火星行き夜行列車「映画館、久々だな」
「そうだな」
ポップコーンを抱えたイヌピーは、期間限定のストロベリーキャラメル味にご満悦のようだった。予告開始前になくなりそうな勢いで食べている。オレとしてはハーフ&ハーフで頼んだやはり期間限定のチョコレートキャラメル味の方が好みなので、次回まだ頼めそうなら同じ組み合わせを選ぼうと心に留め置いた。
「最近は配信ばっかり見てたけど、デカい画面で見たくてさ」
「本当は朝一で観たかったんじゃないのか」
起業して在宅勤務がメインのオレ一人なら映画は自分の気持ちひとつでどうとでもなるが、イヌピーの仕事が終わってからだとどうしてもレイトショーになる。その仕事も急な案件が入ってくれば長引いてしまう可能性もあった。バイク屋自体はちょうど閑散期だから大丈夫だろうと先にチケットを取ったのだが、イヌピーとしては急な残業が入らないか心配だったらしい。
「原作が面白かったから期待はしてるけど、イヌピーとデートしたかったってのが一番の理由だから」
手の甲を撫でながらこっそり囁く。
耳がほの赤く染まる瞬間はいつ眺めても良いものだ。
マブ兼恋人になってもう何年も経つというのに初々しいままのイヌピーは、本当に綺麗で可愛い。
「……その顔ヤメロ」
脂下がった顔をしている自覚はあったが、「何のこと?」としらばっくれた。
ぶすくれた口にストロベリーキャラメル味のポップコーンを入れてやる。元より怒っているわけではなく照れているだけなのは分かりきっていたので、あっさりとイヌピーは機嫌を直した。
「映画、どんな話なんだっけ」
「宇宙飛行士が火星に取り残されてサバイバルする話」
「ふーん。難しそうだな」
「CMとか予告見る感じだと、細かいところは流しても大丈夫そうだったよ」
「ん」
チョコレートキャラメル味のポップコーンを口に投げ込んでやれば、イヌピーは曖昧に頷いた。
「寝ても良いよ」
「……ちゃんと観る」
ちょっと自信なさげに言うのが可愛くて、オレはもうひとつチョコレートキャラメル味のポップコーンを進呈した。
◆
映画は面白かった。エンドロールの最中に誰一人退出しなかったということもあり、久々に満足のいく映画館での鑑賞体験だった。
大きく伸びをするイヌピーの分のポップコーンやジュースの容れ物もまとめて回収しながら、オレも軽く首を回す。
「面白かった」
目を合わせるなり満足げに告げられ、嬉しくなる。
「そっか。良かった」
立ち上がり、出口へ向かう。ほぼ満席だったせいか人の動きは緩やかで、すぐ立ち止まる羽目になった。
「ココ」
「ん?」
「乗り物沢山出てきて楽しかったし、色々凄かった」
「そうだな」
バイクの名前はすぐ出てきても、車の種類はなかなか思い出せないようだった。それでも着眼点がイヌピーらしい。車軸がどうというのはオレにはわからなかったが、イヌピーが楽しんでくれたのなら何よりだ。
「なあ、これって本当にあった話なのか?」
周囲の人間が一斉に振り返った。
気持ちはわかる。オレだって劇場を出てこんな声が聞こえたら振り返るだろう。歩きながらジュースを啜っていた男が咽せているのが視界の端に映った。
イヌピーはといえば、周囲に反応を一切気にも留めずにこちらを真っ直ぐ見つめてくる。
本当に、心からの感想と疑問なのだろう。
アクション映画以外でも、何より自分と一緒に見た映画で寝ることなく楽しめたというのが嬉しかったのだと柔らかな瞳が物語っていた。
イヌピーの手を取りながら耳元に顔を近付け、囁く。
「残念だけど映画だからこれはフィクション。まだ人類は火星に到達してないしね」
「そうなのか」
意外そうにイヌピーが瞬いた。
もしかしたら、イヌピーの世界線では既に人類は火星に到達していて、オレ達の世界線の方が遅れているのかもしれない。
そんな馬鹿なことを唐突に考える。
「もしココが一人で取り残されてたら、オレは絶対見捨てない。船長に何言われても絶対に残って探す」
「……船長の命令は絶対だよ」
「そんなの知らねー」
「イヌピーらしいな」
でも確かに、似たようなことは既に経験済だった。抗争の真っ最中だというのに周囲を顧みず追い掛けてくれたことは、何年経っても色褪せない鮮烈な記憶だ。
あれがあったからこそ、今がある。
同じ映画を共に観ることができた。
もしかしたら、同じ映画を観たことすら知らない、そんな世界線があったかもしれない。
「……オレもイヌピーのこと探すよ」
「うん」
満足そうに頷いたイヌピーが「火星ってバイク乗れねーのかな」と言い出したので、オレはロケ地のワディ・ラム旅行を計画するべきか、しばらく真剣に悩む羽目になった。