《トマ蛍》あつはなついね 話には聞いていたものの、こうも厳しい環境だとは。稲妻の夏、高温多湿。
神里屋敷も漏れなく、その中にある。開け放った窓から入り込む風は生ぬるく、頼んでもいない不快感を運んできた。目を開けられないほどにぎらぎらと眩しい太陽を避けて屋根の下で過ごしていても、纏わりつくようにじっとり重い空気からは逃げられない。滲んだ汗は拭き取ったそばからまたすぐに湧いて出てきて、すべてのやる気を溶かしていった。
だるい手足を投げ出す。ぎしぎし音を立てる床板は火照った体には程よい冷たさだが、それもあっと言う間に蛍の体温に馴染んでしまう。ここら一帯の床はもうすっかり温まってしまって、かろうじて動かせそうな指先で辺りの床を探ってもひんやりとした気持ちよさにはありつけそうにない。動きたくはないけれど、同時に頬に張り付く床の温度も鬱陶しくて仕方がなかった。
「暑いよ、助けてトーマ」
「暑いって言うと余計に暑くなるよ」
「じゃあ、涼しいって言ったら涼しくなるの?」
「やってみたら?」
洗濯物の山に埋もれたトーマは何ともなさそうな顔でそれらを片付けていくようだけれど、よくよく見ればその頬は真っ赤で。ひとつ畳むごとに、熱を逃がすようにどっと息を吐いていた。蛍よりもこの気候には慣れているであろうトーマでさえも、この暑さには辟易しているようだ。
「全然涼しくならないよ……」
「そうだろうね」
「嘘ついた!」
「嘘はついてないよ。試したら、とは言ったけど」
いたずらっぽく笑ったトーマは、額に浮いた汗を拭いながら立ち上がった。
「ほら、おいで」
暑さにやられてぼんやりした頭は、深く考えることもなく伸ばされた手を取る。蛍よりずっとずっと熱い手に引っ張られるまま起き上がれば、くらりと視界が揺れた気がした。だめだ、暑い。ほぼ無意識に飛び出た言葉を咎められるけれど、暑いものは暑いわけで。
「なら手離そうか」
「やだ」
繋いだ手は例外でしょう。トーマは乙女心がわかっていない……というより、わかっていて遊んでいるだけだろう。今だって、ぷくっと膨れた蛍の頬をつついては楽しそうに微笑む。いつもそうやって意地悪ばかり、可愛い子はいじめたくなる、なんて言葉にはもう騙されてあげないからね。そんな文句を込めた視線をぶつけても、上機嫌なトーマに笑い飛ばされるだけだった。
「かき氷パーティーでもしようよ」
「カキゴオリ?」
「知らない? きっと蛍も好きだと思うけど」
聞き慣れないパーティーへの招待を受け取るかどうかなんて迷う暇もなく、くいくいと引っ張るトーマに連れられて廊下へ飛び出す。滞った空気がどんより重いけれど、足裏で踏みしめた廊下はほんのり冷たくて気持ちよかった。
「氷だ」
「そう、氷」
保冷庫の冷気をずっと浴びていたかったのだけれど。中から出てきた大きなそれに気を取られている間に扉は閉められてしまった。
向こうを見渡せる程に透きとおった氷の塊はまるで高級な水晶のよう。これをね、と次々トーマの手によって用意されていく間にも、溶け落ちた雫を纏いながらきらきらと輝いて、視覚からさっぱりと涼しくしてくれる。
氷を不思議な機械に噛ませ、切子が麗しい器を添えて。頭のハンドルを回せば、大きな音と共に薄く削れた氷が滑り落ちてきた。なるほど、欠氷。透明だった氷が綿雪のように白くふわふわと積もっていく。高く山になればなるほどなんだか嬉しくなってしまって、トーマと代わってハンドルに手をかけ、もっともっとと削り出した。つい欲張った雪山は途中で崩れてしまったけれど。
「いちご、メロン、レモン……あった、みぞれ」
「それは?」
「これをかけて食べるんだよ。どれにする?」
「食べていいの!」
きらきらの氷を口に含んだら、きっと冷たくて気持ちいいだろう。なんて幸せなパーティーなんだ!
「どうぞ、召し上がれ」
シロップをひとつだけなんて選べなくて、とにかく全部かけてみた。みるみるうちに氷のかさが減ってしまったことが少しショックではあったけれど、カラフルに彩られた氷への興味が気分を盛り上げる。
「つめた!」
砕けた氷はしゃりしゃりとすぐに溶けていく。じんわりしみたシロップが甘くて冷たくて、つい手が止まらなくって。きんと頭が痛くなるけれど、少しずつ体にこもった熱が引いてすっきりしてきた。
「蛍、見て」
んべ、と伸ばされたトーマの舌は真っ赤に染まっていた。
「わ、なに、いちごシロップの色?」
「そうそう。蛍もきっと色付いてるよ」
そんなあ、と見てもらった舌は、混ざり合ったシロップのせいでとんでもない色をしていたらしく、それはそれは笑われてしまった。トーマみたいに真っ赤だったらまだ可愛かっただろうに。
「大丈夫、可愛いよ」
「でも笑ってる」
「可愛いから笑ってるんだよ」
再びぷくりと膨らんだ頬は、やっぱり優しくつつかれる。出た、「可愛いから」。じゃあトーマは、トーマがかっこいいからって言い訳すれば何でも許してくれるんだよね。
「トーマ」
「ん?」
「しゃがんで」
何の疑いもなく近づいてきたその唇にキスをする――ように見せかけてかき氷をねじ込む。期待したように薄く開かれたそれは、蛍特製のシロップ全部混ぜを一瞬で飲み込んだ。
「つ、めた!」
「あっはは!」
予想外の刺激に驚いたトーマは、しかしキスされると思ったとも言い出せず、食べさせ合いっこだっていつものことで、怒ることもできずに渋い顔をするだけだった。
「トーマがかっこいいから、つい、ね」
トーマの顔が真っ赤なのは、まだ暑いのか、それとも照れているのか。
「ふふ、ごめんね」
今度は蛍が膨れた頬をつつく番。
「次はちゃんとちゅーしよ」