《トマ蛍》もしもの話ですがお店の目の前で注目を集めていたカップル。あまりにも大きな声だから会話も丸聞こえだったのだけれど、どうやら女性の浮気が原因で喧嘩しているようだった。相手の男を一発殴りたいから今すぐ連れてこいとか、もうあなたとはやっていけないから別れようだとか。
遠巻きに眺めていた人たちも、自分のパートナーが浮気したらどうしてやろうか、なんて話で盛り上がり始めた。浮気。そんなこと考えつきもしなかったけれど、世の中よくある話らしい。
蛍自身はトーマ以外なんてちっとも興味ないし、トーマだってそういった不誠実なことをするとも思えない。もしトーマに他の好きな人ができたとしても、きっときちんとお別れしてから次に進むんだろう。そういう人だから……とまで想像して、別れるのは嫌だな、そんなこと言われたらどうしようか、なんて勝手に不安になってしまった。
痴話喧嘩を見てしまってどきどきしているだけ、そんな心配なんて必要ない、とは思うけど、帰宅してトーマの顔を見ても、まだまだ不安が消えなかった。
「もし私が浮気したらどうする?」
「ええっ……浮気、してるの」
「もしもの話だってば」
そのせいか、とてつもなく余計なことを聞いてしまった気がする。そんなことありえないよって笑い飛ばしてほしかったから、でもどうやって切り出したらいいのかわからなくて、軽く、なんてことないような顔で話題を振るにはこれしか思いつかなかった。
だからそんな、漫画のようにソファからずり落ちるほど動揺されると蛍もびっくりしてしまう。背もたれに掴まりながら姿勢を戻して、次にしょんぼりと眉を下げた。
「……オレのこと、嫌いになった?」
「ち、違うよ!? なってないなってない」
ごめん、ごめんね。買ったばかりの野菜が入った紙袋を放り投げて慌ててトーマの手を取る。
嫌いになんてならない。昨日も今日も明日も大好き。
大好きだし、浮気なんて一切していないし、そんな予定もない。絶対に。
そう続けても、トーマの顔は晴れない。
どうしよう。豊かな想像力のせいで不安になった蛍がばかだった。
繋いだ手をきゅうと握り締めるトーマの頭に頬を寄せる。どうすればトーマに蛍の愛がめいっぱい伝わるだろう。ハグする、ちゅーする、ずっと一緒にいる……のは難しいかもしれないけど、できる限りそばにいる。
あとはトーマの好きな料理も作ろう。あったかいお風呂に入って、お日様の匂いの布団でぎゅっとくっついて寝よう。
あれこれ提案しながら、いつもトーマが落ち込む蛍にそうしてくれるように、旋毛に優しく口づける。何度も繰り返して。
「……別れたい、とかじゃない?」
「違う、別れたくないの!」
話す順番が悪かった。さっきこんな喧嘩を見てね、って先に伝えればよかったんだ。でもそれじゃあ、何か疚しいことがあるとか、疑ってるみたいになるんじゃないかって思ってしまったから。
とにかく、勝手に考えすぎた蛍がいけない。トーマのことはとっても好きです。ごめんなさい。
慌ててあれこれ説明すれば、やっと小さく笑ってくれた。蛍の鼻先に、甘えるように金髪を擦り付けて。
「ごめん。好きなんて普段あんまり聞かせてくれないから、ちょっと遊んでた」
「……へこんでなかったの?」
「へこんだのは本当。君は素敵な人だから、オレなんかいらなくなっちゃったかと思った」
「オレなんか、なんて言わないで」
「ごめんごめん」
でもあんまり必死だからちょっと面白かった、と。
慌てている姿を楽しんでいたなんて! と思うけど、理由が理由だけに怒れない。もにょもにょ何とも言えない表情で黙り込んだ蛍を覗き込んで嬉しそうに笑う。
「それで? 蛍はどうやってオレのご機嫌取りをしてくれるんだっけ」
「もうご機嫌じゃない」
「あー悲しかったなあ浮気してるのかと思ったなあ。オレは別れるつもりもないのになあ」
繋いだままだった手を大きく振りながら、わざとらしく嘆いた。今度こそ本当に怒ってやろうかと思ったけど、トーマがにこにこしているとそんな気持ちも萎んでいく。
「手繋いだままじゃハグできない」
「ん。おいで」
「ふふ」
おいで、って、蛍がハグしてあげるつもりだったのになあ。蛍がするまでもなくちゅうちゅうと唇を合わせるものだからなんだか楽しくなっちゃって、もう誰のご機嫌を取るんだったかわからなくなってしまった。
あとは、一緒にいるのと、ご飯と、何だったっけ。
「トーマは明日お休み?」
「休みにする。今した」
「いいの? 綾人さんに怒られない?」
「いや、たぶん怒られるな。まあそのときは蛍も一緒にね」
「どうして!」