愛せば融けて ふと時計を見るといつの間にか十時を回っていた。
そろそろ帰ってくる頃だろうか。じいと見つめあっていたブルーライトのノートを閉じ、凝った筋肉を伸ばしてやる。三十近くにもなると長時間同じ体勢で一点に集中すると精神よりも身体が悲鳴を上げ始めて、労らない事には仕方がない。
飲み干した湯呑みを下げ割らないよう優しく洗い、逆さにして音が立たないようにラックに乾かす。
まだ余力を残してのプロ引退後、決してロマンチックな形ではないけれど愛する恋人と同棲する運びとなって早数週間。なかなか主夫が板についてきたのではないだろうか。元より人の面倒を見るのが得意な質であるのが遺憾無く発揮されている。
「まだ起きてるぴょん」
カチャ、と遠慮がちに玄関が開く音と同時に落ち着いた独り言のような声が聞こえる。
「一成さん、お疲れ様」
「わざわざ毎日出迎えなくていい
リョータもやる事あるぴょん」
「良いんすよ、ただいまは?」
「ただいま」
こんな体がむず痒くなるようなやりとりももう慣れたものだ。外で働く恋人の帰りを起きて待っていれば寝てて良いのにと言いつつもどこか嬉しそうにすたすたと早足で寄ってきて、作業をしていたりベッドで待っていれば外気によって冷たく冷えた頬を肩越しに押しつけ、してやったりと目を細める。
「今日はもう寝るだけか?」
「一成さんはどうするの?」
「今おれが質問してるぴょん」
室内の温度に馴染んだのか頬の血色が良くなり、かさついた唇を歪ませじとりと見つめられ、思わず口許が緩んでしまう。初めはまともに表情も動かしてくれなかったくせに、随分と心を開いてくれたものだ。
外向き彼も、自分に慣らされた彼もどちらも等しく愛しいのだけれど。
「我儘言っても良い?」
リョータが背伸びをして耳元で話せばぴくと肩を震わせ、深津の生白いうなじがじんわりと色付く。それを隠すようにこちらを見つめる瞳はゆらと揺らめいて、大事に抱き込んで溶かしてやりたくなってしまう。
「…なに」
「今日は寝たくないな」
しばらくの硬直の後、発された言葉の意味を理解したであろう深津は、無防備にも腕の中で悪戯気に笑う朽葉色の柔髪を抱き込んだ。いち勤め人としては逞しすぎる腕に閉じ込められ、その腕の隙間からちらと見えるリョータの耳は薄桃に色付いている。胸元にぐりぐりと擦り寄る前髪をかき上げてやれば少し恥ずかしそうに目許を緩め、ゆっくりと下唇を食まれた。
冷静沈着というには少し分かり易いこの愛おしい男が、いつまでもこの腕の届く場所にあればいい、とリョータは思う。甘く、酷く、とろかして、一つになってしまえれば良いのに。