凪が俺のことを好きだなんてありえない。みんな口を揃えて「玲王は凪に愛されてるよな」とちょっぴり呆れたような、だけど心底幸せそうで羨ましい、みたいな表情を浮かべて言うけれど、実際問題、凪からそういった言葉をもらった試しがなかった。過去に一度、レオといるとめんどくさくないから良いって言われたことがあるけど、それだけだ。一緒にいて楽しいという言葉すら出てこなかったし、それはあの日から随分経っても変わらない。
それどころか、最近の凪はやけによそよそしかった。昔はもっと距離が近かったのに、今では一緒にいる時間すら減った。
たとえば今日みたいに飲んで帰る日の場合、昔はうちに寄ってく? と言ってくれたのに最近はそれがない。帰りのリムジンが来るまでの間、一緒に待ってはくれるがそれだけ。おまけに乗っていくかと尋ねても首を横に振られてしまう。酔いを醒ましたいから、と、まったく変わらない顔色のまま凪が言って背を向けるのだ。
とにかく、愛されているという周囲の認識は間違っている。凪のことはずっと前から好きだし、その認識が事実になったら嬉しいとは思うが、現実はそう甘くない。
「じゃあね、レオ」
たった今、別れの最速タイムを叩き出したんじゃね? ってぐらい、別れの言葉を告げられるのが早かった。
大体いつもみんなで店を出て、二次会はパスして帰路につく。俺が行かないと凪も行かないから、必然的に帰りは一緒だ。小回りが効かないリムジンを呼ぶためには大通りまで出なければならず、そこまではいつも一緒に歩いてくれるのだが、今日はそれすらもなかった。
なんだよ俺、なにかした? って凪に聞きたいけど聞けない。「別に」なんて素っ気なく返されたら立ち直れる気がしないからだ。
同じクラブに所属しているから、オフシーズンぐらいは離れたいのだろうか。いや、でも、クラブに戻ったからといって凪の態度が変わらないことを俺は知っている。ストレッチのパートナーを組むときも、食事のときも常に俺と一緒だったのに、最近の凪は俺以外の誰かといることの方が多かった。といっても、元々人付き合いが壊滅的な凪は、ほとんどひとりでぽつねんとしているのだが。
そんなわけで、今日はことさらあっけなく別れを告げられた。じゃあね、じゃねーよバカ。という文句は飲み込んで、踵を返す凪の腕を掴む。
今日は作戦があるのだ。作戦というか、みんなに仕込まれた。
最近、凪がよそよそしくて困っている話をしたら、千切や國神たちからアドバイスを貰ったのだ。だったら"帰りたくない"って言えばいいよ、って。
「なに? この手」
「あー……えっと、まだちょっと帰るには早くね? 十時前じゃん。飲み足りないなぁ、って」
「だったら二次会に行けばよかったじゃん」
「でも、凪が嫌がるだろ」
「ん……? なんでそこで俺が出てくるの?」
こてん、と凪が首を傾げる。
だって、俺が二次会に行くって言ったら一〇〇パーセント着いて来るじゃん。それも心底、つまんなそうな顔で。そんなに嫌なら来なきゃいいのに、凪は必ずと言っていいほど俺に着いてくる。それが可愛くもあり、ちょっとだけ可哀想でもあった。だから、最近は断っているというのにコイツときたら。
……まぁ、いい。今はここでキレても意味がない。それに、作戦には続きがある。
「いや、何でもねぇ。……それより、お前んちに行きたい。久々に凪んちで飲み直したいなーって思ってんだけど」
「…………」
「おーい、凪?」
まるで油が切れたロボットみたいに凪が固まっている。目の前でぶんぶんと手を振ったら、ハッとした顔で凪がこちらを見た。
「……それはダメ」
「なんでだよ。前はよく行ってたじゃん!」
「それは絶対にダメ」
掴んでいた腕を振り払われ、凪が背を向けてしまう。そんなに家に来られるのが嫌なのかよ。と思ったのと同時にピンと来た。もしかして、もしかすると。
「彼女ができた……?」
「は?」
「彼女がいるから、俺を家にあげられないとか……?」
まさかの事態に、俺の脳みそが思考を続けたくないと悲鳴を上げる。
凪に彼女がいるとは考えたこともなかった。でも、思えばそれが一番しっくりくる。頑なに近付いてこない理由も、家に上げたくない理由も彼女がいるからなのかも。そう思ったとき、自分が一番ではない事実に胸が痛んだ。
「……ごめん、変なこと言った。やっぱり帰るわ」
「いいよ」
「やっぱり彼女がいたら、家にあげにくいよな」
「別に来てもいいよ」
「は?」
凪の言葉を噛み砕くより早く、凪に腕を掴まれる。あと、彼女なんていないから。と、ちょっとだけムキになって凪が言った。
「来てもいいけど、帰りたいって言うのは無しね」
「んなこと、言うわけないだろ。俺が行きたいって言ってんのに!」
凪とちょっとでも長く一緒に居られるのは嬉しい。久しぶりに訪ねる凪の家が楽しみで笑ったら、ぎゅうっと痛いぐらいに腕を掴まれた。
※※※
「ねぇ、本当にいいの?」
凪が借りているマンションのドアの前で凪が尋ねてくる。俺はごくりと喉を鳴らすと、いい、と小さく呟いた。それよりも寒いんだから早く中に入れろよ、と、いつまで経っても部屋の鍵を開けようとしない凪を急かす。
「じゃあ、遠慮なく」
そう言って凪がドアを開けた瞬間、一気に部屋の中へと押し込められた。びっくりして、目を白黒させる。久々に訪れた凪の部屋を堪能することなく、閉まったドアに体を押し付けられた。
「な、ぎ……?」
「だから嫌だったのに……」
ふーっと息を吐き、凪がぐりぐりと肩口に額を押し付けてくる。気付けば背中に凪の手が回っていた。
「我慢してたんだよ。こうならないように」
「ちょ、凪……! どうしたんだよ!?」
「でも、レオの方から来たんだから、もういいよね」
ぎゅうっと強く抱き締められて、じたばたと凪の腕の中でもがく。
え、どういうこと? 我慢ってなに? と聞きたいことが次から次へと浮かんでは消えていく。そうこうしている間にも、凪の手が背骨の凹凸を辿って腰まで降りてきた。さすがの俺も何が起きているのか理解してきたが、想像の斜め上を行き過ぎているせいでうまく言葉が出てこない。
「レオって心配になるくらい鈍感だよね。そんなところも好きだけど」
さらりと告げられた凪からの"好き"に息が詰まる。あまりにも近すぎる距離に、互いの前髪が混ざり合った。
ダメだ、何か言わないと。
「……やっぱり今日は帰る」
「帰りたいって言うのは無し、ってさっき言ったよね」
だからダメ。と、凪が抱き締める腕に力を込める。
前言撤回、俺は凪に愛されてる。だけど、まさかこんな形で自分が据え膳になるとは思っていなかった。これじゃあ、自ら進んで獣の巣穴に来た哀れな男みたいだ、俺。