    「あいつも、お前に先にいなくなられるのが心底嫌なんだよ。耐えられないくらいに。だから自分から先にいなくなった。悪い、あいつの考えに加担する気も庇う気もなかったんだけど、お前にはそれなりに恨みがあるから少しだけあいつに譲歩してやる事にした」
    「私いつの間に恨みを……? いや待って、つまり悟は、自分の意志で出ていったの? 私に裏切られたくなくて、先手必勝って感じに」
    「そうなるな」
    「…………」
    「…………」
    「……意味わかんないな〜悟〜!」

     この場にハリセンがあったら机を思いっきり叩いてた。何だそれは。ありもしない未来を想像して、逃げたのか、悟は。あいつはそんな人間だったか? そんなに臆病な奴だったか? 私の中の悟像がガラガラと音を立てて壊れていくようだった。口ではおどけてみせたけど、内心泣きそうだった。私、悟と一緒にいた中で、一体彼に何を思わせたらそんな行動に出させるんだ。硝子が私の気持ちを察したように、言葉を足してきた。

    「意味わからんのはわかる。馬鹿なんだよあいつは。自分の夢の中の世界と現実の世界を混同してる」
    「ほんとにね……」
    「どうするよ。お前はあいつのこと裏切り返すか? それとも……」

     硝子の声が不自然に途切れた。顔を覆っていた手を外して硝子を見ると、真剣な顔で、私を見ていた。

    「馬鹿をもう一度信じてみるか? やっぱ傑と最強でいたい〜なんて言って、戻ってくるのを待つか」
    「……」
    「何ヶ月、何年、何十年後になるかはわからない。けどお前は、あいつが帰ってくるまで、祓ったれ本舗の夏油傑でいられるか?」
    「……結婚式の誓いみたいだな」

     ハハッと乾いた笑いが私の喉から漏れた。嫁に逃げられた旦那ってこんな気持ちなのかな、いや絶対私の方が不憫だ。私はグンっと背中に力を入れて、硝子にハッキリ向き合って答えた。

    「待つよ。祓ったれ本舗は五条悟と夏油傑が揃わないと始まらないんだ。ジュジュワングランプリ優勝者が、二度とお客さんの前で舞台照明を浴びられないなんて、考えられないだろ」
    「……お前、マジで五条のこと好きだな。私ならさっさと振って諦めてる」
    「硝子らしいね。ちなみに硝子は悟がどこにいるかは知ってるの?」
    「知らなくは無いけど、厳密には知らない。まぁ、お前に一つ朗報とすれば、家関係って訳じゃないぞ」
    「え! は? そっちの方が衝撃なんだけど。本家に木刀とスタンガン持って乗り込んじゃった」
    「馬鹿だろお前」

     珍しく硝子が声を上げて笑った。その時の動画無いのかとか聞かれた。無いよ。

    「家じゃないなら……?」
    「うーん、まぁこれも時間が経てばそのうちわかる事だろうけどさ」

     硝子はジョッキの中を飲み干した。そして一年前、その時にも聞いたような気がする言葉を微かな酒気としたり顔と共に言った。

    「善は急げってやつだな」


    ----------


    「祓ったれ本舗の、ラジオ、取っ祓い上等〜!」

     金曜の深夜二時、明日は土曜日、社会人の多くは明日が休日であり、そんな面々が少しの夜更かしを楽しむのもおかしなことではない。祓ったれ本舗のラジオは、そんな日に毎週電波に乗せられていた。

    「皆さんこんばんは、祓ったれ本舗の夏油傑です。いや〜本当に毎日寒いですね。熱燗が美味しい季節になりましたよ……私結構ひとり酒するんですけど、久しぶりに徳利でちゃんとしたのをつい最近飲んだんですね。いや〜……美味しかった。何だか歳をとったなって思いましたよ。ところで歳といえば、本日十二月七日は私の相方である五条悟の誕生日です! どっかで野垂れ死んでなければ二十八になります! 悟〜聞いてる〜? それとも私に直接お祝いしてもらえなくて泣いちゃったかな? ハハ! 自業自得だよ早く帰ってこい」

     悟がいなくなってから、もうすぐ丸五年が経とうとしていた。私は相変わらず祓ったれ本舗の夏油傑だった。あの後記者会見を再度開き、五条はしばらく多分きっと恐らく戻ってきませんが、祓ったれ本舗は解散しません、とハッキリ言ってやった。いつ戻ってくるか全然ハッキリしてないけど。集められた記者共の顔は呆けた猿そのもので大変見苦しく面白かった。五条さんはどこに行ったんですか! とか何とか色々聞かれたけれど、うるせ〜しらね〜! 私が知りたい誰か探偵雇えよと、言いたいことをハッキリ言ったら、今まで「祓本のヤバい方(悟)とヤバくない方(私)」だったのが、「祓本の白いヤバい方と黒いヤバい方」と呼ばれるようになった。
     しかしながら、世間様の噂話や興味関心なんてものは存外あっさりしているもので、一ヶ月が経ち、二ヶ月が過ぎた頃には私たちに興味が無い人間たちの記憶からはすっかり祓ったれ本舗の話は抜け落ちていた。残ったのは、芸能関係のゴシップが大好物なクズ共と、本気で私たちを応援してくれていたファン達だった。私一人では漫才は出来ない。それでも、あの明るくてあたたかい照明の下に立つ感覚と興奮を忘れたくなくて、舞台の前座やトークショーなど、一人語りでも出来そうな仕事は何でも受けた。いつしかそんな私の姿は、「相方の帰りを待つ健気な(ヤバい)男」そんな風に見えてきたようで、周りからも励ましの声を受ける事が多くなった。

    「あんな奴だから、本当にいつ帰ってくるか分からないんですけど、それまで私は祓ったれ本舗で居続けたいと思います。悟の帰る場所を用意しておかないと」

     比較的心を許したメディア陣にはこうして割と本音を聞かせていた。するといつからか、私個人のファンも増えたようだった。ありがたい話のような、物好きもいるもんだと呆れてしまうような。
     相方不在のまま、ほぼピン芸人のような真似をしつつたまにエッセイ等の文章の仕事もこなしていた。ちなみにマネージャーの伊地知は健在だ。彼は、私たち祓ったれ本舗の行く末を最後まで見届けると言ってくれた。その申し出をありがたく受け取り、私は今日も一人、活動を続けていた。

    「や、でも本当に歳とったなぁって日々思います。私は早生まれなので誕生日はまだちょっと先なんですけど、ジュジュワンで優勝したのがもうほんと、丸五年前とかになるのかな? いやー、月日が経つのは早いですね。馬鹿がいなくなってから私の仕事の方向性、ちょっと変わっちゃいましたもん。さて、今週のメールテーマですが、『私の変わった身内』で募集しておりました。相変わらず沢山のメール頂きました、ありがとうございます。ただ皆さん、身内にそんな変人いるの? ヤバくない? 私も最上級のヤバい奴いたから気持ちはわかるけど、振り回されてるよ〜って人はさっさと距離を取った方がいいです。好きなら仕方ないけど、ね?」

     私が諦めたように両手を横に上げながら言うと、音響ブースからは長く連れ添ってきたスタッフたちの笑い声が聞こえてきた。すると一人のスタッフが、トントンと机の上を指で示しているのが見えた。何かと思い自分の机の上を見ると、そこには一通の手紙が置いてあった。ラジオ局と番組宛の手紙で、字の感じからどうやら男の子からのお便りだった。今どきメールが多い中、古風な送り方をしてくる子がいたもんだと感心した。

    「じゃあー一通目からいってみようかな。一通目、今の時代では珍しく手書きのお手紙で送ってくれました。仙台市のペンネーム、虎君から。夏油さんこんばんは! こんばんはー。俺は今年高校に入学しました。そうなんだ、じゃあ高一? おめでとう、若いなぁ。実は俺には身寄りがなく、昔から施設で育ってきました。ほう。あれは俺が十歳の時でした。施設の中で同じ施設の子達と遊んでいると、知らない男の人が俺に近づいて来ました。当時の俺からしたらその男の人はめちゃくちゃデカくて、ちょっと怖かったです。そりゃ怖いわ。でもよく見ると、その人は両手で知らない男の子と女の子の手を引いていました。えっ子連れ? その子たちは俺を見て泣き出し、男の人も膝を折って俺を抱きしめてくれました。……怯えるところ? 感動するところ? これ」

     私は手紙から一度目を離す。スタッフは手を払うようにして、いいから続きを読めと促してきた。私は渋々それに従う。

    「ごめんね。えぇっと、いきなり知らない三人から泣かれて抱き締められた俺は当然ビックリしました。お兄さん、誰? って聞いちゃいました。そうしたら、男の人は言いました。『ずっと君を探していたんだ』って。訳わかんなかったんですけど、両側で泣いていた男の子と女の子も同意しながら何故か殴られました。フフッごめんちょっと面白いというか、子供の時の話でしょ? 可愛いね。……結果的に、俺はその人に引き取られる事になりました。二人の子も、その人に引き取られているようで、養子縁組では無いので兄弟ではないけど、今じゃ俺の親友です。いい話じゃん。え、変わった身内がテーマだよね、これ合ってる?」

    ブースに確認すると、ウンウンと頷くスタッフ陣。そしてそこに、何故か伊地知の姿もあった。伊地知の顔は元から白いけど、今は紙のように、一周回って青白くなっていた。あの顔は何か緊急事態が起きた時か、悟に死ぬほど無理難題を叩きつけられた時の顔だ。気にはなったけど、このラジオは実は生放送だから、続けなければ。

    「夏油さん。はい。実はその引き取ってくれた男の人ってのが夏油さんの大ファンらしく。あ、そうなんだ。男のファンちょっと珍しいから嬉しいかも。俺も祓ったれ本舗の昔の番組とかジュジュワンとか沢山見せてもらいました。どれもめちゃくちゃ面白くて大好きです。特に霊媒師と胡散臭いお坊さんの話が好きです。あぁアレね、あれは私が考えたんだけど悟には結構渋られたネタなんだよね実は。最後までやりたくなさそうだった。笑いはかなり取れたんだけどね。あぁごめん。……そこで俺はある事に気が付きました。その事を男の人に問うと、こう答えてくれました。『怖がった僕が逃げちゃったんだ。だから彼は今一人なんだ』……と……え? え、ごめん、何? ……夏油さん、今日はその人と俺たち四人の写真を送ろうと思いました。思ったんですけど、写真は燃やされました。代わりに……かわりに、僕がいくから、と……」

    「うん。僕が直接行くことにしたんだ」

     ……収録中のラジオブースに人が入ってくることは、ゲストや緊急時以外はありえない。その声は音響ブースにあるマイクから部屋に伝わってきた。その声が信じられなくて、私はゆっくりと首を上げた。けれど、描いていた人間は音響ブースにいなかった。驚いた顔をしたスタッフと、どこかハラハラした様子の伊地知がいるだけ。何だ、夢かと思った時、生放送だというのに何の配慮もなくガチャンと収録ブースの扉が開け放たれた。堂々と入り、私の正面の椅子に座り、マイクをオンにした。
     五年前まで毎週見ていた当たり前の光景が、今、目の前にあった。

    「はい、どーも。今でも傑一人のラジオを聞いてくれていたリスナーの皆、こんなド深夜に相当暇なんだね、寝た方がいいよ。今頃ネット上は大荒れかな? そうだよ、手紙に出てきた、三人の子供を引き取って今までずっと失踪していた、夏油傑のパートナー、祓ったれ本舗の五条悟です。お久しぶりです。そんでもって、ただいま!」

     端的に言って信じられなかった。彼の白い髪が、サングラスから垣間見える蒼の瞳が、着ている黒のセーターとズボンが、その時の感情で調子が変わる七色の声が。全部が、信じられなかった。ほぼほぼ放心状態の私を他所に、悟はクスッと笑って見せて電波を占領した。

    「まぁまず僕がこの五年どこに行ってたかって話なんだけど、色々行ってたんだけど主に東北方面かな。さっき手紙をくれた子が仙台市って言ってたけど、最後は主にそこにいた。僕が引き取った三人の子供たちと、あと他にも何人かいたんだけど、ずっと暮らしてた。案外都会にいたじゃんって? そうだよ。何も海外に飛び出したとかじゃないからね。昔から僕たちのファンだった人は知ってると思うけど、僕は人一倍ワガママなんだ。そんでもってどうしても諦めきれないことが昔から二つあった。一つは傑とのこと。傑とは絶対ぜったい、二人でいたかった。親友でも腐れ縁でも、何か他の関係でも何でも良い、とにかく傑とは繋がりを持っていたかった。出来ることなら、傑の隣には僕しかいないって周りに知らしめて、傑自身にも自分の隣は僕だけって刷り込ませる、それぐらいの魂胆でいた」
    「……重……」
    「よく言うよ。で、もう一つ。もう一つがさっきの子供たちの事なんだけど。これについては詳しくは説明出来ないけど、僕は昔大きな失敗をしてね、大人の僕より子供だった彼らをより危険な目に遭わせて、救えなかった。僕がどんだけ大きな家の出身で、力もお金もあって強くてもダメだった。それが死ぬほど心残りで……傑といてもずっと頭の片隅で考えてた。ジュジュワン出場を決める少し前にね、引き取ったうちの一人の子が見つかったって報告があって。年端もいかない子供だけど、身寄りがいなくて今は施設暮らしだと。手始めにその子に会ったんだ。すっごい嫌そうな顔されたけど、会った瞬間あんなに昔は頑なに泣かなかった子が泣き出してね。助けてくださいって言われた。……でも僕ワガママだからさ〜、どうしても傑とのコンビも辞められなかった。助けてあげたいけど、傑の手も離したくない。僕の方が助けて欲しいと思ったね! でも、昔から弱者生存って言うじゃん? 強い奴が弱い子を助けてあげなきゃいけない。僕は大昔にそう教わった。だから、ワガママな僕はどっちも達成することにした。子供たちも助けるし、傑からも離れないって。でもどっちを優先するかってなった時、我慢出来るのはやっぱり大人じゃん。だから傑の方を一旦おやすみしようと思ったんだけど……」
    「待て。何でそれ私に相談してくれなかったんだ」
    「傑」
    「ずっと黙って聞いてたけど、我慢の限界だ。私がどれだけ苦労して悩んだと思ってる? 君から何の相談も無く、少しの物と一緒に消えた君の背中を何度夢に見たと思う? 子供たちとどんな関係なのか知らないけど、何一つ私には相談出来なかったのか? 自分勝手も甚だしい話だとは思わないか」

     ラジオブースは一触即発の雰囲気だった。いや、正確には私だけが怒気を孕んでいて、悟は凪いだ海のように静かだった。たった五年でここまで印象が変わるのかと疑いたくなるくらい、悟は落ち着いていた。悟は私から目を逸らし、「お前がそれ言うのかよ」と呟いた。小さく言ったつもりだったろうけど、私の耳にも、マイクも完璧に拾っていた。

    「何?」
    「いいか、お前が覚えてなくても、僕はお前がしたことをなぞっただけだ。お前は昔、こうして僕の前から消えていった。僕だって何百回も何千回も、お前が雑踏に消えていく背中を夢見たよ。相談してくれたってよかったじゃんって、死ぬほど後悔したけど遅かった。それは傑にとって僕が相談相手になり得ないと思ったからの行動だったんだって後から気が付いたから」
    「私にそんな覚えはない!」
    「当たり前だろ傑は覚えてないんだから! でもそれでいいんだよ! 嫌な記憶を無理に思い出そうとする必要なんてどこにもないんだから! ……そりゃ僕だって怖かったよ。帰ってきた時、もう傑にお前は要らないって言われないかって……」
    「君の言ってる事が半分くらい理解出来なくて悪いけど、私と君の繋がりって、そんなに浅いものだった?」
    「……ううん」
    「昔ってのがどのくらい前の話なのか全然検討もつかないけどさ、少しぐらい相談して欲しかったな。話せなかったり、私が理解出来ないような内容なのかもしれないけど、少なくとも何を話されても君の手を離す事は、今の私はしないと断言出来るよ」

     これでも慎重に言葉選びをしている。今の悟は、私のよく知る悟では無い。だからこそ、間違えたくなかった。と言うより、今生放送だってこと、皆忘れてない?
     悟はおずおずと手を組みながら俯く。私の言葉を反芻しているのか、やがて再び口を開いてくれた。

    「……そうだね。傑の言う通りだ。僕は今と昔の傑をごっちゃにして、いつかまた僕の傍からいなくなっちゃうんじゃないかといつも怯えてた。白状すると、ジュジュワンは賭けだった。傑との確固たるコンビとしての位置付けというか、事実が欲しくて。勿論全力で優勝目指してたよ! その結果、努力が実っての優勝だったってのは誤解しないで欲しい。ジュジュワンで僕たちの存在は世の中にもっと広まった。これで傑は僕という存在からも祓ったれ本舗としても離れられないと思った。だから、だからね」
    「だからもういなくなってもいいと思った?」
    「……うん。これでもし傑が祓ったれ本舗も僕のパートナーも辞めるって言われたら……諦めようと思った。悲しいけど、どうしたってそれが僕たちの運命なんだって受け入れたかな」
    「五条悟ともあろう人間が、随分と諦めが早いな。いつから君はそんなにいい子ちゃんになったんだい? その僕って一人称もさ。随分と改まっちゃって」
    「子供たちの前で俺は怖がられるだろうから辞めろって、昔言われたんだ」
    「君にそんなこと言う人間、私以外にいたんだ」
    「……んー、まぁね。いるようないないような」
    「ふふっ何それ」

     ようやく私が笑ったことで、悟の表情が少しだけ和らいだ。多分、彼は今日ここに来るだけでも相当勇気を振り絞ってくれたのだろう。それも、一か八かの大勝負で。この手紙が読まれなかったら、どうしてたのだろう。私が何も言葉を続けないことを認めると、悟は恐る恐るといったように私に尋ねてきた。

    「……その、ね、傑」
    「うん?」
    「子供達が今年で高校生になって、今漸く生活も落ち着いてきたんだ」
    「そう。五年間君一人で育てたのかい?」
    「厳密に言えば一人じゃないけど、大体はそう。三人ともいい子なんだ。いつか会わせたいな」
    「そう。何か君、親って言うより先生みたいだな」
    「……そうだよ、皆からも先生って呼ばれてるんだ!」
    「あ、そうなんだ。似合うよ、五条先生」
    「何かお前にそう呼ばれるのやだな〜! いや、そうじゃなくて、先生じゃなくてさ、傑……」
    「何だい?」
    「……お前の隣、まだ空いてる? 祓ったれ本舗、一人でやってけちゃう?」

     こんなにも自信に満ち溢れていない悟の目を見るのは人生で初めてだった。怯えたような、期待するような、まぜこぜになった絶望と希望がひしめき合って、彼を象っていた。私はその目から目線を離さず唸った。

    「うーん、そうだな。実際一人でやってこられたかと言われたら、やってこられたよ」
    「あっそ……」
    「でもね、一つだけどうしても出来なかった事があった」
    「何?」
    「わかんない? そもそも私たち祓ったれ本舗って何」
    「……あ」

     悟の目が輝いた。

    「……漫才」

     私は大きく頷いた。そうだよ悟、君は一番大事な部分を忘れてる。

    「そうさ。私たち二人でしか出来ない祓ったれ本舗の漫才だ。五年間、ずっと我慢してきたよ。悟、君、あの光りを覚えてるかい? 私たちをいつだって舞台の中心で照らしてくれていた、ちょっと熱いくらいあたたかくて、眩しい舞台照明の光りを」
    「……覚えてるに、決まってんじゃん。どんだけ心地いい季節になったとしても、暑い場所に行っても、寒い場所で暮らしてても、傑と二人で立ってたあの光りの中心を忘れるわけない」
    「そうか」

     私はマイクから離れて、ふーぅと大きく息を吐いた。張り詰めていた空気も、私自身も、解れていく。あぁ、五年間、ひとりでしんどかったさ。投げ出したくなる日もあった。全部捨てて、悟探しの旅に出ようと思った事も何回もあった。
     でも、行かなくてよかった。君をここで待っていて、よかった。

    「……えー、リスナーの皆さん、長い時間身内話をお聞かせしてしまい大変申し訳ございませんでした。気付けばお別れの時間まであと五分を切っておりました。私の中の一番の変わった身内が、まさかのこのタイミングで帰ってきてしまいました、いや〜困りましたね……」
    「……そうだわ、生だったこれ」
    「そうだよ。何とぼけてんだい? 来週もこのトークテーマでお送りしようと思います。きっと明日の朝にはニュース速報として数多のネット記事や広告が私たちの顔で埋め尽くされることでしょう。正直嫌です」
    「や、ごめんって、傑……ねぇ返事は?」
    「来週もまた同じ時間にお会いしましょう。えー、今週まで私一人でお送りしていたこのラジオ、本日で最終回となります」
    「えっ……」「来週からは、二人でお送りしたいと思います。それでは、お相手は祓ったれ本舗、夏油傑と?」

     正面の男へ目配せする。彼はサングラスの隙間から瞳をこれでもかと言うほどうるませ、マイクを直に掴んで叫んだ。

    「祓ったれ本舗、五条悟がお送りしました!」

    ----------
    epilogue


    「こうして、気狂い漫才コンビは五年の歳月を経て再び結成されてしまったのでした。めでたしめでたし、と」
    「何でされてしまったなの! それに気狂いじゃないもん!」
    「四捨五入して三十の男がもんとか言うなよキショいな……」

     バンバンと子供みたいに楽屋の机を叩きながら、遊びに来てくれた硝子相手に悟は抗議していた。公演時間までまだあと少しある。久しぶりの舞台の悟の緊張を解してくれるのには丁度いいだろう。

     あれから、ラジオの放送が終わったあとから、私達は文字通り膝を突合せて話し合った。あんな説明だけじゃ足りない、きちんと説明しろ、と夜蛾社長含め大勢の大人たちから囲まれ、話し合いの場を設けられた。今は仙台に置いてきたという子供たち三人の事、悟の実家のこと、今後の方針について、そしてお互いの認識の齟齬について。間に入ってくれたのは夜蛾社長だけじゃなく、硝子もいた。社長が何故か直々にお呼びだてしたようだが、あの硝子が面倒くさがらず本当に来てくれた。見立て通り、硝子は私の知らない昔を覚えているようだった。そしてなんとそれは夜蛾社長もらしく、自然と私だけ取り残されるような気分だった。

    「傑、今から話すこと、マジで一ミリも信じられないかもだけど、聞いてくれる?」

     悟が混在していた二人の「私」について、子供達を助けた経緯について等々……認識ミスがないように話を見守ってくれていた。要するに生まれ変わり……前世の話だと悟は言ったが、基本的に目に見えないものは信じない主義なので、あぁそうなんだ、とだけ声に出して答えた。ポカンと拍子抜けしたような悟は、何だか悩んで損したと悔しそうに睨まれた。

    「ビックリするくらい傑がすんなりと話受け入れてくれたのには驚いたけど、今こうしてまた祓ったれ本舗やれてんのちょー嬉しい。マジで良かった」
    「あっそ。お幸せに」
    「妬いてる?」
    「硝子妬いてるの? 大丈夫だよ硝子の事も大切に思ってるよ? だって硝子とも私昔からの仲なんだろ?」
    「舞台立たせなくしてやろうか」
    「やだ……最近の女の子こわぁい……」
    「ちょっと硝子やめなよぉ! すぐ子泣いちゃったじゃぁん〜謝んなよぉ〜」
    「えっまじでこいつらの仲取り持たなけりゃよかったわ」

     本気で硝子の目が冷たいものに変わってきたので大人しくやめた。舞台に立つ前に本当に足でも折られたら困るからね。
     そう。今日は私たち祓ったれ本舗が再結成してから初めての単独ライブ。ジュジュワン優勝後にも行われなかったそれは、チケット販売と同時に全席完売した。大変ありがたいことだ。私も悟も、まだ世間やファンは受け入れてくれていた。

    「なぁ夏油」
    「何硝子」

     硝子が無表情で見つめてきたかと思えば、さっきとは正反対に、仕返しだと言わんばかりの笑顔を向けてきた。……彼女がそんな笑顔を見せることなんて今まで数える程しかない。例えばそう、悟の悪知恵にノッた時とか。

    「お前、いつ身ぃ固めんの?」
    「えっ」
    「は?」
    「さっさと告白しろよ。これ終わったらすんのか? まぁどっちの本番も頑張れよ」
    「ちょっ、ちょっと硝子! なんてことを!」
    「何それ! 僕知らない! ねぇ傑結婚すんの? 誰! やだやだやだ傑は僕と漫才すんの! 僕と二人で最強なんだから!」
    「じゃあな。本番しっかりやれよ、客席で見てるから」
    「硝子ほんとに、悟ちょっと静かにして!」
    「すーぐーるー!」

     あっさりと出ていく硝子自身もその口も止められる事は出来ず、体にまとわりついてくる悟を引っぺがすのにも苦労した。本番直前まであまりにも駄々をこねるので、思わず言ってしまった。

    「わかったよ! 本番が無事に成功したら言ってあげるから!」
    「ほんとに? ほんとだな! 約束だからな!」
    「あー……ハイハイ。すっごい会場中笑わせられたらね」
    「言ったな。僕は有言実行の男だよ、絶対笑わせてみせるから、覚悟しろよ!」

     舞台袖からは前座の後輩芸人が会場をあたためてくれており、既に盛り上がりを見せているようだった。あぁ、久しぶりに、二人であの景色を拝める。
     あの、光の地に並べるんだ。

    「悟」
    「なぁに? 傑」

     彼の記憶の中にある、覚えのない私。
     そいつが一体どんな思いで彼の元を去ったのか、いつだって悟の隣にいる私だからこそ、わかる部分もある。けれど、今の私には理解出来ない。

     だって私は、呪術師夏油傑じゃなくて、漫才師夏油傑だから。

    「行こう」
    「おう!」

     名前が呼ばれる。足が舞台へと動く。
     あたたかな光りの下、そこが私たちの今の戦場だ。

    「「ハイどーも! 祓ったれ本舗です!」」


    あの「光り」を覚えているか 完
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    rinrizerosyura

    DONEGEGO DIG. AUTUMN 開催おめでとうございます。展示用の新作長編です。
    祓ったれ本舗の夏油傑と、祓ったれ本舗であるはずの五条悟、二人の舞台(世界)と過去の縛り。
    夏油目線でお送りします。

    夏五Forever……
    ☆作品の感想等は、スペースの書き込みボードか、当方のTwitterにあるwaveboxからお送り頂けますと嬉しいです(о´∀`о)
    あの照明(光り)を覚えているか「……、さとる」

     隣に佇む相方の肩を叩く。サングラスに隠された、日本人とは思えない蒼の瞳が瞬きもなく会場を見つめていた。

    「さとる、悟。行こう、呼ばれてるよ」
    「……すぐる、俺たち……」
    「そうだよ」

     たくさんの紙吹雪が舞い、歓声が響く。金色のテープも床や私たちの頭の上にまで引っかかってて、悟の頭のそれを取ってあげた。

    「私たち、優勝したんだよ!」

     念願だった。芸人としてデビューしてから今日まで長かったような、あっという間だったような。十年以上寄り添ってきた相方兼親友はまだ現実を飲み込めていないのか、一言と発さない。私は彼の手を引いて舞台の中央まで向かった。
     私たちが優勝したのは、若手芸人の登竜門とも言われ、全国で生放送されているお笑いグランプリだった。ずっとこれを目標に生きてきたのだ、嬉しくない訳が無かった。
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