『ポピーちゃん(才能ある若者)に甘いオモダカさんの話』――――――――
ぽてぽてと音がしそうな足取りで、小さな四天王は先を行く上司を追いかけた。
「オモダカさん! オモダカさん! おまちくださいませ!」
「どうしました、四天王・ポピー」
オモダカが振り返ると、彼女の特徴的な長い髪が風を孕んでふわりと広がる。
その様を見てポピーは、きゃあ、と華やいだ声を出した。
「あのね、ポピーどうしてもおききしたいことがありまして……オモダカさんって、ほんとうはポケモンちゃんなんですの?」
「……。……はい?」
一拍の間を置いて、オモダカは僅かに眉を上げた。
突拍子もない言葉に驚いたのかもしれない。何事にも動じない彼女にしては珍しい感情表現だった。
「きゃー!やっぱりそうなんですのね! あのね、あのね!チリちゃん言ってましたの!『うちらの総大将はな、実は色違いのキラフロルが進化した姿なんやで』って!」
小さな体でぴょんぴょんと跳ね、幼き四天王は全身で喜びを表現している。
それを見下ろすオモダカは静かに目を伏せ、首を横に振った。
「……ポピー、今の「はい」は肯定の意ではありません。伝承によれば、かつて人だったものがポケモンに転化するケースもあるらしいのですが、それも言い伝えレベルの話です。そして逆のケース、つまりポケモンが人間に進化するなど噂ですら聞いたことがありません。いいですかポピー、私は」
「え……ちがいますの……?」
「……」
黄色い声が一転して暗く沈む。
——オモダカはいつもぴしりと伸ばした背をわずかに屈めた。
相対する者に例外無く威圧感を振りまく孤高のトップが、従者のように片膝をつく。そして小さな部下と目線を合わせ、微笑を浮かべた唇に、シィ、と人差し指を立てた。
「……バレてしまっては仕方がありませんね。このことはご内密にお願いしますよ」
「……!」
ポピーは一瞬面食らったように動作を止め、しかし直後に歓声を上げた。小さな両手を組み楽しげに体を揺らす。
「わーい! ほんとうなんですのね! ポピー、いちどポケモンちゃんとおはなししたかったんですの!」
「喜んで頂けて何よりです。リーグ職員のモチベーション維持も私の仕事ですから。ところでポピー、今日はチリと一緒ではないのですね」
「チリちゃん? たぶん、おそとでドオーちゃん洗ってるとおもいますけど……」
「そうですか。では私は彼女と大事なお話がありますので」
オモダカはにっこりと微笑んだ。
しかし立ち上がろうとする彼女をポピーが再び引き留める。
「あ、まって! さいごにもういっこだけおしえてくださいませ!」
「……なんでしょう」
「えっとね、えっと……オモダカさん、おてもちのキラフロルちゃんともおはなしできますの?」
「ええ。もちろん」
「ど、どうやって!?」
「え」
「どうやってやりますの? オモダカさんのまねっこすれば、ポピーもおともだちとおはなしできるかもしれないですの!」
「…………」
子供の純真なまなざしと相対し、オモダカは再び目を伏せた。
何かを深く考える時に良くする癖。気位高く閉じられた瞳の前に指を立て、ほんの二秒程の時間が経った。彼女にしては長考である。
そしてオモダカはゆっくりと目を開くと、ボリュームのある長い髪を、絵画の中の貴婦人がドレスをそうするように優雅な動作で両手で摘む。
その表情はやはり変わらない。何もかもを見透かしたような、超然とした微笑みを崩さない。
そのまま彼女は、浮遊するキラフロルの花びらを模した動きでゆらゆらと髪を蠢かしたかと思うとぎこちなく唇を開き、
「お、……オモオモー……」
《ピロリーン♪》
しまった。ロトムを静音モードにすることを忘れていた。
前方で自分よりも遥か年下の同僚がくるりと『こちら』を振り返る。
「あっ、アオキおじちゃん! こんにちわでーすの!」
小さな同僚の背後で上司がこおりついたかのように固まっている。
先程の長考(当社比)では懐からスマホロトムを取り出し構える程度の猶予があったが、こちらの存在に気付かれている以上は状態異常こおりと言えども油断は出来ない。
即座に「逃げる」を選択する必要があるだろう。
二人に向けて深々とお辞儀をする。
「お疲れ様です。……お取り込み中のようですので、自分はこれで」
「……アオキ」
やはり一ターンでこおりは溶けた。
動き出したキラフロル(仮)から目を背け、モンスターボールに手を掛けながら踵を返す。
「また後ほどご連絡します、トップ」
「それは動画ですかアオキ」
「先日申請した有給がまだ承認されない件についてなんですが」
「今この場で承認しましょう。アオキ、待ちなさいアオキ、いつからいたんですか、いつから撮っていたんですか」
「では外回りに行ってきます」
「いってらっしゃいですのー」
「その動画を今すぐ削除しなさい、これは上司命令ですよアオキ。聞いていますかアオキ、ムクホークから降りなさいアオキ待ちなさいアオキ! こら!」
◆
「あれ、何見てるんですかアオキさん。ご飯中にロトムなんて珍しいですね!」
「飯がうまくなる動画です。アオイさんも見ますか」
「えっ何ですかそれ! 見ます見ます!」
その後動画を気に入ったアオイはアオキに共有してもらい、視察ついでにジムリーダー達にその動画を見せた。
「あんた、サムくないの? ……いや、動画は関係ない。服装の話だよ。視察は別に構わないけど、ちゃんとあったかい格好してきなよね」
「あらトップ、お久しぶりです~。新作のキラフロルちゃんクッキー好評ですよ~! おひとつどうぞ~♪」
「キサマ芸術性を解さない無知蒙昧の輩かと思っていたが、あのパフォーマンスはなかなかどうして悪くなかった! バトル前は常にあれをやるといい!」
――等々、ジムリーダー達のオモダカへの好感度がちょっと上がった。
ナンジャモは『俺達のトップがこんなに可愛いわけがない』というタイトルでSNSに動画を載せようとしたがオモダカに見つかり止められた。
チリはしょうもない嘘を吐いたことをちゃんとポピーに謝った。(三日後に許してもらえた)
オモダカはアオキの有給申請を早めに承認する様になった。
子供に嘘ついたことと、合意なく動画を撮ったことと、それを色んな人に見せたことでチリとアオキとアオイはハッサクにめちゃくちゃ怒られた。
◆
あらかたの者が帰宅して、リーグ内事務室には説教の分だけスケジュールが押してしまったチリとアオキだけが残っていた。
「あーごっつ絞られた…怒った大将怖いわぁほんま、アオイちゃん涙目やったで」
「チリさん」
「ん?」
「ファインプレーです」
誰もいない事務室はとても静かだった。アオキのボソボソとした声が明瞭に聴き取れるほどに。
対面に座る同僚の口元を、思わずチリは凝視した。
「……」
「何ですか」
「いや、飯時以外でも笑うんや思て。……さっきハッサクさんに消されてもうたけど、実はまだデータ持っとるんとちゃいます?」
「持ってませんが」
「ほんま〜? ロトム見してぇや」
「個人情報ですので」
「なはは、ほなしゃあないなあ」
「……ところで、アオイさんは?」
「全然泣き止まんから甘いもん食わせに行くって、大将が」
「……あの子に厳しいのか甘いのかわかりませんね、ハッサクさんは」
「締めるべきときに締められるから、大将任されとんのやろ」
そうですね。短い相槌を返し、それきりアオキは無言になった。手元の資料に集中しているのだろう。
椅子の上でぐーっ、と背を伸ばしつつ、チリは先程目にしたアオキの微笑を思い出す。
有用な切り札を手に入れた。
そんな感じの顔だった。
(……いつもトップに無理無体押っ付けられてるようで、アオキさんもなんや図太いっちゅうか……抜け目ない人やなぁ)
それなりに付き合いは長くなってきたと思うが、同僚たちにはまだまだ自分の知らない一面があるようだ。
チリは自分がそもそもの発端であることを棚に上げつつ、我らがスーパー総大将にほんのちょっと同情した。