毎日SS8/25 俺はモブ。どこにでもいる普通の脂っぽいオッサンだ。
これといった特技もなく、家族もなく、仕事終わりに駅前のチェーン店の居酒屋で一杯飲んで家に帰るという寂しい生活を続けている。
しかし、そんな俺にも最近楽しみが出来た。
「いらっしゃいませ」
それが、このケイゴ君だ。
高校生くらいだろうか、毎週火曜日と金曜日はバイトをしている。名札にはケイゴと名前が書いてあり、それで名前を知った。もちろん、呼んだことはない。
一人であることを音もなく伝えるため、人差し指を立てた。オレは週四でこの店に来ているから、ケイゴ君をはじめ他の従業員もほぼ全員知っているが、ケイゴ君はたまにしかシフトに入っていない。脂ぎった息の荒いオッサンなんて覚えたくもないだろう。
ちなみに、四月までは週一か多くて二回だったのだが、ケイゴ君がバイトをするようになってからこの店を選ぶ頻度が増えた。
こちらへどうぞ、と二名席に案内される。
今日は出先から直帰したため、時間が早い。一人でも広く使える席を案内してくれたのだろうが、俺は基本カウンター席派だ。店長は何も言わずともカウンターに案内してくれる。
ほら、やっぱり俺のことなんて覚えていない。でもその心遣いは嬉しいよケイゴ君。
「注文が決まったらまた呼んでください」
「あ、とりあえず生で」
「はい」
生一丁、とキッチンに向かって叫び(ここはそういう演出がある)失礼します、と去っていく。正直食べるものは決まっているから、そのまま注文を続けても良かったのだが、一度に何度も頼むよりこまめに呼び出したい。
値段どころか、配置まですっかり覚えてしまったメニュー表を開く。よく行くもう一件の居酒屋はタッチパネルになってしまった。
「お待たせしました、生一丁です」
「あ、ありがとう」
「ご注文は?」
「あ、えっと……枝豆とホッケ、後はまた」
「はい、」
慣れていないのか、ハンディでメニューを入力する手付きがぎこちない。それを肴にビールが進む。
今日は当たりだ。ケイゴ君はレアだから、なかなかお目に掛かることは出来ない。しかも高校生だから上がるのが早い。
俺が店に着いたタイミングで入れ違いになることもよくあった。
「お待たせしました、枝豆です」
ちょうどビールを飲んでいるタイミングで枝豆がきた。ジョッキに口を付けたまま、軽く会釈をする。これはホッケが来たタイミングでお替わりをするべきだな……て枝豆の皮を押す。
何処にでもある冷凍枝豆だろうが、ケイゴ君が持ってきたかと思うと美味しい。別に作ってるのはケイゴ君じゃないだろうけど。
「ホッケです」
「あ、どうも。え、えっと、生おかわりと、ウインナーの鉄板焼き追加で」
「はい、かしこまりました」
生一丁、とキッチンに向かって叫ぶ。長い襟足を一つに結び、長めの前髪を真ん中で分けてヘアピンで留めている。狼のキャラクターがついたヘアピンがよく似合っていた。
この席は正解だったかもしれない。カウンターだと、ドリンクを作る店員の姿しか見えないが、ここだとホールを動く店員の動きが良く見える。もちろん、ケイゴ君もよく見える。
ホッケが来るまでの間に一杯、ホッケが来てから飲み物を変えて一杯。オジサン、ちょっと酔っ払って来ちゃったなぁ。
「お待たせしました、ウインナーです」
店が混んできたのか、隣にも客が入って来た。ケイゴ君は俺のテーブルにウインナーを置き、すぐ隣のオーダーを取る。
大学生か新社会人ってところだろうか。あれくらいの子たちが集まると、オッサンは無条件で怖くなるものだ。
四人の男の子たちは、いかにも飲酒覚えたてといった風に、運ばれてきた生を一気に飲み干し、とにかく騒がしかった。
ここは値段も安いチェーン店だし、別に騒がしいことは特に気にしていない。ただ、大きな声でワーワーと話しているせいで、オジサン君たちの個人情報に詳しくなっちゃうよ。
シメにおにぎりを注文し、残りのハイボールをちびちびと飲みながら、忙しなく動くケイゴ君を見た。一生懸命頑張っている姿を見るだけで涙腺が脆くなる。そう、俺は泣き上戸だ。
「ヤベ、オレ金ねぇ」
「まじかよもう貸さねぇぞ」
「それくらいはあるけど飲みすぎたわ」
にわかに隣の席の会話が不穏になってきた。確かに、俺が一杯を飲むうちにバンバン追加していたが、ソフトドリンクと大差ない値段だぞ。
「じゃあこれ髪の毛入ってたとか言ってみれば」
「お前天才じゃね?」
「なんか店員ちょっと髪の毛長いもんな」
ギャハハと笑う。いやお前たち何を言っているんだ?酔っ払ってるから?飲むなら節度を持て。
金がないなら俺が奢っても構わない(別に金があるわけではない)が、こんな奴らに金を出すのは死んでもごめんだ。ていうか変なこと言ってないでお前らで解決しろ。
よし、次にケイゴ君が来て、あいつらが何か言ったらオジサンがガツンと言ってやるぞ。大丈夫、部下だって叱ったことなくて舐められてるが、やる時はやる。
「あのさぁ、これ髪の毛入ってるんだけど」
「えっ?」
俺のテーブルにおにぎりを置き、隣のウェイに呼ばれたケイゴくんがすぐさま振り返る。ノーモーションでクレームを入れるんじゃない。
「すみません、ちょっと確認してきます……」
「いやそうじゃなくて、普通こういうのって会計タダにしない?」
お前の親はプロのクレーマーなのか?そんな滑らかにイチャモンを付けるやつなんて見たことないぞ。そもそも、ただのバイトのケイゴ君に言ったところでどうにもならないぞ。
すぐに責任者に確認を取ろうとするケイゴ君は賢い。
「これ全部タダにしてくれればいいからさぁ」
あー、これ完全に酔っ払ってるわ。酒の飲み方も知らないガキだわ。ウェイ四人。スクールカーストを下位にぶっちぎっていた俺には縁がない陽キャ集団だ。
「あ、あの、ききき君ちゃ、君たち、さぁ」
「なんだよオッサン」
うわ怖。何今の若い子ってこんな怖いの?酒飲んでなかったら話しかけるなんて絶対無理なんだけど。酔ってるけど無理なんだけど。
「ちょっと、さ、さっきの話き、聞こえて、」
「ああ?」
酔ったウェイ怖ぇ!ケイゴ君、今のうちに早く店長呼んできて!
「いや……だからね、」
なんでこんな突っかかってくんの。落ち着いて、とさっき駅前で貰った団扇で隣の席を仰ぐ。俺はびびって完全に混乱していた。
「勝手なクレームつけるのはね、お酒飲める大人として、ね……」
「なるほど」
「えっ?」
ケイゴ君の声でない声が聞こえ、テーブルを見ていた顔を上げた。この声は店長でもない。
「オニーサンたち、その髪の毛でっち上げなんだって?」
こんなイカつい人いた?え、ていうか名札がケイゴってどういうこと?
混乱する俺を横目に、隣のウェイたちは完全に自分たちの上位互換の存在に震えていた。背が高くて顔がいいってすごいな。しかも体格もいいから、ちょっとした格闘家って感じだな。
「い、いや……えーっと……」
突如現れたイケメンと誰も目を合わせようとせず、四人揃って慌てて荷物をまとめ出した。
「サーセンもう帰ります!」
俺はクレームをでっち上げたりしないが、同じ目に遭ったら一目散に帰っただろう。
おにぎりの海苔がしなしなになってしまった。
「悪ィなオッサン」
「い、いや……」
隣の席を片付けながら、謎のイケメンが俺にお礼を言う。ケイゴってどういうことなんだ、とか酔いに任せて突っ込みたいことは山ほどあったが、すっかり醒めてしまっていた。
三角形のおにぎりを食べながら、ちらちらと横を見る。ケイゴ君は一体どこに行ってしまったんだろう。
イケメンは慣れてるのか、手際がいい。ウェイが食い散らかした食器やジョッキを上手にまとめ、お盆を持った。
「またな、オッサン。その団扇、この店で使わない方がいいぜ」
結構なものが乗ったお盆を、片手で軽々と持ってキッチンへ去っていく。
彼は一体誰だったんだろう。狐につままれたような気分になりながら、三日月製薬のロゴが入った団扇を鞄にしまった。