▼これが本当に最後の地獄/凪視点
「さすがに変わり身が早すぎるんじゃねーの?」
もう会わないようにしよう、と言った傍から玲王が俺の家にやってきた。如何にも不機嫌です、怒ってます、といった表情で玲王が睨んでくる。
堪えきれずに少しだけ笑ったら、玲王があからさまに眉をひそめた。
「……なに笑ってんだよ」
「いや、別に。久しぶりにレオと話したなぁと思って」
「ハッ、この期に及んで緊張感のない奴だな」
ぐいっと玲王が俺の胸倉を掴む。玲王の悪癖みたいなものだ。挑発するときだけ、俺の胸倉を掴んで額を押し付けながら見上げてくる。そうして逃げられない距離で文句を言うのだ。毎回、こちらが悪いと決めつけるような言い方で俺のことを責める。
だけど、今回ばかりはさすがの俺も黙っていられなかった。だって、何も悪いことをしていない。玲王の言いつけ通り、プライベートで玲王と会うことはなくなったし、そもそも1ヶ月前に玲王とは別れることになった。恋人関係を解消し、ただの他人、よくて友人へと戻ったのだから、変わり身が早いとかそんな理由で責められる筋合いはないのである。
というか、むしろ俺が玲王を責めたいぐらいだ。深夜に、それも近所迷惑になるのでは? という勢いでマンションのインターホンを連打されたのだから。面倒くさいから無視しよう、という怠惰な考えは許さないと言わんばかりにドアまで叩かれた。最終的に「凪、出てこい!!」と言われて、ドアを開けたらこれだ。久しぶりに顔を合わせたのに、ロマンの欠片もない。玲王の背中越しに見える美しい星空からはかけ離れた表情で、元恋人が俺を睨んでいる。
「あのさ、俺たち別れたよね? だから、レオには関係なくない? 少なくとも、そんなふうに言われる筋合いないんだけど」
「いやあるだろ」
「うへぇー、そうかな?」
スウェットの襟ぐりを掴む玲王の手を離し、伸び切った生地を直す。玲王は大きなため息をつくと、持っていた鞄の中から週刊誌を取り出した。真ん中あたりのページを開き、見ろと言わんばかりに突き出してくる。そこに俺と……誰だっけ。名前は忘れたが、そこそこ美人な女優かアナウンサーか……とにかく女の人が写っていた。『熱愛か!? 深夜のホテルで密会』なんていう見出し付きで。
「此処見ろよ」
「あー、マフラーだね」
「俺があげたやつだろ」
「うん」
「なんでつけてんだよ」
「なんで、って……寒かったから?」
「いや、そうじゃねぇだろ。これがきっかけで炎上したの、覚えてねぇのかよ?」
玲王が苦しそうな表情で下唇を噛む。その痛々しく引き攣れた下唇に思わず手が伸びた。だけど、もうその唇に触れることも、キスすることもできない。その原因は、まさしく玲王が指さしたマフラーにあった。
※※※
一ヶ月前、俺たちは別れた。本当は別れたくなかったけど、仕方なくだ。
玲王とのデート中、ホテルの前でキスしているところをばっちり抜かれてしまった。少し前からパパラッチに付け回されていたことには気付いていたが、俺たちの関係にフォーカスが当たっているとは思っていなかった。そのいらぬきっかけを与えたのが、どうもこのお揃いのマフラーらしい。
『凪選手と御影選手が同じマフラーを付けている。常に仲が良い二人だが、お揃いのものをつけているなんて!』と一時期、SNSで話題になった。その一件がきっかけとなって、とある疑惑が浮上した。凪選手と御影選手は付き合っているのではないか、と。
正直、マフラーに限らず、いろんな物がお揃いだし、シェアもしてるし、ボディタッチだって今に始まったことではないのだが、そのときだけは何故か盛り上がった。それからパパラッチに追われるようになり、ほとぼりが冷めたと思ったタイミングで抜かれた。完全に油断していた。ちなみに、そのキスをしたときもお揃いのマフラーをしていた。
だから、玲王としてはいまだに俺がこのマフラーをしていることが許せないのだろう。別れるきっかけになったのだから尚更だ。俺としてはそれが狙いなんだけど。
「なんのつもりなわけ? お前」
「なんのつもりも何も、マフラーはマフラーじゃん。確かにレオと一緒に選んで、贈りあったものだけど、別れたからつけちゃいけないって決まりなんてあるの?」
「……俺の気持ちを考えろって言ってんだよ」
「でも、物に罪はないじゃん」
玲王から貰ったものであればならなおさらだ。玲王から貰ったものは自分で選んで買ったものよりも大事だと思っている。
だけど、玲王が嫌な気持ちになるのも分かる。このマフラーをきっかけにしたキス騒動のあと、地獄のような日々を過ごしたからだ。
男同士で恋愛なんて! と世間からは大バッシングを受けた。俺も玲王も日の丸を背負うサッカーの日本代表選手。おまけに玲王は御影グループの御曹司という肩書つきだ。少しずつ世の中の雰囲気が変わっていってると言っても、実際はマイノリティに容赦がない。ブルーロックの仲間たちからは今更じゃん、って言われたけれど、世間や身内からは受け入れてくれなかった。さすがに、身内にまで否定されたら俺たちだって傷つく。そうして暗い日々を過ごし、疲弊しきった頃、ついに玲王から別れを告げられた。
「なぁ、凪。俺たちもう会わないようにしよう。別れた方がいい」
「は? なんで?」
「だって、こんなにバッシング受けてんだぞ!? さすがに耐えられねぇ」
「俺は別に気にしないけど」
「俺が気にすんだよ! 俺のことはどうでもいい。けど、お前があれこれ言われるのは許せねぇ」
なるほど、そういう考え方もあるのかと納得した。それに、この地獄のようなバッシングの日々から逃れたい気持ちもあった。何よりも、この世の終わりみたいな顔で俺のことを見る玲王が耐えられなかった。
「……分かった。けど、俺たち本当に別れられると思う?」
「どういう意味だよ」
「ううん、なんでもない。でもひとつだけ約束してくれる?」
ほとんど体格は変わらないはずなのに、心なしか小さくなってしまったように感じる玲王の体を抱き締める。ぴくりと跳ねた肩が愛おしくてたまらなかった。
「どんな形であれ、もう一度俺のところに帰ってくることがあったら……そのときは最後まで俺のものになって」
約束ね。と、何度も口づけた耳たぶに唇を寄せる。薄い耳たぶを甘噛みしながらそっと囁いた。何があっても、玲王のことはずっと大好きなままだよ、と。
※※※
「そのマフラーで炎上したことも、大変な目にあったことも、ぜんぶ覚えてるよ。もちろん、約束のことも」
「……約束?」
はて、なんのことか。
玲王が首を傾げる。肝心なことほどすぐに忘れてしまう愛しい元恋人の体を抱き締めた。ぴくりと跳ねる肩がやっぱり愛おしい。
「言ったよね。どんな形であれ、もう一度俺のところに帰ってくることがあったら……そのときは最後まで俺のものになって、って」
「ハァ!? これをカウントすんのかよ!?」
「当たり前でしょ。どんな形であれ、帰ってきたわけだし。それに、まだ俺に未練があるから、雑誌のことを咎めに来たんじゃないの……?」
「…………」
「れーお?」
そっと体を離して玲王の顔を覗き込む。悔しそうな、だけどちょっとだけ照れたような顔で俺のことを見た。
「……また、バッシング受けるぞ」
「いいよ、別に」
「罵詈雑言を投げつけられて、身内からも否定されるんだぞ」
「気にしない。でも、玲王は気にする?」
「いや、もうあれ以上の地獄なんてねぇだろ」
一回、経験したら慣れると玲王が笑う。ぎゅうっと抱き着いてきた玲王のうなじをすりすりと撫でた。一ヶ月ぶりに戻ってきた恋人の唇にそっとキスをする。
「……あーあ、玲王、可哀想」
「ん……? なんか言った?」
ボソボソと呟いたから聞こえなかったのだろう。玲王があどけない顔で、凪? と俺の名前を呼ぶ。
あーあ、本当に可哀想だ。本当の地獄は世間からの野次でも奇異の目でもない。俺に捕まってしまったことだって玲王に言ったらどうなるんだろう。
だけどそんなことは教えてやらない。だって、玲王から歩いてやってきたんだ。何よりも自分で選んだという事実が大事だ。納得感を生むし、簡単には逃げられなくなるから。
可愛くて、可哀想な玲王を抱き締める。もう最後まで離してなんかやらないと、玲王の背中越しに見える不釣り合いな星空に向かって誓った。
▼これが本当に最後の天国/玲王視点
いい口実だった。きっと、俺に見つけてもらいたくてわざと仕掛けたんだろう。そう理解した上で、俺は凪によって撒かれた餌に飛びついた。
「さすがに変わり身が早すぎるんじゃねーの?」
ニヤけそうになる顔を必死に抑え、如何にも不機嫌です、怒ってます、といった表情で凪を睨む。だけど、凪は動じなかった。それどころか、分かりづらくも少しだけ微笑むから、俺は眉をひそめた。
「……なに笑ってんだよ」
「いや、別に。久しぶりにレオと話したなぁと思って」
「ハッ、この期に及んで緊張感のない奴だな」
ぐいっと凪の胸倉を掴み、額を押し付ける。だけど、やっぱり凪は動じなかった。慌てることなく冷静に見下されて、ちっ、と心の中で舌打ちする。
なんだよ、つまんねぇ。もっと他に反応あるだろ。感極まって俺のことを抱き締めるとか、キスするとか。
ついつい口から飛び出しそうになる文句を抑え、凪の背中越しに部屋を覗き込む。案の定、凪の部屋は荒れ放題だった。俺がいないと何もできないことに加え、俺と別れたという事実が少なからず凪の心に打撃を与えたのだろう。そう思うと、少しだけ胸がすいた。
「あのさ、俺たち別れたよね? だから、レオには関係なくない? 少なくとも、そんなふうに言われる筋合いないんだけど」
「いやあるだろ」
「うへぇー、そうかな?」
スウェットの襟ぐりを掴んでいた手を離される。なるほど、あくまで白を切るつもりらしい。俺は大きなため息をつくと、持っていた鞄の中から週刊誌を取り出した。真ん中あたりのページを開き、凪の眼前につき出す。俺は凪の首元を指さすと、トントンと誌面を叩いた。
「此処見ろよ」
「あー、マフラーだね」
「俺があげたやつだろ」
「うん」
「なんでつけてんだよ」
「なんで、って……寒かったから?」
「いや、そうじゃねぇだろ。これがきっかけで炎上したの、覚えてねぇのかよ?」
思ったような言葉を凪から引き出せず、キュッと下唇を噛む。だけど、忘れたとは言わせない。このマフラーがすべての元凶であり、俺の手によって仕組んだものなのだから。
※※※
一ヶ月前、俺と凪は別れた。一旦、別れなければならないところまで追い詰められたのは誤算だったが、最終的にこの瞬間を迎えることができたのだから結果的に大成功だ。
凪とのデート中、ホテルの前でキスしているところをパパラッチに抜かれた。以前からパパラッチに付け回されていたことには気付いていたし、もっと言えば、凪とキスをしたとき、俺の位置からはカメラが見えていた。それなのに隠れなかったのは、いい頃合いだと思ったからだ。凪との関係を世間に知らしめる、いい機会だと。
昨日の敵は今日の友ではないが、普段はうざったくて仕方ないパパラッチすら手駒の中に組み込んだ。より話題性も上がるように、一時期SNSでも騒ぎになったお揃いのマフラーをつけたまま凪とキスをした。
このマフラーはいわば、俺たちにとって思い出深いマフラーだ。だからこそ、適当に流されては困る。
「なんのつもりなわけ? お前」
「なんのつもりも何も、マフラーはマフラーじゃん。確かにレオと一緒に選んで、贈りあったものだけど、別れたからつけちゃいけないって決まりなんてあるの?」
「……俺の気持ちを考えろって言ってんだよ」
「でも、物に罪はないじゃん」
淡々とした声で凪が言う。確かにそうだ。だけど、このマフラーをきっかけに、俺たちは地獄のような日々を過ごすことになった。男同士で恋愛なんて! と世間から大バッシングを受けるようになったのだ。俺も凪も日の丸を背負うサッカーの日本代表選手。おまけに俺は御影グループの御曹司という肩書つきだ。少しずつ世の中の雰囲気が変わっていってると言っても、実際はマイノリティに容赦がない。ブルーロックの仲間たちからは今更じゃん、って言われたけれど、世間や身内からは受け入れてくれなかった。さすがに、身内にまで否定されたら俺たちだって傷つく。そうして暗い日々を過ごし、疲弊しきった頃、さすがにやつれていく凪を見ていられなくて、俺から別れを告げた。
「なぁ、凪。俺たちもう会わないようにしよう。別れた方がいい」
「は? なんで?」
「だって、こんなにバッシング受けてんだぞ!? さすがに耐えられねぇ」
「俺は別に気にしないけど」
「俺が気にすんだよ! 俺のことはどうでもいい。けど、お前があれこれ言われるのは許せねぇ」
俺は何を言われても気にしない。どんなバッシングでも大歓迎だ。話題になればなるほど、世間が俺たちに注目する。俺と凪が愛し合っていることを世界が認識する。凪誠士郎は俺のものだと声高に叫べる。それだけで幸せだった。
だけど、だ。凪のことを悪く言われるのだけは我慢ならなかった。凪は世界で一番かっこよくて、失ってはならない俺の唯一無二の宝物だ。そんな凪が世間から貶されることは何よりも許せなかった。
それに、凪は絶対に俺のことを手放せない。重いぐらいに俺のことを愛している。
凪は俺との言い争いを嫌う。衝突を避けようとして、凪は分かったと頷く。だけど、必ず条件を持ち出してくるはずだ。凪とずっと一緒にいるから手に取るように分かる。一旦、頷きはするけど簡単には引き下がらず、約束を持ち出して俺のことを縛るのがいつものやり方だった。凪の悪癖と言ってもいい。
「……分かった。けど、俺たち本当に別れられると思う?」
「どういう意味だよ」
「ううん、なんでもない。でもひとつだけ約束してくれる?」
ほら思った通り。凪が縋るようにギュッと抱き着いてくる。そういうところが愛おしくてたまらない。
「どんな形であれ、もう一度俺のところに帰ってくることがあったら……そのときは最後まで俺のものになって」
約束ね、と凪が言う。何があっても、玲王のことはずっと大好きなままだよ、とも。
俺はその言葉を信じた。信じたからこそ少しの間、俺は凪の元から離れることができた。凪によって作られた熱愛報道すらも、フェイクだと鼻で笑うことができた。
※※※
「そのマフラーで炎上したことも、大変な目にあったことも、ぜんぶ覚えてるよ。もちろん、約束のことも」
「……約束?」
はて、なんのことかとすっとぼける。だけど本当はすべて覚えている。覚えているからこそ、凪を訪ねてきたのだから。
だから早くとどめを刺して欲しい。俺が逃げられなくなるような言葉で追い詰めて欲しい。
「言ったよね。どんな形であれ、もう一度俺のところに帰ってくることがあったら……そのときは最後まで俺のものになって、って」
「ハァ!? これをカウントすんのかよ!?」
「当たり前でしょ。どんな形であれ、帰ってきたわけだし。それに、まだ俺に未練があるから、雑誌のこと咎めに来たんじゃないの……?」
「…………」
「れーお?」
甘い声で凪が俺の名前を呼ぶ。愛おしさを煮詰めたような声で名前を呼ばれるのが何よりも好きだ。また、あの幸せな日々がやってくるのだと思うと、ぞくりとしたものが背中を駆け抜けていく。
「……また、バッシング受けるぞ」
「いいよ、別に」
「罵詈雑言を投げつけられて、身内からも否定されるんだぞ」
「気にしない。でも、玲王は気にする?」
「いや、もうあれ以上の地獄なんてねぇだろ」
俺にとっては、凪が俺のものだと主張しまくれる最高の時間だったけど、とは言わずに凪の体に抱き着く。すりすりとうなじを撫でる凪が可愛くてたまらない。一ヶ月ぶりに戻ってきた恋人とのキスは、俺の心を満たすには十分だった。
「……あーあ、玲王、可哀想」
「ん……? なんか言った?」
凪の呟きはしっかりと耳に届いていたけれど、何も聞いてないふりをする。
だって、本当に可哀想なのは凪だ。何も知らないまま、俺を追いかけてきたのだから。俺に仕組まれていたことにすら気付かずに。
それに俺は地獄だなんて思っちゃいない。むしろ、凪の腕の中が一番天国に近いとすら思っている。
だけどそんなことは教えてやらない。だって、凪自身が俺に見つかりやすいように餌を撒いたのだから。何よりも自分で捕まえに来たという事実が大事だ。納得感を生むし、簡単には手放しづらくなるから。
可愛くて、可哀想な凪を抱き締める。もう最後まで離してなんかやらないと、俺にとっては勿体なさすぎる宝物に頬ずりした。