蝶よ花よと目覚ましの音に目を開く。ピルボックス病院に勤めだしてそろそろ2カ月がたつ。途中出張で2週間ほど離れてしまったこともあったけれど、いまは落ち着いて日々を過ごしている。アーカムにいたころとは大違いだな、なんて考えながら寝間着から病院に行くための服に着替えた。
「さて、今日は何人出勤している事やら」
枕元で充電していたスマホを起動してステイツを立ち上げる。ピルボックス病院のページには10人近い人数が表示されていて少し笑ってしまった。これだけいるのだし、今日は買い物に行って最近少し楽しくなってきた料理をするのもいいかもしれない。無線を入れて出勤の挨拶をしようとスイッチを入れたのと同時、大きな声で呼ばれて少しだけ驚いた。
『ヴぁっ』
「え、なんです?」
『あれ、ウィルさんですか?』
「えぇ、おはようございます」
『お。ウィルか!おはよう!』
「おはようございますカテジ先輩」
さっき一瞬聞こえた悲鳴が、ももみさんのものに聞こえたのだけれどあの元気な挨拶が聞こえないことに首を傾げた。スタッシュケースの中に入れたままの食材から何を作ろうか考えていればインターフォンの音が聞こえた。うちに訪ねてくるなんて勧誘か何かだろうかといぶかしみながら少し時間を置いて扉を開ければ扉のすぐ横、インターホンの真下に膝を抱えて座るピンクの頭を見つけて思わず笑ってしまった。
「ももみさんでしたか」
「あ、おはよー!」
「はいりますか?」
「うん!」
この冬の時期に廊下は寒かろうと部屋の中に招き入れればぱたぱたと軽い足音をさせてリビングの方に走っていった。そういえばエアコンはつけていただろうか?リビングのところにあるパネルを見ると23℃と表示が出ていてついていたのならそれでいいかとさっきまでいた部屋に戻る。最近毎日のように自炊しているから、スタッシュの中に買いおいた食材もずいぶん減ってきているからとりあえず先に買い物でも出るか、なんて考えて腰をあげて。
「ぅわっ!!!」
真後ろで聞こえた悲鳴に驚いて振り向けば彼女の指先が私の服に引っかかるところが見えて、慌てて手を伸ばす。さっきまでリビングにいたと思っていたのにいつの間にか奥の部屋に来ていた彼女が倒れた拍子に床に頭を打ち付けないように急いで抱える。バフ、と間抜けな音が立って、そこがベッドである事に心底安心した。どうやらうまくベッドの方にこけることができたらしい。
「あ、ぁえ、」
「危ないですよ、ももみさん」
「ごめん、うぃる…」
「いえ」
よ、とベッドに手をついて体を起こす。自分の体重で潰してしまわないでよかった。ベッドに座らせてとりあえず大丈夫だろうけれど怪我はないかと体を見回すけれど、どうやら問題はなさそうだ。
「怪我はなさそうですね」
「うん」
「あまり作業中の人の後ろに立ってはいけませんよ」
「ごめんなさい…」
「私も、気が付けなくてすみません」
犬だったら耳が垂れていそうだ、なんて考えながら彼女の手を引いて立ち上がる。このまま、悲しませたままでいるのはなんだか気乗りしない。この子にはいつでもにこやかに笑っていてほしいと思ってしまう。
「そうだ、ももみさん」
「うん?」
「買い物に行くんですが、一緒にいらっしゃいますか?」
「ん!いく!」
途端に花が咲いたように笑ってパッと立ち上がった彼女が玄関に向かって走っていった。そのままじゃこけますよ、なんて走っていく背中に言ってくすくすと笑う。なんだかんだと自分も丸くなったものだなんて、あの頃の自分を笑って部屋を後にした。