10/24:魔女の魔法 真っ暗な廊下を、炎のように赤い髪の少年が覚束ない足取りで歩いていた。
少年は、一部が濡れた枕を持って、ぺたりぺたりと歩いていた。気を抜くと、目の前が霧に包まれたようにぼやける。
持っていた枕に顔をうずめ、流れ落ちそうな涙を拭う。しゃくりあげないように、口元を隠す。引き返す機会を失い、少年はただ、ひたすらに暗い廊下を歩いていた。
「パーシィちゃん?」
一番聞きたかった、優しくてあたたかい声が聞こえる。
「お母様……」
月明かりに照らされ、柔らかく微笑む母の顔がはっきりと現れた。
「大丈夫。一緒にお部屋に戻りましょう」
「……はい」
母に手を引かれて寝室に戻ると、二人の兄は深い深い眠りについて、規則正しい寝息を立てていた。
パーシィと呼ばれた少年も同じようにベッドに入るが、先程まで見ていた悪夢を思い出して再び涙が溢れてしまう。そんな少年の涙を、母は優しく拭って小さな声でこう言った。
「悪い夢はね、魔女の魔法でやっつけちゃうの」
「魔女の、魔法……?」
「そう。お母さんはね、パーシィちゃん達が悪い夢を見たら、魔女に変身して特別な魔法が使えるようになるの」
えっへんと胸を張る姿に対して少年がくすりと笑えば、母は嬉しそうに彼の赤い髪を撫でる。
「だから、もう大丈夫よパーシィちゃん」
少年の瞼はうとうとと瞬きをしたかと思えば、そのままゆっくりと閉じられた。
おやすみなさいという声の後、額に与えられた体温が、少年を蝕んでいた恐怖をすっかり溶かし、心地よい眠りへと誘ってくれた。
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ぱさりと落ちた本の音によって、パーシヴァルの眠りは破られた。読書中にどうやら寝てしまっていたらしく、頬杖に使用していた手首が少々痛む。
「(随分と懐かしい夢を見たものだ……)」
内容はほとんど忘れてしまったとはいえ、断片的に覚えている部分を繋げればなんとなく、どんな夢だったかを思い出せる。
「(ハロウィンが近づけば近付くほど悪夢を見やすくなる……そう言ったのは誰だったか)」
本を拾い、おおよその場所に栞を挟んだ後、パーシヴァルは部屋のランプへと手を伸ばしたが、扉を控えめに叩かれてたので動きを止める。
「パーさん、起きてるか?」
いつも大声で話す人物とは思えない小声に、パーシヴァルは返事をするようにして部屋の扉を開ける。
「何だ」
「あ、マジで起きてた……」
声をかけた側から出たとは思えない言葉に、パーシヴァルは皮肉で返す。
「俺の睡眠を妨害するのが目的か?」
「いや、顔見たくなってさ」
「……は?」
予想外の返答に硬直するパーシヴァルを差し置いて、ヴェインは随分と調子のいい声で笑った。
「ははっ、ごめん。本当にそれだけなんだ」
起こして本当にごめんなぁと、言うだけ言ってその場から去ろうとするヴェインだったが、パーシヴァルにそれを阻止される。
「ヴェイン、待て」
渋々命令を聞いた大型犬のような動作でヴェインが近付いてくる様子を見守る。
夜中に急に目が覚めて、突然誰かの顔が見たくなる衝動には心当たりがあった。ちゃんと辿り着けたことは評価すべきか、などと考えつつ、先程まで見ていた夢を思い出しながら、パーシヴァルはため息をひとつついた。
「もう少し顔を入れろ」
え、と動揺するヴェインの顔を両手で掴むと、身体の半分近くが部屋に入るまでぐっと引っ張る。
「痛っ、痛ぇって……!」
「目を瞑れ」
状況を把握できていない割には、すぐに素直に目を閉じたヴェインの額に、パーシヴァルはそっと唇を当てた。熱が離れたタイミングでヴェインはぱちりと目を開けて、瞳を丸くさせてまっすぐ見つめる。
「……効果は保障できん」
そう言われた瞬間ヴェインは、ずりぃなぁと声を漏らし、そのままパーシヴァルの肩に顔をぼすんと埋める。
もう大丈夫、ありがとう、とヴェインがぽつぽつと溢した言葉に対して、そうか、とパーシヴァルは返す。その後は、悪夢を上手く払えているようにとただ静かに願うことしかできなかった。