毎日SS8/23「いいか、これは絶対に負けられない戦いなんだ」
「はぁ……」
午前八時五十五分。モリヒトとケイゴはスーパーの前にいた。
今日は日曜日、目当ては目玉商品のサラダ油だ。
「だいたい、特売品は入り口を入った野菜売り場の隣にある。つまり、野菜コーナーを突っ切って特売コーナーを目指す」
「うん……」
昨日は、日付が変わって午前二時過ぎまで夜更かししていた。せっかくの日曜日だから、昼まで眠るつもりだったのに、八時に起こされた。
曰く、お一人様一本限りの特売品があるから、買い物に付き合え、と。
「ていうか、ニコと来ればよかったんじゃない?」
スーパーで一緒に買い物、なんてうってつけの案件じゃないか。モリヒトも、ニコを誘ってくれれば、こんな朝早く起こされずに済んだのに。
「馬鹿言うな、ここは戦場だぞ。こんな危険な場所にニコを連れて来れるわけがない」
「え……オレ無事に帰れるの……」
開店まであと二分。周囲もにわかに騒がしくなってきた。モリヒトの言葉に、不安が大きくなる。
「よし、もうすぐだ」
店頭に置かれていた買い物かごを持ち、そう呟く。随分と気合が入っているのが恐ろしかった。
「待って、オレこのスーパーの構造全然知らない」
「前も一緒に来たことあるだろ」
「あの時は密着してたし、オレの意思ゼロだったよ?」
正直、このスーパーに良い思い出はない。トワイライトのせいで、密着したまま買い物をした時は、恥ずかしくて死にそうだった。
腕時計で時間を確認しながら、店員が閉じた自動ドアの前に立つ。
「大丈夫だ、任せろ」
「まぁ確かにこの人数なら……」
モリヒトたちのより前に並んでいる客は十数人といったところだろうか。限定数・百の特売油は、走らなくても充分そうだ。
「行くぞ」
「えっ、ちょ、まっ……!」
二人の店員が、いらっしゃいませという声と共に、ドアを開ける。開ききらない狭い隙間を、客たちが一斉に入り込んでいく。
モリヒトが、ケイゴの腕を掴み、特売品コーナーへ一目散に走り出した。入り口から特売品コーナーまでは数メートルしかない。全員が全員特売品を求めているわけではないから、あっさりと売り場に到着した。
「よし、お一人様一本限りだから、二人で二本買えるぞ」
「モリヒトの走る速さが一番危険だよっ!」
「でもサラダ油は買えただろ」
かごの中にサラダ油を入れ、何事もなかったかのように言う。鬼の速度に引っ張られ、足がもつれて転ぶかと思った。
「絶対に走らなくても買えたと思う」
そもそも、開店と同時に目当ての売り場までダッシュする、なんてことは推奨されていない。モリヒトはたまに、頑として聞かないことがあるから困る。
「ああもうほら、じゃあ好きなお菓子一個買っていいから」
「子供か」
サラダ油を確保してしまえば、後は食料品の買い出しだ。モリヒトの力なら全部自分で持てるが、ケイゴと買い物をする時は重い物を買う印象が強い。
入り口に戻り、野菜売り場から順番に食材をかごへ入れて行く。開店待ちの行列がなくなったせいか、店内は混雑していた。
ふと、自分たちに視線が向けられているような気がして、モリヒトを見た。
「あっ、」
「どうした?」
「手、繋ぎっぱなし!」
モリヒトに手を引かれ特売品コーナーへ走った。そこから、手を繋ぎっぱなしだったことに今気付いた。
若い男が手を繋いでいたのが珍しかったのだろう。
「ああ」
「ああ……って」
「別にいいだろ。人多いし、迷子になったら困る」
「子供か」
ケイゴが指摘しても、モリヒトは手を離さない。それどころか、一層距離が近くなった。子連れだってこんな距離感にならない。
「気にするから気になるんだぞ」
「いや……その、」
「なんだ、嫌なのか?」
はきはきと喋るモリヒトに対して、口篭ってしまう。密着しているせいで、モリヒトの顔が近い。
「そういうわけじゃ……ないけど」
「ならいいだろ」
話はここまでだ、とケイゴの手を引っ張り、別の売り場へ向かう。気にしないようにしても、視線を完全にゼロにすることは出来ない。
「モリヒトはさ、恥ずかしくないの?」
「何がだ?」
「何って、オレと手繋いでるのとか」
「別に恥ずかしいことなんて何もないだろ」
周囲がざわついた気がした。買い物かごを持った主婦に、展開を見守られているような気がするが、これは気のせいなのだろうか。
「少なくとも、オレはお前との関係を恥じたことはないぞ」
わぁ、と喧騒に合わせて歓声が上がる。拍手まで聞こえてきそうだ。
「あっ……え、うん……」
モリヒトは何を言っているのだろう。顔が近いせいで、余計にどきどきする。
ぽん、と背後から誰かに肩を叩かれた。振り向けば、そこには野球帽を被った中年男性が立っていた。以前、どこかで会ったことがあるような気がする。
「多様性」
「だから誰だよオッサン!」